第24話 女心 オレの心の中 初出08.9.13
「有希・・どうしたの?何かあった?」
ドアの向こうで母の声がする。帰って来るなり自分の部屋に閉じこもってしまったオレを心配しているようだ。
「・・・何でもないの・・・ごめん・・・しばらく一人にさせて・・・」
母を心配させるのは気が引けたが、今は一人になりたかった。
オレはベッドに仰向けに倒れ込んだまま、ずっと天井を見るともなく見ていた。オレには自分の身に起こったことが理解できなかった。いや、理解できない訳ではない。正確に言えば理解したくなかったのだ。
オレは女の子になろうと努力してきた。そして少しずつだが女の子に近づいている。身体も女性ホルモンの助けを借りて、こちらも少しずつ女性化してきた。
しかしオレはまだ女の子になるということが、どういうことか本当の意味ではわかってなかったとしか言い様がない。長谷川や白石先生はオレのままで良いのだと言った。それは確かにそうかも知れないが、あくまでそれは他人ごとだ。オレ自身にとっては、オレのまま女の子になるというのは、言葉で言うほど簡単なことではないという気がしてきた。
オレはオレでありながら女になっていく・・・きっと心も少しずつ女の子になっていくに違いない。しかもこれまでのように努力して、教育されて女の子になるのとは違い、心はどこから女になるのかオレ自身にも見当がつかない・・・ある日突然オレの心の中に女の子の部分が出現するかも知れない。今はまだ、こうしてそれを感じている男のオレがいるが、それもいつまで続くかわかったものではない。オレの心に女の子の部分が出来た時、その部分の男のオレは無くなってしまうのだろうか・・・それが増えていけばいずれは男のオレはいなくなってしまうのかも知れないではないか?
今日オレの身体を襲った激しい動悸は、オレの心の中に女の子の部分があることを自覚させるに十分だった。オレはたしかに男とのデートを想像して興奮してしまった。
いや、これまでオレは自分自身の心の変化に気づかないフリをしていたのかも知れない。オレはもうずっと前からニースの山上のことが気になって仕方がなかったではないか! 同じ山上ファンの佐倉と山上の話をするときのオレは、まるでアイドルに恋する女の子そのものではなかったか・・・オレはこのまま少しずつ女の子になっていくのだろうか? それともある時、一気に女になってしまうのか?
オレはベッドから起き上がると鏡の前に立ってみた。少し乱れた髪を手で整える。
リボンが胸元を飾る白いブラウス、紺の長めのスカート、前髪と後ろをドライヤーできれいにカールさせた頭には細い上品なカチューシャ、顔には薄く化粧をしている・・・オレはこんな恰好で外を歩いていたのかと思うと、いたたまれない気持ちになってくる。
オレは急いで似合わない服をベッドの上に脱ぎ捨て、部屋着のサマードレスに着替えた。
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オレは部屋着に着替えると、髪を後ろでくくって洗面所に行った。ヘアバンドで前髪を上げて化粧を落とす。
クレンジングをしていると、ドアが開いて妹が入ってきた。
「あ、お姉ちゃんいたの?」
「・・うん・・・」
オレは顔を洗いながら返事をした。洗い終ってふと顔を上げると、鏡越しの光景に驚いた。
「麻衣!何で脱いでるの?!」
「え?だってお風呂に入るから・・・」
妹は不思議そうな顔をする。
「ちょっと、カーテン閉めてから脱いでよ。恥ずかしいじゃない・・・」
「だって狭いんだもん。 あたしはお姉ちゃんに見られても、ぜんぜん恥ずかしくないよ。」
「わたしが恥ずかしいのよ・・・」
オレは急いで脱衣所と洗面所を仕切るカーテンを閉めて洗面所を出た。
「有希・・大丈夫?」
「うん・・・」
母の心配は良くわかるが、さすがに今のオレの悩みは家族とはいえ他の人に相談できるものではない気がした。
「何か心配ごとがあるなら、かあさんに言ってみて。」
オレの肩をつかんだ母の手に押され、ブラジャーの肩ヒモについた長さを調節する部分を肩に感じる・・・母のなにげない仕草が、オレが男なのにブラジャーをしているという事実を思い出させる。
「うん・・・でも・・・何でもないから・・・」
オレはそう言って夕飯の手伝いを始めた。
