三話
この孤児院では、子ども達は最長十歳までにプロスタさんによって出荷される。
この出荷とは、才能のある者は特待枠で都会の学校へ送られ、才能なき者は環境の良い仕事場や裕福な家庭の養子へ出されることを指す。
出荷とは名ばかりの、ただの卒院である。しかも、プロスタさんの手でその後がそれなりに保証されている親切設計。
もちろん、孤児院を出てからのその後はそれぞれなので、努力をしなかったり実力がなかったり、はたまたもの凄く運が悪かったりすれば不幸になる、という可能性がないわけではない。
僕は今、三歳と二ヶ月ほどらしい。
つまり、最長であと六年十ヶ月ほど院にいることが出来る。
フィアナも僕と同年齢ほどなので、これが彼女と仲良くなれる可能性のある最長の期間だ。
当然院を出れば、都会の学校の特待枠が取れる者同士でない限り各々が別々の道を歩むことになる。
多少ワガママを言うことくらいは出来るだろうが、プロスタさんにも都合というものがある。フィアナと同じ行き先を希望してもそう上手く通るとは思えない。
そのため、この期間の中で、僕は彼女と仲良くならねばならない。
「ふぅむ……」
彼女が部屋にいない間に、僕は作戦を練ることにした。
この孤児院では、五歳未満の子どもは特に仕事がない。
プロスタさん曰く、子どもは遊ぶことこそが労働であり義務であるらしい。なんでも、たくさん遊んだ子どもは遊びの中で運動神経や知能が発育するから結果として良い商品になるらしい。
もし本心でそう思っているのなら、プロの奴隷商でも目指せばいいのに。
そんなわけで、フィアナは他の子どもと共に今は別の場所で遊んでいるだろう。
別に羨ましくなんてない。
こう見えて中身は十数歳の僕である。あんな三歳児と混じってままごとや鬼ごっこなんて、恥ずかしくって出来るわけがない。
……羨ましくなんか、ない。ないったらない。
そ、そんなことより今は作戦を考えよう。
題して、フィアナ攻略作戦略してナン。
まず、長期戦でいくか、短期決戦で行くかを決めよう。
幼児のコミュニティとは、単純に見えて複雑で、それでいて意外と強固だ。
外部から来た初対面の子どもを簡単に仲間内に入れてしまうゆるさがありつつ、敵と見なした者とは中々和解しないのである。
そのことを、孤児院で過ごしたこの短い期間で学んだ。
短期決戦のメリットは、彼女が幼く判断能力の低いうちに攻め入ることが出来る、またそのため友人になれた場合、共に生活出来る期間が長くなるというものだ。
逆に短所は、焦って無理に仲を縮めようとし失敗すると、彼女から本格的に嫌われその後の関係改善が絶望的になる可能性がある、というものである。もう既に本格的に嫌われている、とは思いたくない。
長期戦のメリットは、彼女のことを知る時間が十全に取れるために比較的リスクが少なく彼女との仲を縮めることができる、というもの。
短所は、当然仲良くなってからの期間が短くなる、また情報を集めている間に彼女の交友関係が固まってしまい、そこに入ることが出来なくなる可能性があるというものだ。
俺は二段ベットの自分の場所、その毛布の中から一冊の本を取り出した。
こんな時のために、プロスタさんから友達作りのための本を借り受けてきたのだ。
題名は、友人の意義。
彼に友達の作り方を直球で相談したところ、泣きながらこの本を手渡された。
もしかしたら僕は、彼から相当可哀想な子だと思われているのかも知れない……
少しだけ陰鬱な気分になったが、気を取り直して早速読んでみることにした。
なになに、えーと――――
子どもにとっての友達作りは、文字通りの意味で戦争である。
そもそも、人が友人を作るのは自らに利益があるからだ。
あの人はこんなことが出来るから、あの人はこれを持っているから。こういった分かりやすい利だけでなく、あの人といると楽しい、あの人と一緒にいたい、あの人に何かしてあげたいという内面の利益を含めて、自分に得があるからこそ人は友人を作る。
当然一定の環境内での人材資源には限りがあるし、その中でも人気不人気、馬が合う合わないがある。
多くの人材を獲得すれば多大な範囲の利益を得られるが、一人あたりとの関係は一概には言えないが薄くなりやすい。
逆に、少ない人材しか獲得出来なければ利益の範囲は少ないものの、各人との関係は強固なものとなるだろう。
しかし、これは相手の都合を考えていない視点である。
当然自分が獲得した人材にも、彼らから見た視点がある。
仮に少ない人材しか獲得出来なかったときに視点を合わせよう。
獲得出来た友人が、自分と同じく少ない人材しか確保出来ていなければ何も問題は発生しない。彼らと濃密な時間を過ごせばそれで楽しかろう。
しかし、何十人という人間と関係を持つ人間のみを獲得してしまった場合はどうだろうか?
その友人と関係こそ持てたものの、相手に時間がなくその繋がりは細く儚い。しかも、自分が持つ人材は少ないのだから、当然孤独な時間が自らに降り注ぐ。
こうなってしまったときは、友人に他を切ってでも自分といてくれるような、そんな自分の価値を示すしかない。
――――この辺りまで読んだところで、僕は本を閉じた。
言っていることは正しいかも知れない――知れないが、損得を考えて友人を作るなんて、何となく嫌だ。
何となくではあるが、凄く嫌だ。
絶対この本の作者友達いないだろ。
というか、え?
なに、この世界の子どもってこんなこと考えながら友人関係作ってるとかじゃないよね?
この本がこう言っているだけで、子ども達は普通に子どもらしく友達作ってるよね?
いや、子どもらしくってなんなのか良くわかんないんだけどさ。
この本を読んだ所為で、作戦なんか作って友達を作ろうとしていたことがなんだか馬鹿馬鹿しく思えてきた。
もう、素直に彼女にぶつかろう。砕けたときはプロスタさんに頼んで部屋を変えてもらって二年ほど泣こう。
もし、小難しいことが書いてある本を読ませることでこういう風に吹っ切れることを見越していたのなら、プロスタさんはなかなかの策士である。
もしそうでないなら、彼はただの馬鹿な気がしてきた。お風呂の件もあるし。
前者であることを願うばかりだった。