第25話 レナ オレの過去を知る女? 初出08.9.15
「いってきます。」
オレがそう言って家を出ようとすると、麻衣がオレを呼び止めた。
「お姉ちゃん、また後ろが曲がってる!」
「え?ほんと・・・?」
オレは慌てて頭の後ろに手をやってさわってみたが、どうなっているのか良くわからなかった。
「有希、いらっしゃい。直してあげる。」
母に言われて、両親の部屋の母の鏡台の前に座らされた。
髪が長くなって校則により二つに分けて、くくるようになったのはいいのだが、オレはなかなか自分で上手に分けることが出来なかった。手探りで真ん中から分けたつもりでも、中心じゃなかったり、曲がったり、ヒドイ時には左右が混じってしまったりすることもしばしばだった。何度か気づかずに学校へ行って恥ずかしい思いをしたこともある。
母にクシの尖った方できれいに分けてもらいながら、オレは情けない気持ちでいっぱいだった。
「有希も年頃なんだから部屋に三面鏡があった方がいいかも知れないわね。」
「・・・・」
部屋で三面鏡に向かい髪を整えている自分の姿を想像すると、なんだかすごく恥ずかしくなってくる。
「・・い・・いいよ・・・三面鏡なんて・・・長谷川さんの部屋にもそんなのなかったし・・・」
「あら有希、長谷川さんのお宅に行ったの? かあさんに言わなかったじゃない。」
「・・そ・・そうだっけ・・・」
オレはとぼけるしかなかった。母はあのオレが部屋に閉じこもった日に長谷川の家に行ったことを勘づいただろうか・・・?
「でも有希は、長谷川さんと違って女の子の経験が少ないんだから、女の子が普通に出来ることも難しいでしょう?」
「・・うん・・・」
確かにそうなのだが・・・
「こんど買ってあげる。いいわね。」
「・・・うん。」
・・まぁ・・あったほうが便利そうだし・・オレには断る理由がない・・・
「ねえ、かあさん・・・こんどの日曜日、麻弓おばさんのところに行ってきていい?」
麻弓おばさんとは、長沢麻弓〈ながさわ まゆみ〉といって母の妹で、春日原駅の近くで美容院をやっている。
「いいわよ。だいぶ毛先が乱れてきたものね。かあさん電話しといてあげる。」
「うん・・ありがとう・・・」
オレは入学前に麻弓おばさんの美容院に行って以来、髪を切っていなかったから、さすがに少しバサバサして整えにくくなってきていた。
「そういえば、このまえ電話した時、麻弓が写真が出来てるって言ってたわよ。」
オレはドキッとした。
「有希、写真撮ってもらったの?」
「・・ぁ・・う・・うん・・・」
真っ赤なドレスを着て写ったのを思い出し、鏡の中のオレは顔を赤らめた。
「どんな写真?」
「・・う・・うん・・・貰ってきたら見せるよ・・・」
「そう、楽しみにしてるわ。さあ、出来た! いってらっしゃい。」
母はそう言ってオレのセーラー服の背中でポンと叩いた。
「・・うん・・いってきます。」
オレは恥ずかしくなって、靴を履くのももどかしく急いで玄関を出て行った。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
数日後の日曜日、オレは母が予約を入れてくれた時間に、おばさんがやっている美容院に行った。
この前の長谷川の家での一件以来、オレは外に行く時の私服に悩むようになってしまった。まえは母が用意してくれた服をただ着ていたが、あれ以来、自分には似合わないのではないかという思いが、どうしても頭を離れなかった。だから今日はいっそのこと制服で行こうかとも思ったが、母の強力な反対にあい、仕方なく母が選んでくれた薄いクリーム色の袖なしのワンピースと短いボレロの上着というセットを着てきた。母が選んでくれる服は清楚な感じのが多くて、なんか上品なお嬢様が着る服みたいで恥ずかしい・・・こんなのが似合う男がいるとは、とても思えない・・・
