第19話 記憶 オレが知らないオレのこと 初出08.7.18
オレが女になろうと思ったことは、まだ母や麻衣には言わないでほしいと父に言った。オレは自分でちゃんと報告したかった。それは男としてのオレの最後のけじめのようなものだったかもしれない。
夕飯が終り、母と一緒に後片づけをする。父はそうそうに書斎に籠り、麻衣は二階で勉強をしている。なんだか洗いものが少なくなってくると、だんだん不安になってくる。いったい母に何と言ったらいいのだろうか?いくら女子校に行くのは賛成した母でも、オレが女になると言ったら反対するのではないだろうか?
今まで息子だったオレが娘になるなんて親なら反対しても仕方がない。これまでのように、ただ女装するのとは訳が違うのだ。
女になる。本当にそんなことが出来るのだろうか? 時間がたつと自分でも不安になってくる。女性ホルモンで身体は女らしくなれるとはいっても、ちゃんと女になれる保証などない。それにたとえ身体は女らしくなったとしても、本当の女になれるわけではない。オレがなぜ女になろうと思ったのかも、いまだに釈然としなかった。オレはもともと性同一性障害でもないしオネエでもない。ただなりゆきで女子高生になってしまっただけなのに・・・
「どうしたの有希、さっきから黙り込んで。」
「・・・う、うん・・・」
そういえばいつもはおしゃべりしながら洗いものをするのに、今日はずっと黙っていれば不思議に思われてもしかたがない。
「あの・・・かあさん・・・この洗いものが終ったら話があるんだけど・・・・」
「なに? 今じゃだめなの?」
「うん・・・ちゃんと話したいの・・・」
「そう・・わかった。」
母はそれきり何も言わなかった。オレだんだん緊張してきた。
洗いものも終り、リビングのソファーに向かい合わせに座る・・いざ話をするとなるとやっぱり言いにくい。でもこれは言わなければならないことだった。
「かあさん・・・わたし・・・女になってもいいかな・・・?」
「いまさら何言ってるの? 有希はもう女の子じゃない。」
「うん・・それはそうだけど・・・そういう意味じゃなくて・・・」
やはりいざとなると良い言葉が思い浮かばない。
「今は女の子になったっていっても、だだ女の子の格好してるだけじゃない?」
「まあ、そうね・・・」
「わたし・・・女の子の服を着るだけじゃなくて・・・身体も女の子になろうと思って・・・」
オレにはどんなに言いにくくても、打ち明けねばならないことがある・・・
「かあさん・・・驚かないで聞いてね・・・」
なかなか勇気が出ない・・・オレは硬く拳を握りしめた。
「わたしね・・・もう身体が・・・女の子になりかけてるの・・・ごめん・・・ううぅっ・・・」
オレは思わず泣き出してしまった。男として生まれたのに、女になろうとするなんて、なんだか母に対して申し訳ない思いでいっぱいだった。性同一性障害の人が親にカミングアウトする時もこんな気持ちなのだろうか・・・
「かあさん・・・みて・・・」
オレは泣きながら母の前で裸になった。
初めて母のセーラー服を着た時も、母の前で裸になったが、今のオレの身体はあの時のものとは違っている。胸には幼い膨らみはじめた乳房があり、身体つきは大人になりかけた少女のように、女らしい凹凸ができはじめている。
母はしばらく何も言わなかった。しかし、次に口を開いた時、母の口から出た言葉は予想もしないものだった。
「かあさんね、有希が女子校に通うって言い出した時、いつかはこんな日が来るんじゃないかって思ってた・・・」
母はいったい何を言っているのだろうか? オレが女になると言い出すことを予想していたというのだろうか? オレ自身、決めたのは今日だというのに・・・
「有希・・・あなた、もしかして思い出したの?」
「・・・なにを・・・?」
「昔のこと・・・小学校の2年生のころ、この家に引っ越してくる前のこと・・・」
「引っ越し・・・?」
そういえばなんとなく憶えている。オレは小学校低学年のころ確かに引っ越してきたように思う。ただ、はっきりとは憶えていないし、前の家のことはほとんど記憶にない。
「やっぱり思い出したわけじゃないのね・・・ちょっと待ってなさい・・・」
母は寝室に行って何かを持って戻ってきた。
それは数冊のアルバムだった。しかし、それはオレが見たこともないアルバムだった。
「有希は自分の小さいころの写真が無いのを不思議に思ったことない?」
たしかにオレの写真はある時期から極端に少なくなっている。兄と写っている小さいころの女の子の服を着たオレの写真はあるものの、麻衣が生まれてから後は入学とか特別な行事の時の物しかない。麻衣の写真はあるのに・・・
オレは、それは麻衣が生まれてオレへの興味が麻衣へと移ったからだと思っていた。母は女の子が欲しかったのだ、オレは妹が生まれるまでの仮の女の子でしかなかったのだと・・・
「それは・・わたしに興味がなくなったからでしょう?・・麻衣が生まれてから・・わたしはもう女の子でいる必要もなくなっちゃったし・・・」
「有希・・やっぱりそんなふうに思ってたのね・・・そうじゃないかとは思ってたけど・・・」
母は少なからずショックを受けているようだった。
「でもそれは違うわ・・・これをご覧なさい。」
母はアルバムのうちの一冊をオレの方に向けると表紙を開いた。
「・・こ・・これって・・・わたし・・・?」
そこにはオレが見た事が無いオレの写真が貼ってあった。写真のオレは3才よりもずっと大きかったが女の子の服を着ている。なぜこんな写真があるのだろうか?
