第四話:モモの夢 5
フードコートに集まった客は、屋内外含めて計6組。
先程までは昼食時で混雑していたが、本日のピークはあれで過ぎたようだ。
澪さんとモモにはテラス席で待っていてもらい、俺は軽食を扱う店舗で買い物を済ませた。
「ケンジさーん」
『おにいちゃーん、こっちー』
購入した商品を借り物のトレーに載せて戻ると、澪さんとモモが手招きして迎えてくれた。
「お待たせ。
変な人に声かけられたりしなかった?」
「大丈夫です。
お店からここまで、3メートルギリギリですね」
「みたいだね。
もうちょっと離れたら、誰もいないと思って、ここに座った人がいたかも」
「それはそれで面白いですけどね」
白い円形のガーデンテーブルにトレーを置き、同じく白いガーデンチェアに腰掛ける。
すると俺の左隣に座ったモモが、前のめりにトレーを覗き込んだ。
『いいにおいがするねー』
期待に満ちた大きな瞳。
アトラクションを楽しんでいた時とは、また別の煌めきを宿している。
「リクエスト通り、ポテトと、フランクフルトな。
あとタコ焼きと、こっちのがベルギーワッフル」
『げるぎーわっふる?』
「ベルギーワッフルな。甘くて美味しいやつ。
足りなかったらまた買いに行くから、好きなの食べていいよ」
揚げたてのフライドポテトにフランクフルト、青海苔を少なめにしてもらったタコ焼きと、クリームが添えられたベルギーワッフル。
飲み物の方も、ジュース類を中心に三人分買ってきた。
タコ焼きとワッフルが俺のチョイスで、フライドポテトとフランクフルトがモモのリクエスト。
ククラモアに続き、モモ個人に関する情報はこれで二つ目だ。
『………。』
「モモ?」
『たべれない』
「え。……あ、やっぱ腹減ってないから───」
『たべたいの。たべたいの、けど、たべれないの。
モモはたべるの、だめなの』
ところがモモは、好物を前にしても手を付けようとしなかった。
なぜ食べられないのか尋ねても、とにかく食べられないのだとしか答えてくれず、しまいには項垂れてしまった。
「どういうこと、なんでしょう。
さっきは、いい匂いがするって喜んでいたのに……」
「駄目っていうのが、どういう意味の駄目かに依るね。
味覚がないのか、行為そのものが受け付けないのか……」
"いいにおい"を感じたなら、嗅覚は機能している。
"期待"を覚えたなら、食べたいという欲求は働いている。
なのに食べられない。
食べたいけど、食べられない。
ポーズだけでも可能な澪さんを基準としてしまいがちだが、そもそも澪さんは特別な存在なんだった。
空我に近いモモと、ほぼ空我とされる澪さんとでは、出来ることと出来ないことに差があって当然だ。
いずれにせよ、本人が受け付けない行為を強要するわけにはいかない。
「食べたいのに食べられないなんて……。
どうにかこう、なにか……。なんとか、ならないんでしょうか……」
身振り手振りつきで、澪さんは打開策を考え始めた。
そんな澪さんとモモを見比べて、俺はあることを閃いた。
「そうだ、サイコメトリー」
「サイコメトリー……、って、前に桂さんが仰っていた?」
「それそれ。
こういう意味でも成立するかは分からないけど……。
とにかくやってみよう」
"サイコメトリー"。
対象を問わず、残留思念を読み取る超能力の一種。
和名に訳すと、"透視"などとも呼ばれる。
ただし、サイコメトリーに厳密な定義はない。
霊的現象に基づく観測行為であれば、広くこれに当て嵌まるとされている。
「(確か、手を繋いだり、額を合わせると上手くいきやすい、だったな。
───よし)」
今から俺が試すのは、"エンパシー"を軸としたサイコメトリー。
"共感"や"共鳴"を意識してモモと接触し、俺の感覚を一時的にモモと同期させる。
すなわち、サイコメトリーを行っている間だけ、俺とモモは一心同体になるわけだ。
無論、俺にはエンパシーもサイコメトリーも経験がない。
桂さんの受け売りで知識は持っていても、技術面ではズブの素人だ。
本職の霊能者でさえ向き不向きがあるというそれを、俺なんかが付け焼き刃で成功させられる可能性は極低い。
だからこそ、やってみる価値はある。
「モモ、手だして」
『またおててつなぐの?』
「そう」
俺が左手を差し伸べると、モモは不思議そうに右手を差し出した。
俺はモモの手をしっかりと握り、空いている手でフランクフルトの串を持った。
「じゃあ、目閉じて」
『ねるの?』
「寝なくていいけど、目を閉じて、出来るだけ何も考えないようにして」
『うーん……?
