五話
僕には、魔法の才能も剣術、体術の才能もない。
そのことを知ったのは、僕が五歳を迎えてからしばらくしてのことである。
こと座学に置いて、僕の右に出る者は孤児院には一人もいなかった。前世の知識があるから当然かな、と思うと同時になんだかズルをしているように思えて申し訳ない気持ちにもなる。
しかし、実践において僕にはなんの才能もなかった。
体を動かせば即息切れ、筋力なんかも同年代の子どころか年下の子にも及ばないほど脆弱なくらい。
皆が外で遊び回っている時に、部屋に籠もりっきりで本を読んでいた弊害である。
だから、運動に関して言えば才能がないというよりも、今まで動いてこなかったために肉体が貧弱なだけだ、と言った方が適切かもしれない。もっとも、本当に才能がないという可能性がないわけではないけれども。
魔法は、本当に才能がなかった。
そもそも、魔法とは。
魔法は、内部魔法と外部魔法の二つに分けられる。
内部魔法は、体内にある生命の力を魔力として返還し、それを用いて己の肉体のあらゆる能力をブーストする魔法である。
たとえば筋力を強化したりだとか、肉体を頑丈にしたりだとか。免疫力や自然治癒力を上昇させていわゆる回復魔法のように使うことも出来るらしい。熟練の者の回復魔法は、部位欠損すら治してしまうとか。もはや自然治癒の限界を超えていると思うのだけれど、そこの所はどうなのだろうか。
外部魔法は、生成した魔力を体外に放出し事象を書き換える魔法。その効果は、使用した魔力と術者のイメージ力に依存する。魔力と想像力さえあれば、なんだって出来ると言っても過言ではないらしい。もっとも、一人前の魔術師ですら精々火を出したり爆発を起こしたり、他者の傷を癒したりといったことで精一杯といった感じらしいから、案外万能ではないのかもしれないのだけれど。
魔力は生命エネルギーを元にして作られる。生命エネルギーとは、簡単に言えば体力のことだ。
そのため、この世界での魔術師は上級者になればなるほど、日本で一般的にイメージされるなよっとした外見から離れた、ゴリゴリムッキムキの筋肉ダルマへと姿が変貌していくらしい。
つまり、貧弱な今の僕の魔力量もお察し程度。運動は苦手だけど魔力量は一人前、なんてことはこの世界にはないのだ。
その上僕は、魔力の扱い方が非常に下手だ。
プロスタさんに教えてもらったやり方で魔法を使おうとしてもちっとも上手くいかない。
僕の側でいとも容易く魔法を使うフィアナにドヤ顔をされて嫉妬に狂う日々を送っている。
ちなみに、生命エネルギーを全て魔力に変えると死ぬらしい。
当然だと思った。
こうして生活を送る内に、僕はいくつかの事を諦めた。
まず、魔法を使うこと。
魔力の総量を上げることは地道な体力作りで可能だろう。魔力の操作も、練習する内に上手くなるかもしれない。
でも、両方するだけの余裕はないのだ。
僕が孤児院で魔法を教わることが出来るのは精々十歳まで。その後魔法を学ぶ為には、特待枠が取れるほどの能力を身につけ、都会にあるという学校に通わなくてはならない。そうでなければ、農家か職人の弟子、はたまたどこかの家の養子として出荷されてしまう。もちろん出荷された後も魔法を学ぶ機会はあるかもしれないが、ないかもしれない。
そこに期待はしない方が良いだろう。
特待枠は、座学での知識の他にも体力や魔術師としての素質も求められる。
そうなると、僕はあと五年で他の子よりも体力を付け、魔法もより上手く使えるようにならなくてはならない。
無理だ。
時間が足りなさすぎる。
次に、冒険者になることを諦めた。
冒険者。異世界に転生した者にとっては憧れともいえる職業だろう。当然僕も、その存在を知ったときは心躍った。
しかし、冒険者は魔術師でなければならない。
この世界には魔物と呼ばれる存在がいる。そして、冒険者の仕事は多岐に渡るらしい。当然戦闘行為が必要になる仕事だってあるだろう。
そう考えてみれば当然である。魔術師には体力が要求される。そうすると、自然と肉体が強くなり接近戦も得意になってくる。
体力を付ければ付けるほど、魔法も近接戦闘も強くなる。そんな存在がいるのだから、彼ら以外の戦闘職は必要ないのだ。
採集等、戦闘が必要なさそうなものも冒険者の仕事にはあるらしいが、そういったものを含めて冒険者には魔術師しかなれない。そういうものらしい。
だから、仕方がないが冒険者になることは諦める。来世に期待しよう。
この二つを諦めたことで、僕の未来はほぼ決まったといっても良いだろう。
孤児で、魔法の才能がない。こうなると、どこかの家の召使いか農家や職人くらいしかなれるものがない。結果として、他にもいろいろな事を諦めることになった。
貴族の家の娘と結婚して成り上がる、というのも出来なくはないが、生憎僕はイケメンではない。望みは薄いだろう。
才能の差は残酷だな。
隣で眠るフィアナの寝顔を見ながら思う。
彼女は運動神経も良く魔法も使え、さらには僕ほどではないが他の孤児と比べると遙かに賢い。
某金髪の人間止めた人を知っていたことから、僕はこの子も転生者なのではないかと思い始めていた。
考えてみれば、思い当たる節がないこともない。
僕をじっと睨み続けていた日々。あれは、異様な生活を送る僕を観察し、自分と同じ転生者ではないかと疑っていたのではないか?
