間章 次郎と柚香③
居間で子供たちと遊びながら次郎は実家にいる家族のことを考えていた。最近父親の様子がおかしい。起きていても以前のように部屋から出てこず、襖を少し開け遊んでいる末姫をじっと見ていることが多い。その様子を千里眼で見た時、そこに何か狂気じみたものを感じて次郎は寒気がした。何かやばい。何かがおかしい。でも、毎日姉が実家には通っている。姉だって父の異変には気が付いているはずだ。何かあるようなら姉が何とかするはずだ。そんなことを思いながら、次郎は自分の中の不安感から目を逸らした。でも頭の中でずっと警鐘が鳴っていた。何か悪いことがが起こる。そんな気がしてならなかった。
「とうたま、だいじょうぶ?」
「いたたいの?」
子供たちにそう訊かれて次郎は大丈夫だよと笑った。気持ちを切り替えて子供たちと目いっぱい遊ぶ。そうして遊び疲れた子供たちの寝顔を見て、次郎はため息を吐いた。
「今、またご実家の様子を見ていたでしょ?」
柚香にそう言われて次郎は苦笑した。
「父さんの調子が悪くてな。でも姉貴が毎日通ってるし大丈夫だろ。」
そう言いつつ妻にじっと見つめられて、次郎はため息を吐いた。
「四郎はともかくさ、末姫はまだ子供だから誰かのところに引き取った方がいいんじゃないかなって思ってさ。姉貴がいない間に何かあっても困るしさ。まぁ、毎日通ってる姉貴の方が現状よく解ってるだろうし、姉貴だって何かしら考えてるだろうし、俺がしゃしゃり出ることじゃないけどな。」
そう言う次郎に柚香は優しく微笑んだ。
「心配なら少し顔を出して来ればいいのではないですか?末姫様の事もちゃんと一姫様と話し合った方がいいと思いますよ。」
そう言う柚香に次郎は、いやいいよと言った。
「姉貴はどうせ俺の話なんて聞かないし。」
そうやって頑なに実家に行くことや姉と話すことを拒む次郎の頭を柚香は優しく撫でた。
「まったく、わたしの旦那様は小さな子供みたいですね。いつまでも意地を張っていてもいいことなんてありませんよ。」
そう言われて次郎は目を伏せた。千里眼で実家の様子を見る。毎日通っているとはいえ、姉も一日中実家に入り浸っているわけではない。今日はまだ来ていない様子だった。父親が起きて久しぶりに顔を出している。様子がおかしい。父親の姿を見つけるといつも駆け寄って飛びついている末姫が立ちすくんでいる。
「どうかしましたか?」
柚香にそう言われて次郎は意識をここに戻した。
「いや、何でもない。」
そう言う次郎の顔を真剣な目で見つめて柚香が口を開いた。
「何でもなくありませんね。何かあったんでしょう?」
「いや、本当に何でもないから。」
「次郎様!」
いつも穏やかな柚香に強く言われて次郎はハッとした。
「わたしに隠し事は無駄ですよ。どれだけわたしが貴方の事を見てきたと思っているんですか。貴方の事ならわたし、なんだってわかると思います。」
そう言って柚香は次郎の手を取った。
「末姫様のところへ行ってあげてください。心配で仕方がないって顔に書いてありますよ。」
いや、でも。そう言ってまた言い訳をしようとする次郎に柚香は真剣な目を向けた。
「次郎様。自分の心に嘘はついてはいけません。本当は末姫様のところへ駆け付けたいんでしょう。行ってください。」
いつになく厳しい柚香の口調に次郎はたじろいだ。
「もし何かあって次郎様がこのまま戻らなくても大丈夫です。家の事も子供たちの事もわたしが護ります。こういう時、女はとても強いんですよ。だから家のことは気にせず貴方は行ってください。」
そう言うと柚香はそっと次郎の胸に触れた。
「心からお慕いしていた貴方とこうして添うことができて、かわいい子供たちにも恵まれて、わたしは本当に幸せです。たとえ貴方の胸の中心にわたしはいなくても、貴方は本当にわたし達家族を大切にしてくれて、本当にわたしは幸せでした。わたしはもう充分でございます。だから次郎様、自分の思う通りにしてください。ここは意地を張る場面ではありませんよ。」
柚香はそう言って優しく微笑んだ。
「一つだけ、もしわたしのお願いを聞いて下さるのなら、次郎様。あなたを心より慕ってた女がいたことをどうか忘れないでいてください。」
気が付くと次郎は柚香に促されて外に出ていた。そうして次郎は実家に向かって駆けていた。