「おばちゃん、こんにちは。」
オレが入っていくと叔母が笑顔で迎えてくれた。
「まあ、有希ちゃん。いちだんと女の子っぽくなったじゃない!」
母の妹だからそんなお世辞も言ってくれる・・・
「その服、自分で選んだの?」
「・・ううん・・かあさんが選んでくれた・・・」
「そう、さすが姉さんね。清楚で可愛らしくて有希ちゃんのイメージにピッタリだわ。」
「・・・そんな・・・こんなの似合わないと思うけど・・・」
オレは恥ずかしくてうつむいた。
「有希ちゃん、髪はこのまま伸ばすの?」
「はい・・・できればもう少し伸ばしたいんですけど・・・」
「そう、だったら前髪と後ろをキレイに揃えて、毛先だけゆるくパーマかけようか。」
「え・・・でもパーマは学校で禁止だから・・・」
「それはオシャレなパーマのことでしょう?毛先を少しだけかければ、髪も自分で整えやすくなるわよ。それに後ろはくくるんでしょう?わからないわよ。」
「う〜ん・・・それじゃ・・・お願いします。」
オレの前髪が目にかかるくらいのところでキレイに揃えられていく・・・いったいどんな感じになるのかとドキドキする。後ろもキレイに揃えたところで、プラスチックの板にベトベトしたもので髪を張り付け、前髪と後ろを太いカーラーで巻かれてパーマ液をつけられた。
パーマがかかる時間を待っていると叔母が写真を持ってきてくれた。
「どう?有希ちゃん、可愛く撮れてるでしょう?」
そこにはヒザ丈の真っ赤なドレスを着たオレの姿があった。スカートを広げる白いパニエ、少し黒めのストッキングをはいた足には赤い靴、肩が広めに開いた首には赤いバラの飾りが付いたチョーカー、そして短かめの黒い髪・・・・そこに写っていたオレは、女の子らしい恰好をしていても、まだ今のオレよりずっと男の子っぽさが残っていた。
「有希ちゃん、このころと比べてもずっと女っぽくなってると思わない?」
「・・うん・・・」
オレ自身はこの頃と今とで、そんなに変わった気はしなかったが、こうしてみるとオレは確実に女の子に近づいている気がする。
「良かったでしょう? 写真撮っておいて。」
「・・うん・・ありがとう・・おばちゃん・・・」
オレは叔母の心使いが嬉しかった。思わず目頭が熱くなる・・・こんな時が来るとこを叔母はわかっていたのだろうか?
「おばちゃん・・わたしこのごろ少し・・気持ちが落ち込んでたの・・・本当に女の子になれるのかなって・・・」
「きっと有希ちゃんは自分のことが良く見えていないんだと思うわよ。有希ちゃんは自分で思ってるよりずっと可愛いし、姉さんの若いころそっくりで美人なのよ。」
「・・・そんな・・・だって・・・」
オレはいったいどう考えればいいのかよくわからなかった。だって写真を写したころも、みんなオレのことを可愛いなんて言ってくれたではないか! でも今その頃の写真を見てみると、今よりずっと男っぽい・・・それじゃぁ今のオレは・・・?
「さあ、有希ちゃん。出来たわよ! どう?」
鏡に写ったオレは、前髪がふんわりと軽くカーブを描き、長い髪の毛は驚くほどきれいにまっすぐ・・・毛先にかけてゆるく内側に丸くなっている。なんだか来た時より長くなったように見えた。
「・・・なんでこんなに・・・きれいなの・・・?」
オレはさらさらの髪の毛をさわってみた。
「ふふっ、ストレートパーマをかけたから前よりまっすぐになってるの。」
「ストレートパーマ?」
それでこんなにきれいにまっすぐなのか・・・たしかにきれいで可愛らしい、お嬢様のような髪になっている・・・しかし・・こんな髪型がオレに似合うのか?
