第四話:モモの夢 4
メリーゴーランド体験後。
澪さんと共にブースを出たモモは、一目散に俺のもとへ駆け寄った。
「───お、と。そんな楽しかったか?」
抱き付くモモを受け止め、丸い頭を撫でてやる。
俺の足にゴシゴシと額を擦りつけたモモは、パッと顔を上げて俺に笑いかけた。
『すっごい、すーごい、たのしかった。
おにいちゃんもいっしょにやればよかったのに』
「そ───、うですね。
また来ることがあったら、そうしてみましょうかね」
『またむずかしいしゃべりかたー』
改めて、モモは物怖じをしない子だ。
いくら人懐っこい性格とはいえ、知り合って間もない相手に、警戒心がなさ過ぎるのではと心配になるほど。
俺としては、悪い気はしない。
子供は得意じゃないが、モモのようなタイプなら、お守りをするのも苦ではない。
「(俺達にしか視えないのは、むしろ良かったことかもしれないな)」
ただ、大人にとって都合の良い子供という意味では、見ていて少しモヤモヤする。
そういう意味では、相手をするのが俺達で、ここにいるモモが生身じゃなくて、幸いだったかもしれない。
「まだまだ元気いっぱいですね。喜んでくれて良かった」
続けてやって来た澪さんも、モモの頭をポンポンと優しく叩いた。
モモはくすぐったそうな悲鳴を上げると、今度は澪さんの足に抱き付いた。
「お疲れ様。
さっき、ポーズしてくれてありがとね」
「はい。カメラを向けてるんだなって、すぐに分かったので。
写真、綺麗に撮れました?」
「あー、うん。それはまぁ、追々ね。
君の方はどうだった?なにか、思い出したこととか?」
「……残念ながら。
でも、楽しかったです。こういうのって、童心に帰るものですね、やっぱり」
切なげに目を細める澪さん。
モモだけならまだしも、ここで彼女の手掛かりを探すのは難しそうだ。
「次は、どの乗り物で遊びましょうか。
モモちゃんは、どれが面白そうだと思う?」
モモのおさげ髪を鳥の翼のようにして弄くりながら、澪さんは尋ねた。
モモはまたぐるりと周囲を見渡すと、また別のアトラクションを指差した。
『あれ!』
一基の塔を中心とした、飛行機型の乗り物。
俗に"飛行塔"・"ヘリタワー"などと呼ばれるそれが、モモの次のお目当てらしい。
「飛行塔か。こっちは男の子に人気のやつだな」
「ケンジさんは乗られたことあるんですか?」
「あるよ。遥か昔にね。
当時と比べると、なんか、更にちゃっちく感じるけど」
「その分、ケンジさんが大人になられたってことですかね」
「図体だけね」
天使総合公園の飛行塔は、ポピュラーなゴンドラ式とは一味違う。
土台と支柱が揺れるだけの簡素な造りで、スピードは出ないしギミックも仕掛けられていない。
要するに、しょぼいのだ。
全体的にチープと囁かれる遊園地エリアに於いて、一際しょぼいアトラクションが飛行塔なのだ。
その恩恵と言っていいかは分からないが、保護者同伴であれば幼児も乗れる。
一つの飛行機に座席が二つなので、親子で楽しむ分には適している、かもしれない。
「じゃあ、次はケンジさんの番ですね」
「えっ」
悪戯っぽい笑みを携えた澪さんが、容赦なく俺の肩を叩く。
最初は私だったから、次はオメーの番な、ということらしい。
てっきり、メリーゴーランドの流れのまま、全部のアトラクションを澪さんが付き添ってくれるとばかり。
約束はしていなかったので、拒否権を行使する資格は俺にはない。
『つぎはおにいちゃんがいっしょのってくれるの?ならいそがなきゃ!』
「そうですよケンジさん!さあナイスパイロット!」
モモには手を引かれ、澪さんには背中を押されて、俺は飛行塔の待機列まで追いやられた。
「───えっと……。大人一名様、で……?」
「はいそうです」
造りはしょぼくとも、飛行塔は宙に浮かぶアトラクション。
自由に乗り降りできるメリーゴーランドと違って、こちらでは担当スタッフの案内を受ける必要がある。
つまり、メリーゴーランドでの危惧再来。
成人男性お一人様で、お子様向けのアトラクションに興じる姿を、お集まりの皆様方にご覧いただかなくてはならない。
「(メリーゴーランドよりはマシかもしれんが……。
大人一人は駄目というルールも無いが……)」
家族連れに紛れて、空虚な痴態を晒す俺。
そんな俺を嗤ったりせず、案内に徹してくれるスタッフのお兄さん。
「お子様はもちろん、大人の方にも根強い人気のあるアトラクションですからね。
このあいだも、若い女性がお一人で参加されたことがありましたよ」
「ハハハそうですかハハハ」
俺も子供の付き添いなんですよ!
