第23話 順子 彼女の部屋で・・・ 初出08.9.11
むりやり長谷川順子の部屋に連れ込まれたオレだったが、なんだか変なことになってしまった。
ふたりとも次の言葉を口にすることが出来ないまま時間が過ぎていく・・・部屋には重い空気が充満している感じだ。
最初に口を開いたのは長谷川だった。
「・・ねえ、お化粧・・・自分でしたの?」
「・・今日は・・・かあさんが・・・」
「今日はってことは有希も化粧できるってこと?」
「・・まだ・・少し練習してるだけだけど・・・」
「そうなの・・」
何か話さないと沈黙が怖い・・・
「は、長谷川さんは? お化粧する?」
「わたしは・・まだしたことない・・・」
「そうなんだ・・・」
男のオレが化粧をして、女の子の長谷川がしたことないなんて、なんか変な感じだ。
「有希、眉毛も整えてるじゃない。それもお母さんにやってもらってる?」
「・・これは・・・エステで・・・生えてきたら自分でもやるけど・・・」
「エステ? 有希エステに行くの?」
「・・う・・うん・・・時々・・・」
なんでオレはこんな話をしているのだろうか?
「・・わたし・・まだ体のお手入れとか上手に出来ないから、エステでやってもらってるの・・・それにわたしカミソリとか使うとカミソリまけしちゃうし・・・アレルギー体質みたいで・・」
「え?じゃあ・・もしかして永久脱毛とか?」
「・・う・・うん・・・肌が弱い人には一番良いんだって・・・」
「すごいな〜有希は・・・」
なぜか長谷川は感心したように言った。
「すごくないよ・・・ちゃんと出来ないから行ってるだけだし・・・」
「そんなことないよ、有希は一生懸命女の子になろうとしてるんだもん。」
そりゃあオレは男だから、頑張らないと女の子になんてなれないし・・・そんなの当たり前のことでだと思う・・・
「みんな有希のこと可愛いとかキレイとか勝手なこと言ってるけど、有希がこんなに努力してるなんて知らないんだもん。」
「そんな・・・こんなの大した努力じゃないって・・・」
なぜ長谷川はこんなことを言うのだろう・・・
「なんか・・・長谷川さんって変わってるよね・・・」
「え?! なんで?」
「だってわたしが男だって知ってるのに・・・普通に接してくれるし・・・まあ、気持ち悪いとは思ってるんだろうけど・・・」
すると長谷川は急に大きな声で
「気持ち悪いなんて思ってないわよ!」
「うそよ・・だってまえに言ったじゃない。わたしのこと気持ち悪いって・・・」
「あ、あれは・・・あれはまだ最初のころでしょう? たしかに言ったかもしれないけど、あのころはまだ有希の・・・病気のこととか良くわからなかったから。今は思ってないわよ。」
病気か・・オレは病気というのは好きじゃないけど、これはオレ自身が言ったことだからしょうがない。
「わたしも少しだけど勉強したんだから・・・」
長谷川はそう言って本棚から一冊の本を持ってきた。それは性同一性障害に関する本だった。
「有希は自分のこと病気って思ってるの?」
「・・ううん・・・」
「やっぱりそうなんだ・・・だって有希は前向きに女の子になろうとしてるもんね。」
「・・・・」
「わたしが理解しやすいように病気って言ったんでしょう?」
「・・うん・・・」
「有希ってやさしいんだね。」
「そ・・そんなことないけど・・・」
なんかおかしなことになってきた。オレは長谷川が読んだ本には何と書いてあるかわからないからうかつなことを言えない。
「ねえ、前から聞きたかったんだけど・・・有希は身体も女の子になりたいって思ってるの?」
「・・・・?!」
オレはドキッとした。長谷川は知らないが、オレの身体はすでに女の子になりかけている・・・・しかし、それを言って長谷川がどんな反応をするかは予想もできない。
「な・・なんでそんなこと聞きたいの・・・?」
「・・だって・・・この本に、身体も女の子になりたい人と、身体は男のままがいい人がいるって書いてあったから・・・」
「どう思う?」
「え?なにが?」
「わたしはどっちだと思う?」
長谷川がどう思っているかわからない以上、オレも慎重にいくしかない。
「有希は・・違ったらゴメンね。 有希は身体も女の子になりたいんじゃないかと思う・・・」
「・・・・」
オレはどう答えたら良いのだろうか?
