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第13番館永久閉架書庫  作者: 紫乃碧
第一章
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ー愛想と血痕に潜む足音ー

「……聖遺書の捜査って、本当に普通の捜査をするのね」


 私は少し驚きながら呟いた。それを拾ったレオは、何故か誇らしげに私の耳元で鼻を鳴らす。今は野次馬もわんさかいるため、彼は赤毛の猫の姿に戻っている。器用にも私の肩に爪を立てて絶妙なバランスで収まっていた。肩に食い込む爪は若干痛かったが、この野次馬の中降ろせば誰かに踏まれかねない。なので仕方なしに私がレオを肩に乗せているわけだ。レオには猫用のパーカーを着せているが、そのフードの下でぴょこぴょこと耳が動いている様がありありと想像出来る。


「初心者のガキんちょは知らねぇだろうが、聖遺書捜査は現場で稼ぐんだよ!」


「面倒くさいが、人から見聞きするよりは情報量が多い」


 デーヴィッドは、ぱたぱたと私達の前に貼られた黄色いテープの向こうで忙しそうに走り回る警察官や検視官達を一瞥する。


「ここにいる奴らは聖遺書専門じゃない。知識なんて一般人程度だろうな」

 

「あら、そうなの?グリエルモ警部の様にてっきり詳しいのかと」


「あいつは特別だ。そういう部署にいるからな」


 ひょい、と肩を竦めながらどうでも良さそうに答えたデーヴィッドは、ずんずんと野次馬を適当に掻き分けてさも当たり前のように規制線を潜り抜けた。偶然近くを通った若い警察官が、ぎょっとしたようにデーヴィッドを見て、慌てたように声を張り上げる。


「ちょっと!一般人の立ち入りは禁止ですよ!何しているんですか!」

 

 けれどその声にもお構い無しにずんずんとブルーシートで覆われた路地裏へと進むデーヴィッドに、警察官の青年はどう対処すれば良いのか分からずおろおろとする。デーヴィッドのあとを追うようにこそこそと私とレオも後を続けば、流石に野次馬たちもざわめき始める。

 若い警察官は慌ててデーヴィッドへ駆けていき、その肩を掴んだ。


「ちょっ、ちょっと!聞いてますか?!」


「……ここの責任者は誰だ」


 面倒くさそうに顔を歪めると、デーヴィッドは仕方なしとでも言うようにため息をついて若い警察官にそう声を掛ける。声を掛けられた彼は少し困惑したように戸惑ったあと、とにかく出てってください!と再びデーヴィッドに声を張り上げた。

 と、その騒ぎを聞きつけたのであろう。グリエルモ警部より幾らか若い、けれど50代に差し掛かりそうな、厳つい警察官がゆったりとした足取りでこちらへと近づいてきた。


「君、どうかしたのか?」


「っ!オルコット警部補……。あの、こちらの方々が……」


「ああ、お前がここの現場監督か」

 

 デーヴィッドはシャツの胸ポケットから乱雑にカードを出す。それを確認したオルコット警部補は、ああ、と無感情に呟いて頷いた。


「話はグリエルモ警部から聞いております。うちの若いのがお手数お掛けしてすみません。……それで、そちらの方々は?」


 やや冷たい声音で感情の籠らない謝罪を述べたあと、胡乱げに視線だけでデーヴィッドの背後に立っている私とレオを眺めた。デーヴィッドはふん、と鼻を鳴らす。


「助手みたいなものだ。気にするな」


「いや!でも現場に子供とペットを入れるわけには」

 

「承知しました。どうぞご自由にご覧下さい。……くれぐれも無用に現場を荒らすようなことはしないでもらいたい」


 若い警察官が驚いたように反論するのを憮然とオルコット警部補は遮ると、お好きなようにと手でブルーシートを指した。デーヴィッドは特に何も返事をすることもなく、すたすたとブルーシートの方へ歩き出す。

 私もレオも少し小走りに着いて行った。


「……私の勘違いじゃなければ、何だか歓迎されていない気がするわ」


 私がこそこそとデーヴィッドに話せば、デーヴィッド特に気にする素振りもなく、ああ、と答えた。


「仕事を、警察組織に属するとはいえほとんど関係の無い奴らに取られるんだ。プライドが許さないのだろう」


「へっ、素人は黙って俺らに任せりゃいいのによ」

 

