第6話.回避 《ティナ》
「どうしよう……」
自分の部屋で独り、私はため息をついた。
考え事をしたいという理由で使用人さんたちには部屋の外に出ていてもらっている。 不幸中の幸いというかティルリアーナもたまに1人になりたがったことがあったようで、1人になりたいと言っても誰も疑問は持たなかったみたい。
「あぁ、ティルリアーナ・イル・リリトア……と言うか1週間前の私、本当にバカだよ〜!」
頭を抱えながら、机の上に蹲る。 ガタンとティーカップが音を立てたけれど、それどころじゃない。
溢れなければセーフだし、今はマナーどうこうを気にする必要もない。
「このままじゃ、破滅エンドに向けて真っしぐらじゃん」
今は、私が9歳の春。 ティルリアーナ・イル・リリトアが破滅を迎えるのが、2年生の春だから17歳の春ということになる。
ってことは、猶予はまるまる8年か。 長いようにも見えるけど、ワガママ放題で進んできた9年間よりも短い。
早めに行動を起こしておいて損はない。
そして残念なことに、私としての意識が目覚める前のティルリアーナの記憶は断片的にしかない。 家族関係とか、この世界の常識とかが分かる程度で、他のことはイマイチ分からない。 だから、ゆっくりと現状を把握していきたいところではある。
「とは言っても、いつまでも具合が悪いって押し通すわけにもいかないしなぁ……」
私がティルリアーナ・イル・リリトアとして目覚めたのは今から1ヶ月くらい前。
それまではごくごく普通の社会人だったはずだ。
それなのに目が覚めたら私はティルリアーナ・イル・リリトアになっていた。 よくあるテンプレートみたいに、事故とかで死んだ記憶もない。
ティルリアーナ・イル・リリトアは私がハマっていた乙女ゲーム『魔法使いと真夜中のキス』に出て来る悪役キャラクターだった。
名門リリトア公爵家の娘であり、王太子───アルフォード・イル・ローレンシアの婚約者。 その身分を傘に好き勝手振舞っていた。 アルフォードは初めは彼女との婚約を受け入れ、お飾りの王妃に据えるという覚悟を決めていた。
しかもただのプライドの塊かと思いきや意外と悪知恵も働いて、主人公や攻略キャラたちになかなか尻尾を掴ませなかったという厄介な悪役令嬢だった。
まぁ、最終的には悪事の数々がバレて学園を追放、婚約を破棄された上に公爵家に軟禁されて、 絶望した彼女は自ら命を絶ってしまうんだけどね。
最後が自殺とはいえ、そんな結末はごめんだ。
できるならば普通に学園を卒業して、学園で出会ったどこかの貴族の次男あたりと恋愛結婚をして、そして幸せな家庭を築いていきたい。
だから私は『マジキス』……あ、魔法使いの英語がマジシャンだから、『魔法使いと真夜中のキス』を略して『マジキス』ね。
本当は『マホキス』ってなるのかもしれないけど、語呂が悪いから『マジキス』が定着していた。 それに、『本気のキス』みたいな意味にもなっていい感じだっていうのも理由だと思う。
……なんの話だっけ?