「違う?」
「・・ううん。」
「やっぱり! だって有希はこんなに前向きだし、ちゃんと女の子になっていってるもんね。」
オレはどうしたらいいのだろう? いっそのこと、今この身体のことを言ってしまうべきなのだろうか? しかし、それはあまりに危険な気もする。“なりたい”と“なってる”とはかなりの違いがあるかもしれない。
「有希はこれからどうするの?」
「どうって?」
「有希は高校のあいだは女の子として生活するんでしょう?」
「・・うん。」
「でも卒業したらどうするの?」
「・・わからない・・・」
「わからないの?」
「だって・・わたし、まだ女の子になるので精一杯だもの・・・3年も先のことなんか考えられない・・・」
「そっか・・・」
「でも・・わたし、もう男の子には戻りたくないの・・・」
「・・・・」
「だから・・身体も女の子になれるんだったら・・なりたい・・・」
オレは何を言っているんだろうか・・・いくら相手が長谷川とはいえ、しゃべりすぎではないだろうか?
「もちろん完全にはなれないだろうけど、見た目だけでも女の子になれれば・・・そうすればこんな服も似合うようになるかもしれないし・・・」
オレが今日着ている、女らしい服のことを言うと・・
「有希ったら、ほんと自分のことがわかってないのね。有希はもう見た目もじゅうぶん女の子なのに。」
「そ、そんなことないよ・・・そりゃあバレないくらいには女の子に見えてるみたいだけど・・・」
「また、そんなこと言ってる。」
その時、“コンコン”とドアをノックする音がした。オレは一瞬ビクッとした。オレはいつからこんなに神経質になったのだろうか・・・これも自信のなさの現れなのだろうか?
「あ、待って!」
長谷川は急いで立ち上がりドアへと向かう。オレの気持ちに気づいているのだろうか?
「紅茶だって、飲んで飲んで!」
母親とコソコソ話たあと、長谷川は持ってきたお盆から、オレの前に紅茶が入ったカップを置いた。しかし、今オレはそれどころではなくなっていた。ずっと正座していた足が痺れていたのだ。
「ゴ・・ゴメン・・・あ・・あし伸ばしていい・・・?」
「あ、だから足くずしてって言ったのに!」
「ううっ・・・だって・・女の子みたいな座り方できないから・・・」
オレは床のカーペットの上に足を伸ばした。紺のスカートから伸びたストッキングをはいた足が、なんだかオレのものじゃないみたいだ。オレの足ってこんなに白くてほっそりしていただろうか・・・
「ゴメンね、男の子って足くずせないって知らなかったから・・・」
「男が足をくずすって言ったら、あぐらかくことだからね・・・まさかこんな恰好であぐらかけないでしょう?」
オレはジンジンと痺れた足を手で押さえて痛みに堪えていた。
「あ〜ぁ・・・なんか情けない・・・わたしこんなことで女の子になれるのかな・・・」
こんなよそいきの恰好で足を投げ出している姿を想像すると、ほんとにオレは情けなくなってくる。
「そんな・・・女の子だって足くらい痺れるわよ・・・」
長谷川は見当違いな慰め方をしてくれた。しかし、オレがなりたいのはこんな女の子ではないのだ。もっと・・・ちゃんとした女の子になりたい・・・どういう女の子がちゃんとした女の子かは、はっきりとは想像できないけど・・・
「有希・・・」
長谷川がオレの両肩に手を置いて軽くゆすった。
「有希は真面目すぎるのよ。そんなに完璧な女の子なんかいないわ。もう少し楽に考えてもいいんじゃない?」
「・・・・」
確かにそれはあるかも知れない。オレは元々男だから、どうしても理想の女の子を想像してしまう。でも男のオレが理想の女の子になんてなれるハズがないのだ。ましてやオレの理想になど・・・?
そうか・・・オレはオレ自身の理想を目指していたのだろうか? オレが女の子になるからといって、オレの理想の女の子にならなければいけない訳じゃないのに・・・
「長谷川さん・・・女の子ってなんなのかな・・・わたしまだ良くわからないの・・・」
「そんなの・・・わたしにもわからないわ。」
「・・・・」
「でも・・・有希は有希のままでいいんじゃないの? 有希のまま女の子になればいいんだと思うよ。」
オレのまま? だってオレは男じゃないか・・・そういえば白石先生も言っていた。身体が女になってもオレでなくなる訳ではないと・・・あれはそういうことだったのだろうか?