ある日を境に僕にべったりになったのも、その日に僕が転生者だと確信して、親近感が湧いたからと考えれば辻褄が合わなくもない。
そう思い始めると、どうしてもそうとしか思えなくなってきた。
だとすると、あれか?
こいつ、僕のこと好きなんじゃね? と思ってたのは勘違いだったのか?
死にたくなってきた。
そんなくだらないことで死んだりしないけど。
「僕は君が羨ましいよ、フィアナ」
彼女に抱いていた邪ば感情は、僕の心から消え失せていた。
僕の胸の中に、燻るようにして嫉妬の火が灯った瞬間だった。
~~~~~~~~~
ある日、部屋の中でネズミの死体を見つけた。
真っ白な、僕の手の平くらいの大きさのネズミだ
何故死んでいるのか分からないくらい綺麗で、外傷や病気による汚れは見あたらなかった。
ぼろいぞうきんを持ってきて、ネズミを掴む。
この世界において、ネズミは益獣だ。
ネズミは害虫を食べるし、ネズミを媒介して人に感染する人畜共通感染症がこの世界には存在しない。
そのため、ネズミを大切に扱う文化があった。
孤児院の敷地内の庭、そこに生える一本の木の下まで僕はネズミを運んだ。
前世で言うところの桜のような木だ。
その根元に、僕は穴を掘り始める。
ネズミを埋葬してあげようと思ったのだ。
前世で飼っていた、僕が死ぬ原因になったと思われるハムスターを思い出したのだ。
一般的に想像される茶色と白の柄ではなく、全身真っ黒の被毛のゴールデンハムスター。
僕は別に、そいつのことを恨んではいなかった。
噛まれたことに関しては僕の不注意が原因だ。ハムスターは悪くない。
ただ、そいつのことを不意に思い出して、前世のことが懐かしくなっただけだ。
穴にネズミの死体を横たえさせ、その体をなでる。
思っていた以上にひんやりとしたその体に少しだけ驚く。
少なくとも今世で初めて死体に触れた。不思議と嫌悪感はなく、それどころか奇妙な親しさのような感情すら胸の内に沸き上がってきた。
何百年と会えていなかった親友に、偶然遭遇したかのようななんとも言えない感覚。
「……ん?」
ネズミの死体を見ると、先ほどまで真っ白だった毛並みに黒い線のような模様が浮かび上がってきていた。
まずい、なにか病気持ちだったのか? それとも寄生虫の類だろうか?
純白の毛並みを汚すように、黒い線は次第に増えていく。それは幾何学的紋様を描くようでもあったし、幼子が無意味に書き殴った解読不能の文字のようでもあった。
数十秒ほどかけ、白いネズミの死体は真っ黒に染まっていた。
夜の帳を用いたかのように、光を吸い込む漆黒。何処までも深く、それでいてなぜだか恐怖を感じさせない色合いをしている。
死体がぴくりと動く。
目を疑った。
ネズミが……生き返った……?
いや、そんなはずはない。
死者を甦らせる魔法は未だ使用できた例はない。理論上可能らしいが、求められる魔力と想像力が大きすぎて事実上使えないためだ。
それに、僕は今魔法を使ったつもりはない。そもそも僕は魔法関連に関してはどうしようもない落ちこぼれである。プロスタさんが泣くぐらいには才能がない。泣くなよプロスタさん。
だから、死体が黒くなったことで気が動転した僕の心が生んだ錯覚だと思った。
そう思い込もうとした。
しかし、黒く染まったネズミの死体はむくりと起き上がると、大きくあくびをして頭をかきむしり始めた。
頭、背中、お尻と毛繕いをするネズミの死体の動きを僕は信じられなかった。
いやまて、本当にネズミは死んでいたのか?
もしかして、仮死状態になっていただけで実は死んでいなかったのでは?
死にかけていた生き物は普通、すぐには行動出来ないはずだがここは異世界。魔法だってあるような所だ。そんな不可思議な生物がいてもおかしくはない、かもしれない。
ネズミと目が合う。
「チュウ」
それは、この数年で何度も聞いた、僕たちの部屋に住むネズミの声だった。
しかし、ネズミは既にネズミではなくなっていた。
長かった尻尾は短くなり、体つきは丸っこくなっている。鼻が突き出ている顔も、僕が良く見知ったあの顔立ちへと変わっていた。
げっ歯類ではあるけれども、ただのネズミではない。
キヌゲネズミともよばれる、可愛らしいあいつ。
ネズミは、僕が前世で飼っていたハムスターと全く同じ姿へと変化した。
「チュウ?」
ハムスターと化したネズミは小首をかしげ、もう一度小さく鳴いた。