第7話 着物 オレ淑やかになる
オレは朝起きると、着ていたネグリジェを脱いで、きれいに畳んで置いてあるブラジャーを手に取る。そして夜の間外していたブラジャーをしてパンストを詰め込む。その上にスリップを着てから、カッターシャツを着て学生服のズボンを穿き、詰め襟の学生服を着る。
夜寝る時はパジャマの時もあるが、ネグリジェの時もある。基本的に母が用意したものを着ることしかできない。パジャマは花柄や赤いチェックなど可愛らしいものがほとんどだ。ネグリジェはさすがに恥ずかしかったが、寝る時だけなので何とか堪えられるというものだ。ただ夜中にトイレに行く時は、できるだけ家族に見つからないように行くしかなかった。それでもたまに父とがちあったりすると顔から火が出る思いだった。
女ものの下着を着て、その上に男らしい学生服を着るのはどうにも変な感じだ。世間には背広の下に女ものの下着を着る趣味のサラリーマンもいるというが、オレにはまったく理解できない。
すでに卒業式は終っていた。オレはちゃんと男として中学を終えて卒業証書も貰った。同級生たちは高校の入学式までしばしの休みに入っていたが、オレだけはまだ中学に通っていた。
オレは他の学年の生徒が登校した後にこっそり登校すると、そのまま例の家庭科準備室へ向かう。
部屋に入るとオレはいつものようにセーラー服に着替える。男のオレは卒業したが、女のオレはまだ中学生なのだ。学生服とカッターシャツを脱ぐと、そこにはすでにブラジャーをしてスリップを着ているから、すぐに制服を着ることが出来る。もう体育の授業や、ふいに脱ぐ必要ができる可能性もないため、家からそのまま着てきても問題ない。もちろん下もショーツを穿いている。ちなみにブラジャーには詰め物をしたままだったが、学生服は生地が分厚いからAカップの胸くらいではまったく目立たなかった。注意しなければいけないのは交通事故ぐらいのものだ。こんな恰好で事故にあったら、いくら何でも恥ずかしすぎる。
しかしセーラー服は高校のものに変わっていた。着かたに慣れなければいけないからだ。まだオレ自身の制服は出来ていなかったから母の制服を借りていた。きつかった袖だけはホックをずらしてもらった。スカートには吊りヒモをつけて腰の位置を調節したが、後ろが×になった吊りヒモをつけたプリーツスカートというものは、昔の小学生のスカートのようで、上着を着なければまったくさまにならない。
オレはセーラー服に着替えたら大人しく椅子に座って本など読みながら三吉先生を待つ。本も三吉先生が選んでくれた、女の子の気持ちが良く表現されているという作品だ。最初は何が面白いのか良くわからなかったが、最近ではそこそこ楽しめるようになってきた。というよりは本を読む面白さがわかってきたと言った方が良いかもしれない。以前のオレは小説などほとんど読まなかったから・・・
そして先生が来るとオレは栞を挟み、本を閉じて机に置くとスッと立ち上がる。
鍵を開けて先生が入ってくると、オレはきちんと両手を前に揃えてお辞儀をする。
「おはようございます。三吉先生。」
「おはようございます。戸田さん。」
今日の先生は珍しく着物姿だった。先生はオレの挨拶に満足したようにうなずくと、持ってきた荷物を机に置いた。
「戸田さん、今日はお茶のお作法の仕上げをしましょう。」
そう言って大きな紙の包みを開けるとそこには桜色の着物が入っていた。
「この着物は私が若いころに着ていたものなのよ。どう?あなたにピッタリじゃないかしら?」
「え?この着物をわたしが?」
「ええ、そうよ。あなたもずいぶんお作法が上達してきたから、今日は仕上げに着物を着てお稽古しましょう。」
オレたちは準備室の隅に敷いてあるタタミの所に行くと先生は言った。
「さあ、制服を脱ぎなさい。そのままじゃ着物は着られないわよ。」
「はい。先生」
オレはセーラー服を脱ぐときれいに畳んで椅子の上に置いた。そういうところも先生はちゃんと見ていて、悪いところはすぐに直される。おかげでオレは自然な仕草で上手に畳めるようになっていた。先生が何も言わないのは、ちゃんと出来ている証拠なのだ。
