第三話:人は見掛けによらず
同日昼。
俺が店番をしている間、澪さんは店内のイートインスペースにて読書。
彼女をここに置いたのにも、実は意味と目的がある。
「────おや、珍しい子がいるねぇ。ケンジくんのお友達かい?」
澪さんを置いてからというもの、来客は漏れなく彼女に反応していった。
澪さんくらいの女の子は近所じゃ滅多に見掛けないので、当然といえば当然だ。
これこそが、意味と目的。
来客の反応から得られる情報と、そこから導き出される手がかりを、俺たちは求めているのだ。
「まーね。
俺がってか、正しくは友達の妹、なんだけど……。見たことない?
前にも何度か、用事があったとかで、この辺り来てたらしいんだよ」
もし、来客の中に澪さんの知り合いがいれば。
あるいは、一方的にでも澪さんを知っている人物がいれば、自ずと態度に出してくるはず。
すなわち今の澪さんは"生き餌"で、彼女に反応する来客は"魚"の状態なのだ。
往来の一人一人に澪さんの素性を尋ねて回るより、澪さんの知人友人に自分から来てもらった方が合理的、というわけだ。
「あんなハイカラなお嬢さんは、私はお目にかかったことないねぇ。
橋田さんはどう?知ってる子かい?」
「私も知らないわぁ。
ハイカラじゃなくっても、過疎の町は若い子自体が少ないし?」
「言えてるね。カカカ!」
「それにしても……。
色気がないと思ったら、あんな綺麗なお知り合いがいるなんて。
ケンジくんも隅に置けないわねぇ〜」
「お嫁さん候補かい?」
「やめてやめて」
しかし、上手いように数珠つなぎとはいかず。
物珍しさでの注目が集めるばかりで、澪さんの素性を知るという人物は、一向に現れなかった。
**
「───ケンジさん」
13時15分。
俺が店番を、澪さんが読書を始めてから、およそ2時間。
読書を切り上げた澪さんが、周囲を警戒しながら、レジカウンターに近付いてきた。
「進捗、どうですか?
わたしのこと知ってそうな人、いましたか?」
先程の橋田さん達を最後に、昼間の客足は途切れた。
澪さんと相談するなら、今がチャンスだ。
「んーん。今のとこは、収穫ゼロ。
そっちは?誰か見覚えある人、いたりした?」
「いいえ。
記憶がないから思い出せないって可能性もありますけど……」
「なるほど」
澪さん自身も、気になる人物は見当たらなかったとのこと。
少なくとも、澪さんの住まいはむかご通りにはない、と考えていいかもしれない。
「ちょっと、外を見て来ていいですか?
人が駄目でも、景色には覚えがあるかもしれません」
澪さんから外出の提案。
読書ばかりさせるのも可哀相だし、散歩程度なら気分転換にもなりそうだ。
「もちろんいいよ。一緒行こうか?」
「ケンジさんは、ご自分のことに専念なさってください。
わたし一人でも、遠出をしなければ大丈夫ですから」
「そう?なら、うん。
気を付けて、行っておいで」
「はい、いってきます」
踵を返した澪さんが、出入口に向かって歩きだす。
俺は彼女の背中を見送ってから、遅い昼食にしようかと欠伸をした。
「───ふい〜、あっちぃあっちぃ……」
そこへ、朝に出くわしたきりだった親父が帰ってきた。
タオルや備品の替えが必要になったのか、腰を据えて昼休憩をとることにしたのか。
お誘いのあった朝メシは、出先で一人で済ませたようだ。
親父に気付いた澪さんは、横にずれて道を譲ってあげた。
親父は出入口の扉を抜けると、何事もなかったように店に入ってきた。
「(はぁ……?せっかく譲ってくれたのに無視かよ。
会釈のひとつでも返してやりゃいいものを)」
"気を悪くさせてごめんね"。
親父の代わりに謝るつもりで、俺が澪さんに会釈した。
澪さんは苦笑しながら首を振り、親父と入れ違いで店を出ていった。
「よ、今朝ぶり。
お前もこれから昼メシか?」
いつもの調子でレジカウンターに近付く親父。
俺は内心呆れつつ、飲みかけのペットボトルを親父に投げ渡した。
「おっと、気が利くな」
「飲みかけだけど」
「気にせんよ。この時期は喉が渇いてしゃーない」
ペットボトルに口を付けた親父は、きょろきょろと周囲を見渡した。
「あの子は?」
「は?」
「ほら、お前の友達の、妹?とかいう女の子だよ。
お茶出したら送るつってたけど、もう帰ったのか?」
親父の奇妙な発言に、俺はフリーズしてしまった。
「(なに言っとんじゃコイツ)」
帰ったも何も、たった今すれ違ったばっかじゃねーかよ。
ちゃんと前見て歩いてたくせに、対角にいた彼女に気付かなかったとでも言うつもりか?