わかんないけど、わかった』
モモが目を閉じたのを確認してから、俺も目を閉じる。
モモと繋いだ手に意識を集中させ、俺の中から雑念を追い払う。
「(一本の線……。
俺からモモに、繋げるイメージ……)」
イメージするのは、自分と相手が一体となった画。
俺からモモへ、血液を送るように、電子を流すように。
「いただきます」
呼吸を整え、フランクフルトの先端を齧る。
二・三回咀嚼したところで、モモの肩がぴくりと揺れた。
『……あ。あじ、する。おいしいあじする!』
感嘆の声を上げたモモは、椅子から浮いたり座ったりを繰り返した。
どうやら、俺の感覚をモモと同期させられたようだ。
「すごいですよケンジさん!一度で成功させるなんて!」
「うん、ありがとう、ごめんね。
ちょっと、もうちょっと話し掛けないでもらって」
「あっ、そうでした……。スミマセン……」
澪さんからも称賛の声が上がる。
桂さんの教えが良かったのは勿論だが、モモの順応力も優れているってことなんだろう。
まぐれで終わらせるのは勿体ないし、ちゃんと習得して今後に活かしたい技術だ。
『あっ、こんどはポテトでしょ!』
「正解。なんのソースだと思う?」
『うんとねー、マヨネーズ?』
「ブー。正解はオーロラソースでした」
『オーロラソースってどんなソース?』
「俺もよく知らない」
『しらないのにクイズだしちゃだめじゃん!』
ポテトも、タコ焼きも、ワッフルも。
俺が食べ進める毎に、モモは美味しいと喜び、澪さんは良かったねと喜んだ。
目を閉じているせいで、表情までは窺えないけれど。
弾む声が、澄んだ空気感が、二人の温かな気持ちを伝えてくれた。
俺の瞼の裏には、モモと澪さんの笑顔が、ずっと浮かんでいた。
**
「───ア"ー、さすがに食い過ぎたー……」
ついでにククラモアも完食し、購入した全商品が空になった。
澪さんもポテトとタコ焼きをつまんでくれたが、さすがに揚げ物とジュース三人前を自分一人で平らげるのは厳しかった。
「モモちゃんはどうだった?どれが一番おいしかった?」
澪さんが尋ねると、モモは満足げに左右に揺れた。
『ぜんぶおいしかった!
でも、いちばんおいしかったのは、さいごのおかしかも』
「こんだけ種類あって、ビスケットが一番か」
「小さい子って、純粋に自分が美味しいと思ったものが好きですよね」
「お母さんの手料理より、冷凍のハンバーグとかな」
「そうそう」
モモの無邪気100パーセントな感想に、俺と澪さんは吹き出してしまった。
「本当に、これが好きなんだな、モモは」
『うん!だって───』
繫いでいた手を離し、ククラモアの空箱をモモに渡す。
受け取るなり動きを止めたモモは、電池が切れたように押し黙ってしまった。
「……モモ?」
「モモちゃん?」
もしや、とっさに何か思い出したか。
俺と澪さんが呼び掛けると、しばらくの間を置いてモモは返事をした。
『……ううん。なんでもない。
おにいちゃん、おいしいものいっぱいありがとう。
おねえちゃんも、やさしくしてくれて、ありがとう』
急に取り繕った笑みを浮かべるモモ。
澪さんを一瞥すると、彼女も首を傾げていた。
不穏な気配を感じたのは、俺だけじゃないらしい。
『つぎののりもの、どうしようねぇ』
「えっ、もう出るの?」
『うん。はやくしないとじかんおわっちゃうもん。はやくいこ!』
モモに促されて、席を立つ。
やや後ろ髪を引かれながらも、俺たちは再び遊戯に繰り出したのだった。
**
17時23分。
園内の混雑も落ち着き、空は朱く色づき始めた。
フィールドアスレチックを除いて、アトラクションもほぼ網羅した。
親父と商店のことも心配になってきたし、ここらが引き揚げ時だろう。
「いっぱい遊んだし、次ので最後にしようか。
帰る前に、どれ乗りたい?」
遊び疲れた体を解しながら、俺は最後のリクエストをモモに尋ねた。
モモはどこか寂しそうに、無言で観覧車を指差した。
「観覧車か。あれなら、三人一緒に乗れるな」
「そうですね。
……せっかくですし、最後はみんなで、手を繋いでいきませんか?」
寂しがるモモを案じて、澪さんが洒落た提案をしてくれた。
またもや無言で頷いたモモは、俺と澪さんの両方に対して、バンザイをしてみせた。
俺と澪さんは左右に別れてモモと手を繋ぎ、モモを間に挟んで観覧車のブースへ向かった。
「───次、大人二名様でーす」
盛況ではあるが、順番待ちは無し。
担当スタッフに案内され、観覧車に乗り込む。
席順は、俺の隣にモモ、正面に澪さん。
フードコートでの食事風景と、図らずも同じ構図になった。
「思ったより高くまで上がるんですね」
「こわい?」
「いいえ。景色が綺麗なので、平気です。
ケンジさんは?」
