第三話:人は見掛けによらず 4
継ぎ接ぎだらけの壁紙、一歩ごとに悲鳴を上げる床板、真昼にも拘らず薄暗い廊下。
平屋の中も、外観に負けず劣らずボロかった。
都会育ちや潔癖症の人間ならば、滞在に三秒と持つまい。
「(このガタイで、こんな家で、よく生活できてるな……。
俺だったら金もらっても無理……)」
桂さんに先導されて、廊下の奥へと進んでいく。
私室と思われる部屋まで行き着くと、立ち止まった桂さんが障子戸を引いた。
「お先どうぞ」
「し、失礼しま〜す……」
「しつれいします……」
障子戸の向こうは、書斎になっていた。
八畳ほどの空間に、座敷用の机がひとつ、壁沿いの本棚がふたつ、設置型の冷風機と扇風機がひとつずつ。
机には最新式のノートパソコンが置かれ、本棚には難しそうな本が並べられている。
ラインナップを見てみると、宗教学や民俗学などの学術書ばかりだった。
オカルト系の雑誌は一冊もないあたり、むしろ信頼度が高いと俺は思った。
「(畳も壁紙も新しい。家具も埃が浮いてない……。
かなり綺麗にしてる。大事にしてるって言うべきか)」
他と比べて手入れも行き届いているし、ここが桂さんにとっての拠点であることが窺える。
俺と澪さんはますます恐縮しながら、書斎にお先にお邪魔した。
「飲みもの取ってくるから、そのへん座ってて」
「ああ、アオ、お構いなく……」
冷風機と扇風機の向きを変えてから、桂さんは廊下を引き返していった。
俺たちの座る場所に風が来るよう、配慮してくれたのだろう。
「思ってたより優しそうな人ですね」
「そう、だね。そうだといいな」
コートの裾に気を付けながら、澪さんは畳に正座をした。
俺も彼女の隣に腰を下ろし、自然と正座になった。
「暑くはないですか?」
「快適ってほどじゃないけど、まぁ。
そこの二つあるおかげで、だいぶマシだよ」
「すいません、わたしだけ平気で」
「君だけでも平気なら良かったよ」
数分待つと、桂さんが戻ってきた。
やっぱりキャラクターもののお盆に、人数分の麦茶とカステラを載せて。
「(これは桂さんの趣味なんだろうか……)」
飲み物だけでなく、おやつまで用意してくれたんだ。
しかもカステラチョイスなんだ。
意外と少女趣味なんですねとは、口が裂けても言えない。
「なんで正座?もっと楽にしなよ、疲れちゃうよ」
桂さんの許しが下りたので、俺は胡座に。
澪さんは、いつもの三角座りに体勢を変えた。
「麦茶だけどいい?」
「あ、はい、どうも。頂きます」
「いただきます」
麦茶のコップとカステラの小皿を配った桂さんは、机用の座椅子に膝を立てて座った。
「ごめんね、座布団のひとつも出してやれなくて。
おしり、痛くないかい?」
「大丈夫です。ね?」
「はい」
「そ。じゃ早速だけど、素性の知れないやつの話とか聞く気になんないだろうから、自己紹介させてもらうね」
座椅子の肘掛けに凭れながら、桂さんは改まった。
「名字が桂、名前が正宗。
歳は36で、職業はフリーのライターをやってる。
こんなナリだけど、指は全部揃ってるし、背中に昇り龍の絵とかも入ってないから、気構えなくていいよ。
───よろしくね」
わざとらしく、両手を開いたり閉じたりしてみせる桂さん。
本人は冗談のつもりだろうが、俺と澪さんは笑えなかった。
「よろしく、お願いします……」
にしても、まだ36歳とは。
貫禄のある風貌や佇まいから、てっきりアラフィフくらいかと推量していたのに。
本人が否定してくれたおかげで、ヤクザの線がなくなったのは良かった。
「……さては君ら、俺のこと、よく教わらずに来たね?」
ふと、桂さんが目を細める。
露骨に恐縮し過ぎてしまっただろうか。
「実は───、はい。
名取さんに伺っても、お名前と性別くらいしか教えてもらえなくて……。
直接会えば分かるから、と」
「やっぱり。
そういうトコあんだよなぁ」
「なんですか?」
「初めましての人はさ、君ら含めて、俺の顔と図体見るだけで畏縮しちゃうわけよ、だいたい。
それをあの人は、ミョーに面白がってる節あってね?
誰か紹介するって時には、俺がどういうやつか内緒にして会わせようとすんの」
「あー、だから……」
「そういうこと。
優しいふりして存外クソジジイだから、また会う時は気ィ付けな」
事前に桂さんの素性を教えてもらえなかった理由が、やっと分かった。
要するに名取さんは、俺と澪さんを驚かせたかったようだ。
前情報なしに桂さんに会えば、誰だって身構えるに決まっているから。
意外と適当で、意外と意地悪な人なんだな、名取さん。
桂さんにクソジジイ呼ばわりされるのも、失礼ながら無理はないかもしれない。
「君らのことも、教えてくれる?
