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第13番館永久閉架書庫  作者: 紫乃碧
第一章
6/8

ー魂の在処ー

 客人対応のためという体裁によって置かれたソファと足の短いテーブルを挟んで、デーヴィッドとグリエルモ警部は難しい顔をして黙り込んでいた。二人の間をマスターから頂いたコーヒーの湯気がゆらゆら揺れている。

 普段はソファやテーブルに山ほど積まれている書物達は、今だけ適当に二人を囲むように掻き分けられていた。だがそのおかげで顔や声がなかなか窺いにくい。二人は難しい顔で唸りながら、時々ぽつりぽつりと言葉を交わしては黙り込むことをかれこれ三十分は続けている。

 その様子を私とレオは、近場の本棚の影からそっと顔を出して覗いていた。結局あのままアンドリューと別れたあと、デーヴィッドはひたすら沈黙を守ったまま私達の根城へと戻ってきた。そしてマスターに、すぐグリエルモ警部を呼ぶよう頼んだのだろう。駆けつけたグリエルモ警部と難しい顔をしてあの羊皮紙を睨み、現在に至っている。


「ねぇ、レオ。二人の会話聞こえる?」


「聞こえるっちゃ聞こえるが……あんまりにも声が小さいのと、本が邪魔ではっきり聞こえないんだよ」


「うぅん……そこまでがっちりガードしてるってことは、私たちに聞かせられない話って事?」


「さぁな、だけどあの紙は……」


「……そういえばレオはあの紙を知っているようだったけれど、あれは一体何?」


 レオはきゅ、と唇を軽く噛んだ。尖った犬歯が僅かに覗く。眉間に皺を寄せて、深い溜息を洩らした。

 しばらく黙ったまま、まんじりとした空気を纏っていたレオは小さく息を吸うとうっすらと口を開いた。


「……あれは」


「おい」


 私とレオは二人して、ドキリと体を揺する。盗み聞きをしようとしていた後ろめたさから、頭に重りが下ろされすんなりと上げられない。しかしそうも言っていられないと恐る恐る顔を上げると、本棚に手を掛けこちらを見下ろすデーヴィッドと目が合う。その無表情な顔の中にどんな感情が広がっているのか上手く読み取れず、何を言えば良いのかわからないままゴクリと唾を飲んだ。

 しばらく冷や汗の流れる沈黙が辺りを包み込んだ。レオも私の下でジリジリとしているようで、尻尾が時々ぴくりと動いている。その沈黙を破ったのは、そもそも沈黙を作り出した張本人だった。


「……来い」


「えっ……と」


「知りたいんだろう」


 無愛想にそう告げた。声音はどうやらいつも通りやる気のない響きなので、怒ってはいないようである。恐らく。それだけ告げるとさっさとソファへと向かうデーヴィッドの背中を眺めながら、恐らくそうである、と半ば願いを込めて結論づけた。

 とはいえ、隠されていると思っていたものを唐突に教えてやると言われると、どうにも喜んで、はい、とは言い難いものである。レオにちらりと視線を向ければ、少し緊張気味に一歩歩み出していた。意外と度胸があるな、と感心していると、くるりとこちらに顔だけむけ、ひそひそ声で話しかけてくる。


「何してるんだよ、ガキンチョも早く来い」


「……あぁ……うん……ええと、いいのかな」


「館長が来いって言ったんだ。良いんだろう、多分」


「た、多分か……」


 レオはすたすたと二人の元へ消えていった。その尻尾と耳がへにゃりと垂れていたのは見なかったことにする。

 私もそろそろとついて行った。本の山を避けながらソファへ近づくと、レオがデーヴィッドの隣にちょこんと座っている。いつもよりデーヴィッドとの距離が近い上に、少し小さくなってる気がする。何故そこまで怯えているんだと顔を見ると、グリエルモ警部の顔を時々ちらりと見ては慌てて目を逸らしていた。なるほど、そういえば普段はグリエルモ警部の前には姿を現さなかったな。警部もレオの様子に気づいているのだろう、少し広い背中をしょんぼりと丸めている。その様子に少し同情しつつ、警部の隣に座ると、ポツリと警部が呟いた。


「動物は好きなんだがな……」


「あの……えぇと。レオに伝えておきます……」


 もう何度も伝えていることは胸の内に黙する。

 デーヴィッドは私たちがソファについたことを確認すると、ひとつ咳払いをした。そして机に広げられている、例の羊皮紙に指を指す。


「……これだが」


「あぁ、そうだな。オリビア君もレオ君も聞いて欲しい」


 グリエルモ警部の言葉にデーヴィッドは頷きつつ言葉を続けた。


「……恐らくだが、これはお前達にも関係する」


「じゃあ、館長。やっぱりこれは、俺の……」


「そうだな、三年前の事件と同じだ」


 レオはその言葉にまた、唇を噛んで黙り込んだ。私もその隣で息を呑む。まさか、と不安と期待が入り交じった。デーヴィッドは一拍口を噤むと、静かに手元のコーヒーカップを引き寄せる。そして、ずっ、と一口唇を湿らせた。


