第20話 心機 新しい始まり 初出08.8.21
オレは自分の部屋の姿見の前で制服を着ている。
夏服に変わってから、もう1週間くらい経っていたが、今日はこれまでとは全然気持ちが違っていた。
プリーツの黒いスカート・・・白いセーラー服の上着・・・衿と半袖には白い線が2本縫い付けられている・・・衿の下に折りたたんだ黒い光沢のあるリボンを通し胸元で結ぶ。
これまでも高校に入学してから毎日、同じようにセーラー服を着て、この鏡の前に何度も立った。しかしオレは今日、初めて自分の姿を本当の意味で見た気がした。
これまでのオレは女子校に通うために女のふりをしていたに過ぎない。だがこれからは違う。女になるのが手段から目的へと変わったのだ。これからもオレが女になる努力を続けるのは変わらないが、それはもう女子校に通うためではない。本当の女に近づくためであり、女子校に通うのはそれがオレが入学した学校だからだ。
女になる・・・そう考えると身支度も自然に念入りになってしまう。男とバレなきゃいいというだけでなく、女としてキレイでいたいと思う。ちょっとしたリボンのゆがみさえも気になって結び目を調節した。
だいぶ伸びた髪の毛をとかしながら、まじまじと自分の顔を見つめる。しかし何しろ自分の顔だ、他人から可愛いだのと言われても、どうにもピンとこない。たしかに昔より頬もふっくらし、少しは女っぽくなったような気もするが、それでも可愛いとは思えなかった。髪が長くなっても、ホルモンで女っぽさが出てきても、オレはあくまでオレだ。
そっと制服の上から胸を押さえてみる。ブラジャーとヌーブラ越しにでも、男のころには無かったかすかな膨らみが感じられる。昨日、母の手がふれた時の感覚を思い出し顔が熱くなった。女の子のような声を上げてしまったのを思うと恥ずかしさが込み上げてくる。
腰からお尻の方へと手をずらすと、そこにも以前とは違うふくよかさがあった。しっかりオレの身体に合わせて誂えてもらった夏服は、もはや吊りひもさえ必要なかった。お尻から腰にかけて付いた脂肪がしっかりとスカートをオレの腰へと固定してくれている。
ああ・・・何なのだろうかこの感じは・・・オレはこんなに自分の身体を大切に思ったことはなかった。まるでオレの身体であってオレの身体でないような不思議な感じだ。首から下が見知らぬ女の子の身体のようで、なんだかすごく愛おしい。これは男のオレが感じていることなのだろうか?
ふと気付くとオレの心臓が大きくドクドクと脈打っている。それにともないセーラー服の胸元も大きく上下していた。そうだ、これは紛れもなくオレの身体なのだ。オレは訳も判らないまま手足をこすって自分の身体としての感覚を確かめていた。
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「おはようございます。先生・・・」
オレは学校に着くと、すぐに保健室の白石先生の元へ行った。
「戸田さん?! どう?気持ちは・・・落ちついた?」
「はい・・・だいぶ。」
「そう・・・よかった・・・」
白石先生は心底ほっとしたようだった。
「で、どうする? お薬はもうやめにするんでしょう?」
「いえ・・・実は両親とも相談したんですけど、このまま続けたいと思うんです。」
「えっ?! でも、それだと戸田さんの身体はどんどん女の子に近づいちゃうけどいいの?」
「はい。わたし、あのパッチが女性ホルモンだって知らなかったから驚いてしまったんですけど、このまま薬を続けたら女の子に近付けるのなら、その方がいいと思って。それに今さら男の身体になんて戻りたくない・・・」
オレは最後に自分の口から出た言葉に驚いた。オレはそんなふうに言うつもりだったっけ?
