第四話:モモの夢 2
正午。
畑仕事を終えた俺と澪さんは、例の軽トラックを走らせて、ふたみ商店まで戻った。
「───よう、お疲れ。どうだった、外?」
澪さんを軒先に残し、自分だけで店内に入る。
レジカウンターに立つ親父は、俺に気付くなり話し掛けてきた。
「酷暑」
「ハッハ、だろうなぁ」
「そっちは?」
「ご覧の通り、手持ち無沙汰。
やっぱみんな、お前じゃないと来る気せんのかもなぁ」
他愛ない言葉と共に、ケタケタと笑う親父。
どうやら、客入りの悪い日に当たったようだ。
「たまたま客足向かない日ってだけだろ。誰が店番だろうと関係ねーよ」
「お気遣いどーも」
Tシャツの襟と袖で首周りの汗を拭いながら、イートインスペースのスツールに腰掛ける。
店内はクーラーが効いていて涼しいが、外でかき過ぎた汗は直ぐには引いてくれない。
手持ちのタオルなんか、既にびしょびしょだ。
「うい、ケンジ」
「あん?おっつ───!」
すると親父がレジカウンター越しに、冷えた麦茶のペットボトルを投げ渡した。
俺は軽く礼を言ってから、中身にさっそく口を付けた。
「(ずっとウロウロしてんな。あんま気張らんでいいのに)」
軒先に目をやると、残してきた澪さんがいる。
あっちへ行きこっちへ行き、忙しく辺りを彷徨っている。
俺を目当てに集まった野良生霊がいないか、探しているのだ。
どうせなら役に立つことをしたいと、彼女自らその役目を申し出てくれた。
今や彼女の日課であり、仕事だ。
ちなみに。
野良生霊を探す行為については、"索敵"もしくは"ダウジング"等と、便宜的に呼ぶことになった。
「(役に立ってほしいから匿ってるわけじゃないけど……。
何かしてないと座りが悪いって気持ちも、分からんでもないんだよな)」
澪さんも招いてやりたいのは山々だが、親父がいる手前そうもいかない。
せめて彼女が、暑さや渇きを感じない性質でよかった。
「ケンジ」
また親父に話し掛けられた。
首だけで振り向くと、親父はレジカウンター裏から自宅へ移動するところだった。
「ん、休憩?」
「せっかく暇だし、今のうちに飯食っとこうと思って。
そのあいだ、店番頼んでいいか?」
「いいよ」
「悪いな。なんかあったら呼んでくれや」
親父が移動し、自宅の引き戸が閉められる。
俺は麦茶のもう半分を一気飲みし、空になったペットボトルをゴミ箱に捨てた。
同時に、店の扉が開かれる音がした。
やっと来客が、と再び軒先に目をやると、そこにいたのは澪さんだった。
親父が引っ込むタイミングを見計らっていたらしい。
「(女の子……?)」
澪さんの隣には、見知らぬ童女の姿もあった。
しっかりと手を繫いで、迷子でも拾ったのだろうか。
いや、待てよ。
しっかりと、手を繫いで?
「すみませんケンジさん、断りもなく入ってきてしまって……」
3メートルの間隔を守りながらも、澪さんは念のため声を潜めた。
「大丈夫。
あそこの戸、意外と厚くて、音漏れしにくいから」
俺も声は潜めながらも、距離は構わず詰めていった。
さすがに離れたままでは、要領を得ないからだ。
「で、その子は?」
視線を落とすと、童女と目が合った。
肩にかかるおさげ髪、柔らかそうな丸い頬。
零れ落ちそうに爛々とした瞳、一本だけ抜け落ちた下の前歯。
一見して、どこにでもいる、可愛らしい子ども。
ただ、知らない。
どこにでもいる風体ではあるが、個人に対しては見当さえない。
近所に保育園や幼稚園などの児童施設もない。
となると、童女の正体は。
「違ってたら申し訳ないんですけど……。
生霊じゃないかと思うんです、この子」
やっぱり。
心中で思わず呟く。
事情の分かっていなさそうな童女は、にへらと俺に笑いかけた。
表情や仕種が生き生きとしているので、ただの野良生霊とは確かに違うかもしれない。
「それって直感?