俺自身の趣味でこんなことしてるわけじゃないんですよ!
心中で叫び倒す俺に対して、スタッフのお兄さんはフォローの一言を添えてくれた。
気持ちは有り難いが恥の上塗りだった。
『おそらとぶんだねぇ。おちたりしないかな?』
「大丈夫大丈夫」
『おにいちゃん、おかおあかくなってきた。
おねつあるの?だいじょうぶ?』
「うん大丈夫。大丈夫だから早く詰めてね」
順番の関係で、俺とモモは青い飛行機に乗ることに。
お兄さんの注意が逸れた隙に、モモを座席の奥へ、俺は自然なフリで手前に座った。
「安全のため、このベルトを締めてお待ちください」
「はい……」
最後に飛行機の扉を閉めてから、お兄さんは仲間のスタッフと合流しに行った。
俺はお兄さんに言われた通り、自分とモモの分の安全装置を施した。
『間もなく発車しまーす。
小さいお子様連れの方は、念のため、お子様の手を握ってあげてくださいねー』
先程のお兄さんの声で、ブース内アナウンスが流れる。
「始まるって」
モモに声をかけながら、モモの横顔を覗き見る。
しかしモモは、俺に一瞥もくれなかった。
モモの視線の先には、他の飛行機に乗る家族連れの姿があった。
「モモ……?」
男の子とお父さん、女の子とお母さん。
男の子とお姉さん、女の子とお兄さん。
組み合わせは様々だが、どの家族も睦まじく会話を弾ませている。
そして彼らは、みんな、手を繋いでいる。
安全のためというよりは、互いの信頼を示すように。
「(羨ましい、のか)」
何がしたいかを聞かれて、遊園地へ行きたいと即答したモモ。
それは遊園地という場所に興味があったからか、はたまた、遊園地ならではの空気に関心があったのか。
本当はモモは、どうして遊園地に来たかったのだろう。
どうしてモモは、こんなに幼い子供が、生霊になってしまったのだろう。
「モモ」
『なあに?』
「手」
『て?』
俺には、君のお父さんやお兄さんの代わりは務まらないけれど。
一緒に遊ぶ友達くらいなら、俺でもなってあげられるから。
だから、せめて。
本当の君に、何があったんだとしても。
今日の出来事を、君は忘れてしまうのだとしても。
今のモモが楽しい気持ちになってくれたなら、俺は十分だ。
「繋ごう。嫌じゃなかったら」
慣れないなりに、左手を差し伸べる。
モモは俺の顔と左手を交互に見てから、嬉しそうに自らの右手を重ねた。
小さくて柔らかくて、死体みたいに冷たい手。
愛らしさや弱々しさは子供のそれなのに、生き物の温もりだけが抜け落ちてしまった手。
この子は確かにここにいて、ここにいてはいけない子なんだ。
『発車しまーす』
ジリリリリ、と目覚まし時計を半音下げたようなベルが鳴り響く。
ガコン、と設備の土台が揺れた後、段々に支柱が持ち上げられていく。
間接的な振動と浮遊感。
やがて塔の中腹まで持ち上がると、飛行機は穏やかに風を切り始めた。
『うごいたー!たかーい!』
SFチックな効果音に合わせ、飛行機が上下左右に揺れ動く。
安全バーにしがみ付いたモモは、足をバタバタとさせながら、どこへともなく叫んだ。
どれほど落ち着きがなくとも、俺と繋いだ手だけは絶対に離さずに。
「ケンジさーん、モモちゃーん」
全ての飛行機が一周したタイミングで、地上にいる澪さんが手を振ってくれた。