「……帰ってない。色々あって、まだここにいる」
「そうなのか?今はどこにいるんだ?」
「あっこ」
親父の背後、出入口の方に向かって、指を差してみせる。
ガラス張りの扉の向こうには、軒先で空を仰ぐ澪さんがいる。
散歩に出かける前に、まずは風に当たることにしたらしい。
「どこだ?外にいるのか?」
親父は尚も首を傾げた。
いくらなんでも、この短距離で、真正面にいる澪さんが、目に入らないはずがない。
「いや、いるだろそこに。
店のすぐ前。親父の視界のど真ん中」
「ど真ん中ァ?って言われてもなぁ……。
だーれもいねえけど、ど真ん中って、どこが真ん中だ?」
どうなってんだ。
朝に出くわした時には、挨拶だって交わしたはずだ。
今になって、やっぱり澪さんの姿が視えないとか。
朝のあれは偶発的な、一時的な現象に過ぎなかったのだろうか。
「────あ、あのこれ、落とし物……」
すると澪さんが、店に戻ってきた。
女性物と思しきハンカチを手にしながら。
「(あれは、橋田さんの───)」
あの派手な花柄は、橋田さんの私物だ。
最後に店を後にした客も橋田さんなので、恐らくは帰途に失くしていったのだろう。
澪さんからハンカチを受け取るべく、俺はレジカウンターを出た。
次の瞬間、何食わぬ顔でいた親父が、素っ頓狂な声を上げた。
「ッわ!びっくりした………!
いつからいたんだい、お嬢さん」
今度は俺と澪さんの二人で、フリーズしてしまった。
「(いつから、って───)」
澪さんはたった今、俺と親父の目の前で、出入口の扉を開けて入ってきた。
にも拘わらず、親父はまるで、澪さんが瞬間移動でもしたかのように驚いた。
まただ。
嫌な予感で、背筋が粟立つ。
「え、あ……。ごめんなさい。
お店の前に落とし物があったので、お知らせようと思ったんですけど………」
「おとしもの───。
あ~、そうかそうか!はいはい、そういうことね!
いや、急にお嬢さんが目の前にいたもんだから、びっくりしちまって。
やだね〜、ほんと。歳とると注意力が、なんだっけ?散漫?
年々ニブくなるんだから全く、ハッハッハッハ」
澪さんからハンカチを受け取った親父は、恥ずかしそうに肩を竦ませて笑った。
親父の発言と、澪さんの行動を照らし合わせて、俺は反芻した。
「あー、こりゃたぶん橋田さんだ。
たまに落としていくんだよ、ハンカチとか家の鍵とか」
「今ごろ困ってらっしゃるでしょうか……?」
「鍵だったらね。ハンカチくらいはいつものことだし、次来た時に渡せば大丈夫。
後で俺から電話しとくよ」
「ありがとうございます。お願いします」
「こちらこそ、わざわざありがとうね」
澪さんが軒先にいた時は、親父は澪さんを視認できなかった。
澪さんが出入口の扉を開けて店に入り、レジカウンターまで歩み寄ったところで、親父は再び澪さんを視認できるようになった。
親父いわく、"急に目の前に現れたかのように"。
「(一時的でも偶発的でもないとしたら、条件付きで親父にも視えるようになるってことか……?)」
"ふたみ商店"の中にいることが重要なのか。
"二見賢二"の側にいることが前提なのか。
可能性としては二つ考えられるが、前者とすると辻褄が合わない。
澪さんと親父が入れ違いになった時、まだ店内にいた澪さんに、親父は気付かなかったからだ。
じゃあ、消去法で二見賢二か。
「(親父が反応したタイミングは、澪さんがこっちに近付いてから。
確か、扉を開けて二歩三歩、お菓子の棚を越した辺り。
ここから棚までの距離は、メートルにすると大体───)」
当時の澪さんの立ち位置と、俺の立つレジカウンターまでは、約3メートル。
澪さんと俺の二人が、半径2・3メートル圏内に揃った場合のみ、親父にも澪さんが視えるようになる?
「親父」
「うん?なん、なんだ?」
澪さんと親父の間に割って入る。
親父はびくりと肩を揺らし、何故か目を泳がせた。
「家永さんのシフト、今日は2時からだったよな?」
「あ、お、おう。もうすぐ来るんじゃないか?」
「悪いんだけど、親父代わりに引き継ぎしてくれない?」
「え?ああ……」
「あと書類とか在庫の片付け。
家永さんとタッチして直ぐやる予定だったけど、夜に回していい?」
「そりゃあ全然、急ぎでなし……。
もしかして、事故ん時の傷、開いたか?」
「もうそんなことにはなんねーよ。
ただちょっと、行かなきゃならんとこ出来たから。あと頼むわ」
「おう……?」
少しずつではあるが、澪さんの特異性が浮き彫りになってきた。
ここからは、周りの力も借りていくべきだろう。
実体としての澪さんは、俺たちで情報を集める。
生霊としての澪さんは、専門家に意見を貰う。
両方からアプローチすれば、より真相に迫れるはずだ。
「澪さん」
「はい」
「付き合ってほしいとこあるんだけど、いい?」
「は、はい」
思い立ったが吉日。急がば回れ。
そんな俺たちの事情など知らない親父は、先程とは違う意味で首を傾げた。