手を動かしながらも、オレはさっき見た妹のはだかを思い出していた。妹ももう中学生、小さなころ一緒にお風呂に入ったときに見た体とは違い、胸も少し膨らみ始めていた。それはまさに今のオレの身体のようだった。オレはいま、大人の身体へと変わり始めた妹と同じ経験をしているのだ。しかし同じ経験といってもその内容はかなり違う。少女から大人の女性になり始めた妹に比べ、オレは男からいきなり女になろうとしているのだから・・・オレは麻衣より年上だが、女としては遥かに未熟に違いない・・・なにしろ麻衣は生まれた時からずっと女になるための準備をしてきたのだ。急に女になろうとしているオレとはぜんぜん違う・・・
「有希?」
母に声をかけられて我にかえった。オレは知らない間に手を止めてしまっていたようだ。
「有希、今日はかあさんだけでやれるから、有希は休んでらっしゃい。」
「・・うん・・・」
オレはかあさんの言葉に甘えて料理をやめて自分の部屋に戻った。
「・・・・!」
ベッドの上には脱ぎ捨てられたブラウスとスカートとスリップが散乱したままになっていた。
「いけない・・・シワになっちゃう・・・」
オレは慌ててハンガーの下に付いたクリップにスカートをはさみ、ブラウスをかけた。
「・・・・」
そのハンガーを壁にかけようとして手をとめた・・・何なんだろうこの感じ・・・オレは何て自然に女らしい行動をとってるんだ? このハンガーをつかんだ手つき・・・まるでオレの手じゃないみたいだ・・・
ハンガーを壁にかけてベッドに座っていると、誰かがドアをノックした。母かと思ったが、ノックしたのは麻衣だった。
「お姉ちゃん、入っていい?」
「・・うん・・いいわよ・・・」
麻衣はオレの部屋に入ってくると、ベッドに座ったオレのとなりに腰を下ろした。
「ねえ・・お姉ちゃん・・好きなコいる?」
「え?!」
オレはいきなりのことに驚いた。
「好きなコって・・・好きな男の子ってこと?」
「うん。」
なんでいきなりこんなことを聞くのだろうか?
「わたしは女子校だから、男の子はいないし・・・」
まあ、しいていえばオレは男なのだが・・・
「そっか、そうだよね・・・」
麻衣は何かオレに聞きたいことがあるようだ。
「え? もしかして麻衣、好きなコいるの?」
「・・うん・・・ちょっとね・・・」
「え?誰? 同じクラスのコ?」
妹はコクリとうなずいた。
そうか、麻衣も好きな男の子が出来る年頃になったのか・・・オレは妹の成長が嬉しくもあり、ちょっと淋しい気持ちもした。
オレが麻衣くらいの年齢の頃どうだっただろうか・・・麻衣にオレの体験が参考になればいいのだが・・・しかし、そう考えたオレは奇妙なことに気がついた。オレは中学のころ好きな女の子がいただろうか? 考えてみればオレは誰か女の子を好きになったような記憶がない・・・
「ごめん麻衣・・・わたし恋のことは良くわからないの・・・」
オレは正直に言うしかなかった。
「わたし恋したことないのかも知れない・・・」
「ほんと? お姉ちゃん。」
「うん・・・」
オレは性同一性障害のことを思い出していた。生まれた時から自分の性に違和感がある人も多いが、気づかずに成長した性同一性障害の人は、男の子を好きになって初めて気づく場合が多い。しかし、ことさら好きな男の子が現れなかった場合、自分でも気づかないまま大人になってしまう人もいるらしい。いや、潜在的な性同一性障害の人がいることを考えると、そういう人の方が多い可能性があるという人もいる。そういう人の場合、女性に対する関心の低さが特徴だと言われている。その反面、女性アイドルに自分を重ねたりする人もいるらしい。それは一見ほかの男のファンと同じように見えるが、内心自分がそのアイドルになりたいと思っているので、そういう人にはお店のニューハーフになる人も少なくないらしい。
オレはやはり性同一性障害なのだろうか? オレには特定の好きなアイドルなどはいなかったが、漠然と可愛いなと思うアイドルや女優はいた。しかし他の同級生のように恋心をいだいたことはなかった気がする。オレが過去に女装を頑に拒んだのはどうやら本当のようだから、アイドルに自分を重ねるまではいかなかったのかも知れない。オレは今でも自分が性同一性障害だという気がしないし、女装をしたいとも思わないが、それはオレの過去のトラウマと関係があるのだろうか?
