表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第13番館永久閉架書庫  作者: 紫乃碧
第一章
8/8

ー知らない過去と猫の勘ー

「おい」


 後ろから声が追いかけてくる度に速度を早めた。けれどその声は諦めることなく、僅かに苛つきながらもこちらを気遣うように何度も追いかけてくる。


「おい、ガキんちょ」


「……」


「無視すんなって言ってんだろ!」


 五月蝿い。そう意志を表示するように私は、さらに細い路地へと曲がった。

 意識的に人のいない方へいない方へと進んでいたので、自然周りは薄暗い裏路地になる。所々煤けた窓ガラスが嵌ったレンガ造りの壁に、無骨なパイプが血管のように幾重にも重なって途切れて壁伝いに狭い空へ伸びている。

 足元には散らばったガラクタに、窓の下の置かれたゴミ捨て場、走る小動物や訳の分からない何かが散らばっていた。

 声の追跡者を追い払うために人間には歩きにくい場所を狙ったのだが、それが裏目に出た。


「いい加減にしろって!」


 追跡者はそう大声で叫ぶとひょいっとガラクタを足場に飛び跳ね私の横にある壁を一蹴りし、あっさり先回りして前へと躍り出た。私は踵を返そうとした所で、レオが今しがた足場にしたガラクタに足首を勢いよくぶつけ、へにゃりとその場で倒れ込む。

 完全な猫の姿であるレオは、その様子に呆れたように首を振りながら近づいてきた。そして右足を抱えて蹲る私から二、三歩離れたところでピタリと立ち止まった。前足はお行儀よく閉じて揃えられ、いつもはうるさく動いている尻尾も体にまとわりつくようにくるりと仕舞われている。


「……なあ、ガキんちょ。お前の気持ちはわかるけどよ、あんまりこういうところを出歩くのも」


「あんたに何がわかるっていうの!」


 私は不格好に足を抑えたまま、弾かれたようにレオへ顔を向けた。先程のような炎はもうない。今はただその残滓が瞳の奥に残って、ツンと焼け爛れている。私は必死にそれを零さないように唇を噛んだ。


「……何が、わかるの」


 瞳の代わりにきつく噛み合わされた歯の隙間から零れ落ちた音は、けれどいっそ涙の方がましな程弱々しいものだった。

 レオが困ったように黙り込むのを感じる。猫になった彼は、少し表情が読み取りづらかった。少し彼は躊躇ったあと、無神経で小生意気な普段からは想像もつかない慎重な声で唸るように、困ったように、そうだな、と答えた。


「俺には、お前の気持ちなんてわかんないけど。……知りたいことを隠されて、どうすればいいのかわからない気持ちならわかる」


 私は思わずその様子に押し黙った。何も知らないくせにと突っぱねた瞬間から、後悔の気持ちがむくむくと浮かび上がる。私も、彼のことは何も知らない。彼が私を知らないように。

 普段猫の姿になったレオはあまり話さない。周りに聞かれたら色々と面倒だからだ。けれど今は人も寄り付かない薄汚い路地裏。むしろ丁度良いとでも言いたげにレオは人の姿の時ように、けれどその時よりは神妙に言葉を続けた。


「……俺は、普通の猫だった。初めからこんなんだったわけじゃない」


「そう、なの?」


「そりゃな。むしろこっちの状態の方がまだ短いんじゃねえかな」


「いつから?」


「館長に拾われて、あそこに住み始めてから」


「……レオはいつからあそこに居るの?」


「三年。……俺の飼い主が誰かに殺されてから、ずっと」


 私はただ黙って俯いた。レオがデーヴィッドに懐いているのは知っている。その様子からてっきりずっと昔からの仲だと思い込んでいた。デーヴィッド以外に飼い主がいたとは、思いもしなかった。……そしてその人が殺されていたとも。


「……館長はさ、悪い人じゃないと思うんだ」


「何故そう思うの」


 無意識に声が尖った。今デーヴィッドを好意的な視線で見ることはできそうにない。

 レオは少し苦笑しながら、気持ちはわかるとでもと言いたげにため息をついた。その様子が普段の子供らしさからかけ離れており、私だけがむくれている子供のように感じてさらに心が拗れるのを感じる。


「約束してくれた。俺の飼い主を殺した人を見つけてくれるって」


「……それだけ?」


「それだけじゃないけど、まあそれだけでもあるな」


「約束なんて、破ろうと思えば破れるじゃない」


「だけど実際館長は、力を貸してくれているんだぜ」


 そう言うとレオは、ほらあれだ、と尻尾を揺らした。私は少し首をかしげたあと、レオの様子が変わったものについて思い当たった。


「羊皮紙……のこと?」


「そう。俺の飼い主の時にもそれがあった」


「もしかしてデーヴィッドが羊皮紙について追ってるのは、レオのため?」


「俺も前に気になって聞いたけど、別にそれだけの為ではないらしい。前に言ってたんだ、助けなきゃいけない奴がいるって。そのついでだって」


「そんな言い方してるのに、なんで約束を守るって信じられるの」


 そう半ば不貞腐れたように問い掛けるとレオは少し目をぱちくりとした後、その時を思い出しているのか少し真ん丸とした水晶のような猫目の目尻を緩めた。


「そんな大切な目的があるのに、余計とも言える俺の犯人探しも請け負ってくれるんだから、不器用だけど良い奴なんだと思ったんだよ」


「……それだけ?」


「それだけじゃねえって」


「じゃあ何さ」


 私がじと見つめ続けるとレオはへへ、と笑ってから尻尾を大きく一振り。


「猫の勘」


 と、言ってのけたのだ。

 私は強ばってた肩を下ろすと、拍子抜けしてはぁと詰めていた息を大きく吐く。レオはその様子を目を細めて見守ったあと、ぱっといつもの声音に戻った。


「ま、館長の秘密主義にはちょっと困るところもあるけどな」


「なんで何も教えてくれないのかしら」


「さあな。けど、俺も前にお前みたいに怒ったんだよ。本当にここに居て犯人はわかるのかって」


「へぇ、意外ね」


「そうかぁ? でもそん時に教えてくれたんだよ。さっきの話」


「……そう」


「俺もよくわかんないけど、館長にも色々あるみたいだしな」


 レオはそこまで話すと、ふぅと息をついてからふわりと人型に戻った。そしていまだしゃがみこんでいる私に小さな手を差し出す。私が黙って見上げると、にやりといつもの表情で笑った。


「帰るぞ、ガキんちょ。言いたいことも何もかも、こうも家出してちゃあ言えないだろ」


「……言ったってあいつ口割らないじゃない」


「でも根気強い奴には館長弱いだろ」


 私はふと午前中に出会った若い警官を思い出して、思わず吹き出す。そしてレオの手を取った。


「しつこく言えば教えてくれるかしら」


「ま、やってみなきゃだな」


 パタパタと服に着いた汚れを手で軽くはたく。先ほどよりは少し晴れた気持ちで、口角が緩んだ。


「ごめん、レオ。あなたに当たってしまって」


「本当だぜ。それはお前が今怒ってる張本人にやってくれ」


 まったくよね、と私が応えようとしたところでかたん、と背後で唐突に物音が鳴った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