第三話:人は見掛けによらず 6
「でも、俺に死霊───、幽霊の方は視えません。
同類ってことなら、どうして生霊だけが視えるようになったんでしょうか?」
「そこもあんだよなぁ。
"視える人間"ってのは普通、死霊と生霊と両方が視えるもんなんだけど……」
「桂さんのお祖父さんは?視える側の人だったんですよね?」
「あの人は両方視えてたよ。
逆を言えば、視える以外のことは出来なかったけどね」
桂さんの祖父は、通力こそ使えなかったものの、生霊と死霊の両方を感知できた。
幼少期の桂さんは、祖父が実際に見聞きした怪談話を、子守唄がわりに聞かされて育ったそうだ。
「もしかして、俺が勝手に生霊だけって思い込んでるんですかね?」
「それは無いんじゃないかな」
「どうしてですか?」
「一応聞くけど、今までの生霊っぽい人たちに、影はあった?」
「影……」
何故かそこだけ断言する桂さん。
俺は自分の麦茶を一口飲み、記憶を手繰り寄せた。
「あった、はずです。
話し掛けてみるまでは、みんな普通の人と思いましたから」
「でしょ?
他にもいくつか違いはあるけど、死霊と生霊を一発で見分けるポイントは影だよ」
死霊と生霊とを、一目で見分ける方法。
対象の足元に、影があるかを確認すること。
生霊は影を持つが、死霊は持たない。
厳密には定かでないが、本人が存命か否かに起因するものらしい。
「でも、生霊しか視えないってのは……」
気持ちよく断言したかと思えば、言い辛そうに口ごもったり。
桂さんの心中など知らない俺は、色々な表情を見せてくれるようになったなぁ、などと呑気な感想を抱いた。
「答えなくていいけど、近しい人との死別を経験したことはあるか?」
垂れた前髪を撫でつけながら、桂さんが鋭い視線を向けてくる。
俺は色々な意味で、どきりとしてしまった。
「ありました。
学生の頃に、母を病気で亡くしました」
ここまで来て誤魔化すこともあるまい。
白状というよりは観念して、答えなくてもいい質問に答える。
すると、澪さんが驚いた顔でこちらに振り向いた。
そういえば、母が亡くなっている話は、彼女にはしていなかった。
「お母様が亡くなられた時、何かと思うことはあったろうけど……。
たとえば、生きている内にもっと、ああしていればこうしておけば、みたいな後悔とかは、あったりする?」
足に置いている手に力が入る。
自然に開いていた掌が、不自然な拳に固まっていく。
「なくはない、ですね」
俺と母の仲は良好だった。
喧嘩なんてしなかったし、反抗期も特になかった。
母に対して激しく後悔していることは、少なくとも俺は思い付かない。
だが、思い残すことが一つもない、わけでもない。
大切な家族を失くして、全く未練のない人間は、いないだろう。
「だとすれば、そういうのも多少、影響してる面もあるかもしれん。
生霊である内は、本人もまだ、生きてるわけだから。
死んでしまった後では取り返しのつかないことも、生きてさえいればやり直しが利く、かもしれない」
「………。」
「誰の差し金かは知らんが、厄介な使命を与えられたな」
贖罪なのだろうか。
大切な人を救えなかった分、大切ではない人達をたくさん救うことで、埋め合わせをしろと。
啓示か何かかもしれない。
二度と傷付きたくないのなら、自分の身だけを守るより、自分以外の全てを守った方が確実だと。
どちらにしたって、母は生き返ってはくれないのだけれど。
「生霊について、ちょっとは理解できたかい?」
「ええ、まぁ。当初よりは」
「そうか。
じゃ、今までのことも踏まえて、改めてお嬢ちゃんの話をしよう」
仕切り直した桂さんが、立て膝から胡座に姿勢を変える。
「君の出会った多くの生霊たちと、お嬢ちゃん個人との相違点は、今のところ三つだ。
ひとつ。お嬢ちゃんが乖離した原因は分からない、お嬢ちゃん自身の覚えもないこと。
ふたつ。無関係の一般人にも視認できたり、言語による意思疎通が可能なほど、お嬢ちゃんは力が強いこと。
みっつ。お嬢ちゃんの帰属先、つまりは厄主の所在が、君の生活圏内にないだろうこと」
一つ二つと、桂さんが指折り数える。
今までに出てこなかった固有名詞が、新たに追加されていく。
「その、"かいり"とか"やくしゅ"ってのは、なんなんですか?」
「厄主は、生霊を始め、呪いの類を生み出した張本人のこと。
乖離は、厄主が生霊を生み出す時の、過程の一種。経緯といってもいいかな。
つっても、これはうちの一族が勝手に呼んでるだけで、一般的じゃないかもだけど」
先程は、その生霊がどうして生まれたかで、種類が分かれるという話をした。
今度は、その生霊がどうやって生まれたかでも、種類が分かれるという話だった。
"乖離"。
厄主が無意識に生霊を作り出している状態を指す。
この場合の厄主は、自らの生霊が存在することを知らない。
生霊が厄主のもとへ帰来しても、生霊として活動していた間の記憶は厄主に還元されない。
深山一利さんを筆頭に、俺が出会ってきた生霊の全員が、乖離に該当する。
"影分け"。
前述の乖離とは異なり、厄主が自らの意思で生霊を作り出している状態を指す。
この場合の厄主は、昏睡などの危篤に陥っていることが多く、生霊の方に意識が移行する。
影分けを行っている間の厄主は抜け殻となり、影分けを行っていた間の記憶も厄主に還元される。
平たく言うと、幽体離脱に近い。
"飛びだまし"。
影分けと同じく、厄主が自らの意思で生霊を作り出している状態を指す。
ただしこの場合、厄主がレム睡眠中のみ発現可能となり、厄主は夢見という形で生霊としての目線を共有できる。
現在進行形で生霊と感覚を同期させられるのは、飛びだましだけである。
"帰来"。
生霊が厄主のもとへ帰ることを指す。
生霊になった目的や本懐を遂げて初めて可能となる。
平たく言うと、成仏に近い。
「まだこんないっぱい……」
「残念だけど、こっちも代表的なやつで、これくらいだからね」
「奥が深すぎるっす……」
「無理に覚えなくていいよ。正式名称ってんじゃないし。
なんとなく、雰囲気で、ニュアンスで」
最後に、"厄主"。
これは生霊を含め、様々な怪奇現象を生み出した当人を指す。
人間以外にも、犬や猫といった獣が厄主になる場合もある。
霊感などの素質がなくとも、思念が強ければ誰でも厄主になる可能性がある。
「これらの条件を加味した上、最も有力な可能性はひとつだ。
お嬢ちゃんは君に何かをしてもらうのが目的だったんじゃなく、君自体が目的だった。
そもそも君とは、何かしらの縁があったってことだ」
俺の元に集まった生霊たちは、自らに迫る危機を救ってもらうのが目的だった。
面識のない俺を頼った理由は、彼らを認識できる唯一の人間だったから。
なにより、彼らを手助けしてやれる圏内、厄主の現在位置から程近い場所にいたからだ。
「お互いに知らないと思ってる相手と、縁があるって言えるんですかね……」
澪さんは、切羽詰まった事情を抱えている風ではない。
天木に住んでいるという感じもしない。
だったら何故、彼女は俺の前に現れたのか。
俺に逢うためだとするなら、接点くらいあって然るべきだ。
しかし彼女に記憶はなく、俺も彼女を知らない。
こんな綺麗な子と知り合う機会があったなら、俺は絶対に忘れないはずなのに。




