第三話:人は見掛けによらず 7
「───なぁ、お嬢ちゃん」
「はい?」
「悪いんだけど、しばらく席を外してくれないかな。
ちょーっと、兄ちゃんとサシで話したいことあってさ」
話を区切った桂さんが、澪さんに退室を促す。
何かを察した澪さんは、俺に一瞥くれてから腰を上げた。
「あ……、と。
じゃあ、わたし、玄関のところにいますね」
「済んだら呼びにいく」
「わかりました。ごゆっくり」
苦笑を浮かべながら、澪さんは書斎を出ていった。
さすがと言えばいいか、物分かりの過ぎる子である。
「聞かせたくない話でも?」
澪さんの足音が遠ざかってから、俺は桂さんに尋ねた。
桂さんは頷き、胡座から立ち膝に再び姿勢を変えた。
「身元については、まだ何とも言えんが……。
お嬢ちゃんがどの類の生霊かは、ちょっと見当があるんだ」
「オマクとか死人坊、ってやつですか?」
「いや……。
お嬢ちゃんの場合、もっと厄介なやつかもしれん」
厄介というのは、澪さん自身にとってか。
澪さんに関わる、俺にとってか。
「俺も、口伝で得た知識しかないんだが……。
"空我"って言ってな、今のお嬢ちゃんのように、限りなく生身に近い生霊をそう呼ぶんだ」
「くうが?」
「そう。空に我ありと書いて、"空我"」
"空我"。
中でも力が強いとされる生霊の総称。
前述した面影やアマビトなどが、より強い思念を以って発現した場合に、この形態となる。
いわば、全生霊の進化形、成れの果て。
「空に、我あり───」
生霊の多くは、一見すると普通の人間でも、どこかしらに欠陥や違和感があるもの。
深山さんが顕著な例で、挙動不審だったり表情に乏しかったりするのが、世間でも一般的らしい。
しかし空我は、実際に接してみても判別が付かないほど、普通の人間に近いという。
意思疎通が円滑であること、感情表現が豊富であること、人並みに体温を持つこと等が、特徴に上げられる。
「数多の生霊が、いかにして空我に転ずるか……。詳しい原因は、残念ながら分かっていない。
ただ、末路は二つに一つだ」
「どうなるんですか?」
「完全に一つの個体として、別人としての自我を持つようになる。
帰来が出来なくなるんだ」
「それは……。
身元が分かってても?生霊になった目的を果たしてもですか?」
「なにをしても、どうやっても。たとえ厄主が死んでも、だ」
「厄主が死んだら、一緒に死ぬというか、無くなるんじゃないんですか?」
「並の霊ならな。空我は違う。
あいつらは、厄主が死んだ後も、この世を彷徨い続ける。
……一般的な死霊生霊なら、成仏か帰来をすれば、それで終わり。本来あるべき場所へ還れるが、空我にはどちらも無理なんだ」
「じゃあ、厄主がいなくなった空我は……」
「未来永劫、生者にも死者にもなれずに存在し続けるか。
霊媒師の手で滅され、天国へも地獄へも行けずに消え去るかの二択しか残っていない」
空我に転じた生霊は、厄主とは決別した存在。
故に、元の厄主が寿命を全うしても、空我は共に死ぬことが出来ない。
空我に残された末路はふたつ。
何人も交われない孤独な霊として、永久に現世を彷徨い続けるか。
霊媒師や霊能者の手によって滅され、最初から無かったものとして消え去るか。
「一度でも空我になったら、もう手遅れなんですか?
