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第21話 転校 作られる過去   初出08.9.4

 自宅に帰るとすぐに父の書斎へ直行した。ふだんは何を考えているかわからない全く頼りにならない人だが、こんなことを相談できるのは父くらいしかいない。


“コンコン”

「入っていいぞ」

書斎という名の納戸の引き戸をノックすると、中からくぐもった声が答え、オレはそっと引戸を開けた。

「なんだ?有希」

「あの・・・ちょっと相談があるんだけどいい?」

「ああ。」

「ねえ、その前にマスクを一枚貰っていい?」

オレは父からマスクを受け取ると、耳にかかった髪をかきあげてゴムひもを耳にかけた。


「実はね、わたしクラスで中学は二中に行ってたって言ってしまって、それを聞いた長谷川さんが、もし卒業アルバム見られてもわたしが男だってバレないように、卒業間近に引っ越して来たって言っちゃって・・・」

「でも卒業アルバムを見られたらどっちみち判ってしまうんじゃないのか?」

「そうなんだけど・・・それは同姓同名の別人だって言い張るしかないって・・・」

「なるほど・・・。」

「それでどこから越してきたかとか考えなくちゃいけなくなって・・・」


 父はしばらく考えてから何かノートに書きだした。

「まず・・・どこから越してしたか・・・熊本はどうかな? おれの田舎だから、そこにいたことにすればいい。」

「うん・・・」

「お前は向こうの名前を残すために、ひとり熊本の実家に養子になっていたのかもしれないな・・・おれが婿養子だからな。」

「え?!」

「だが、子供がずっと出来なかった姉夫婦に子供が出来、居場所のなくなったお前は本当の家族の元に帰ってきた。この家の事だな。」

「・・・・」

「帰ってきて、こっちの中学に行くと同じ名前の戸田有希という少年がいた。と言っても、その時はまだお前の名字は佐藤だけどな。」

「・・・・!」

「で、中学はそのまま佐藤で、高校進学に合わせて戸田に戻す・・・と、こんな感じでどうだ?」


「・・なんか・・・そんなに面倒な設定にしなくても・・・」

「そうか?じゃあ親の転勤で引っ越してきたことにするか?」

「・・そんな簡単でいいのかなぁ・・・」

「いいんじゃないのか? 引っ越しの理由なんてそんなに無いだろう。」

「そうかな・・でもこの家にはもうだいぶ住んでるし・・・もしクラスの人の知り合いが、この近所にいたりしたら・・・」

「だからお前だけが帰ってきた事にしたんじゃないか。」

「あ、そういうことなんだ・・・なんか訳わからなくなってきた・・・」


「じゃあ、これを元に自分で考えてみたらどうだ? 決まったらかあさんや麻衣にも教えとくんだぞ。」

父はそう言ってノートを破いてオレに渡してくれた。

「だいたいこういうのはややこしくしておいた方がいいんだ。他人は簡単に理解できないと、考えるのが面倒になるからな。それに後から言い逃れもしやすい。」

父はそう言ってマスクの中で笑った。


「でも・・とうさんって婿養子だったんだ?」

「なんだ、有希は知らなかったのか?」

「うん。」

「おれが婿養子だから母さんのお母さん・・西新のおばあちゃんの名字も戸田なんじゃないか。」

「言われてみればそうだけど・・・あんまり気にしたことなかった・・・」

どうもオレは何ごとにも無関心すぎるのかもしれない。

「かあさんの家は女二人姉妹だったしな、麻弓さんは先に結婚してたから、おれが養子に入った訳だ。」

「ふぅん、そうなんだ・・・」

「まあ、おれはそういうことは気にしない方だからな。」

「・・・・・」

「それに佐藤はたくさんいるから一人くらい減っても問題ないだろう? おれの田舎なんか佐藤だらけだしな。」



 オレはそのあと、どういう設定にすればいいか考えてみたが、頭の中が混乱するばかりでまったく結論が出なかった。どうやらオレはこういう事を考えるのには向いてないようだ。仕方なく父が考えたのを、そのまま使うことにした。



‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥



 「おはよう有希」

駅の改札を出たところで同級生の佐倉千里さくらちさとが声をかけてきた。

「おはよう千里」

オレも自然に挨拶を返す。

最初は同級生の女の子との会話には緊張したものだが、さすがに最近では自然に話せるようになってきた。彼女たちにしてもオレのことを、ことさら女らしい性格とは思っていないようだったから、最初の頃思っていたほどは女らしい言葉づかいに気をつける必要もなかった。三吉先生に教わった女言葉は女っぽすぎる。


 白い上着に黒いスカートという白鴻の夏用のセーラー服を着た女生徒の中に、男のオレがひとり混ざって登校するのは、よくよく考えれば奇妙なことではあったが、これもオレにとってはすで日常の光景になっていた。夏服の半袖からのびた腕も、もう脱毛が済んでいたから毛のせいで男だとバレる心配もない。オレはそんなに運動も得意なほうじゃない。だからそんなに黒くなるタチでもなかったから、大方の同級生たちと比べても違和感はなかった。


「ねえ!きのうの山ペー見た?」

「みたみた!最後が可哀想だったねぇ。」

佐倉とオレはどちらもニースの山上のファンだから気が合うのだ。もっともオレの方は山上しか知らなかったから口から出まかせでファンだと言ってしまったのだったが、どうも最近では山上のことが本当に気になるようになってきてしまった。だから今日もオレたちは昨日のドラマ『救命ヘリ』の中で、普段は感情を表にあらわさない山上が、育ててくれたおばあちゃんが認知症になったのを見て初めて泣いた感動シーンで盛り上がっていたのだ。

佐倉はにわかファンのオレと違って驚くほど山上の事に詳しいので尊敬してしまう。まあオレの場合、男性アイドルのファンということだけでなく、女の子としても駆け出しなのだから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、女になると決めた以上は彼女たちを見習っていかなければならない。



 校門には毎日、風紀検査のために若い先生と古株の先生が二人で立っていた。今はそうでもないけど、もともとはお嬢様学校だから服装の乱れには厳しいのだ。もっともそれはオレにとっては都合が良いことだった。男のオレにはセーラー服を着ることだけで大変なのに、スカートを短くしたり、腰を細くしぼったりと、制服を改造するのはさすがに荷が重い。だから制服をそのまま着ていればいいこの学校の校風は有り難かった。そもそもオレの制服は特別誂えなのでオレの体のサイズにピッタリだし、おかげでオレは校門で呼び止められたことは一度もなかった。


「おはようございます。」

今日もいつものように校門の前で一旦立ち止まり、カバンを両手で前に持って丁寧にお辞儀しながら挨拶をして通り過ぎようとすると古典の長山鏡子ながやまきょうこ先生に呼び止められた。長山先生はこの学校での三吉先生のような存在で、年齢はたぶん60才くらいで先生のうちでは一番の古株だ。生徒の風紀にも厳しいらしく陰で文句をいう生徒もいた。でも、長山先生が三吉先生みたいに、厳しくても本当は優しい先生かどうかはよくわからない。


「戸田さんは髪を伸ばしていらっしゃるの?」

「あ、はい・・・」

「それなら髪が肩にかかってるからくくらないといけないわね。校則では肩にかかったらくくる事になってるのはご存知でしょう?」

「はい・・わかりました・・・」

オレはそう言ってお辞儀をし、その場を離れた。


 先生たちは皆オレが男だと知っているのだから、そのオレが性同一性障害だからといって、セーラー服を着て登校したり、ブルマーで体育をしたり、髪を伸ばしたりするのを変に思われていないか気になるところだが、さすがにそれを聞く気にはなれなかった。ただ、比較的良く会話をする担任の山口先生や、家庭科の松本先生は、内心どう思っているのかはわからないにしても、同級生の女の子たちと同じようにオレと接してくれているし、オレが習っているうちでは唯一の男の先生である現国の斉藤明先生も、オレに他のコと同じように接してくれていた。おかげでオレも女の子として過ごすことができたし、時々自分が男であることを忘れていることさえあった。オレがいうのも何だが、先生たちはよくみんなこんな状況を自然に演じているものだと思う。これも校医の白石先生が、ちゃんと性同一性障害について説明してくれたおかげなのかもしれない。