「でもさぁ・・・」
麻衣の声がオレの物思いを破った。
「お姉ちゃん、このまえニースの山上君が好きって言ってたよね。」
オレはいきなりそう言われてドキッとした。
「・・う・・うん・・・」
急に心臓がドキドキと激しく打ちだす。
「そういうのも恋なんじゃない?」
「・・そ・・そうかな・・・で・・でも・・・」
オレはしどろもどろになってしまった。これではオレの気持ちが筒抜けになってしまう・・・
「そっか・・お姉ちゃんはまだ女の子になってそんなに経ってないんだもんね。まだ恋がよくわからなくても当たりまえかもね。」
麻衣がオレの手をにぎる。驚いたことに麻衣がにぎったオレの手は、麻衣の手よりも白かった。
「お姉ちゃんもきっとこれから恋すると思うよ。だってお姉ちゃんも女の子なんだもん。それにあたしよりずっと女っぽいし。」
もうやめてほしい・・・オレはどうすればいいのかさっぱりわからなかった。自分の気持ちがまったく思うようにならない。
「麻衣・・・わたしが男の子を・・・好きになっても・・いいのかな・・・」
「いいに決まってるじゃない!お姉ちゃんそんなこと心配してたの?」
「・・う・・うん・・・」
「可愛いなぁ、お姉ちゃんって。恋しようよ。あたしも頑張るからさ。」
「・・う・・うん・・・」
妹になぐさめられて、オレは今どんな顔をしているのだろう・・・ものすごく顔が熱い・・・恥ずかしさと期待で顔が爆発してしまいそうだ・・・
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夕食が終って洗い物をしていると母が言った。
「有希はいきなり大人の女性になろうとしてるんじゃない?」
「え?」
「有希は、高校生はもう大人だと思ってるかも知れないけど、かあさんくらいの歳になって考えると高校生ってまだまだ子供なのよ。」
「・・・・」
「有希はまだ大人にならなくていいの。有希はまだ女の子になったばかりなんだから、女になる前にまず少女になったらどう?」
「・・少女?」
「そう、高校生って大人になるための大切な時期なの。大人になるための準備をする時期・・・でも有希はまだそこまでも行ってないんじゃないかな?」
「・・うん・・・」
「だからまず少女になるの。今の麻衣みたいに少女であることを楽しみなさい!」
「わたし・・・少女になんて・・・なれるかなぁ・・・男なのに・・・」
「なに? 有希はまだ自分のこと男だと思ってるの?」
「・・だって・・・」
「有希は女の子なのよ。もう決めたんでしょう?」
「・・・・うん。」
「だったら自信持たなきゃ! 有希はみんなより少し遅れて、これから思春期を迎える少女なの。友達と遊んだり、お買い物したり、恋をしたり、いろんな経験しなさい。いろんなこと経験しておかないと大人の女性にはなれないわよ。」
「・・・うん。」
そうか・・・オレは女としては今の麻衣と同じくらいの年齢なのかもしれない。そう思うと、少し気持ちが楽になった。
オレは立派な女の子にならなきゃいけないとばかり考えていたが、それは間違いだったのかも知れない。オレはまだ高校生・・・まだ子供・・少女でいいのだ。
オレが少女になる・・・? それはドキドキするような考えだった。
男のオレが少女になんかなれるのか・・・それはまだわからない・・・でも、この胸の高鳴りが、これからのオレの進む道を予感させている気がした。




