第四話:モモの夢
8月20日。午前。
気温が高くなる前にと、俺と澪さんで手分けして農作業を行った。
「───アッツゥー……。
昼前でもう、こんなだもんなぁ」
先日、親父と相談をした。
今後どうしていくか、主に俺の勤務体系について。
その結果、一時的としていた措置を、しばらくのあいだ継続することに決まった。
目処がつくまでは、担当の仕事を交換したり、しなかったり。
俺が畑をいじる日があれば、親父が店に立つ日もある、ということだ。
本来であれば、俺は体力仕事も畑いじりも得意ではない。
接客が向いているかはさて置き、店番の方が性には合っている。
だが、生霊の世話と、澪さんの手掛かり探し。
両立させるためには、何より俺のフットワークが軽くなくてはいけない。
たとえ不得意な分野でも、自由の利く方で頑張る必要が、今の俺にはあるのだ。
ちなみに。
外出の機会が増えた理由については、リハビリのためとか何とか言って、はぐらかしておいた。
親父はやや怪訝な反応を示したが、お前の好きなようにすればいい、と承知してくれた。
ある意味で、怪我の功名かもしれない。
「あー、腰いた。
なんか、いつもより今日、しんどくね?なんで?こないだのが暑かったのに?」
文句をぼやきながら、一面のトマト畑に水を撒いていく。
そこへ、澪さんが軽い足取りでやって来た。
「こっち終わりましたー」
彼女に任せていたのは、お隣のとうもろこし畑での水撒き。
何かあれば呼んでと伝えていたので、何事もなく済ませられたようだ。
「あの、ケンジさん。大丈夫ですか?顔色が……」
こちらに近付いた澪さんは、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
心配されるほどに酷いツラをしているらしい。
「あー、うん。ちょっと待ってね。こっちももう済むから」
最後の区画に水を撒いてから、俺は背中を仰け反らせた。
「ア"ー……、終わったー……」
「お疲れ様でした」
「ありがと。ごめんね放っといちゃって。
俺そんなに顔ひどい?」
「顔というか、色と汗が……」
「だろうね」
澪さんが手を伸ばしてくる。
俺の額に滲む汗を、服の袖で拭ってくれるつもりなのだろう。
俺はそれを制止し、首から下げた自前のタオルで、首から上を纏めて拭いた。
「ビニールハウスって、やっぱりすごく暑いですか?」
「まあね、密閉してるから。昼過ぎたら軽い地獄よ」
「じごく……」
ビニールハウスをぐるっと巡ってから、外に出る。
やはり、青空の下は気持ちがいい。
風が吹くだけでも、感じ方が段違いだ。
「君の方は、相変わらずそうだね」
「そうですね。わたしは暑さを感じませんから」
「それはそう、だろうだけど……。
作業自体がさ、しんどくなかった?」
「ああ……、そうですね。
どれも、ケンジさんみたいには、上手に出来ませんでした。
雲泥の差、ってやつです」
「俺だって、親父と比べたら雲泥の差だよ」
「でも、暑いとか疲れるとかが無いおかげで、ずっと元気です!