校門から離れると佐倉に聞かれた。

「有希、髪のばすの?」

「うん・・そう思ってるんだけど・・・」

「わたしは有希は短い方が似合ってると思うんだけどなぁ。」

「う〜ん・・・でもわたしずっと短かったから、高校に入ったら伸ばそうと思ってたのよ。」

「でもおさげにするのって嫌じゃない?」

「?・・おさげって嫌なの?」

「う〜ん・・ちょっと昭和っぽいていうか・・」

「・・・・」

オレには良くわからなかった。そもそもオレにとっては女の子の恰好をすること自体が恥ずかしいのだから、髪型くらいはどうということもないのだ。そもそもオレはおさげにしたこともないし、おさげにしたくない女の子がいるのも知らなかった。

「でもわたしおさげになんてした事ないから、どうすればいいのか良くわからないのよねぇ・・・」

「やっぱり有希って変わってるわねぇ。そんなのただくくるだけじゃない。」

女の子にとっては普通のことかもしれないが、オレにとってはそうでもない。家ではひとつにくくることはあったが、ふたつにくくるのはどうすれば良いのか良くわからない。



 「おはよう!ねえ誰かゴム持ってない?有希の髪くくるんだけど。」

教室に入るとすぐに佐倉が言った。

「あ、あたし持ってるよ!」

同級生のひとりがカバンから出した黒いゴムが入った袋をもらった佐倉は

「有希うしろ向いて」

そう言ってオレを後ろ向きに椅子に座らせると、シャーペンを上手に使って真ん中から分けて両脇でくくってくれた。いつのまにかオレたちのまわりはクラスのみんなに取り囲まれていた。女の子はこういうことには行動が速い。


「立って立って!あっ思ったより可愛い!」

佐倉が言うとみんなうなずいた。どうやらオレのおさげは姿は変ではないようで安心した。

「絶壁だと似合わないけど有希は頭の形がいいから!」

そう言って岡本がオレの頭をポンポン叩きながら

「ほんと有希ってどんなスタイルも似合うよねぇ。私服も見てみたいなぁ!」

「そ、そんな・・・普通よ・・・」

オレは恥ずかしくて仕方がなかった。オレとしては普通に女の子に見えれば十分で、それ以上である必要などないのに・・・いつのまにかクラスの注目をあびてしまっている。



‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥



昼休み、中庭のベンチに座っていると長谷川がやってきた。


「これが噂のぉ・・・」

長谷川がしげしげとオレを見ながらつぶやいた。

「な・・なによ・・・」

こういう時の長谷川には、オレもつい身構えてしまう。

「有希って何しても話題になるんだからすごいよねぇ・・・ただ髪をくくっただけなのに・・・」

そう言いながらも、横から後ろからオレのことをジロジロ眺める。

「なんかねぇ・・モミアゲとか、後れ毛とか、細かいところも女っぽいのよねぇ・・・有希って。」

「そ、そうかな・・・」

オレはそんなこと気にしたこともなかった。まったくオレは自分のことでさえ、まわりの人に言われて初めて気づく始末で情けないかぎりだ。もっとも自分の後れ毛を気にする男もいないと思うが・・・



「それで?考えてきたの?」

「うん・・・一応・・・」

オレはポケットから紙を取り出して長谷川に渡した。

「コピーしてきたんだ、有希にしては気がきくじゃない。」

長谷川はオレが考えた(本当はほとんど父が考えたのだが・・・)設定を書いた紙をひらきながらつぶやいた。母や妹にも見せなければいけないから途中のコンビニでコピーしてきたのだ。