生霊同士、シンパシーを感じるとか」
「そう、ですね……。
ビビビとくる、みたいな感じは、ないんですけど……。
一目見た瞬間に、漠然と、そんなような気が、したような気が……。
あと、わたしのこと視えてるみたいだったので」
「だよね。
桂さんでも無理だったもんね」
「ただ、見れば見るほど普通の女の子で……。
生霊ではなく、ケンジさんと同じ能力を持った人という可能性も、無きにしも非ずかなと……」
「ふんふん。
本人は?喋ったりした?」
「個人的なことは、まだ。
なにを聞いても、分からないとしか答えてくれないんです……」
生霊同士であれば、互いに視認も接触も可能なことが判明している。
俺に生霊の姿が視え、生霊の体に触れるように、澪さんにも同様の芸当ができるわけだ。
無論、野良生霊に自我や知覚はないので、意思疎通という点では俺も澪さんもほぼ不可能なんだけど。
つまり、澪さんと童女が手を繋げている時点で、童女はどこにでもいる子どもではない。
問題は、特異生霊の澪さんと特異体質の俺、どちらが童女のお仲間か。
「なるほどね。了解」
眼鏡を外し、裸眼で改めて、澪さんと童女を見てみる。
二人ともが、鮮明に映る。
二人こそが、お仲間の証明になる。
「うん。
とりあえずは、生霊で合ってるみたい」
生霊は生霊でも、澪さんに負けじと力の強い生霊か。
まさか、この子も空我だったりしないよな。
「そうですか。
こんなに小さな子が、どうして……」
「ちょっと、場所変えようか。
今、親父出てきたら面倒臭いし」
積もる話をする前に、店の奥へ避難することに。
出入口からもレジカウンターからも死角になるのは、お菓子のコーナーが妥当だろう。
「───ここならいいかな」
チョコレート菓子の棚を壁にして、三人で身を寄せ合う。
「さて、お嬢ちゃん。
ここがどこだか分かるかい」
童女の背丈に合わせて屈んでやる。
童女は不思議そうに首を傾げてから、チョコレート菓子の棚を指差して答えた。
『おかしやさん?』
もちもちとした、舌ったらずな声。
本当に喋れるのか。ますます以て、澪さんに近い。
「そうだね。お店屋さんだから、お菓子も売ってるね。
じゃあ、次の質問。お嬢ちゃんは、どこからここに来たのかな?」
『うーう』
二度目の質問には、童女は首を振った。
「なら、住んでるお家は?ここから近い?遠い?」
『うーう』
「お父さんやお母さんは?一緒に来なかった?」
『うーう』
「ッスー……。
あ、お名前、聞いてなかったね。自分の名前は?言える?」
『うーう』
「………何歳ですか?」
『うーう』
まともに答えられたのは最初きり。
続く質問の全てに、童女は"いいえ"と首を振った。
あの澪さんですら音を上げたのも納得だ。
「弱ったな……。
だいたい幼稚園生くらいだよね?」
「たぶん……」
「それくらいの年の子って、どんくらい喋れるもんだっけ……。
俺の聞き方が悪いのかな?」
「いえ、ケンジさんは上手にお話されてると思います。
受け答えではなく、答えられる内容かどうかが問題かと……」
「やっぱそっかぁ」
童女の態度は落ち着いている。
右も左も分からない割に怯える素振りはないし、返事をする際には俺と目を合わせてくれる。
単に発達が遅い子なら、こうも冷静ではいられないはずだ。
「あ、そだ。
さっき、お姉さんと手、繋いでたよね?
嫌じゃなかったら、お兄ちゃんともちょっとだけ、繫いでもらっていい?」
『いーよ』
「あの、ケンジさん……?」
「……うん。
ありがとね、もういいよ」
「なにを確かめたんですか?」
「体温。もしかして空我かなって思って」
「ああ……!どうでした?」
「普通に冷たい。野良と同じ」
「となると、空我ではない……?」
『おこったの?』
「ううん、違うよ。
ぜんぜん怒ってないから、大丈夫」
童女からは温もりを感じない。
澪さんに近いだけで、この子は空我じゃないのか。
そういえば、澪さんも空我と決まってはないんだっけ。
「てか、この子、どこで見付けたの?自分から寄ってきた感じ?」
「えっと……。気付いたら、側に立ってたんです。
お店の前の、電柱の近くに」
「前触れもなく?」
「はい。瞬間移動してきたみたいに、いつの間にか、そこにいました。
本人も、どうしてここにいるのか、って様子で……」
澪さんによると、童女はいつの間にか、ふたみ商店前に立っていたという。
俺を訪ねてくる生霊は皆、瞬間移動しなければならない規則でもあるのか。
「なんにせよ、放っとくわけにはいかんよなぁ」
「ですね」
