第17話.黒いローブの男
「王太子殿下とリリトア公爵家の娘か……」
黒いローブに身を包んだ男は、死体の中でそう呟いた。 男だと判別できたのは単純にその声が低かったからだ。 魔法で声を変えているのか、奇妙な声だったけれどそこだけは判断することができた。
でも、男は他の奴らと同様にゆったりとしたローブを着ているせいで顔も体型も分からない。
「《三重防壁》!」
男の姿を視界に捉えてすぐに、レイチェルが魔法を唱える。 瞬間、僕たち3人を覆うように三重の防御壁が生まれた。
理由はまだ解明されていないけれど、魔法は名前を口に出した方が安定すると言うのが数々の実験で立証されている。 使用した魔法が相手にも知られてしまうと言う欠点はあるけれど、知られてもいい魔法ならば唱えた方が威力がはるかに高まる。
つまり、奴はレイチェルが本気で挑まないといけない相手ということだろう。
「《電撃》!」
バキバキと耳を劈くような轟音とともに、光の筋が枝分かれしながらローブの男に迫る。 雷属性の中級魔法、《電撃》は空から落ちてくるものと同じ雷を1つ飛ばす魔法だ。
あたりはまるで昼間のように明るくなり、目も耳も塞がざるを得なくなった。
「あなた達の目的はなんですか! 国家の転覆ですか! それとも、革命ですか!」
レイチェルの声に恐る恐る目を開けると、周囲は再びの闇に包まれていた。 そんな中でも、ローブの男は先ほどと変わらずそこに佇んでいた。
それはまるで先ほどの魔法がなかったかのようですらある。
そう思った次の瞬間、男が目にも留まらぬ速さでこちらに突っ込んで来た。 手には血塗れのナイフを持っており、無駄のない動きでこちらに振るってくる。
ナイフがぶつかると、一番外側の防御壁がまるでガラスのように砕け散り霧散した。
「くっ……!」
レイチェルがわずかに顔を歪めるけど、同時に2枚目の防御壁の外側で爆発が起こる。
ローブの男は慌てて飛び退いたようだ。 それでも、爆発には巻き込まれたらしく、ローブのいたるところが破れている。
「流石は王家直属の護衛か……。 壁と壁の間に罠を仕掛けていたとは……」
そう呟くなり、男は両手に持ったナイフをぶつける。 すると、地面が揺れるほどの衝撃波が辺りを襲った。 地面が抉れ、土や石が濁流となって迫り来る。
今のは、音属性の魔法だろうか……。
ぶつかったナイフから発せられる音を媒介にして、その音の大きさを破壊力を持つレベルまで底上げしたらしい。
けれど、レイチェルの防御壁はヤワじゃない。
ナイフのように一点に集中して力が加わると砕けてしまうけれど、全体に均一に力がかかる分にはある程度なら耐えられる。
「ふむ、意外と硬いな……。 その若さで次期国王の護衛を任されるだけはあるか……」
男はどこから取り出したのか、もともと手に持っていたものと同じナイフを複数個投げつけてくる。 そのどれもが正確な軌道を描き、全く同じ場所に命中する。
数瞬ののちに2つ目の防御壁が砕け散ってしまった。 1つ目の時と同じように爆発が起こったけれど、床に散らばろうとしていたナイフが吹き飛ばされただけだった。
レイチェルの防御壁は決して弱くない。 むしろその硬さと器用さは国内でもトップクラスだ。
彼女レベルの防御壁ともなると、下手な城壁などよりもはるかに強固だと言われており、優秀な防御壁を使える人のことを『城壁魔導師』と呼ぶことさえあるのだ。
「……っ! 《五重防壁》!」
残す壁が1つとなってしまったことで、レイチェルが新たに壁を作り出す。
今度の枚数は先ほどよりも多い5枚。 しかし、向こうにそれを破る方法が存在する以上、ただの時間稼ぎにすぎない。
「《土塊の双竜》!」
僕が不安に感じた時、レイチェルがもう1つの魔法を発動した。 すると左右の地面から全長20メートルはあろうかという土で出来た竜が地面を割って顕現した。
双竜はまるで意思を持っているかのように動き、その巨大な口で男を捕らえとする。
「ほぅ……。 上級魔法の連続使用か……。 しかもなかなか硬い」
双竜の攻撃を避けながら男が口にし、先ほどと同じようにナイフの衝撃波を放った。 双竜はの片割れはその顔が吹き飛ばされたけれど、次の瞬間にはまるで植物のように頭が生えて来た。 そしてそのまま、痛覚を持たない双竜は怯むことなく男を追い詰めようとする。
「殿下、今のうちに!」
レイチェルは叫んで、僕とティナの手を取って来た道を駆ける。
あの男は強い。 倒すという手段を捨てて、逃げることに専念したのだろう。
「させると思うか……?」
後ろで爆発が起こった。
振り返ると双竜はその原形を留めない程に破壊されており、再生するほどの魔力も残されていないようだった。
いくら土で出来ているからといって、無限に再生できるわけではないのだろう。 おそらく、注ぎ込まれた魔力の分だけしか再生できない。 そのため、大きなダメージを負えば再生ができなくなってしまう。
男は僕たちの進もうとしていた道の真ん中に立ち、ゆっくりとこちらに歩いて来る。
「くっ!」
唇を噛みながら、レイチェルが両手を前にかざす。
レイチェルは強い。
でも、あの黒ローブはもっと強い。
今は拮抗しているけれど、長期戦になったらこちらに勝ち目はないだろう。
何よりも、レイチェルの防御壁をナイフだけで破っているのだ。 このままでは魔力の消費量的にレイチェルが先にバテる。
何か……できることはないだろうか。
いや、悔しいけれどレイチェルが苦戦する相手なんだ。 僕が出ていったところで足手まといにしかならない。
ここはレイチェルを信じて大人しく……
「アルフ、レイチェルさん、走るよ!」
「ティナ!?」
さっきまで一言も言葉を発していなかったティナが、僕とレイチェルさんの手を取って走り出した。
「どちらへ向かうおつもりなのですか!?」
「いいから私について来て!」
レイチェルの問いかけをそう切り捨て、振り返ることもせずにティナは走る。
けど当然、奴だってみすみす見逃してくれることはない。
「何度やっても変わらん……」
「ふっふっふ、それはどうかなっ!」
自信満々に笑ったティナは、ドレスのスカートの内側から4つの金属のボールを取り出した。 ボールとは言っても完全な球体ではなくて、様々な凹凸が目立つ。
それに魔力を込めたかと思うと、ティナは勢いよくそれを後ろに投げた。
「これは……煙か……」
地面に落下したボールは、いくつかは空気が漏れるような音とともに真っ白い煙を吐き出し、またいくつかは目も眩むほどの光を放った。
続いてさらにいくつかのボールをティナは投げつける。
今度投げられたボールは、地面に着くと同時に爆発した。
「ぐっ……!」
「いまのうちに!」
男の苦しむ声が聞こえたけれど、男の生死を確認することなく、僕たちはティナの後を追った。