「な・・なに・・・この写真・・・」
オレは次々にページをめくった。どのページにも女の子の服を着たオレが写っている。しかし、写真は折れてシワだらけのものや、破れているものも少なくなかった。
「どうしたの・・この写真・・・なんで・・・」
母は悲しそうな顔で言った。
「これは有希が自分で捨てた写真よ。」
「わたしが? どうして? そんなの憶えてないよ・・・」
最近オレには抜け落ちている記憶があるように感じていたが、これがそのころの写真だというのだろうか?
「きっと辛すぎて忘れていたのね。あなたの昔の記憶は自分で作り上げたものなのよ。」
「そんな・・うそよ!・・・たしかに・・部分的に憶えてないところはあるみたいだけど・・・」
「有希はかあさんが女の子が欲しかったから、有希に女の子の服を着せたと思ってるんでしょう?」
「・・・うん・・・そうじゃないの・・・?」
「たしかに小さいころはそうだった。生まれる前から、もう女の子用のを用意してたしね・・・」
母はアルバムをめくりながら昔のことを思い出しているようだ。
「でもね・・有希が小学校に入る前にはもう女の子の服を着せるのはやめようと思ったのよ。その必要もなくなったし・・でも男の子用の服を着せるとすぐに嫌がって脱いじゃうの・・・」
オレはそんな話は聞いたことがない。
「あなたも幼稚園に入ったころからは、幼稚園には制服もあったから、なんとか外では男の子の服も着てくれるようになったけど、家の中ではいつも女の子の服ばかり着ていたわ・・・」
そう言いながらも母は困った感じではなく、まるで昔のことを懐かしんでいるようだった・・・
「・・そんなの・・・ぜんぜん知らない・・・」
オレは自分も知らない自分の過去のことを聞かされて頭の中はパニックになっていた。
「・・じゃあ・・・なんで・・・写真を破いたの?・・・なんで・・わたし・・・女の子の恰好しなくなったの・・?」
「そうね・・あれは有希が小学校の2年生のころよ・・・急に友達が家に来ちゃったの・・・あなたが女の子の恰好してるのを見た友達は学校でみんなに言いふらしたのよ・・・それ以来・・・みんなが有希をいじめだしたの・・・」
いじめられた?オレが?
「それはもうひどいいじめだったわ・・・いくらわたしたちが学校に言っても収まらなかった・・・それで有希は自分が女の子の恰好で写った写真を破いて捨ててしまったの・・・」
母はそのころの事を思い出したのか、昔のオレの写真をいとおしそうに撫でている。
「それからよ・・・有希が女の子の服を着なくなったのは・・・よほど悔しかったんでしょう・・・それでも結局いじめはなくならなかったから・・・それで、引っ越すことにしたの・・・」
しかし、それが本当だとしても、オレはなぜ憶えていないのだろうか?
