二話
僕ことペストは、現在三歳になった。
僕の意識が目覚めてから約二年。つまり、二年前僕は一歳だったみたいだ。
肉体がそこそこ成長し、ある程度自由に行動出来るようになった。
もっとも、大切な商品が傷つくとプロスタさんが孤児院の外に出してくれないため、行動範囲は狭いけれども。
僕はこの一年で、様々なことを学んだ。
この世界の文字、文化、生活水準、歴史……本当にありとあらゆる知識を新品の脳みそに詰め込んできた。
まず文字。
これを覚えれば、会話を盗み聞きしたりしなくても情報を手に入れることが出来るため、必死になって学んだ。幼児である今の僕がこの世界の歴史や文化について聞いたら気味が悪いだろう、という考えから、僕が直接プロスタさん等の大人にものを尋ねるという選択は始めからない。僕だって、三歳くらいの子どもがそんな風に小難しげな質問をしてきたら気持ちが悪いと思うだろうし。
文字は、僕より年上の子どもたちから教わった。
彼らからすれば、持っている知識を自慢する良い機会だったのだろう。三歳の子どもが文字を学ぶことを不思議に思うことなく、快く引き受けてくれた。
基本的な文法等を少し年上の子から学び、それより少し難しいことをその更に少し上の歳の子から学び……それを繰り返したおかげで、彼らに飽きられることなく、普段の会話では身につかない範囲を含めて、無事半年ほどで僕は言語をマスターした。
やはり、この頭は出来が良いみたいだ。口語が分かるとはいえ言語一つを半年で理解出来るなんて、なかなか出来ることじゃないと思う。
文字が読み書き出来るようになった僕は、本から知識を得るようになった。
この孤児院では、プロスタさんが私財を投じてくれているおかげもあって、比較的高度な水準の学習環境が整っていた。
まず、ここでは貴重なはずの紙で作られた本が多数ある。
何人にも読まれ、汚れたりよれたりはしているものの、読むことに支障はでない。
言語関連の教科書から算数に歴史、はたまた魔術についての教本まであった。
そう、魔術!
この世界には魔法がある!
才能ある者が長年にわたって訓練することでようやく身につけることの出来る技術らしいけれども、これは是非とも身につけたい。
さすがに魔術に関しては、独学ではよく分からなかった。
しかし、読書によって僕は、この世界の一般常識のほとんどを身につけることが出来たと思う。
歴史の教本では、おとぎ話のようなこの世界の成り立ちの話が書かれていた。要約すると、こんな感じだ。
曰く、かつてこの世は争いもなければ発展もない、非常に穏やかかつ退屈な世界だった。
それをよしとしなかった神様が、この世界に住む者に武力と魔術と知恵を授けた。
こうして世界は、暴力や争いはあるものの、競争と発展のあるものへと変わっていった。
神様、なかなか過激かつ大胆なことをやってのけたものである。
正直、この歴史の教本は読み物として面白かった。
そんな感じでいろいろな知識を僕は吸収した。
この読書に半年費やした。
しかし、一つ問題点が。
字を学んで読書をしてと、そんな日々を一年間も送っていれば自然と僕の周りに人はいなくなる。
僕の友人と呼べる人間はほとんどこの孤児院にいなかった。
……見栄張りました、ほとんどじゃなくて、仲の良い子なんていません。
当然だ。
遊びたい盛りのはずの年齢の子どもの中に、一人だけ他と違って字や本ばかりに興味を向ける奴がいるのだ、ぼっちになって当然である。
文字を教えてくれていた年上の子も、半年という期間の中で疎遠になってしまっていた。
僕が孤立していると思っているプロスタさんは、社交性がなければ売り物にならんと、最近僕に友人を作るように発破をかけ始めた。
三歳の子ども相手に売り物とか言うなよ、とも思ったが、衣食住、さらには教材まで揃えて貰っている身としては彼の意に反している現状はいささか胸が痛む。
とはいっても、友人の作り方って、どうすればいいのだろうか?