あ、そうそう。 私は平穏無事な生活を送るためにも、マジキスのキャラクターとは関わらずに生きていきたい。
身分的に完全に関わらないのは難しいだろうけれど、マジキスの舞台になった学園にはこのローレンシア王国だけではなくて、周辺の他の国からも学生が通っているという設定だった。 おかげで生徒数はなかなか多いから、顔見知り程度というくらいには減らせると思う。
そもそも、ヒロインちゃんは平民枠で入学して来るはずだから、こちらから積極的に関わろうとしなければ話す機会もないだろう。
まず当面の問題は────
コンコン
「あ、はい」
ノックの音に反応して慌てて顔を上げる。
「ティナ、私よ。 入ってもいいかしら?」
「は、はい。 もちろんです、お母様」
返事をしながら大急ぎで手櫛で髪を整えていく。
顔の左右の縦ロールがピョンピョンとバネみたいに揺れているけれど、これはクセ毛だからいつも通り。
「具合はどう?」
「もう、大丈夫ですわ」
実際に具合はもう悪くない。
むしろバッチリ睡眠をとっているし、三食栄養のとれた食事を食べているから健康そのものと言っていいと思う。
お母様は私みたいな子供がいるとは思えないくらいに若くて、そしてとっても綺麗だ。 学園の制服を着ればまだ先輩キャラとかで登場してもおかしくないと思う。
早い話が、17歳の時点のティルリアーナと見た目に大きな差がない。 雰囲気とかが大人っぽいかなっていう感じ。
「部屋にいるばかりで少し退屈なくらいですわ」
念のためのいうことで、部屋からは出ないように言われている。 トイレもお風呂も部屋に備え付けてあるし、食事は使用人さんが運んできてくれる。
……なんだこのヒキニートのための部屋は!?
こ、こほん。
とにかく、私は暇を持て余しているのだ。
情報収集をするにしても部屋の中だけではやっぱり限られちゃうし。
「アルフォード殿下がお見舞いに来たいとおっしゃっているのだけれど」
「こ、こほんこほん。 やっぱり、あまり良くありませんでした。 王太子殿下には、体調が悪化したら良くないのでもう少しお待ちくださいとお伝えください」
あぁ、頭もクラクラしてきた〜というように額に手の甲を当てる。
私の当面の問題。 それはアルフォード・イル・ローレンシアとの婚約について。
彼は当然ながらマジキスの登場人物なんだよね。 と言うか、メインキャラクター。 攻略対象キャラなのは言うまでもないけど、ゲームの表紙に描かれていたキャラクターっていう……。
ハチミツのような少し濃いめの金色の髪に、夏の空ような鮮やかな水色の瞳のいかにも〜な王子様だ。 始めは爽やかで優しい完璧な王子様なんだけど、物語が進むにつれて彼の弱い部分とか人間らしい部分が見えてきてこれがもう……!
ま、まぁ、とにかく。
ああいうイケメンは嫌いじゃないし、むしろ好きだけど、それはあくまでも二次元での話。 リアルでも色々な人に手を出すとかあり得ないし、イケメンだってお断りだ。
だって、イケメンってことはそれだけ人気も高いってことで……。
いわゆるトラブルほいほい。 作中ではティルリアーナしか描かれていなかったけど、それはたぶん彼女が周りの女の子たちを蹴飛ばしていたから。
私にそんな能力はありません。
てか、そもそも争う気はありません。
全ての外側から他人事として傍観させていただいます。
そこまでアルフォードにこだわる理由もないから、良からぬ事態を招く存在には近寄らないのが吉。 触らぬ神に祟りなしだ。 ……少し違うかな?
「あのね、ティナ」
「な、何でしょうか?」
嘘が見破られたかと身構えたけれど、お母様の表情は私の嘘を咎めるような厳しいものではなかった。
それはそれで逆に怖い……。
「アルフォード殿下との婚約が嫌になったのなら、遠慮をしないで言ってくれてもいいのよ」
「………へ?」
予想だにしない言葉に変な声が漏れた。
『言っていいのよ』って言っておいて聞くだけってオチはないよね?
私が嫌だって言ったら、アルフォードどの婚約をどうにかできるってこと……?
「あの人───お父様には、立場というものがあるから直接口に出すことはできないけれど、あの人も貴女の幸せを心から願っているわ。 もしも、アルフォード殿下との婚約が嫌になったなら、なかったことにすることも出来なくはないのよ」
「………本当?」
お母様……。
私いま、本当に泣きそうです。
「えぇ。 ゆっくりと考えてみてね」
そう言いながら、お母様はよしよしと私の頭を撫でてくれた。
……………あ、いけない、涙が。