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第13番館永久閉架書庫  作者: 紫乃碧
第一章
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ー始まりの足音と瞳ー

「……とにかく、聖遺書さえ見つかれば問題はないのよね?」


 生唾を飲み込んでそう問い掛けると、デーヴィッドはふむ、と顎に右手を置きながら唸った。


「さあ、どうだろうな。いまいち黒幕の思惑が分からない」


「なぁんか、この現場って矛盾してるよな」


「矛盾?」


 首を傾ける私をよそに、レオがぴょんと、こちら側に帰ってくる。小学生程しかない身長だが、それの二倍はある距離を悠々と飛び越えては音ひとつ立てずに着地する様は、やはりさすが猫である。人型になってもついてくる二股に分かれた尻尾が、ひらりと優雅に揺れた。

 レオもデーヴィッドの真似をしているのか、ふぅむ、と唸ってみせる。


「なんて言うか……自分の正体はバレたくないのに、存在は誇示したい……みたいな?」


「み、みたいなって聞かれても」


 レオ自身もしっくり来ていないのか、眉を八の字に歪めていた。頭についた猫耳がきゅ、と後ろを向いている。


「……誇示?」


 突然、デーヴィッドがレオの言葉を繰り返した。それと同時に、普段からは想像もつかないほど慌ただしい音を立てて壁から離れる。バサバサと長い羽織を邪魔くさそうに翻しながら、現場を隅々まで調べ始めた。近くに転がってる大きなアルミ製のゴミ箱をひっくり返したり、半壊されている木箱を漁ったり、と無言で行われるその行為に気圧されるように私とレオは黙ったままその様を眺める。


「発端の聖遺書窃盗事件……この男と盗まれた聖遺書の人間は顔見知りですらなかった……そこからおかしいんじゃないのか……? 用途を知らなければ聖遺書はただの遺骸に過ぎない……でもそれを知っていれば……ならどこで」


 現場を散々に荒らしながらデーヴィッドは魘されているかのように、ひとりごちている。私は思わずレオを見下ろしたが、彼は何か心当たりがあるのだろうか。僅かに顔が強ばっているように思えた。

 一体今何の可能性を疑っているのか。

 レオに何か知っているのか、と口を開きかけた瞬間。


「……あった」


 デーヴィッドが、今までとは打って変わって静かな声音で、けれどよく響く声で呟いた。焦っていた背中も時が止まったように動かない。今までじわりじわりと流れ込んでいた野次馬たちの喧騒が、途端にプツリと途切れた。

 いくら待っても口を噤んだままの彼の背中に、痺れを切らした私が、重たい沈黙を飲み込みながら言葉を掛ける。


「……何が?」


 デーヴィッドは私たちの眼前に広がる真っ赤な海の向こう側、つまり先程までレオが立っていた所にしゃがみ込んでいる。少し離れたところにある彼の背越しに、見つけたものというものを見ようと背伸びをすると、どうやら私達から見て右手にある壁を指先でなぞっているらしい。長い羽織の裾が、生乾きの赤と触れ合っても気にした様子はない。というより、そこまで気がいかないようだった。

 乱雑に避けられたガラクタが、いつもより呼吸が浅いデーヴィッドの横で不安定に鎮座している。まるでじっと、デーヴィッドの指先を見つめているような、窺っているような、そんな視線を送っている。

 普段から前髪に隠れた瞳が、一心に『それ』を眺めていた。何度も何度も何かを追うように、瞳が上下に動く。返答をしない彼には慣れていたが、けれど今回の沈黙はなかなか破る気が起きない。あまりの重さに、二度飲み込むことは出来ず、代わりに問いかける言葉を飲み込んだ。

 ただぼんやり立ち尽くす私の代わりに動いたのは、隣で沈黙を守っていたレオだった。

 レオは今度こそ靴が汚れることも気にせずに、血の海を踏みつけてデーヴィッドの背中に立つ。そして覗き込むように、デーヴィッドの指先を眺めた。

 私も遅れて後を追う。出来れるだけ血痕に触れないように爪先立ちで海を渡ると、レオの肩口から顔を出した。

 そこには。


「帰っておいでお月様、あなたが居なくちゃ夜も来ない……何、これ」


 草臥れた羊皮紙に、血文字で、けれど繊細な文字が踊っていた。十五センチ程の大きさのそれは、べったりと固まった血液で壁に貼り付けられている。きっちり丁寧にガラクタで隠されていたのか、所々血文字が擦れた跡がある。


「童謡だよ、この国じゃ有名だ。お前知らないのか?」


 レオが視線はその血文字に向けたまま、硬い声で答えた。私はどう答えたものか少し悩んで息を呑むと、レオもようやく思い出したのだろう。少し罰の悪そうな視線をこちらに寄越した。


