第三話:人は見掛けによらず 5
史実に基づいていたり、創作で脚色していたりと、設定が入り乱れています。
あくまで作中における生霊、という点を踏まえてお読み頂けますよう、お願いします。
「───と、無駄話が過ぎたね。そろそろ本題に入る……、前に。
さっき言ってた、距離の関係でお嬢ちゃんが視えたり視えなくなったりって件。
俺も検証したいんだけど、いい?」
桂さんの要望で、書斎の外へ。
検証とは、俺の親父が体験した、謎の現象についてだ。
「桂さんと俺はここにいるから。いい?」
「はい」
桂さんと俺は書斎の前に並び、澪さんだけが玄関に向かって廊下を進んでいく。
「もうじき規定の距離ですけど、視えますか?」
3メートルほど歩いた先で、澪さんはこちらに振り返った。
「どうすか?」
「ばっちし」
「分かりました。いいよー!」
桂さんに確認してから、俺は澪さんに合図した。
頷いた澪さんは、先程より緩やかな歩調で、更に廊下を後ずさっていった。
やがて、俺と澪さんとの距離が、目測3メートルを越えた瞬間。
成り行きを見守っていた桂さんが、素っ頓狂な声を上げた。
「あれっ?いなくなった……」
大きく瞬きをして、廊下の奥に目を凝らす桂さん。
俺の視界には変わらず澪さんの姿が映っているが、桂さんの視界からは消えてしまったようだ。
「どんな感じすか?瞬間移動したみたいな?」
「いや……、なんというか……。
説明が難しいんだが、いきなり消えたってよりは、いつの間にかいなくなった、ような……」
思考が追い付かないのか、桂さんは渋い顔で腕を組んだ。
「試しに近付いてみますか?俺ここにいるんで」
「そう、だな……。3メートル先にいるんだよな?」
「大体は。
目の前まで行ったら教えます」
ごくりと生唾を呑んだ桂さんが、コソ泥よろしくな足取りで、澪さんに迫っていく。
くすくすと笑みを零した澪さんは、あんよが上手と言わんばかりに、桂さんを待ち構えた。
「ストップ!
そこ、今、目の前にいます」
あと一歩で二人が接触する地点で、俺は再び合図した。
これだけの至近距離にあっても、桂さんはまだ澪さんを探す素振りをした。
「本当に、いるんだよな?ここ?」
「います」
不思議そうに首を傾げながら、桂さんは右手を前に突き出した。
上下左右に動かして、澪さんの気配だけでも感じられないか試しているようだ。
「あっ」
桂さんの右手と、澪さんの肩とが接触する。
桂さんの右手が空を切り、澪さんの肩を擦り抜ける。
「(おお……。テンプレ通り。ちょっと感動かも)」
まるで透明人間か、幽霊に対するそれ。
映画やドラマでたびたび見られる光景が、現実のものとして目の前で起こっている。
「なんにも感じねえけど……。
俺の手、お嬢ちゃんに触ってんのか?」
「ええ。さっきから煙を掴むみたいに───!」
桂さんに返事をする途中、桂さんの背中からボッと白い掌が飛び出してきた。
俺は反射的に叫びそうになったが、掌の正体は澪さんだった。
桂さんからは触れないと分かって、逆はどうかと彼女も試してみたのだろう。
分かったことが、またひとつ増えた。
霊体化している時の澪さんは、俺にしか視えないだけでなく、俺にしか触れないようだ。
「俺もそっち行くんで、澪さんはそのまま。
桂さんも、今の体勢のまま、動かないでいてください。
いいですか?」
「ああ」
『はい』
「じゃ、行きまーす」
二人のいる方向に向かって、俺は一歩踏み出した。
「───ッオワ!ほんとにいる!」
すると同時に、桂さんが反応した。
俺も二人に合流しにいった。
「どうでした?
俺の目には、ずっと二人が見えてましたけど」
「うーん……。
なんだろうなぁ、この感じ」
「なんか引っ掛かります?」
「いや、んー……。
お嬢ちゃんが普通の人間じゃないってのは、なんとなく、感覚的に分かったよ。
ただ、目の前から急に、いなくなったり現れたりする瞬間が、どうも……。
さっき、いつの間にかいなくなった感じに近いって言ったろ?」
「ええ」
「やっぱ、それ以外に思い付かねんだよ。
例えるなら、あれだ。足音のしないやつが、知らん間に自分の後ろに立ってて、それに気付いた時みたいな。
なんだよお前脅かすなよー、みたいな感じだよ」
「なるほど……?」
「分かりにくいか。
たぶん、これは視覚の問題じゃなく、俺の脳がそういう風に処理してるんだと、思う。
君の親父さんも同じ反応だったんなら、大多数の人間はこうなる、はずだ。うん」
「なるほど……」
「……まぁ、ね。これはこれで、前進だから。
前向きに考えよう。ね」
「はあ……」
確かに、親父の反応も薄かった。
もし俺が親父の立場で、何もなかったところに女の子が現れたら、きっともっと驚いたはずだ。
だが親父は、驚きはしたものの、"急に現れた"とは言わなかった。
"自分の注意力が散漫していたせいで、そこにいたことに気付かなかった"と言った。
澪さんが現れる瞬間は、親父の目の前で起こったのに、だ。
俺以外の人間の目には、澪さんが急に現れたり消えたりしたようには映らない。
いつの間にか側に居たり居なくなったりしたように、脳が処理する。
恐らくは錯覚による齟齬だろうと、桂さんは言う。
「(毎度イリュージョンみたいになるよりは、この方がいいか……?)」
澪さんとの距離感に、神経を尖らせる必要はなくなった。
片時も離れられなかったとしても、俺は別に良かったんだけどな。
**
「───大体の事情は分かった。お嬢ちゃんが、ただの生霊じゃなさそうってことも含めてな。
しかし、身元を特定するとなると……。情報が足りなすぎるな」
検証を終え、書斎にて。
「そもそも君は、生霊とはなんたるかを知っているか?