足が痺れてきたので、立ち膝に体勢を変える。
ついでに、童女へのアプローチも変えてみる。
「よし。質問を変えよう。
何か、覚えてることはあるかい?」
『なぁに?』
「何が好きで嫌いかとか、今どんなことを思ってる、とかでもいいよ。
お嬢ちゃんから、お兄ちゃん達に、言いたいことはない?」
こちらの質問に答えられないなら、答えられることを相手に言わせればいい。
新しいアプローチは正解だったのか、童女は初めて考える素振りをした。
『これ』
童女がもう一度、チョコレート菓子の棚を指差す。
示された二段目には、"とある菓子"のパッケージが並んでいる。
「これ?」
『うん』
「これが好きなの?」
『うん。おいしいんだよ』
"ククラモア"。
フレーバーの異なるチョコレートを包んだビスケット菓子。
子供から大人まで、主に女性の間で人気の商品だ。
これが好き、という記憶だけは明確にあるらしい。
自分の名前も思い出せないのに、おかしなものだ。
お菓子だけに。
「そうなんだ。じゃあ、あげる」
ククラモアを一つ手に取り、童女に差し出す。
『いいの!?』
「いいよ。好きなんだもんね」
『うん!ありがと!』
受け取ったククラモアを、まるで宝物のように童女は抱きしめた。
生霊の状態では食べられなくとも、精神的な刺激にはなるはずだ。
この調子で、好き嫌い以外のことも思い出してくれないかな。
「一応ね、もう一回だけ聞くね。
やっぱり、自分の名前は思い出せない?」
『なまえ……、なまえ……』
「わかんない?」
『うん……。おかし、かえしたほうがいい?』
童女が悲しそうに、ククラモアを差し出し返してくる。
"君のものだから返さなくていい"と伝えると、童女は安堵の溜め息を吐いた。
「地道に辿ってあげるしかなさそうですね」
「だねぇ。
今んとこは───。一個だけ、ここで決めておこうか」
「なんですか?」
「名前。
いつまでも二人称で呼ぶのはあれだし、何かしら付けといた方がやりやすいでしょ」
円滑なコミュニケーションのため、童女に仮の愛称を付けることに。
「さて、お嬢ちゃん。
お嬢ちゃんのこと、なんて呼んでいいか分からないから、名前が欲しいんだけど……。
こんな名前がいいってのは、ある?」
『なまえ、は、おとうさんとおかあさんが付けるものじゃないの?』
「本当の名前はね。
今のお嬢ちゃんは、本当の名前が分からないから。
お兄ちゃん達と一緒にいる時の、特別な名前を作りたいんだ。
いいかな?」
『うーん……。いいよ』
少し悩んでから、童女は俺の提案を受け入れてくれた。
「さっきは、それ。そのお菓子が好きって言ってたけど、他に好きなものは?
ごはんでもアニメでも、なんでもいいよ」
仮初とはいえ、実際にありそうな人名は避けた方が無難だろう。
かといって、無機物すぎたり無関係すぎても違和感がある。
本人のイメージに、寄りつつも偏らない命名をしたい。
『これもすきだよ』
ふと童女が、自らの左足を浮かせてみせた。
俺の掌より一回り小さい程のそれは、真新しいスニーカーを履いている。
「靴?」
『ううん。いろ』
「あ、ピンクが好きってこと?」
『うん』
教えられて、やっと気付いた。
スニーカーを含め、オーバーオールのスカートも、いちごモチーフのヘアゴムも。
童女の全身が、ピンク色で統一されていることに。
「そっかピンク、ピンクかぁ」
童女の好みを深堀りできたのは良いとして。
"ピンク"をまんま名前にするのは、いくら俺でも変だと分かる。
たかだか子供の、ちょっとした呼び名をってだけなのに。
想定外に難儀してしまう自分の不器用さが呪わしい。
「でしたら、"モモ"、なんてどうでしょう?」
まごまごする俺を見兼ねてか、澪さんが助け舟を出してくれた。
「もも?」
「はい。桃色の、モモ。
それなら本人とも関係ありますし、響きもかわいいと思います」
ピンクを言い換えた桃色からとって、モモ。
すごい。それっぽい。
さすが、ナウなヤングは発想に優れている。
あのまま自力で考えていたらジャ○ラとか名付けてしまうところだった。
「てことで、どうかな?
しばらくの間、お嬢ちゃんのこと、モモって呼んでもいい?」
童女は満足そうに、いいよと頷いてくれた。
本人も、モモという愛称を気に入ったようだ。
「俺の名前はケンジ。こっちのお姉さんは澪さん。
一緒に、お父さんとお母さんを見付けよう」
何気なく始まった、モモの帰り道探し。
いつもの生霊対応と同じで、何やかんやありつつも、最後は収まるところに収まるだろう。
この時までは、そう楽観していた。