前世では何もしなくてもそれなりに仲の良い人間が出来たが、今僕は子ども達の輪から完全にあぶれている。
何もしなければ現状はかわらない、どころか孤児院の子ども達に嫌われ敵視される可能性すらある現状なのだ。
というか、絶賛敵視してくれている子が、既に一人いたりする。
「……………………」
「……あのさ、そんなに睨まないでくれると嬉しいんだけど」
自室で本を読む僕を、射殺さんばかりに真っ直ぐ睨みつけてくる少女。
髪は銀。幼いながらも顔立ちは整っており、あと十数年もすれば相当な美人さんになりそうな子だ。
目付き悪いけど。
彼女は僕の同居人、フィアナだ。
歳が同じで、さらに孤児院に来た日も近かったという理由で僕と同じ部屋が割り当てられた。
この孤児院は、建物こそぼろいが無駄に金がかかっており、それなりの大きさのものとなっている。
食堂、教室、いくつものトイレに風呂まで完備、孤児の部屋に関しては二人一部屋という大盤振る舞い。
というか、風呂って。
流石に湯船こそないものの、孤児院なのに風呂付き。
お金かけ過ぎだろう。
プロスタさんは、商品の健康管理のためだ、なんて言うんだろうな。明らかに採算取れないだろうに。
この世界の風呂は、貴族や金持ち等、一部の上流階級のためのものだ。
田舎では下水すらまともに配備されていないこの世界で、風呂を作り維持をするのは相当なコストがかかる。
お風呂本体の費用に水、それを湯にするための薪、さらに定期的な掃除にメンテナンス。
考えただけで頭が痛くなるほど高額なはずだ。
水や火は魔法で作れるものの、魔法を使える者自体が一握りしかいないため当てにすることは出来ないだろうし。
もしかして、プロスタさんはアホなんじゃないだろうか。
かれの財政状況が心配である。
もっとも、養われている僕が気にすることでもないだろうけど。
風呂の費用について憂える僕の頭の中など気にすることなく、フィアナは僕から視線を逸らすことがない。
彼女から何か言われた、とか何か嫌がらせを受けた、いうことは今まで一度もないないが、明らかに彼女は僕のことを嫌っている。
目が怖いもん、間違いない。
彼女は僕の意識が目覚めたとき、僕の隣で眠っていた赤ん坊だ。
いわば、今世での幼馴染みになるのかな?
もっとも、物語のような甘々な関係ではないけど。
ヒエッヒエでキンッキンな関係だけど。
はて、と僕は首をかしげる。
はたして僕は、彼女の機嫌を損ねるようなことをしただろうか……?
出来が良いはずの頭をフルに使って、原因究明に努める僕。
同室であるにも関わらず、普段からあまり関わり合いがないことを怒っている?もしそうだとしたら全面的に僕が悪いですねごめんなさい。
生理的に僕を受け付けない、というならショックだが、これも原因は僕ということになるから多分僕が悪いと思う。
後は……本ばっかり読んでいる根暗男がむかつく、とか?
ダメだ、女の子になったことがないから彼女の思考がさっぱり分からない。
これには僕の脳細胞もお手上げである。仕方ないね、男の子だもの。
「……………………」
というより、よく飽きないものだよね、フィアナも。
僕の顔なんて、そんなに面白くもないだろうに。幼児だからイケメンというわけでもないし。
「…………っ、ぅっ…………」
こちらが彼女の瞳を見つめ返すと、その双眸はは戸惑うかの如く揺れ動き、口は何か言おうとしたのか小さく開いた。しかし、そこから音は響くことなく静かに閉じてしまった。
何が言いたいんだ? ハッキリ言えよ…………! 偉そうに僕に意見をたれるんならハッキリ言え!
もちろん僕がそんなことを言うはずもなく、彼女と視線を交わしたまま、静寂に包まれた空間で時が過ぎる感覚だけに身を任せる。
しっかしこの子、三歳とは思えないほど綺麗だな。
そういう趣味はないが、彼女の容姿はそれでも僕に美しいと思わせるほどに整っていた。
こうして正面から見ていると、まるで一つの芸術作品を見ているみたいだ。目付きの悪さも、今は彼女を彩る要素の一つのように思える。
喩えるなら、水晶で作られた美しい剣。冷徹かつ繊細な輝きを持ち、凍てつくような感覚を見る者に与えてくる。
彼女にはそんな魅力があった。
見つめ合うこと数十秒……不意にフィアナは顔を逸らして立ち上がると、すたすたと部屋から出て行ってしまった。
彼女が動いたことで、僕も我に返る。
……なにやってんだ僕。なんで三歳児に見とれているんだ。
それも、僕のことを嫌っている相手を、だぞ。
彼女のいなくなった部屋で僕は一人、ため息を漏らす。
……でも彼女、将来途轍もない美人さんになりそうだよな。今から仲良くなっていて損はないんじゃないだろうか。
そうだ、うん。せっかくだし彼女と仲良くなろう。
プロスタさんにも友人を作れと言われているのだし、良い機会だ。
それに、現状の好感度がマイナスに傾いているだろう彼女と仲良くなれれば、他の子と友人になるのも簡単だろう。
断じて僕が面食いで、彼女の内面を考慮せずに外見だけで仲を深めようと考えている訳ではない。
ないったらない。いやマジで。
「よっし、頑張ろう!」
僕の声に応えるように、部屋の中でネズミがチュウ、と小さく鳴く声が聞こえた。