どうしてそんなものが、この世に存在するのか」
桂さんから大前提の質問。
俺は自分の知る限り、定義とイメージを説明した。
「テレビとか本とかで、見たことある程度ですけど……。
特定の誰かに対する恨みだったり、妬みだったりが原因で生まれる、ですよね?
それで、その誰かを陥れるために、生霊として付き纏ったり攻撃したり」
「そうだ。生霊の大半は、特定の人物に対する執着と、後ろ暗い感情を併せ持っている。
ただ、それらは一側面であって、生霊の全部ってわけじゃない」
ひとつ咳ばらいをして、俺の説明に桂さんは付け足した。
「生霊に関する歴史ってのは、遡ると、かなり古くてな。
平安時代には既に、存在が認知されていたんだ」
「そんな昔から……」
「江戸時代にもなると、生霊を生む人間は病人って考えも出てきて、生霊そのものを指す呼び方も多様化していった。
地域によって解釈が異なるのは、怪奇の類にゃよくあることだ」
生霊に関する、固有名詞の数々。
無学な俺のために、桂さんは噛み砕いて教えてくれた。
"影の病"。
"離魂病"。
生霊を生むことは病である、という考えが広まった江戸時代、人々はこれらの病名で事象を扱ったとされる。
現代においては、"夢遊病"や"幽体離脱"などと、ほぼ同義の概念である。
"アマビト"。
"オマク"。
"面影"。
"死人坊"。
地域によって異なるが、生霊そのものを指す言葉。
"アマビト"は、逢いたい人の元を訪れる生霊。
"オマク"は、本人の強い思念が具現化した生霊。
"面影"、"死人坊"は、どちらも死際を控えた生霊。
とりわけ後者は、神社仏閣へのお礼参りを目的とした生霊。
「ぜぇーんぶ聞いたことないっす」
「普通に生きてる分には、そうだろうね」
「多様化してるって、さっきは言ってましたけど。
種類というか、ワード総数的には、これで全部ですか?」
「いや。細かいの合わせると、もっとある。
今言ったのは、あくまで代表的なやつだけね」
基本的に、力の弱い生霊死霊は、霊感を持つ者でなければ感知し得ない。
対して、力の強い生霊死霊は、霊感の有無に拘わらず感知し得るとされている。
ただし、時と場合によっては、この限りではない。
"力の弱い生霊死霊"と、"霊感を持たない者"とが通じてしまうことも、極稀にある。
それは、"霊の方が強い執着心を持っていた場合"だ。
霊感のない者が偶発的に霊を視たとして、その者はその霊に固執されている可能性が高い、というわけだ。
「恨み辛み、妬み嫉み以外にも、存在意義や理由があってな。
恋人だったり家族だったりに逢うため、ってケースも少なくないんだ」
「ただ逢うため、ですか?逢って何何をするため、ではなく?」
「そう。逢いたいから、逢いにいく。
本人がそれを実行できない状況にあるから、分身を代わりに派遣させるってところか」
「俺が視てきた人たちは、俺とは全く面識がなかったはず、ですが……」
「そこ。君が特殊なのは、そこだ」
生霊が生まれる主な原因は怨恨だが、他にも様々な事象が確認されているらしい。
要約すると、"自分には出来ないことを代行させる"ため。
戦時中には、ふるさとの家族に別れを告げるために、前線の兵士みずから生霊を遣わした、なんて例もあったそうだ。
すなわち生霊とは、良きにつけ悪しきにつけ、生まれた意味と目的がある。
俺の立てた仮説は、割と的を射ていたようだ。
「生霊とは元来、執着を核としたものだ。
愛する人に逢いに行くのも、嫌いな奴を呪いに行くのも、意味は違えど同じ執着だ。
なのに君の出会った生霊たちは、君とは縁もゆかりも無かった」
「ということは……?」
「推測だが。
例の臨死体験を経て、君も一度は霊的存在になりかけた、ってことじゃないだろうか」
「俺を同類と思って、シンパシーを感じて集まってくるってことですか?」
「だから君には、君とは無縁なはずの生霊が視えて、意思を汲み取ってやることが出来るんじゃないか?」
交通事故に遭った際、俺は三途の川を渡りかけた。
限りなく、霊に近い存在になりかけた。
故にこそ、生還した今となっても、俺を同類と見なした霊が寄ってくる。
俺も俺で、同類になりかけたからこそ、彼らと意思疎通を図れるようになったのではないか。
というのが、桂さんの見解だ。
「(辻褄は合わなくはない。
でも、本当にそんなことで……?)」
俺には、桂さんのような素質はない。
何も特別じゃないし、後に特別になるはずもなかった、平凡な人間だ。
なのに現状は、この有様。
普通の人には視えないものが、俺には視える。
桂さんの見解も、有り得なくはない、かもしれない。