「順に話す」


 彼はきゅ、と膝の上で自身の指を絡める。じっと視線はあの羊皮紙へ向けながら。


「まずこの羊皮紙だが……。レオは知っているように、俺たちが元々追っていた事件の共通点だ」


「共通点って……この羊皮紙が?」


「聖遺書が絡む特殊な事件の現場に必ずこれが残されている」


「ただ事件の内容は様々なんだ」


 グリエルモ警部が指を折りながら例を上げていく。


「例えば今回のような聖遺書の窃盗……一つ目の方ではなく、アーロン自身の方だな。あとは生者からの聖遺書抜き取りや、聖遺書の意図的な書き換え、それに伴う聖遺書所持者の異常行動、それと……」


「聖遺書の、入れ替えだ」


 じっと唇を噛んでいたレオが、声を押し殺してグリエルモ警部の言葉を奪う。


「入れ替えって……そんなの、可能なの?」


 驚いて目を見開きながら問えば、デーヴィッドはさて、と言いたげに肩を竦めた。


「可能かどうかと言えば、不可能ではないと言ったところだ」


「なんでそんなに曖昧?」


「聖遺書とはすなわち魂そのものだ。人間は臓器を移植した際、拒絶反応が起こるだろう、それと同じものが起こる。さらに言えば魂にはそれぞれ相応しい器があるから、臓器よりも圧倒的に拒絶反応が起こる」


「……拒絶反応が起こると、どうなるの?」


 デーヴィッドはまた一口コーヒーを口に含んだ。ちらりとレオをカップ越しに一瞥する。静かな空気の中、かちゃんとコーヒーカップを置いて。


「精神が崩壊する」


 そう一言。平坦な声で告げた。


「精神、崩壊……」


「魂と精神は、比較的近い存在だ。互いが互いを支えあって、絶妙なバランスを保っている」


「……その、精神を支えている魂を取り替えると」


 とん、とデーヴィッドが近場の不安定な本の山をつついた。アンバランスなそれらはぐらりと不穏に大きく揺れると、盛大な音を立てながら崩れ去る。グリエルモ警部が低い声で一言注意しながら、立ち上がってその本を集め始めた。私はその様を固唾を飲んで見守っていたが、ふと、湧き上がる疑問が口をつく。どくり、とひとつ。心臓が大きく拍動を鳴らした。


「でも、生者から聖遺書を引き抜いた場合も精神崩壊はするんじゃないの? だとしたら、何故私は」


「それはだな」


 グリエルモ警部がデーヴィッドの傍らで本を集めながら、答える。


「身体が、防衛本能として意識を失うようになっているんだ」


「意識を?」


「あぁ。だからただ引き抜くだけなら精神崩壊はしない」


「……でもそれなら、生者から聖遺書を引き抜くことは事件化しないのでは?」


「いや、長時間引き抜いているのもやはり良くない。のちのち後遺症が残るんだ。だから普通、図書館関係者は生者から聖遺書を引き抜くことは無い」


「だから、生者から聖遺書を引き抜くことも事件なんですね……」


「まあ、生きた体から魂を引き抜く、って言葉だけで寒気がするだろう」


「それは確かに」


 私は両腕を擦りながら頷いた。

 けれど、そうなるとさらなる疑問が生まれてくる。じりじりと背後を焼き尽くすような焦燥感が、毛穴という毛穴からぶわりと零れ落ちる。聖遺書を引き抜かれた生者は意識を失うのなら。それなら何故。


「……何故聖遺書を失っている私は、今、意識があるんですか」


 ぽつりと零れた言葉に、グリエルモ警部は困ったように眉を下げた。そしてそのまま、ちらりとデーヴィッドに視線を送る。一方の彼は、変わらぬ表情のまま羊皮紙を見下ろしていた。いつの間にか指ではなく腕が組まれている。深淵のような青の双眸が、ゆらゆらと波間のように揺れる。その様は常に冷静なようで、もしくは全ての物事に無関心なようで。

 私の根底を、常に燻っている核心に触れたこの時だけは、その冷ややかな瞳が酷く癪に触った。

 物言わぬその瞳に、か、と腹部が熱くなる。と、同時にまるで爆ぜるようにソファから立ち上がった。


「デーヴィッド、答えて。何か知っているんでしょう?」


「お、オリビア君。少し落ち着きたまえ」


「落ち着いていられません!おかしいじゃないですか、なんで、なんで他の人は……なんで私は」


「お、おい、ガキンチョ。館長は順番に話すって」


 私を宥めようと慌てて傍に駆け寄ったグリエルモ警部の腕を振り払いながら。


「私は、今ここにいる私は!」


 ぐ、と胸元の服を掴んだ。ギリギリと服を締め上げる両手の向こう側は、確かに魂のリズムを刻んでいる。なのに。なのに私のこの手の向こう側には、魂がない。何も、ないのだ。


「……お願い、デーヴィッド。答えて」


「……」


 静かな海が、こちらを窺うように揺れている。


「……私は」


 ゆらゆらと揺れている。私の存在のように。ゆら、ゆらと。


「魂も……聖遺書も、記憶もない私は本当に」


 とくり、と命がひとつ声を零した。確かに動いている。確かに、動いてるけれど。


「本当に生きているの……?」

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