「俺は久々だから、ちょっとそわそわするかも。
でも、子供の頃と比べると、やっぱスケール小さく感じるね。
観覧車に限らず、だけど」
「それだけケンジさんが成長されたってことですね」
「図体だけね」
経験者の俺でも、天使総合公園に訪れたのは高校生以来。
当時は恭介たちと一緒で、男同士でやるものじゃないと、観覧車には乗らなかった。
最後に乗った時期は確か、小学三年生だ。
俺の夏休みに、親父と母さんと三人で、ここへ遊びに来た覚えがある。
「(もう、昔みたいに、怖くない)」
親父と母さんでジャンケンをして、どっちが俺を独占できるかで争っていたっけ。
あいこが続いた結果、勝ったのは母さん。
負けた親父は地上に残って、俺と母さんが空高く昇っていく様子を、庇がわりのパンフレット越しに眺めていた。
「(子供の頃の記憶はあるのに、感覚だけが擦り減っていく。
子供の俺には見えていたモノが、今の俺には視えない)」
あの時も、今のような夕焼け空だった。
母さんと二人、高いねとか凄いねとか言いながら、地上にいる親父に何度も手を振った。
親父も親父で、俺たちに気付いてもらえるように、飛んだり跳ねたりアピールしていたな。
馬鹿だよな。
手を振る俺たちは、親父からは見えないのに。
アピールする親父は、俺たち以外にも丸見えなのに。
「(こんなに詰まらない大人になるなんて。
あの頃は、想像さえしなかったのにな)」
こうして昔を思い返す度に、懐かしくて寂しくて、どうしようもない感傷で潰されそうになる。
あの頃は楽しかったとか、戻れない日々に焦がれてしまう瞬間が、どうにもならなくて嫌になる。
「なんだか、時間までゆっくり過ぎてるみたいに感じますね」
視線を上げると、澪さんがいる。
夕陽のオレンジに染まった景色を、綺麗だと微笑む横顔がある。
時間帯のせいか、静けさのせいか。
観覧車という密室で、膝を突き合わせているせいなのか。
つい、ガラでもないことを口走ってしまいそうになる。
景色より君の方が綺麗だよ、とか。
俺でさえクサい台詞が過ぎるのだから、つくづく澪さんは綺麗な人と思う。
「……あ、モモはどう?
怖いとか、気持ち悪いとかない?」
惨めな下心には蓋をして、隣にいるモモで箸休め。
『こわくないし、きもちわるくないよ。
かんらんしゃって、しずかなんだねぇ』
搭乗してから微動だにしないモモ。
澪さん同様に外の景色を眺めるモモ。
俺の視点からは、モモの後頭部しか見えない。
モモが今どんな顔をしているか、俺には分からない。
ただ、見えなくても、分かることがある。
こちらに振り返らない頑なさと、必要の受け答えのみに留めるいじらしさに、モモの感傷が滲んでいる。
「遊園地、楽しかったか?」
『うん』
「なにが一番楽しかった?」
『いちばんはきめられないよ。ぜんぶたのしかったもん』
「そっか」
『モモ、おにいちゃんとおねえちゃんとゆうえんちこれて、よかった』
はた、と澪さんが俺に目配せをする。
彼女の視点からは、モモがどんな顔をしているかも分かるのだろう。
『でも、もう、おわりなんだね』
ぐすぐすと鼻水を啜ったモモが、ゴシゴシと目元を擦る。
俺は背後から、モモの肩に触れた。
そっとしてやる選択もあったかもしれないが、ちゃんと話をするべきだと、俺は判断した。
「モモ。こっち向いて」
モモはイヤイヤと首を振った。
自分の泣き顔を晒したくないらしい。
「モーモ」
もう一度、お願いする意味で呼び掛ける。
渋々とこちらに振り返ってくれたモモは、大粒の涙を溢れさせていた。
「モモ」
『………。』
返事をしてくれない。
俯いたまま、下唇を噛み締めて、スカートの裾を握り締めるだけ。
でも、自分からは何も言わなくても、何も考えていないわけじゃない。
きっと俺が想像する以上に、この小さな体の中では、様々な感情が渦巻いている。
涙で濡れた瞳には、俺なんかよりずっと、たくさんのモノが映っている。
「泣かないで、モモ」
俺も澪さんに目配せをしてから、モモの涙を指先で拭ってやった。
「今日はもう終わりだけど、これで遊園地が無くなるわけじゃない。
また一緒に来ればいいだろ?」
モモの涙が止まった。
最後に落ちた雫が、夕陽を帯びて瞬いた。
『また、これるの?』
「来れるよ」
『またいっしょに、あそんでくれるの?』
「いいよ。何回でも遊ぼう」
『ほんとに?』
「本当だよ。ね?」
澪さんに同意を求めると、澪さんは力強く頷いた。
モモはまたゴシゴシと目元を擦って、雨上がりの空のように晴れ晴れと笑った。
『じゃあ、いいや』
収穫らしい収穫は、ここでは得られなかったけれど。
モモ自身は満足してくれたようなので、たまにはボウズも良しとする。




