第9話.アルフォード目覚める
「だって、婚約破棄の申し出を僕は受け入れるつもりはないからね。 何の問題もないよ」
僕が笑顔で宣言をすると、ティルリアーナはわけが分からないといったように凍りついた。
ふふっ。 ぽかんと開かれた口がなんとも可愛らしい。
甘いお菓子を放り込んでみたらどうなるだろうか。
「…………ど、どうして!?」
僕の手は振り払われ、ティルリアーナに思いっきり距離を取られてしまった。 驚いたせいだとしてもやっぱりショックだ。
僕はティルリアーナに好意を寄せている。
まぁ、早い話が俺はティルリアーナが好きだ。
ティルリアーナを僕のものにしたいと思うし、守ってあげたいと思っている。
だから、たとえ本人がなんと言おうと逃がすつもりはない。 幸運なことに、ティルリアーナも僕のことを気に入ってくれているからね。
そのための障害になるものは全力で排除してみせる。
「君が王妃という立場に対して重責を感じているというのはよく分かった。 でも、そこまで気負う必要はないよ。 君が王妃になるのは、少なくとも今から20年は先の話なんだ。 それまで時間はいくらでもあるから、心の準備をする時間も勉強をする時間もまだまだたくさんある。 それに────」
明らかに僕のことを警戒しているみたいだけどティルリアーナの側に寄り、その耳元にそっと口を寄せる。
「何かあったら、僕が君を守るよ」
「ふぎゃっ!?」
溶けるように甘い、囁くような声。
意識せずともそんな声が口から出てきた。
……なんだか、まるで詐欺師か遊び人みたいだね。
対するティルリアーナは顔を真っ赤にして両耳を手で押さえている。
プルプルと震える様は庇護欲をそそられると同時に、イジメてやりたいという気持ちにもさせられる。 ティルリアーナを害する全てから守り、そして二人の時は存分に遊んであげよう。
あぁ、なんて可愛らしいのだろうか。
「にゃ、にゃにをしてるん……!」
涙目で訴えかけてくるティルリアーナだけど、わざとそれをスルーする。
このままイジメてあげたらさすがに嫌われてしまいそうだ。 いまだって警戒心剥き出しでこちらのことを睨みつけているし。
「君は1人じゃない。 君が王妃になった時、隣には僕がいる。 困った時には僕が助けるし、困ったことがあったら僕を頼って欲しい。 もちろん、僕以外にも助けてくれる人はたくさんいるしね」
王妃の負担が多いのは紛れも無い事実だけれど、それを踏まえて王妃を補助する人はちゃんと存在する。 夫である国王はもちろんだけれど、王妃を補助する専門の役職もある。
それに王太子の婚約者となれば、将来の負担を減らすべく若いうちから専門の教育がなされる。 ただ、それに関しては公爵家という彼女の家柄的に、すでに受けているものがほとんどだ。 今から負担が増えるわけじゃない。
「これでもう心配事はないかな?」
そう問いかけると、ティルリアーナは何か言い訳を探すように斜め上へと視線を動かした。
表情が顔に出やすいというのは政治に関わる者としては問題だけれど、婚約者にするなら可愛くて癒されるね。
「わ、わわ、私は殿下の思い通りに動く人形にはなりたくないんです!」
「ふぅん?」
僕の思い通りに動く人形、ねぇ?
ティルリアーナの言葉に引っかかるところがあったけれど、今はあえてそれを指摘せずに続きを話させることにした。
「殿下は、国内の貴族のパワーバランスと私が単純な性格なので殿下の思うように制御しやすいから婚約者として私を選んだんでしょう。 でも、私にだって意思はあります。 殿下の思うように動く傀儡にはなれません。 申し訳ありませんが、他の方を探してくださいませ」
「それは君のお母上に聞いたのかな?」
きっと、あの人が自らティルリアーナに話すことはないだろう。
なんだかんだであの人は娘に甘い。 ティルリアーナにそんな残酷なことを教えたりはしない。 だとすると、ティルリアーナ本人が気が付いてお母上に尋ねたということだね。
そう考えて質問をしたのだけれど、ティルリアーナは頭にクエスチョンマークを浮かべながら首を傾げた。
「……? いえ、わたくしが自分で考えたことでございますわ」
さらっと答えたティルリアーナに、僕はとっさに声を返すことができなかった。
いま、この子はなんて言った……?
考えた?
自分で?
どうしてわかった?
いや、僕の考えを見透かすこと自体は不可能ではない。 実際にリリトア夫人は僕の考えを一度会っただけで見抜いてしまった。
けれど、それは僕と夫人の間に大きな差があったから。
僕とティルリアーナの間には大きな差はないはずだ。
むしろ、僕の今までの見解ではティルリアーナの方がはるかに下だった。 プライドの塊で、思考回路も単純。 彼女の思考を予測するのは簡単なことだった。
だからこそ僕はティルリアーナを糸で操るつもりだったんだ。
でもティルリアーナは、僕の予想をはるかに上回っていたらしい。 どうして僕との婚約を急に拒み始めたのかも、いつどこで僕の考えに気が付いたのかも、さっぱり分からない。
「ふふふ、そうなんだ」
「ど、どうなさったのですか……?」
思わず笑い声がこぼれてしまった。
正直に言うと、僕はティルリアーナのことを愛玩動物のように扱うつもりだった。
可愛がって、愛して、存分に甘やかしてあげようと思った。 彼女を僕の思い通りに動かすためではなく、僕がそうしたいからそうしようと思った。
僕のことを愛してくれればそれで十分だったから。
「どうやら君は最高の女性だったみたいだ。 初めて会った時、単純でプライドの塊のような女だと思ったことをどうか許してほしい」
ティルリアーナとの距離を一気に詰めて、そっと抱き寄せる。
初めて出会った時は気分が悪くなるほどの甘ったるい香水の匂いがしたけれど、今は清廉な香りがする。 あとこれはお菓子の香りだろうか? ほのかに甘い香りがして、思わず食べてしまいたくなる。
「で、殿下!?」
「ますます君を逃したくなくなった。 そうだよ、僕は君を政治の表舞台に出すつもりはなかった。 言ってしまえば形だけの王妃だ。 でも、どうやら僕の予想は間違っていたらしい。 君はとても聡明な女性だ。 これから先、僕のすべてを君に捧げると誓うよ」
ソファを降りて跪き、その白くて滑らかな手を取り唇を落とす。
これは本来、騎士が主に対して忠誠を誓うための行為だ。 僕はそれを『守るべき者のために命を賭ける』というところにかけて行った。
「〜〜〜!」
チラリと上目遣いにティルリアーナの様子を伺うと、茹で上がりそうなほどの顔を真っ赤にしてプルプルと震えていた。
ははは、なんて可愛らしい。
頭は回るのに、なんて純真なのだろうか。
あぁ……。 この子を僕の色に染めてやりたい。
「今はまだ混乱しているだろうから、今日のところはこれで失礼するね。 気持ちの整理がついたら改めて会おう。 いい?」
頬に手を当てて問いかけると、ティルリアーナはぶんぶんと首を縦に振った。
「え、えぇ、えぇ!」
ふふふ、顔を真っ赤にしてなんども首を縦に降る様は、まるで何かのオモチャのようだね。
とにかく、次に会うことの了承も得た。
婚約解消の件もひとまず水に流せたと考えていいだろう。
これから存分に甘やかしてあげないとね。