「記憶を自分で作ったって・・・どういうこと・・・」
「この家に引っ越してきてから、あなたは変なことを言うようになったわ。わたしたちも最初は訳がわからなかったけど、だんだん有希が辛いことを忘れるために新しい自分になろうとしてるんじゃないかと思ったの。だから私たちもあなたの話に合わせることにしたのよ。そうして出来上がったのがあなたの昔の記憶なの。」
オレはそれを聞いてもまだ信じられなかった。
「でも・・・何で小さいころの写真は捨てなかったのかな・・・?」
「有友が一緒に写ってるからじゃないかと思うわ。あなた有友兄さんのことが大好きだったから。」
「じゃぁ・・・麻衣との写真は・・・?」
母がアルバムをめくると、そこには麻衣とオレが一緒に写った写真があった。写真のオレたちは二人とも女の子の服を着ていて、まるで姉妹のように見える。しかしオレはどの写真でもしかめっ面をしている。
「有希は麻衣のことがあまり好きじゃなかったから・・・麻衣と写ってる写真は捨ててしまったのね・・・大きくなってからの写真だということもあるとは思うけど・・・あなたは麻衣が生まれたせいで自分が女の子でいられなくなったと思ったみたいだったから・・・」
自分が一緒に写っているからといって麻衣の写真まで捨ててしまったなんて、オレはなんて自分勝手なのだろう。オレは麻衣に対してなんてことをしたのだろうか・・・
「・・・うぅっ・・・わたし・・・麻衣に・・・なんてヒドイこと・・・」
オレは自分のしたことが許せなかった。そういえばオレは男のころはちっとも麻衣を可愛がってなかった気がする。あんなに可愛い妹を嫌っていたなんて・・・
「・・・わ・・・わたし・・・うぐっ・・・なんで・・・」
「有希・・・」
母はテーブルを回ってオレの横にくると裸のオレを抱きしめた。
「有希・・・もういいのよ・・・自分を責めちゃダメ・・・小さい有希には堪えられないことだったの。だからわたしたちも、あなたに話を合わせてきたのよ。」
「・・・でも・・・でも・・・」
母はさらにきつくオレの身体を抱きしめてくれた。
「いいの・・・もう過ぎたことなのよ・・・今は有希もこうして本来の自分になる決心をしたんでしょう?」
「・・・本来の・・・自分・・・?」
「そうよ・・・有希はずっと心の奥では女の子になりたかったんだと思うわ。」
「・・・そんな・・・」
オレにはまだ良くわからなかった。自分のことなのに全然わからない。
「もう無理しなくていいのよ・・・あなたはずっと男になろうと無理してた・・・今の有希はずっと素直になったじゃない・・・」
そういえばオレは家族といつも少し距離を感じていた。自分でもそれが何なのかわからなかったが、オレは男でいようとして自分自身に閉じこもっていたのだろうか・・・
「かあさんね・・・このごろ有希と麻衣が仲良くしてるの見て嬉しかったのよ。ものすごく嬉しかった・・・あなた良いお姉さんになったわね。」
「・・ううぅっ・・・うぐっ・・・」
オレは泣きじゃくっていた。オレは麻衣のことが大好きだ。その気持ちはずっと昔から同じだったと思う・・・だが男のころのオレはその気持ちを表すことが出来なかった。もしかしたら女の子でいられる麻衣に嫉妬していたのかも知れない。今は姉妹になってやっと自分に素直になれるようになったのだ。
「有希・・・麻衣にはまだこのことは黙ってなさい。」
「・・ど・・・どうして・・・」
「麻衣はまだ子供よ、もう少し大きくなるまでこのままにしておいた方が良いと思うの。今のあなたくらいになったら・・・その時、有希にも心の準備ができてたら告白すればいいわ。」
そうか・・・今のオレでもなかなか自分の知らなかった過去を受け止めきれずにいる。麻衣がそれをどう思うかわからない・・・
「うん・・わかった・・・」
麻衣には、今はまだこの状態を続けた方がいいのかも知れない。
「でも・・・有希、このごろきれいになったと思ってたら・・・こんな訳があったのねぇ・・・」
母は裸のオレを見てそう言った。
「もっともっときれいになると思うわ。」
母はオレのまだ小さな胸にそっと触れた。
「・・あっ・・・」
思わずオレの口から恥ずかしい声が出てしまった。まるで女の子の声みたいだ。
「あ、ごめんね。なんだかあんまり初々しかったから・・・」
オレは母にふれられて、自分の胸がこんなに感じるのを初めて知った。オレはたぶん真っ赤になっていると思う。顔が熱くてたまらない。
「かあさん・・・わたしも・・・かあさんみたいに美人になれるかな・・・」
母はオレの頭をくしゃくしゃにして言った。
「なに言ってるの!有希はわたしが若いころよりずっと可愛いわよ。」
オレは母に抱かれてすごく幸せな気持ちになっていた。その気持ちを感じているのが男のオレなのか女のオレなのか、それはオレ自身にもわからなかった。
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ATから
この話では作品の都合上、白石先生のおっちょこちょい?のせいで女性ホルモンを投与されてしまいましたが、通常は医者が勝手にこんなことはしませんし、当人の希望があった場合でも、未成年に対し親の同意もなく女性ホルモンを投与することはありませんのでご安心ください。