「……悪い、知ってるわけないよな」


「いいよ、気にしないで。それより、この言葉……」


「太陽と月は魂ひとつ」


 それまでじっと壁を見つめていたデーヴィッドが、不意に口を開いた。既に指は力なく地面を擦っている。目を瞑り、唄うように零れるのは、恐らくレオの言う童謡だろう。


「太陽は全てを照らし尽くし月は道を形作る。けれどお月様隠された、本に奪われ隠された。悲しい太陽嘆いてる、帰っておいでお月様、あなたが居なくちゃ夜も来ない。太陽と月は魂ひとつ、けれど今は魂八つ裂き。本に奪われ隠された。本に奪われ殺された」


 また沈黙が帰ってくる。けれど今回は野次馬の喧騒だけは残ったようで、ブルーシートの向こうからざわざわと文字にならない音が流れ込んできた。


「物騒な童謡ね……」


「大体そんなものだ。そして大抵そういうものには、教訓やら過去の真実やらが隠されている。……これも」


「一体どういう意味があるの?」


 デーヴィッドは再び口を閉ざす。けれど今回は拒絶の沈黙ではないようだ。考えあぐねているのか、視線が僅かに泳いでいる。レオの方を見れば、彼も意味はよくわからないらしい。私と目を合わせて、首を横に振った。

 再び石像のように固まったデーヴィッドに、小さくため息をついて話題を変える。


「というか、あなたが童謡を暗唱できることにも驚きよ」


「……まあ、昔から散々聞かされたからな。嫌でも覚える」


「そう、そこまで有名なのね。でも、一体なんでここにそんなものがまた……」


「失礼」


 不意に背後から、感情の篭らない声が響いた。私は驚いて体を盛大に揺らしながら振り返る。そこにはブルーシートを片手で捲りながら、相変わらず無感情な面持ちで立ち尽くすオルコット警部補が居た。私達に視線を寄越し、そしてデーヴィッドによって荒らされた現場を一瞥したあと、ただえさえ寄っている眉間に更に皺を寄せ心底苛立った顔つきでこちらを睨みつける。この人から初めて向けられた感情がそれで、今度は隠さずにため息を零した。


「あぁ……はい……」


 いまだ返事をしないデーヴィッドの代わりに私が答える。が、私には視線すら寄越さず、足元のデーヴィッドを一点に睨めつけた。


「そろそろ、宜しいでしょうか。こちらも仕事を進めたいのですが」


 私はちらりと足元でしゃがみこんているデーヴィッドに視線を落とした。するとデーヴィッドはようやくゆっくりと顔を持ち上げ、何事も無かったかのようにいつもの気怠い声で「ああ」と答える。ぐらりと立ち上がる瞬間、何気ない仕草で羊皮紙を壁から剥がすと、これまた慣れた手つきでそれを警部補から見えにくい方のポケットへと仕舞い込んだ。

 えっ、と固まる私を他所に、デーヴィッドはまた行きと同じように早足で警部補の方へ向かっていく。両手をポケットに突っ込んだまま警部補の前で立ち止まり、すん、と小さく鼻を鳴らした。高身長に振り分けられるデーヴィッドは、目を眇めながら見下ろす。


「……なんでしょう」


 二、三秒無言で見下ろされた警部補が冷たく問い掛ける。見た目は二十代の若者の睨み程度で動揺しないあたり、さすがベテランと言うのだろうか。

 ただのこの人の性格だな、と考え直した時、再びデーヴィッドが鼻を鳴らした。そして唐突に、煙草は、と口を開いた。


「煙草は吸うのか」


 そう問われた警部補は、しばしの間ぼんやりと静かな目でデーヴィッドを見上げたあと。


「いいえ? 服に匂いが付くことが気に入らないので」


 と、答えた。

 デーヴィッドは、そうか、と呟くと、興味をなくしたようにさっさとブルーシートを捲り外に出ていった。私とレオも顔を見合わせながらついていく。レオはそっと尻尾と耳を丈の長いジャケットの下に隠しながら、警部補とすれ違う時にさりげなく鼻を動かしていたが、何もわからなかったのか小さく首を傾けていた。

 私もすれ違いざまに会釈をして通り過ぎる。結局、グリエルモ警部の言う「愛想が良い奴」の片鱗すら見い出せなかった。ただただ、無感情な冷たい瞳が、私たちのあとをずっと追っている。

 ブルーシートを捲ると、先程までは足元を揺蕩う程度だった野次馬の声が途端に大きく鼓膜を揺らし始めた。けれど数は減っているようだ。さすがに暇人ばかりではないようで、パラパラと集団から離れ各々の日常に戻っていく。そもそも私たちがここに到着したのはお昼頃だったはずだ。昼休憩の終わりが近いのだろう。