「ほら、モモ」
『あ、おねーちゃーん!』
モモに教えてやると、モモは空いた左手で澪さんに振り返した。
俺も恥ずかしさを堪えて、皇族かのように控えめに右手を挙げてみせた。
「若いねー」
「次は彼女が乗る番かな?」
すると、同じく地上にいた人達に笑われた。
連れ合いを待っているか、たまたま通り掛かったついでに、飛行塔の様子を見物中らしい。
俺達はバカップルじゃないんだってば。
『お疲れ様でした。
またのご利用を、お待ちしています』
旋回すること二周半、飛行塔の運行終了。
スタッフの一人が駆け足で巡回し、それぞれの飛行機を開放していく。
帰りは自由にブースを出て構わないらしい。
俺とモモは手を繋いだまま飛行機を降り、地上へ続く階段も降りていった。
「───どうでした?」
「すごい恥ずかしかった」
「そんな顔してました。モモちゃんは?」
『たのしかった!
あと、おにいちゃんのへんなかお、みるのおもしろかった』
「俺の恥じらいは見世物じゃないぜ」
心底おかしそうに笑う澪さんとモモ。
恥ずかしさは拭えないながらも、俺もつられて笑ってしまった。
「次はまた、わたしとモモちゃんが遊ぶ番ですね。
他に良さそうな乗り物は───」
澪さんが言いかけた刹那、何やら水気を帯びた音が遮った。
珍しく食欲旺盛な、俺の腹の虫だった。
そういや、昼食を食いっぱぐれたんだった。
どうりで、鳩尾の辺りがシクシクするわけだ。
『すごいおと!かいじゅうだ!』
俺の下腹を叩いて、モモは更に大笑いした。
片や澪さんは、はっと思い出したように眉を下げた。
「そういえばケンジさん、お昼ご飯まだでしたよね。
ごめんなさい、自分が平気なものだから、気付かなくて……」
「や、俺も今気付いたし。
一食くらい抜いたって全然───」
「ダメですよ!
今日は気温も高いんですから、栄養補給はきちんとしないと!」
まさか、澪さんに叱られるとは。
というか、彼女が強気に意見する姿を、初めて見た。
心配されて叱られるって、久しぶりでなんか、嬉しいかも。
「ンー……。
でも、俺だけ食うってのも、なんかなぁ」
「テーブル全体に、こう広げて……。みんなで食べてる体にすればいいんですよ。
お喋りしながらなら、じゅうぶん自然に見えるはずです。
わたしだって、食べようと思えばポーズくらいは───」
俺を説得する途中で、澪さんは言葉を詰まらせた。
「……モモちゃんは、どうなんでしょう。
そこは、わたしと同じなんですかね?」
俺と澪さんが顔を見合わせ、モモが不思議そうに頬を膨らませる。
お菓子をあげた時には喜んでいたが、食べられるかどうかは確認できていない。
「モモ、おなか空いてるか?」
『おなか?ううん、すいてないよ』
「喉は?渇いてない?」
『かわいてなーい。
……あれ?いっつもすぐおなかすくのに、きょうはすかないねぇ。なんでだろう』
空腹を感じないのは、澪さんと一緒。
体温を持たないのは、澪さんとは別。
空我に近くて、でも空我ではない。
ならば飲食は、澪さん同様に行為だけでも可能なのか、否か。
「後学のためにも、協力してもらいませんか」
生霊への造詣を深める、良い機会かもしれない。
かくして俺達は、休憩と実験を兼ねて、園内のフードコートへと赴いたのだった。