やれと言われれば、一日中でも!」
「俺よりタフじゃん」
今の澪さんは、シャツにスカートのスタイル。
例のコートは作業の邪魔になるので、移動の車に置いてきてもらった。
とはいえ、シャツは長袖、靴もレインブーツ。
真夏に秋冬の装いをするなんて、特殊な事情を抱える人でもなければ、普通は有り得ない。
特殊な事情を抱える人でも、この暑さからは逃げられないだろう。
にも拘わらず、彼女は汗をかいていない。
顔色も変わらないし、土汚れのひとつも付いていない。
五感の有無を確かめた日から、ずっとこんな調子だ。
それは彼女が生霊だからに他ならないが、俺以外はそうとは知らない。
季節感ゼロの不思議ちゃんとかって、悪目立ちしなきゃいいんだけど。
「いつもは、おじ様がお一人で、それかケンジさんとお二人で、主導してやられてるんですよね」
「親父が寝込んだ時とかは、俺が代表しなきゃだけどね。
……親父が寝込むくらいなら、まだいい方なんだけどね」
「お手伝いさん、急に来られなくなったって話でしたけど……。
何かあったんですか?事故とか?」
「一人は学校の用事、一人は腹痛で病院。
最後の一人は……、本人は何ともないけど、家族間のトラブルがあって行けません、だって」
「色々ですね……。
結構あるんですか?こういうこと」
「滅多にないよ。最低でも一人は、だいたい駆け付けてくれる。
だから、今日は君いて助かった。俺一人でここ全部は、さすがに厳しかった」
「ちょっとでもお役に立てたなら、良かったです」
普段の農作業は、アルバイトで募った若者や、近所の同業さんの手を借りて行っている。
無論、今日のように誰も来られない時もある。
そんな時は、親父か俺のどちらかが、全行程・全作業を一人で熟さなければならない。
猛暑だろうと極寒だろうと、体調が芳しくない日であろうと、だ。
澪さんが手伝ってくれなければ、自由が利くからと選んだ仕事で、逆に丸一日を棒に振るところだった。
「泥棒対策よし、獣対策よし。設備異常なし、忘れ物なし……」
「軍人さんみたいですね」
「慣れで適当にやっちゃうとさ、取り返しのつかないミスとかね、シャレになんないから。
面倒でも決まり事なの」
「大事なことってことですね」
「そういうことってことです」
本日中の畑仕事は終了。
時刻はもうじき、正午を迎える。
「じゃ、後始末も済んだし、帰りますか」
「はい」
路肩に停めてある軽トラック。
移動手段であり、休憩場所にもなる、二見家にとっての便宜的な社用車。
もう一台別に自家用車もあるが、いずれも親父の名義であり、俺個人はマイカーを持っていない。
「言いそびれてたけど───」
俺が軽トラックの運転席に、澪さんが助手席に乗り込む。
「なんだかんだ、流れで付き合わせちゃって、悪かったね。
俺がもっとしっかりしてりゃ、一人でも熟せるはずだったのに……」
「いいえ。むしろです」
「むしろ?」
助手席に置いていたコートを着直しながら、澪さんはシートベルトを締めた。
「農業って大変なんだなとか、お野菜が元気に育ってたら嬉しくて、お日様の下で働くのも気持ち良かったし……。
感じ方は人より鈍いかもしれないですけど、やっぱり嬉しかったし、楽しかったです。
付き合わされたなんて、とんでもない。ぜんぶ、貴重な体験でした」
「受け答えのプロ……?」
両手を握ったり開いたりしながら、澪さんは楽しそうに笑った。
社交辞令かと思いきや、本当にアウトドアなことがお嫌いじゃないようだ。
「良ければまた、お手伝いさせてもらえませんか?」
「え。でも───」
「今日みたいに、アルバイトさんが来られない時とか、人目がない時だけでもいいんです。
……だめですか?」
澪さんの方から、また手伝いたいと言ってもらえるとは。
彼女の言う通り、人手の足りない時などには、お言葉に甘えていいかもしれない。
「そう、だな……。せっかくだし……」
「いいですか!」
「うん。むしろ、こっちからお願いするよ。
機会は限られるだろうけど」
「はい!その時が来たら、ぜひ!」
溌剌とした澪さんは珍しい。
こんな一面もあるんだなと、ついキュンとしてしまう。
果たしてこれは、元々の彼女の性格なのか。
それとも、空我としての彼女が新たに得た人格なのか。
後者であるなら、どこかにいるはずの厄主は、どんな声で話し、どんな風に笑うのだろうか。
「("その時が来たら"……)」
澪さんを"浄化"へ導くこと。
俺自身も霊能体質を脱却すること。
考えうる限り、一番のハッピーエンド。
目指すべきゴールは定まったし、目指し方もだいたい教えてもらった。
出会った頃より着実に前進してるし、真摯に取り組もうという気持ちが強くなった。
だから、なのだろうか。
いつか来るその時が、早くも恐ろしくなり始めている自分がいる。