「わかったわ、戸田さんがそのつもりならお薬は続けましょう。」
「ありがとうございます。」
「あら、戸田さんがお礼を言うことないのよ。私はいつでも戸田さんの味方なんだから。これからも困ったことがあったら何でも私に相談してね。」
「はい。」
「あの・・・ひとつ聞いてもいいですか?」
「ええいいわよ、なに?」
「薬を続けると、わたしの身体ってどれくらい女の子に近づくんでしょうか?」
「そうねぇ・・・私も実際には経験ないからはっきりしたことは言えないんだけど、今の年齢ならかなり女の子に近づくはずよ。戸田さんもすでに二次性徴は始まってると思うんだけど、もともとそんなに男っぽくなかったし、これ以上は進まないと思うし・・・それにお薬はじめてからそんなに経ってないのに、もう女の子の徴候も出はじめてるくらいだから、案外早く女性化するかもしれないわ。」
「そうですか・・・」
なんだか聞いていると安心すると同時に、少し不安にもなってくる・・・オレはいったいどんな女の子になるのだろうか?
「え? もしかして女の子っぽくなるには嫌なの?」
「い、いえ・・・嫌じゃないんです・・・女の子になるのは嬉しいんですけど・・・なんか自分がなくなっちゃうような気がして・・・すこし怖いんです・・・」
「そうか・・・そうかも知れないわね・・・でもね、いくら身体が女の子になっても戸田さんでなくなる訳じゃないのよ。あくまで心は戸田さんのままだと思うわ。」
オレの心のまま? それはどういうことなのだろうか? 今のオレのまま身体だけが女になるのだろうか?
女になる決心をしたといっても、今のオレはまだ男のままだと思う。昨日の母の話を聞いた後では、自分が性同一性障害者でないとは言い切れないような気もするが、やはりオレは女はおろか、オネエでもニューハーフでもゲイでもないと思うし・・女装趣味もなかった。確かに今は男の服を着なくなってしまったが、それは女でいるためであり、好きで着ている訳でもなかった。事実オレはまだ一度も女の子の服を自分で買ったことはないし、どんな服が着たいとか思ったこともない。
「わたし・・・ホルモンで身体が女になったら、心も女になるのかと思ってました・・・」
「あら? でも戸田さんは今でも女の子じゃないの。先生は戸田さんが男の子だって知ってるからアレだけど、知らなかったら女の子にしか見えないわよ。」
失敗したと思った・・・オレは心は女でなければいけなかったのだ。それなのに心が女になるとか、ならないとか、心配するべきではないのだった。オレは頭の中がこんがらがっている。
先生はオレが女に見えると言っているが、それはオレが演技をしているからだ。決して自然にそうしている訳ではない。たとえ最近ではあまり考えなくても女の子っぽい言動が出来ていたとしても、それは心から出た言葉でも、心からやった行動でもないように思う。ただそうするように教え込まれ、それが身についてしまっただけなのだ。
「・・ほんとうは・・・わたしの中にも・・・男の部分があるみたいなんです・・・だから心配なんです・・・身体が女になったとき・・・わたしがどうなってしまうのか・・・」
それは控えめではあるがオレの本心だった。設定上は言ってはいけないのかも知れなかったが、今のオレは言わずにはいられなかった。
白石先生はしばらく考えてから口を開いた。
「戸田さんが言ってることは先生にも何となくわかるわ・・・」
先生はオレの手をそっと握った。
「戸田さんはきっと女になったら、完璧な女にならなきゃいけないと思ってるんじゃないかしら?」
「?」
「でもね、生まれた時から女でも完璧な女なんていないと思うわよ。先生だって女で生まれたけど、男っぽいところもいっぱいあるわ。女の子もみんな親から“女らしくしなさい”って言われ続けてやっと女をやってるところもあるの。中には生まれながらに女っぽい人もいるだろうけど、多くの女性は教えられてやってるのよ。」
そうなのか?! オレはそんなふうに考えたことがなかったから驚いた。てっきり女は教えられなくても生まれたときから女っぽいのだと思っていた。
「その点、戸田さんは偉いと思うわ! 男の子らしく育てられても女の子の心を持ち続けていたんだから。」
それは違う! そう思う反面、自分が男として普通に育ってきたのにも関わらず、女になる教育を受けて今では普通に女の子の中で女として生活している事を考えると不思議な気もする・・・母が言ってたように、オレにはもともとそういう素質みたいなものがあったということなのだろうか?