「……そういうものなの?」


 私はよくわからずに首をかしげたが、まあ確かに怪しそうな見た目だけは若い青年と子供が横槍してきたら、仕事の邪魔をされているように感じるのだろう、と納得することにする。それにしても、想像していたより何倍も愛想が悪い。よっぽど警部の中でデーヴィッドの愛想は悪いのだろうな、と私はすたすたと足早に歩き去る黒い背中を見つめてため息を零した。いや、確かに愛想は悪さは、失礼のレベルか。


「それで、何をすればいいの?」


「現場を見ればいい、情報は辺りに落ちている」


 こちらを気に止める素振りもなくデーヴィッドは垂れ下がったブルーシートを遠慮なく捲り内側へと姿を消した。野次馬の好奇心の視線や検視官や警察官の冷たい視線の中残された私たちは、少し慌ててその後を追う。

 少し湿ったようなブルーシートを捲ると、眼前から少しのドブの臭いと煙草の匂い、そしてそれらを押しつぶす程の錆びた鉄の匂いがむわりと膨らんだ。うっ、と鼻先を袖で抑えながら薄暗い中路地裏を進む。おそらく仕事をしていた途中であろう検視官達が困惑と苛立ちを滲ませながらすれ違った。皆一様に何か言いたげにデーヴィッドをちらちらと睨めつける。

 わらわらと前方から歩いてきた検視官たちがいなくなると、狭く感じていた路地裏が多少は広いように思えた。少し先でデーヴィッドは無表情のまま何かを立ち尽くして見つめている。その広い背中からは何もわからなかった。

 乱雑とした不健康な路地裏は、人が死んだかもしれない現場だからだろうか、なんだか不気味な雰囲気がする。レオが無言で背を尻尾で叩くので何かと右肩を見れば、鼻を私の服に埋めて顔を歪めていた。なるほど、猫ほど鋭い嗅覚を持っていれば噎せ返るこの臭いは確かにきつそうだ。

 私は少し肩の方へ服を引っ張りながら、現場へ近づき、デーヴィッドの背中から恐る恐る頭を出す。すると眼前に、一面の、それも想像以上に悲惨な血痕が広がっていた。胃が瞬間的に不快感を訴え、再びうっ、と息を詰める。デーヴィッドは視線を少しこちらに寄越すと、ふらりと足を踏み出し私の前に立った。


「……見えないんだけど」


「怖気ついてる奴に見せても何もわからん」


 ならば何故連れてきた。

 私は脳内で突っ込みを入れつつも、そう言われてしまうとここで引けば負けることになるとよく分からない対抗心を燃やしてきっ、とデーヴィッドを睨みつけた。


「私だって、やれば出来るわ。だからやらせて」


「ほぅ」


 どうでも良さそうにデーヴィッドは答えると、僅かに体をずらす。再び露わになる血痕に気圧されながらも、唇を噛み締めて視線をずらさずに眺めるも、どうすれば良いか分からず眉を顰めた。

 するとレオが、とっ、と私の肩から飛び降り、簡単に脱ぎ着出来るよう改造されている猫用フードを脱ぎ捨てた。そして、ふわりと風が彼を中心に巻き起こる。小さな体躯が徐々に大きくなり、段々と猫から人の姿へと変わっていく。完全にいつもの姿に戻ったレオは、ふぅ、と大きくため息をついた。


「……ようやくまともに息が吸えるぜ」


「元から人の姿でいればいいじゃないか」


「そうはいかねぇんだよ、館長」


 くっ、と眉を寄せて拳を握りしめるレオを心底どうでも良さそうにデーヴィッドが目を細めて眺めた。尋ねるつもりがないのか、一向に口を開かないデーヴィッドの代わりを引き継ぐ。