「戸田さん、下着も脱ぎなさい。着物を着る時は下着は付けないものなのよ。」
オレは言われるままスリップを脱いでブラジャーも外した。胸に詰め物をしているのを見られるとさすがに恥ずかしい。
「先生・・・パンツはちょっと・・・」
すると先生の眉がピクリと動いた。
「そうだったわね。近頃の戸田さんはすっかり女性の仕草が自然に出来るようになってるから、先生もついつい戸田さんが男の子だったこと忘れてしまうわ。」
先生はそう言ってオレに足袋を渡した。
渡されたオレはしゃがんで足袋を履こうとしたがどうやって履けばいいかわからなかった。
「戸田さん、こうやって履くんですよ。」
先生は足袋を半分に折り曲げると、オレの足の爪先をしっかりと入れ、曲げた部分を伸ばして踵を覆い、こはぜを留めた。
「片方は自分で履いてごらんなさい。」
「はい。」
オレは先生がやったようにして何とか履くことが出来た。
先生はオレの身体に肌着を合わせ、裾よけを巻き、腰の紐を結ぶ。その上に長襦袢を着物のように前で合わせて帯で締める。着物は中に着るものも疎かには出来ないそうだ。肌着や長襦袢をちゃんと着ておかないと着物を綺麗に着ることが出来ないのだ。そして桜色の着物を羽織らせると衿の部分や袖の位置などを合わせながら着付けしていった。そして最後に名古屋帯というのを締めて出来上がり。着物を着るのもなかなか大変だ。結構時間がかかる。
すっかり着付けが終ったオレを見て先生は嬉しそうに
「やっぱり思ったとおりだわ。戸田さんにはこの色が似合うと思ったのよ。きれいよ戸田さん。」
先生は全身が映る鏡の前にオレを連れて行って見せてくれた。
「ステキ・・・」
オレは思わずそう呟いて、急に恥ずかしくなって言葉を付け足した。
「あ、あの・・着物が・・ですけど・・・」
鏡の中のオレの頬に赤みがさす。
オレは着物を着たのは初めてだったが、すっかり虜になってしまった。まるでオレじゃないみたいだ。髪も簡単に前髪をピンで留めただけだったが、おでこが出ていて初々しい。そこにはこれまで見た事がない淑やかなオレの姿があった。
「もう少し時間があれば自分で着付け出来るように教えてあげたかったんだけど、さすがに時間が足りないわね。」
先生は残念そうな顔をした。
「先生、わたしもぜひおぼえたいです。もしよろしければ、高校に入学しても時々習いに伺ってもいいですか?」
先生はその言葉を聞いて微笑んだ。
「もちろんよ戸田さん、私、土日は自宅でお茶の教室をやってるから、ぜひいらっしゃい。私もあなたは筋がいいからこのままでは勿体ないと思っていたところなのよ。」
それから先生は何かを思いついたように顔を輝かせた。
「そうだわ!この着物は戸田さんにあげましょう!」
オレは驚いた。
「そ、それはいけません。だってこんな大切なもの・・・いただくわけには・・・」
断ろうとするオレをなだめるように先生は言った。
「いいのよ。私が持ってても着ないから、私が着るには若すぎるのよ。」
「でも・・・・」
オレだって着物が高価なものだという事くらい知っている。それにこの着物には先生の若い頃の思いでが詰まっているハズだ。
「大丈夫、実はこの着物は私の先生から頂いたものなの。先生が若い頃着ていたものを頂いたのよ。」
「それなら・・・余計いただけません。」
先生は首を振った。
「あなたは大切な教え子なのよ。だからぜひ貰ってちょうだい。お願いするわ。」
「そ・・・そんな・・・」
「いいわね。」
「・・・はい。」
そうまで言われては、オレも承諾するしかなかった。
オレも最初は三吉先生をこうるさいおばさんだと思っていたが、良く知るとすごく優しいところもある人だった。とても女子が呼ぶようなクソババアなどではない。しかしそれもオレが習う態度を見せるようになってからのことだった。きっと習う態度が出来ていない人にはうるさく言うしかないのかもしれない。近頃では、オレは三吉先生を尊敬するようになっていた。