円満な、誰も傷付かない方法で、厄主のところに帰してやるのは、絶対に不可能なことなんですか?」
「……不可能、ではない。ただ、相当に難しいと聞いてる。
少なくとも、うちの一族が扱った空我は、漏れなく祓われて、消えたそうだ」
空我に転じた生霊は、並の生霊には戻れず、帰来も叶わない。
ただし、浄化という形で、自然消滅に導いてやることは出来るという。
浄化に必要な条件は、至ってシンプル。
空我・厄主ともに、互いの存在を認めること。
厄主は自らの生霊がいると、空我は自らが生霊であると自覚することで、空我の浄化は成立する。
逆に、空我と厄主を対面させても、互いを否定し合うようなら成立しない。
理屈としてはシンプルでも、困難とされるのは、そのせいだ。
「身元を特定するだけじゃ、根本的な解決にはならないってことですか」
「彼女の記憶を取り戻さないと、どうにもならないってことだよ」
澪さんが空我であるなら、厄主の所在を割り当てるだけでは足りない。
厄主の澪さんと空我の澪さん、双方に互いを認知させなければならない。
空我の澪さんは、納得するだろうか。
浄化に必要な条件が揃ったとして、自分が消えることを、受け入れられるだろうか。
例えば、俺が誰かの空我だったなら。
いくら最善の選択としても、自分が消えて無くなるなんて、受け入れられないと思う。
「言われるまでもないだろうが、お嬢ちゃんを手助けしてやる義務は、君にはない。
だいいち、あの子が君を不幸にしないとも限らない。
君のもとに現れたのだって、君に恨みがあるからって線も、なくはないわけだし」
桂さんの言う通り。
澪さんを手助けしてやる義務は、俺にはない。
「ここにいるあの子は所詮、影の一部。生霊だ。
祓おうが封じようが、厄主のあの子には何の支障もない。
最初に知り合ったのが君だからって、最後まで付き合うのも君である必要はない」
澪さんのために頑張っても、ハッピーエンドに行き着くとは限らない。
澪さんと関わり続けるのは、メリットよりデメリットの方が大きい。
「どうする?取り返しがつかなくなる前に祓ってやるのも、ひとつの手だ。
良ければ、その道のプロ紹介してやるけど?」
それでも。
仮にも自己のある存在を、不要だからと切り捨てることは、したくない。
「彼女が、俺のところへ来たのには、なんであれ、意味があるんだと、思います。
だから、せめて、その意味が分かるまでは、強引な手段はとらない方がいい、気がします」
「……浄化がいい、と。
困難な道を、君は選ぶんだな?」
「それが、彼女にとって最善なら」
「あの子のせいで、君が傷付くようなことがあったら?」
「そうなった時に、どうするか考えます。
とにかく今は、今の自分に出来ることを、出来るだけやってみます」
拙いながらも、俺は決意表明をした。
しばらくの間を置いて、桂さんは満足げに笑った。
「そうか。君がいいなら、俺もいいよ。
ちなみに───」
ちなみに、と桂さんが言いかけた時だった。
玄関の辺りが急に、騒がしくなった。
「───コージー、来たよー!」
「お邪魔しまーす」
「うわっ、変な虫いる!」
ガラガラと引き戸を開ける音に加え、元気いっぱいな話し声が聞こえてくる。
どうやら、どこぞの子供たちに不法侵入されたようだ。
「あ、あのっ!」
子供たちより一足先に、澪さんが書斎まで戻ってきた。
能動的に走る彼女は、たいへん珍しい。
「なんかあの、いきなり、男の子が入ってきて!
止めようと思ったんですけど、わたしのこと視えないみたいだったので!」
身振り手振り付きで、澪さんは状況を教えてくれた。
家主こと桂さんは、異常事態発生にも拘わらず平然としたまま。
「ああ、いつものことだから心配ないよ。あいつらは───」
「アー!女がいる!!
コージの家に女がいるぞー!!」
桂さんの返事に被せて、またしても子供の声が廊下から響いてきた。
俺は膝歩きで書斎を移動し、首だけで廊下の様子を覗いてみた。
「お前ら早く!オンナ!オンナだァー!!」
キャップ帽を被った10歳前後の少年が、澪さんに向かって指を差している。
俺の側に戻ったことで、少年にも澪さんの姿が視えるようになったか。
「なに!?コージがオンナを!?」
「さては連れ込みやがったな!」
帽子の少年に応じて、散り散りだった他の子たちも集まってきた。
全員で四人。
同じくらいの背格好で、リュックサックやランドセルを背負っている。
小学生男児、なのは間違いない。
ちょうど今は、下校の時間帯だ。
「うわホントだ!おばさんじゃない!」
「なんでコージの家に女の人いんだよ!」
「彼女か!?」
「ぜってー援助交際!」
嵐のように迫ってくる少年たち。
澪さんは逃げるように書斎に入ると、俺の背後に隠れた。
「おいコージ!オマエいつから援助交際なんかするようになったんだ!」
「フケツだ!」
「年上が好きって言ってたじゃん!」
「あれっ、眼鏡の人だれ?」
書斎の前までやってきた少年たちは、桂さんに言いたい放題まくし立てた。
礼儀もへったくれもなさそうな、元気だけが取り柄みたいな子が二人。
元気な二人にそうだそうだと同調しつつ、桂さんの顔色も窺っている子が一人。
流れには逆らわないまでも、他三人とは別の視点で状況を見ている子が一人。
とりわけ、帽子の少年が強気な態度だ。
恐らくは彼が、少年たちのリーダーなのだろう。
当の桂さんはというと、なにを言われても、なにも言い返そうとしなかった。
「………?」
「隠し子じゃねえから」
俺が視線だけで問うと、桂さんは即座に弁明した。
ほっとしたような、がっかりなような。
「あー、ゴホン。
お前たち。俺は援助交際などという、お粗末なことはしない。
好みのタイプなら知ってるだろ」
「じゃあこのお姉さんはなんなのさ」
「このお姉さんとお兄さんは、俺のお客さん。
分かったら騒ぐのをやめなさい」
「なーんだ、つまんな」
桂さんの大人な対応に、少年たちは露骨に落胆した。
赤の他人、ではなさそうだ。
初めましての子だったら、桂さんのビジュアルを前に泣かないわけがない。