お友達が生霊に悩まされてるって話だけど、そこんとこ重点的に」
次はこちらが自己紹介をする番。
俺は桂さんに、これまでのことを洗いざらい話した。
「実は、友達の話、ではなくてですね───」
交通事故に遭ってから、生霊が視えるようになったこと。
何人かの生霊と関わって、答えが出せたり出せなかったりしたこと。
そして、澪さんのこと。
俺と澪さんが二人がかりで説明する間、桂さんは黙ってカステラを食べていた。
桂さんのムシャムシャと咀嚼する音が、まるで相槌の代わりだった。
「───というわけなんですけど……。
専門家の観点から見て、どう思われますか」
俺たちが話し終えた頃には、桂さん分のカステラは無くなっていた。
「なるほどね。
つまり、お嬢ちゃんがどこから来たのか、どうしたら元いた場所に帰してやれるか。それが知りたいわけだ」
「一番の目的は、そうです」
更に麦茶を一口飲むと、桂さんは目を光らせた。
「うん。話は分かった。
その前にひとつ、訂正したいことがある」
「なんですか?」
「俺はあくまで、そういう道楽をしてるってだけの、ただの一般人だから。
専門家なんて大層なもんじゃないし、俺の言うことが正しいって保証もない。
だから、見返りを求めない代わりに、責任を負ってやることも出来ないってことを、念頭に置いてくれるか」
桂さんの一方的な言い分に、俺はつい食い下がってしまった。
「見返りもなしに、こんな面倒事を引き受けてるんですか?
これまでにも何度か、生霊に困ってる人達を世話してきたって聞きましたけど」
「君らほどのレアケースは初めてだけどね。
何件かは、確かに扱ったよ」
「その時の報酬は───」
「面倒事が解決した後で、先方からお礼に来てくれたことはある。
けど、あくまで善意の範疇ね。こんだけの額を頂戴しますって、こっちから要求することはなかったし、これからもないよ」
「………。」
「言っちゃあ悪いが、霊能を売りにしてる奴らの大概は嘘っぱちだ。さっきの、君の話にもあったようにね。
中には精神的な不調を、霊の影響だとかって思い込む人もいるから、そういう人達には嘘でも薬になるかもだけど……」
「そう、ですよね」
「……だから、もし。
俺が頼りにならないと、君が判断したなら。その時は、別の神社に相談に行くといい。
金をとるかどうかは相手によるが、神社と提携してる霊媒師は、本物の確率が高い。
覚えときな」
桂さん曰く、民間の霊能商売はニセモノが殆ど。
神社仏閣に属する霊能者に、本物が多いという。
それでも、言葉巧みにフリを通せば、信者や相談者から金を巻き上げることは出来る。
霊のせいと先入観を持つ者には、お札と称した紙切れを渡しても、効果が見込めると言われるほどだ。
「(この人はたぶん、本物だ)」
桂さんは、それをしないと断言した。
俺の中で、桂さんへの信頼度も好感度も爆上がりだった。
「で、だ。
お嬢ちゃんも生霊ってえことだけど」
「はい」
「……疑うわけじゃないけど、本当にそうなの?
俺にはどー見ても、普通の女の子にしか見えないよ?」
身を乗り出した桂さんが、澪さんの全身を真正面から眺める。
対して澪さんは、緊張した面持ちで心身ともに強張らせた。
傍から見ると、借金のカタに売られた娘、娘を値踏みする売人の光景である。
「桂さんにも見分け付かないんですか?」
「うん?
……ああ、俺には特別な力とか、なんにもないよ。
霊も妖怪も、生まれてこのかた、見たことない。
視える体質だったのは、祖父さんの代までね」
桂さんが座椅子に座り直す。
澪さんは胸を撫で下ろした。
「お祖父さんの代までは視えてた、ですか?」
「元々はうちの、母方の先祖が陰陽師の一族だったらしいんだけど……。
結婚して子供を産んで、って系譜を広げていくうちに、そっちの血が薄まったみたいでな。
単に霊を視るってだけなら、祖父さんまでは続いたそうだが……。俺の親父からは視えもしなくなって、俺もこの体たらくってわけ」
驚きの新事実発覚。
桂さんのご先祖は、陰陽師の一族だった、らしい。
つまり桂さんは、本物の専門家であることに加え、本物の霊能者としての素質もあったわけだ。
しかし、素質は素質。
霊力や通力などと呼ばれる力は、血脈が栄えるにつれ、逆に弱まっていった。
いつしか後裔たちは神秘性を失い、霊的存在の認識さえ不可能になってしまった。
いわゆる先祖返りの可能性があるとしたら、桂さんと同等に素質のある女性が子供を成した場合。
その場合にも、子供の可能性が高まるだけで、桂さん自身の素質は開花しないという。
「もしかして、それがきっかけだったんですか?
こういう、特殊な道楽を始めようと思ったのは」
「……自分には才能なかったけど、一応はさ。血だけはしっかり、受け継いでるわけだしさ。
何かしらで世間の役に立たないと、ご先祖さまに顔向けできねーってんで、ね」
「なんか、SF小説でも読んでるみたいで、実感湧かんです」
「才能ないやつには、頼る気にならない?」
「むしろですよ。
自分には視えないって、はっきり言ってくれる人は、信用できます」
「そうかい。
知識だけなら人並みにあるから、せいぜい辞書代わりに活用してちょ」
桂さんが嬉しそうに笑う。
俺と澪さんも、今度こそ普通に笑った。