「あ、先生・・・申し訳ありませんけど・・・わたしの全身を携帯で撮っていただいてもいいでしょうか?母にも見せたいんです。」
「ええ、いいわよ。」
先生にオレの携帯で着物姿を写してもらった。かあさんに見せたらきっと喜ぶだろう。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
オレは先生から料理も習った。三吉先生が得意なのは和食だったから、主に煮物とか、酢の物とかが多かった。料理はもともと得意だから、料理の授業は楽しかった。先生にも上手だと褒めてもらった。
オレは結構舌には自信があったから、微妙な味の違いも良くわかる。
裁縫もまあまあだった。図工とか物を作るのは得意だったから似た感覚でやることができた。ミシンをかけるのもすぐにマスター出来た。しかし編み物だけはなかなか上手くいかなかった。どうも苦手な数学に似ているからかも知れない。短い時間ではマフラーを20cmほど編むのがやっとだった。
しかし全体的には良くできた方のようだ。オレは案外女の子の勉強の方が得意なのかもしれない。先生が言うにはクラスの女子よりもずっと上手にできたという事だった。オレもそう言われると期待にそえたようで、なんだか嬉しかった。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
その日の“お嬢様教育”が終って学校の出口へと向かっていると、前からどこか見覚えがある女生徒が歩いてくる。
「あれ?戸田君、どうしたの?」
それは一緒に白鴻女学園を受験した長谷川順子だった。
「なんで戸田君が学校にいるの?」
オレは不測の事態を何とか回避しようと、頭の中はフル回転だ。
「長谷川さんこそ、なんで学校にきたの・・・」
以前と同じようにしゃべろうとしたが、このところ女言葉でばかり話しているから思うように言葉が出て来ない。
「わたしは・・・本命に落ちちゃって・・・」
オレは心臓が一瞬止まったかと思った。まさか白鴻に来るんじゃないだろうな!
「それで追加試験を受けたから結果を報告に来たのよ。」
「え、それでどうだった?」
「何とか受かってた・・」
「そ、それは良かったね。」
オレはほっと胸をなで降ろした。
「戸田君はなんで学校にきてるの?」
「オ、オレは・・・実はオレも本命落ちたんで、追加受けてさ。」
オレも長谷川の話を聞いてでたらめな話を作り上げた。
「あ!そうか・・・白鴻は共学なくなったって言ってたもんね。」
「そ、そうそう!」
オレは焦ったが、それは追加入試を受ける口実には良いかもしれない。
「だから、他のところを受けたんだ。」
「へぇ・・・そうなんだ。それで受かったの?」
「う、うんまあ、ギリギリね。」
「どこ?」
「え?!」
「どこ受けたの?」
「そのぉ・・・県外の全然有名じゃないところだから、あんまり言いたくないんだ・・・」
「そう・・・そうかもね・・・わたしもちょっと遠いとこなの・・・」
しばしの沈黙がおとずれた。オレは何とか早くこの場から逃げ出したかった。もちろんこれ以上話しているとボロが出そうだというのもあったが、それ以上に学生服の下に付けている女性ものの下着が気になっていた。バレるはずはないとは思いながらも、この状態で知り合いと話すのはさすがに緊張した。ドッと吹き出た汗でスリップが身体にまとわりつく・・・
「・・戸田君・・・なんか・・雰囲気変わった?」
「え?!そ、そうかなぁ・・・あ、髪が伸びたからじゃないかな?このところ切ってなかったから・・・」
「・・・・・・」
長谷川は少し首をかしげてオレを見つめている。
「あ、ご、ごめん!オレちょっと急ぐんだ・・・それじゃ!」
オレはそれだけ言うと走ってその場を逃げ出した。このままいたらどんな事になるかわかったものじゃない!
それにしても長谷川が他の学校に合格したのがわかったのは不幸中の幸いだった。