そう考えると、これで良いのかという気持ちにもなってくる。それと同時にオレをこんなに女らしく教育してくれた三吉先生に対して感謝の気持ちを新たにしていた。
「それに女性ホルモンは少しは脳にも影響するかもしれないから、今よりは女っぽい考えになることも無いとは言えないわね。もちろん確証はないし、個人差も大きいみたいだからあまりあてには出来ないかもしれないけど・・・」
「わかりました・・・先生・・・ありがとうございました。わたし、少し気持ちが楽になりました。」
オレは保健室を後にした。もうすぐ授業が始まる時間だ。
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昼休み中庭のベンチでやきそばパンを食べていると長谷川がやってきた。
「有希、昨日は早退したみたいだけど大丈夫なの?」
「あ、うん・・・もうだいじょうぶ。」
「そう・・・良かった。」
長谷川はそう言うとベンチのとなりに腰を降ろした。
「でも有希って本当うかつよねぇ。」
「え?なにが?」
「あんた中学が二中だって言ったそうじゃない。」
「うん・・・それがどうかした?」
「あんた馬鹿じゃないの?わたしまであんたのこと聞かれたんだからぁ!」
馬鹿? なんでオレがそんなふうに言われなきゃいけないんだ!
「それの何がいけないの!」
長谷川と話すと、どうも喧嘩ごしになってしまう。
「だから馬鹿って言ってるのよ!ほんと何考えてるんだか・・・有希は中学の時と同じ名前使ってるんだから、もし卒業アルバム見られたらアウトじゃないの!」
「あ!そうか・・・」
確かにそうだ。アルバムを見られたらオレが男だとわかってしまう!
「ど、どうしよう・・・」
「ほらね。な〜んにも考えてないでしょう? ちゃんとわたしが言っといてあげたわよ。あんたは卒業間際に転校してきたって。」
「はあ?」
何のことだかさっぱりわからない。
「だからぁ、あんたは卒業アルバムの写真を写した後に転校してきたから、卒業アルバムには載ってないの。」
「でもわたし載ってるよ。」
「それは同姓同名の別人だって言い張るしかないでしょう?」
「そんなの通るかなぁ・・・」
「通すのよ!通すしかないじゃない!それとも実は男だって告白するつもり? まあ、わたしはそれでもいいんだけどね?」
長谷川は他人事と思っているのかいやらしく笑った。
「それは困るよ・・・わたしやっと女になる決心したのに・・・」
「決心? なにそれ?」
しまった! 口がすべってしまった!!
「あ〜っと・・・そうじゃなくて・・・やっと女として生活できるようになったのに〜・・・」
あやうく長谷川には関係ないことを言ってしまいそうになって焦った。長谷川は女性ホルモンのこととか知らないんだった・・・
「とにかく言い張るしかないんだからね。後は自分で考えておきなさいよ。」
「え? 考えるって何を?」
「どこから転校してきたかとか、なんで転校してきたかとか、そんな・・もろもろの事よ!」
オレは長谷川に言われっぱなしで自分が情けなく思えてきた。なんだか泣きたい気分だ。オレは思わず長谷川の腕をつかんで懇願していた。
「そんなぁ・・・長谷川さんも一緒に考えてよぉ・・・」
「もうっ!! そんな可愛い顔して頼んでもダメよ! わたしには通用しないんだから!!」
長谷川は怒ったように腕を振り払うとベンチを立った。
「ほんと、ちゃんと考えておきなさいよ。で、考えたらわたしにも教えてよ!ちゃんと統一しておかないと話が合わなくなるんだからね!」
「う、うん・・・わかった・・・」
すっかり意気消沈してしまったオレはそう言うのがやっとだった。
・・なんか・・いろいろ大変なことになってきた・・・