 しばらく読んで長谷川だったが、顔を上げると、うさん臭そうな顔でオレを見た。

「これ有希が考えたの?」

「う、うん・・・」

「本当? よく有希がこんな複雑なこと考えられたわねぇ・・・」

オレはウソをつくのは苦手だ。どうせすぐにバレてしまう。

「・・ほんとは父さんが考えたんだけど・・・」

「やっぱりねぇ、有希がこんなややこしいこと考えられるハズないと思った!」

まったく失礼なことをいうヤツだが、本当のことだから怒ることも出来ない。


「ふ〜ん・・有希のお父さんって何してる人?」

「・・小説家・・・みたいな感じ?」

「え?! 有希のお父さんって小説家なの?」

「いや・・小説って言っても・・・」

「ねえ、どんなの書いてるの?」

「知らない・・読んだことないし・・・」

「そうなの?」

「うん・・・」

「そんなもんなのかなぁ。お父さんが小説家なんてカッコイイじゃない。」

「冗談じゃない!わたしの父さんが小説家なんて・・・他の人には言わないでよ!」

「う、うん・・言わないけど・・・」

長谷川もあまりのオレの剣幕に驚いたようだった。オレは本当に父親が小説なんか書いてるのを知られたくはない。特に理由はないのだが・・・


「お父さんが小説家なんて嫌だよ・・・べつに父さんは嫌いじゃないけど・・・小説家っていってもぜんぜん売れてないし・・・」

「そんなもんかなぁ・・それにしても有希のお父さん難しいこと考えたわね。」

「なんか、こういうのはややこしくしておいた方がいいんだって言ってた。理解しにくい方が良いんだって・・・」

「ふ〜ん、で有希は理解してるの?」

「え?!」

「だって有希が理解してなきゃダメじゃない。」

「まあ・・そうなんだけど・・・」

オレは父の田舎にも一回しか行った事がないし、家系のこととか良くわからなかった。そもそも家族のことさえ良く知らないのが最近わかってきたところだ。


「有希、ちゃんと理解しておきなさいよ。あんたが理解してないんじゃ話にならないんだからね。」

「う、うん。」

「なんか頼りないなぁ。有希って男のころからこんなだったの?」

「・・・・」

「わたし中学のころの有希は良く知らないけど、けっこう普通の男の子じゃなかったっけ?」

自分でも良くわからなかった。オレは中学のころはたしかに普通に男として生きていたと思うのだが、最近ではそれもだんだん曖昧なものに思えてきた。


 そもそもあの頃のオレは自分が普通の男であることを疑ったことなどなかった。今の長谷川が思っているように性同一性障害でもなかった。しかし最近わかってきた事実をつなぎ合わせてみると、それもはなはだ怪しく思えてくるのだ。ときどき母が残してくれていたアルバムを見ながら昔のことを思い出そうとするものの、いまだにほとんど思い出すことが出来ないでいた。


 そのうえ男のころの事さえ怪しくなってきたとあっては、オレとしても自分がいったい何なのかわからなくなっても仕方のないことかもしれない。しかし、このことは長谷川にも言うことはできない。オレは中学のころから心は女の子だったことになっているのだから。

「あのころは・・きっと無理して男っぽくしていたからよ・・・」

「あ、そうか。そうよね、有希はあのころから心の中は女の子だったんだもんね・・・なんかわたし頭の中がこんがらがってるみたい。」

長谷川もこんがらがってるかもしれないが、オレの方がもっとこんがらがってるに違いない。




 いつかはオレもすべてのことを思い出す時が来るのだろうか? その時のオレはどうなっているのか、今は想像することさえ出来ない。


女になる決心をしたオレっていったいどういう人間なのだろうか? それに女になるってどういうことなのだろう。オレにはまだ女になるということが、どういうことなのか良くわからない。それなのにオレのまわりはどんどんオレを女にする方向へと動いているような気がする。そしてそれを心地よく感じ始めているオレがいる。


・・オレっていったい何なのだろう・・・








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