始まり
かつて元の世界にいた時雨の最後は無気力そのものだった。人生と呼べるほど劇的な変化等なく、ただ毎日を時の流れに任せていた。そんな時雨の唯一の楽しみは、本を読むこと。本を読むときだけは、世界を呪わなくて済んだし、他人を恨まずに済んだ。
だからこの力は、生き方そのものだと言うなら、これは時雨自身の心の現れとなってでてきたのだろう。窓を見つめ人が通るたびに、羨ましく、妬み、恨んでいた時雨自身の心だと。
時雨自身のかつての心情を語る、これが私自身の本音だと。
「果たしてそうでしょうか?」
勢いよくセトに向けて顔を上げる。
あまりにも簡単に否定する言葉に、表情が歪む。醜くて、おぞましい恨みの表情に。
セトは笑顔を向ける。
「本当にそんな人だったら、レンさんは助けようと思ったでしょうか?それに・・・」
セトが少し躊躇い。
「そんな辛そうな表情をしている人の本質がそれだとはとても思えないのです」
辛そうと言われて、手で顔を触る。こんな醜い表情を浮かべているのに、セトは辛そうと言う。私には分からない。
そんな時雨を置き去りにするかのように、彼は言葉続ける。
「だってそうじゃないですか?あなたは、最初にここに来て一番願ったのはなんですか?帰ることでしたか?違いますよね?あなたが願ったのは、力をどうにかしたい・・・。つまり、周りを巻き込みたくない一心でここまできたんじゃないですか?」
唇が震える。確かに周りを巻き込みたくないとは思っていた。だけどそれも全て自分が原因だからだ。だから、セトの言う言葉を大声で否定しようと唇を動かすが、言葉に出ない。
「あまり自分を責めないでください。時雨さんはとても優しい人です。側にいてそれはよくわかります」
そう言ってセトは頭を撫でる。優しく、ゆっくりと撫でる。
ただそれだけで、心の重しが少し軽くなったきがする。
「落ち着きましたか?辛いでしょうけど、もう少しお話聞いてもいいですか?」
時雨は軽く頷く。
「気になったのは、本ですね。私もよく夢中になって時間を忘れてしまうんです。その時は、どんな気持ちで読んでいたのか聞かせていただいても?」
少し時雨は頬を赤く染める。
「登場人物になった気持ちで読んでいました」
セトはゆっくりと頷く。
「おそらくは、その線だと僕は思いますね。僕が不思議に思ったのは、どうやってレンさんと出会うことができたのかと」
「それは、レンが話しかけてきて」
セトは首を振る。
「いえ、そうではなくてですね、ただ人を不幸にする力でイラス国、つまりはなんの知識もない人がそこまでたどり着けるのかと、そう思ったのです。親切にしてくれる人は多少はいたでしょうが、イラス国まで案内してくれたわけではないでしょう?」
時雨はその頃の記憶は曖昧で、レンにも詳しくは言ってない。自分でもはっきりと言うことができなかったせいでもある。
「時雨さんもその様子だとはっきりと思い出せないようですね。最初はドレイン系の亜種かなと思ったんです。生命力ではなく、知識を奪ったのかと。でも奪ったのではなく、時雨さんの話から想像するに、その人になった、もしくはなりきったのではないかと思いますね。この2つは似てるようで大きな違いがあります。なったですと、姿形も変わってしまうことになる。なりきったですと、姿は変わらなくても、その人の持ってる経験や知識を拝借することができる」
「姿、形?んー?」
思い出そうとするが、形が変わった覚えがない。ただ曖昧にたどり着いたが正解の様なきがする。
「僕も後者だと思います。さすがに目の前の人の姿形をとった人がいたら混乱しますからね。だとすると、時雨さんは無意識に力を使った、それが相手に影響を与えてしまった。この場合は力の加減ができなかったということでしょうね。覚えがないですか?ここ最近で誰かの記憶を覗いたとか?」
時雨は考え込む。ここ何日の出来事を思い出す。唯一あるとすれば、旅の中で皇王の話を聞いた時に、蜃気楼の様に浮かぶ光景だろうか。だけど・・・。
「皇王の話を聞いた時、なんかぼんやりと浮かぶのはみたかもしれない。頭の中でだけど。でもそもそもレンが今は力を抑えてくれてるはずだから・・・」
時雨がそう言葉を発したときのセトの表情は劇的だった。目を大きく見開き、驚いた様子。
「力を抑える・・・、そんな話聞いたことがない。そんな事が可能の人なんて僕の記憶の中では一人だけ、時雨さんその時はレンさんは一緒ではなかったんですか?」
時雨は首を振る。
「旅の中の自由時間でブラブラしてた時に聞いた話だから、その時はいつもいなかったなそういえば」
セトは考え込む。しかしとか、まさかとか、ありえないとかぶつぶつ呟いている。
数分経って結論に至ったのか。
「・・・とりあえずですが、僕の考えが正しければ時雨さんの力の使い方、僕で練習できるかもしれないです。そのことは僕からレンさんに伝えときます」
時雨の不安な表情がそれを物語る。
「大丈夫です。絶対時雨さんの力は人を不幸にする力ではないと僕が断言します」
セトの自身たっぷりの言葉に。
「よろしくおねがいします」
時雨は頭を下げる。今はセトを信じるしかない。だから、できることをやろうと心に決める。
それから2週間後、セトの訓練のおかげである程度の制御はできるようになる。慣れてみれば当たり前のように、簡単にできる。ただ慣れるまでは、セトの意識の中に逆に時雨の意識が混ざり合い、一種の混乱状態になる。これは常人には結構きついもので、セトにはかなり涙目で今日はここまでと言われて切り上げられた。時雨は元々自分の力のせいか、辛くは感じなく不思議ではあったが、セトにはある種の拷問に近かったようだ。それでもセトは時雨に諦めずに教えてくれ、今では自分では抑えることも使うこともできる。ただ力の加減を誤れば自我が他者に成り代わるかもしれないとセトに何度も言われ、蛇口を少しひねる程度に抑える様にいつも心掛けている。
「おめでとう、ここまで連れてきて本当に良かった」
その光景を眺めていたレンが時雨にお祝いの言葉を告げる。
そして時雨も、笑顔でその気持ちに応える。
「ありがとう、レンが連れてきてくれたおかげで前に進むことができた。でも、どうしても一つ、気になることがある。どうして私を助けようとしたの?」
レンは寂しそうに微笑む。
「僕が助けられるのはせいぜい目の前にいる困った人だけ。それが君だったということだよ」
回りくどい言い方に多少、疑問が沸くが。
「でもそのおかげで助かった。必ず、なにかで返すから!」
皮肉めいた笑顔で。
「期待してる。っと俺はこれから、少し出かける。後の事はセトさんに任せてるから安心して」
「どこ行くの?」
「俺の仕事はなんだと思う?」
「冒険者?」
「うん、少し稼いでくる。じゃあ」
レンは手を振り、時雨に別れの挨拶をする。それに時雨もまた、手を振り応える。
それから1ヶ月後、ベルガ国のバラック領主が狂乱し、館の住人を殺めたという噂が流れる。