 人が一人、死んでいるこの現場はどこか薄暗い。けれど規制線を一歩出てしまえば、そこは日常が広がっている。そのちぐはぐさに思わず目眩がしそうだった。私はひっそりと拳を握りながら、歯を食いしばってデーヴィッドの背を追う。

 日常へと踏み出そうとした時、入る時私たちを止めた若い警官が、困惑しながら近付いてきた。


「あの、すいません」


「……」


「えっ、あの!そこの君!」


 さすがに相手の視界に入っているのに無視されるとは思わなかったのだろう。若い警官は焦ったようにデーヴィッドの肩を掴んだ。そこでようやく足を止めたデーヴィッドは、なんだとでも言いたげに若い警官を睨みつける。彼もなかなかの高身長で、デーヴィッドとはそう身長差がないが、それでもその睨みには慄いたらしい。ひ、と小さく息を吸った。可哀想に。


「なんだ」


「え、あっと……先程は済まなかった」


「どうでもいい」


「せめて少しくらい話聞いてあげなよ」


 さすがに不憫になってデーヴィッドを執り成す。どうしたものかと困っていた警官にどうぞと先を促すと、一度咳払いをしてデーヴィッドの肩から手を離し、姿勢を正した。


「見た目で判断してすまなかった。あまりにも若いから……だが君も立派な警察官の一人だったんだな」


「あぁ……そういう説明……」

 

「ん? あぁ!君も、とても若いのに正義のために助手なんて偉いな!ただ現場にペットの持ち込みは……あれ?」


 そう言いながら私の肩口を覗いた警官は、ぱちくりと目を瞬かせた。瞬間、私はしまったと肩を強ばらせる。私の背中で気配を隠していたレオが、ぴゃ、と飛び跳ねる様子が伝わった。


「ね、猫は……? いやそれよりも、君は一体……」


「ね、猫って何の話だよ!俺は元から居たぞ!」


「い、いや確かに私は猫を見たぞ!というか君を見た覚えはない!」


「んな事知らねぇよ、俺は最初からこの姿でいた!」


「この姿って一体どういうことだ?!」


「あ、えっと、これはですね」


「ひとつ、聞きたいんだが」


 ギャンギャンと言い合いを始めた二人に割って入ろうとした時、デーヴィッドが不意に口を開いた。思わぬ闖入者に、自然と視線をそちらに集めた。


「……なんだ? 私に答えられるものなら何でも答えるぞ!」


 そう言ってドン、と胸を力強く叩く警官を尻目に、デーヴィッドはブルーシートをちらりと一瞥した。そして僅かに声量を搾る。


「お前の上司……あぁ……」


「あぁ、オルコット警部補の事か?」


「そう、そいつだ。随分と今日は機嫌が悪いようだが、いつもあんな感じだったか?」


 警官は不思議そうに首を傾けたが、真面目な性格の彼は少し悩みながらも答えてくれる。


「……いや、言われてみれば確かにな。普段から決して愛想を振りまくような人では無かったが、あそこまで鉄仮面ではなかった気がする」


「そうか、普段からああも失礼なやつではなかったのか」


 それは恐らくデーヴィッドからは言われたくないセリフである。警官は、まさかと大仰に首を横に振った。


「見た目は厳ついが、まさに理想の警察官という方だぞ。部下にもよく目をかけてくださるし、現場で一番若い私のことをいつも気にかけてくださっているんだ」


 威勢よく笑顔で警部補の事を語る彼は、けれど少し心配そうに眉を顰めた。


「確かに今日、あまり機嫌は良さそうにないな……。まあ、案件が難しいからな、気が立っておられるんだろう」


「……そうか、ありがとう」


 それだけ言うと、デーヴィッドはまた振り返って規制線へと足を向け始める。警官はその後ろ姿をもう一度呼び止めた。


「そういえば、まだ名前を聞いていなかった。同じ仲間だ、いつかまた会うだろう。私はアンドリュー・ボールドウィン。君たちの名前を聞かせてくれ」


 私はふとデーヴィッドを窺うと、彼は面倒くさそうに頭を掻いた。が、アンドリューの目を見て諦めたらしい。ため息をついた。


「……デーヴィッド。ただのデーヴィッドだ、苗字はない」


「苗字がない……?それは一体」


「何だっていいだろう」


「……えっと、私はオリビアです。オリビア・ウォード。こっちはレオです」


「……言っておくが、俺は最初から居たからな」


 姿が違うだけで、とレオはポツリと呟くが、幸いアンドリューには届かなかったらしい。彼は少し怪訝そうな顔をしつつも、こちらに手を差し出してきて。


「どうぞよろしく。また縁があれば会おう」


 そう、人の良い笑みを浮かべた。

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