第19話.逃亡生活
王都を抜け出してから、1週間───7日もの時が過ぎた。
僕たちはいま、王都から南東に400キロメートルほど進んだ先にある街道を二頭の馬に跨って進んでいた。
途中の街で身元が特定されかねないものを除いた宝飾品を売り払い、路銀へと変えた。 やたらと目立つ服装から、旅人のそれへと変えたことで僕たちは他の人たちに紛れ込むことに成功した。
途中の街で馬を二頭買い、それに必要最低限の野営道具などを乗せて走った。 人数が3人なのに馬が二頭なのは、ティナが1人では馬に乗れないからだ。
だからティナは僕の後ろにしがみつく形になっている。
これが役得というやつか……。
と、とにかく。
このままのペースでいけば、あと1週間ほどでゴンドワン王国に入ることができるだろう。
陽がすっかり落ち、光属性魔法なしでは足元の確認が難しくなってきた頃で後ろから欠伸が聞こえた。
「大丈夫、ティナ?」
「うん……」
チラリと振り返ると、重たい瞼に抗おうとしているティナの姿があった。
俺たちに迷惑をかけないように必死に眠気をこらえていたのだろう。 でも、いい加減限界らしい。
1日に12時間近くも馬に揺られていれば仕方がないことだけど。
「今日はここで野営をしましょうか。 幸い、森がすぐ近くにありますし」
「そうだね」
暗闇の中でこれ以上進むのは危険だし、僕たちだけでなく馬も疲労が溜まっている頃だ。
あまり急ぐあまりに馬を潰してしまっては余計に進むのが遅くなってしまう。
近くにあった森の中に入り、手頃な木に手綱を結びつけておく。 その後に麻の袋の中から簡単な布団代わりの布などを取り出した。
「それでは私は食料を探して参ります。 殿下は警戒の魔法をお願いいたします」
「分かった」
森の中に消えて行くレイチェルを見送ってから、僕は魔法の連続使用に入る。
「《ワーニング》、《ブリーズ》、《スパーク》」
ワーニングは、定めた範囲内に部外者が侵入してきた時に知らせてくれる魔法だ。 魔物や野獣対策として旅人の間で広く用いられている。
ブリーズはそよ風を起こす魔法。 それを使って僕は落ち葉や枝を集めてワーニングで定めた範囲の真ん中に枯葉の山を作った。
そして、スパークで火花を起こし枯葉に火をつける。 これで野営の準備は整ったと言っていいだろう。
軽く体を伸ばしてから、僕は手頃な倒木に腰を下ろした。
今まで黙って見守ってくれていたティナも続いて僕の隣に腰を下ろす。
パチパチと枝の爆ぜる音が聞こえ、あたりをぼんやりと照らしている。
「あのさ、アルフ……」
枯葉が燃えていく様を眺めていると、ティナがおもむろに口を開いた。
目線でそれに答えると、言葉が続いた。
「私たち、これからどうなるのかな……」
それはティナが心の内に秘めた不安だった。
ティナはこれまで泣き言ひとつ言わずについて来てくれた。
そんなことを考えている場合ではなかったというのもあるだろう。 けれど、迷惑をかけないように不安を押し殺してくれていたのは間違いない。
ティナは強い。
魔法でなく心が。
死体の山を見ても動じることなく、自身が開発した魔法道具で黒いローブの男を足止めし、僕も知らなかった隠し通路を示してくれた。
僕は何もできなかった。 死体に慄いて、レイチェルと男との戦いにおいてもただ見守ることしかできなかった。
でも、ティナは自分の持てるものを最大限に生かすことができた。
だからだろうか。
僕は無意識のうちにティナのことを放ったらかしにしてしまっていたのかもしれない。
ティナの心に気がついてあげられなかった。
「お父様ともお母様とも連絡がつかないし……。 このまま、逃げ続けるしかないのかな……」
「大丈夫、きっとみんな無事だよ。 公爵たちにも優秀な護衛の人たちがついてるんだからね。 だから生きて公爵たちに会えるように、僕たちも生き延びないと。 ね?」
「そう、だね……」
僕にはそう言うことしかできなかった。
ティナの求めている言葉はこれじゃない。 そう分かっているのだけれど、他に言葉が見つからない。