「・・・お・・おばちゃん・・・こんなの・・・わたし・・似合わない・・・」
「そんなことないわよ。清楚で可愛い有希ちゃんにはピッタリだと思うけど?」
叔母はそう言って後ろを二つに分けて両手でくくったようにして見せた。
「ほら、こうするとこれまでとあまり変わらないでしょう?学校でもパーマかけてるなんて気づかないわ。」
たしかに叔母の言うとおりかもしれないが・・・しかし・・・
「女の子はね、学校では真面目にみせても、普段はおしゃれするものなのよ。有希ちゃんも休みの日はおしゃれして遊ばなきゃ!」
「・・・う・・うん・・・」
「お母さん! もうユウ来てる?」
そう言って店に入ってきた女の子を見てオレは驚いた。それはイトコのレナだった。
オレとレナは同じ歳、同じ学年だ。オレが小さいころは家も近かったから良く遊んだものだ。小学校のころのレナは家が美容院だから茶髪にしてパーマをかけてずいぶんオシャレをしていた記憶がある。オレの家が引っ越して以降は親戚が集まった時などに数回会っただけで、ほとんど話をしたこともない。
「遅かったじゃないレナ。」
「なんだ、ユウもう帰っちゃった?」
オレは思わずうつむいた。ひさしぶりに会うイトコと、こんな姿で会うなんて・・・どんな顔で会えばいいのか見当がつかない・・・
「何いってるの? 有希ちゃんここにいるじゃない。」
オレは思わずビクッとした。
「え?」
レナが近づいてきて、オレの顔をのぞき込む・・・チラッと目を上げたとたんレナと目が合ってしまい慌ててそむけた。
「ユウ・・・? ほんとにユウなの?」
オレはうつむいたままコクリとうなずいた。
いきなり“ユウ”などと子供のころの呼び方をされてもオレはどう対応していいのかわからない・・・
「あんた何驚いてるの。有希ちゃんはもうすっかり女の子だって言ったじゃない。」
「それはそうだけど・・・こんなに・・・」
こんなに・・・変態になったとは・・・そう思っていることは言わなくたってわかってる。
「こんなに・・・女の子みたいになってるとは思わなかった。」
レナの言葉が胸に突き刺さる・・・
「ユウ! 立って見せて!」
オレはガクガクする足で立ち上がる。それでも立ち仕草に気を使ってしまうのが悲しい・・・
「可愛い! こんなに可愛くなってると思わなかった!」
声が大きいよ・・・あいかわらずの遠慮の無さだ・・・
「ユウ、良かったもう大丈夫なんだね。やっと戻って来たんだね。」
「?」
こいつ何を言っているんだ?
「どういうこと、レナ?」
叔母も不思議そうに聞き返す。
「だって、ユウずっと言ってたもんね。女の子になりたいって。」
「え?!」
オレは思わず声を上げた。
「なに?ユウはおぼえてないの?」
「・・・うん・・・」
「どうして?」
「・・・よく・・わからない・・・」
「へ〜 そうなんだぁ。」
オレは昔のことは良く憶えていない・・・
「もうカットは終ったの?」
「ええ、可愛くなってるでしょう。」
「うん!すっごく似合ってる。その服とも合ってるね。でも、ちょっとおとなしすぎるかもしれないけど。少し色を抜けば軽くなるのに。」
「有希ちゃんの学校はあんたの学校と違ってお嬢様学校なのよ。あんたみたいな茶髪になんか出来ないのよ!」
「へ〜 そうなんだ。でもその方がユウには合ってるかも知れないね。だってユウは昔からおとなしかったもん。」
オレはそんな二人の話をいたたまれない気持ちで聞いていた。レナがオレのことをそんなに知っているなんて、オレはまったく考えもしなかった。
「それじゃ行こうか!」
「え? どこへ?!」
「天神〈てんじん〉よ。これから行くんでしょう?」
「まさか?!」
天神は県でも一番の繁華街・・・九州でも一番かも知れない。オレが住んでいる地域からみれば、いつもお祭りみたいに人が多い。しかも今日は日曜日!こんな日に行ったら何人もがオレのことを男だと気づいてしまうに違いない!
「有希ちゃん、行ってらっしゃいよ。」
「そんな・・・無理よ・・・もしあんなとこで・・・男だってバレたら・・・」
「平気よ! こんなに女っぽくてバレるはずないじゃない! もしバレたとしても堂々としてればいいのよ。何かあったらわたしが守ってあげるから!」
レナはそう言ってオレの腕をしっかりとつかんだ・・・そんな・・・女の子に守ってもらうなんて・・・
「有希ちゃん、実はね、これは姉さんに頼まれたことなの。」
「え?! かあさんが・・・?」
「そう、姉さん有希ちゃんが人が多いところに行けないって心配してたのよ。それに洋服も自分で買ったことないんでしょう? 有希ちゃんも女の子なんだから、着たい服を自分で買わなきゃ!」
「・・・そんな・・・」
オレは今にも泣き出してしまいそうな気持ちだ。母の心配は良くわかる・・・しかしまだオレは人が多いところは怖いし、自分が着たい服なんてよくわからない・・・
しかし結局オレは断ることが出来なかった。ここで断ってしまっては母に会わせる顔がないような気がした・・・それではあまりに情けない・・・