「……ええと、なんで?」


「そりゃガキんちょ、こんな現場にガキを入れるような警察ばかりなわけじゃないだろ?」


「いや、まあ、そうだけど」


 デーヴィッドがいる限り入れそうな気がしなくもないが、言うとややこしくなるので黙っておく。


「それで?」


「もしガキんちょが追い出された時、猫である俺ならば忍び込める!」


 恐らく、私が追い出されたならレオはその前に追い出されているだろうな。獣だし。

 口には出さないけれど、そう独りごちた。こちらのやり取りが終わったのに気付いたデーヴィッドが、後ろで大きくため息を吐いたのがわかる。


「もういいか」


「あっ!そうか、捜査だったな」


 声を掛けるデーヴィッドに向かって耳をピコピコ動かしながらレオは走り寄った。私の横に並んで現場を眺め、おお、と小さく声を漏らした。


「こりゃあまた……随分な」


「大掛かりな飛び散りようだな」


 狭い路地裏の地面だけだはなく、その両隣にある乱雑なガラクタや建物の壁にまでべっとりと付着した血痕。その壮絶な景色には、いっそため息しか出ない。


「一体どうなればこんな現場になるのかしら」


「大方、首の頸動脈を切られでもしたんだろう」


「……そこ、切られたら死ぬよね?」


「普通の人間ならばな」


「あぁ、そうか。パンチ一回でコンクリートを破壊していたね……」


 でもよ、とレオが声を上げる。ひょいと血痕の向こう側へ飛び、私たちとは向き合う形で血痕を見下ろした。


「どんなバケモンだって、首を切られれば死ぬもんじゃね?」


「ああ、そのはずだ」


 デーヴィッドは頷きながら顎に指を置く。ふむ、と考え込むような素振りを見せた彼に横からまじまじと現場を見る。大分錆びた鉄の匂いにも慣れてきた。胃のムカムカするような不快感が少し収まる。


「……奇妙だな」


 デーヴィッドがぽつりと呟く。向かい側にいたレオが耳聡く、その頭に生えた猫耳をぴょこっと動かしてデーヴィッドを見上げた。黙って視線だけで問いかける。それにデーヴィッドは、少し黙ったあとふぅ、とため息をついて口を開いた。


「わざわざ聖遺書を持ち去るのは、この事件の黒幕がバレるのを防ぐため……。とはいえ、それまでの過程が派手すぎる」


「派手?」


 私が首を傾げると、ちらりと視線だけ寄越してきた。返答のかわりに、革靴をかつと鳴らして一歩血痕に近づく。じ、と黙って飛び散った赤を端から端まで眺めた。


「例えば、仕事を失敗して捕まったこいつの聖遺書を俺に読まれ、黒幕が誰か見つかるのを防ぐために殺したとして」


 だらりと羽織った裾の長いコートを翻しながら壁へと歩き、コンクリート製の灰色と赤の境目を蒼白い指でなぞった。よくもまあ触れるな、と呆れる。


「わざわざわかりやすく殺しました、とでも言いたげな現場を残すのは賢いやり方ではない」


「なんか悪いことでもあるのか?」


 レオが現場を、むむ、と唸りながらデーヴィッドのように端から端まで見つめた。


「……死んだか分からないまま、行方不明扱いの方が都合がいい?」


 私はふむ、と腕を組みながら呟く。

 例えば死んでいることを隠し、警察には行方不明と勘違いさせる。その際黒幕……真犯人にはどのようなメリットがあるのだろうか。


「行方不明……つまり、警察は窃盗犯が生きていると思って、そいつを探すってことになるのか」


「ああ、だが、事実窃盗犯は死んでいる。いない者を探しても、居場所どころか証拠も出ないだろうな」


「……あっ」


 レオがなんだ、と少し驚いたように顔をこちらに向けた。

 デーヴィッドの言いたいことがわかった私は、それに気付くことなくなるほどと頷いた。


「つまり、警察に窃盗犯の行方を追わせれば、その分黒幕が逃げる時間ができるってことね」


「ああ、黒幕に気付いたとしても、もう手遅れだ。後手に回りすぎている、見つけることは困難だろうな」


「……けど、こいつはこんなに血ぃ撒き散らしてあからさまに死にましたって現場になってるな」


「……確かに、妙ね」


「それに、奇妙な事はそれだけではない」


 デーヴィッドはくるりと体をこちらに向けた。かつかつ、と明快な革靴の音がする。今日はお手製の靴底スタンガンは装備していないらしい。あのカチャカチャという金属が擦れる音がしない。


「他に何か?」


「ああ」


 デーヴィッドは小さく頷いたあと、少し眉を顰めた。ふぅと重々しく息を吐いて、薄汚れたコンクリート製の壁に寄りかかった。ズボンのポケットに両手を突っ込んで、いつもの気だるそうな表情を微塵も感じさせない、真剣な瞳で口を開いた。


「一般人は聖遺書の存在は知っていても、それの活用法は知らない」


「犯罪防止の為でしょ?聖遺書は必ず警察に差し出して、管理してもらわなければならない。憲法にも載っているわ」


「ああ……。だから、だ」


「だから?」


 デーヴィッドは一呼吸置く。


「聖遺書の解読が可能なんてことは、一部の警察しか知らない」


「……まさか」


「この窃盗事件」


 デーヴィッドが重々しげな声で告げた。


「想像以上に厄介なことになりそうだ」  

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