他の人たちが生きているかどうかは分からない。 でも、希望がないわけではないけれど、まず絶望的だろう。
僕とティナは運が良かっただけなんだ。
ティナが隠し通路のことを知っていたのも、その隠し通路の近くに逃げることができたのも、隠し通路から出て敵に見つからなかったのも、近くの村で足の速い馬を手に入れられたのも。 そしてこうして、見つかることなく逃げ延びていられるのも。
────出来すぎている。
レイチェルでも苦戦させられる相手がそう簡単に見逃してくれるだろうか。
奴らはあの暗闇の中でも確実に人々を仕留めていた。 それも違うことなく首筋を一撃でだ。 そんな相手が煙や光だけで僕たちを見失うなんてことがあるだろうか。
確かに一瞬視界を奪われたところに爆属性の魔法道具を使われたのだから、追いかけることができないほどの深手を負った可能性もある。
でも、あの男がそう簡単にやられるとは思わない。
まるで、意図的に逃がされたんじゃないか。
そう思ってしまう。
「お待たせいたしました」
レイチェルが野ウサギを持って来てくれたことで、その話は打ち切りになった。
それを解体して、焚き火で焼いて食べた後、僕は口を開いた。
「これから、ゴンドワン王国に向かおうと思うんだ」
ゴンドワン王国はローレンシア王国の南にある大国だ。
その土地の大半を鬱蒼とした森に覆われた国で、ローレンシア王国よりも魔物の数が多い。
「国内で身を潜めるのではなく、ゴンドワン王国にでございますか?」
「うん。 いまの逃亡生活はティナにとって大きなストレスになってるんだ。 国内にいる限り、奴らから逃げ続けないといけない。 でも、他国に逃げてしまえば奴らだってそう簡単に手を出すことはできないと思う。 国を取り返した暁にはローレンシアはゴンドワンの傘下に入るという盟約を結び、助けを乞うべきだと思う」
黒幕が誰なのかは分からない。
でも、軍隊が動いたという話を聞かないから、ゴンドワン王国がローレンシア王国を征服するために攻撃を仕掛けて来たという線は薄いだろう。
30年ほど前にローレンシアとゴンドワンは壮絶な戦いを繰り広げた。 けれどその後は両者は平和協定を結び、互いに不可侵の盟約がなされている。
「ですが、彼らの手腕を見るにゴンドワン王家に匿っていただいたとしても、安全だとは思えません。 それに、黒幕がゴンドワン王国だという可能性も完全には否定できません」
「確かに、そうだね……」
彼らはローレンシア王国の精鋭よりも強い。
それはゴンドワン王国においても同じだろう。 何より、奴らが次にゴンドワン王国を狙わないという確証もない。
それに、ゴンドワンが黒幕なのだとしたら、そこの王家に助けを乞うのは自殺行為だ。 愚か者以外の何者でもない。
「これはあくまでも、進むことができる道の一つなのですが」
そう区切ってから、レイチェルは言葉を続けた。
「ゴンドワン王国には“冒険者”と呼ばれる職業があります。 ゴンドワン王国では、魔物の駆除などを民間に任せており、その代わりに冒険者はそのランクごとに国から様々な恩恵を受けられるんだとか」
「僕も名前だけなら知っているよ。 Sランクともなれば大国でも無視できない存在になると」
その代わり、Sランクの冒険者なんていうのは一握りしかいない。 その上、金も名誉もあるもんだから国に縛られることを嫌って好き勝手生きているのがほとんどらしい。
でも、その強さは1人で戦争の優劣を覆すほどだと言われている。 亡くなった祖父クラスの化け物ということだ。
「その通りです。 そして、誰でも冒険者になることができます。 たとえ身元が不明であろうとも。 また、冒険者になるだけで身分証明書を手に入れることも可能です」
「つまり、ゴンドワン王国で冒険者になり、偽名で身分証明書を作るということかな?」
「その通りです。 身分証明書と収入があれば、生きていく上で困ることはないでしょう」
「そうだね……。 今はその方向で行こう」
まずは体制を立て直す。
そして力を溜めて、ローレンシア王国を取り戻す。
復讐を決意した僕は、爪が食い込むほどに拳を強く握った。