「有希はもう女の子だよ。だってもう2ヶ月以上も女の子として女子校に通ってるじゃない。そんなこと女の子じゃないと出来ないわよ。もっと自信持ってよ!」
「・・・・」
言われてみれば確かにそうかも知れない・・・オレは入学以来、女の子として女子校に通っている。それに、もちろんお世辞も入っているだろうけど、みんなオレのことを可愛いとか言ってくれる。
「わたし・・・自信持っていいのかな・・・」
「あたりまえじゃない。有希はみんなが言うように可愛いし、今日の有希はすごく綺麗よ。」
オレは・・オレはどうすればいいのだろうか・・・オレは可愛いのか? オレは綺麗なのか? オレにはとてもそんなふうには思えない。しかし、もう少し・・・もう少しは自信を持ってもいいのかもしれない・・・いつかは自信を持って、オレは女だと言えるようになる日が来るのだろうか・・・
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
紅茶を口にしながらチラチラ部屋を観察していたが、長谷川の部屋はあまり女の子っぽい部屋ではなかった。白い小さなテーブルがあり、ベッドがあり、小さめのタンスの上に小さな鏡、部屋の片側には本棚がある。オレの部屋にあるような全身を映せる鏡もないし、女の子の部屋にありそうなヌイグルミもない。ただ、ところどころにフクロウの置き物がある。
「長谷川さんフクロウが好きなの?」
「うん、置き物がね。なんか可愛いじゃない。」
まあ、たしかにフクロウの置き物はちょくちょく見かけるから、好きな人は好きなのだろう・・・
「長谷川さんって一人っ子?」
「うん。」
「お父さんは?」
「大阪。いま単身赴任なの。」
「そうなんだ・・・」
「有希は? 兄弟いるの?」
「うん、兄さんと妹が・・・」
「え?!」
長谷川はなぜか驚いたようだった。
「お兄さんと妹って・・・有希のこと・・・どう思ってるの? その・・・カミングアウトとかした?」
「さあ・・・兄さんは京都にいるから、私が女になってからまだ会ってない・・・妹とは・・・もうすっかり姉妹になっちゃったみたい・・」
「姉妹?」
「うちの家族はちょっと変わってるの。妹はもうずっとわたしのことお姉ちゃんって呼んでるし・・・」
「へ〜・・・」
「かあさんも・・・最近わたしのこと男と思ってないみたい・・・」
「お父さんは?」
「とうさんは・・・もともと何考えてるかわからない人だから・・・放任主義っていうのかな・・・」
「へ〜・・・わたしのうちと全然違うね。わたしのパパは普通のサラリーマンだし、ママは専業主婦だもん。」
「その方がいいよ・・・うちのかあさんは夜遅くなる時もあるし、とうさんは書斎に籠りっきりだし・・・」
「お母さんも仕事してるの?」
「うん・・・なんかお店の内装とかやってるみたい。」
「すご〜い!内装デザイナー?カッコイイじゃない!」
「なんか良くわからないよ・・・」
褒めてくれるのは嬉しいが、オレには正直どういう仕事なのか良くわからない。
「ごはんとか誰が作るの?」
「かあさんがいる時はかあさんが作るけど、いないときは私が・・・このごろは妹も手伝ってくれるけど・・・」
「あっ、だから有希料理が出来るんだ!」
「うん・・・でも料理は小さいころからやってるけど・・・けっこう好きだから・・・え?でもなんで長谷川さん、わたしが料理得意だって知ってるの? クラス違うのに。」
「有希のことはわたしのクラスにも伝わってくるのよ。」
「・・・・・」
「このまえ髪をくくった日もすぐに話題になってた。」
まったく何でオレはこんなに目立っているんだ? 可愛いとか言われるのもまんざらお世辞でもないのだろうか? オレが可愛いなんてみんなどういう見方をしてるんだろう?
「有希、今度わたしにもお化粧のしかた教えてよ。」
「そ、そんな・・・ダメよ・・・わたしもまだ練習中だし・・・」
「有希が上手に出来るようになったらでいいから。」
「そんなの・・・いつになるか・・・」
オレもいつかは、自分でお化粧をして、自分で選んだ服に身をつつみ、いそいそと街へ出かけたりするようになるのだろうか? そんなの考えただけで恥ずかしくなってしまう。 でも女になるってそういうことなのだろうか? ほんとうに男のオレにそんなことが出来るようになるのだろうか? そして・・・・・!
・・オレは自分の頭に浮かんだ想像に驚いた・・恥ずかしさに急に体が熱くなる・・・
「有希? どうしたの? 顔が赤いよ。」
「う・・うん・・・何でもない・・・」
オレは何を考えているのだろう・・・いつか山上みたいな男の子とデート出来るのか・・・なんて!
顔が熱い・・・心臓が早鐘のように打っている・・・オレは思わず股間に手をやった。ぜったい立っていると思った・・・男とのデートを想像して勃起してしまうなんて・・・ガードルも無しに小さなパンティーで、こんなスカートをはいた状態で勃起したら大変なことになってしまう!
しかし、手で押さえた股間はまったく何の変化もなかった。オレの股間は薬のパッチを貼りだしてから、まったく立たなくなっている。同時にそういうことが起きる時のような感情もなくなっていた。それなのに・・・この激しい感情は・・・・身体中の血液が急に沸き立ったようだ。
「ご・・ごめん・・・わたし帰る・・・・」
「え?!どうしたの有希?」
オレは長谷川の母親への挨拶もそこそこに、逃げるように家へと帰った。