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第13番館永久閉架書庫  作者: 紫乃碧
第一章
3/8

ー珈琲と閉架書庫ー

大都市近郊の路地裏にひっそりと風情あるカフェがある。穏やかな老人が一人で経営してるその店。壁は全面が赤レンガという、これまた趣のあるデザインになっている。


 その店の奥に、「staff」というプレートが掛かった扉があり、その扉の手前には繊細に編み込まれたレースカーテンが垂れ下がっている。カウンターにいるマスターに、帰宅を一言告げるとカーテンを捲り扉を開く。コーヒーのなめらかな香りが出迎えてくれる。


 自然に閉まった扉の向こうでプレートがカタンカタンと鳴る音が聞こえた。薄暗いこじんまりとした部屋には、申し訳程度のロッカーと埃一つない食器棚。そして天井までビッシリと規則正しく並べられた珈琲豆の瓶詰めが部屋の大部分を陣取っていた。図書館の如く並べられた棚に、丁寧にラベリングされた瓶詰め。その合間の通路をまっすぐ進めば、一面だけ飾りも棚も何もない剥き出しの赤煉瓦の壁が鎮座していた。


 その壁の、下から四段目、左から七番目の煉瓦を押し込むと、カチャリ、と軽やかな音が小さく部屋に響いた。そして一拍置いてから、ズ、と重たい音を鳴らしながらゆっくりと意味ある形を形成していき、人一人分の大きさのドアが姿を現した。


 塞がった両手の代わりに体当たりのような格好で、扉を押し開けぽっかりと口を開けた暗闇に足を伸ばした。ふわり、と仄かな明かりが灯り始める。


 さて、これでもう、簡単だ。

 何が、って?

 それは勿論、私達が根城にしている極一部にしか知られていない秘密の場所へ行く為に、だ。


 私の身長よりも僅かに高い位置に点々と設置されたランプが、薄暗闇を作り出す。その中をひたすら下り階段が続いてる。幅は人一人と半分位。くるくる回る階段に目が回りかけた頃、行き止まりに突き当たる。その行き止まりに突き当たったら今度は左の壁。

 冷たい石の壁を押すとそこには。

 息をするのもやっとなほど圧巻的な本、本、本。高い天井に、奥が見えないほど広い空間。そこに所狭しとと、礼儀正しく並んだ本たち。そしてその景色に相応しい厳かな雰囲気が。


「だから!やりすぎだと何度言えばわかる!」


「……ちょっと新しく作った靴底スタンガンを試しただけだ。別に死んではいない。ならいいだろう」


「良くない!法律的にも人道的にもな!だいたいお前はいつもいつも……」


 広がっているはずだった。

 けれども私を出迎えたのは、いつもの心地よい無音とページの捲る音ではなくて、珍しく他人の声、それも凄まじい剣幕の声だった。


「グリエルモ警部、いらしていたのですね」


 開け放した分厚いドアを閉めながら私は声の主、グリエルモ警部に声を掛けた。すると彼は、今ようやく私の存在に気づいたようで、肩で息をしながら振り向き微かに目を開いた。


「オリビア君、出掛けていたのかい?一人で?」


「ええ、そろそろ書庫の食料が切れる頃だったので……。ここの住人方は食事には無頓着過ぎて」


「全くだ。こいつには、昔から何度も言っているのだが治らなくてね。済まない、オリビア君」


 グリエルモ警部は、やれやれと呆れたように頭を振ったあとまた、積み上げられた本の山に埋もれる様に存在するソファを睨みつけた。いや、正確に言えば。


「グリエルモ、俺はいつお前にそんなことを頼んだ。お前は俺の母親か」


 そのソファにグダリ、と横たわるなんともやる気のなさそうな男、もとい館長であるデーウィッドを睨みつけたのだ。

 警部は、眉間のシワを伸ばすように親指と人差し指で解した後、はあ、と溜め息をつきながら顎の髭を撫でた。年相応かそれ以上の威厳を醸し出している彼の顔に刻まれたシワが、今は一層深く刻まれている。


「お前の不健康生活は今に始まった事ではないが……。まあ、いい。今日はその説教をしに来た訳では無いしな」


「お仕事ですか?」


 既に大きな欠伸をし始め、開いた本を顔に被せたデーヴィッドを見て、私が続きを引き取った。そんなデーヴィッドの様子にまた警部は大きく溜め息をつくと、最早彼に話しかけることは諦めたのか、完全に体を私の方に向けて会話を続けた。


「ああ、昨日の今日で申し訳ないんだが……」


 珍しく警部が言葉を濁す。真面目で正しい彼は、常に自分の考えを持っている。たとえその考えが、彼の所属する警察という組織の上層部とは全く違ったとしても、貫き通すのが彼だ。現に私が今ものんびりとここに居られるのがいい例だ。そんな彼が言葉を濁らすのを、まだ短い付き合いだが、私は初めて見た。


「……何か、あったんですか?」


「……ああ、実はな。昨日君達が捕らえた窃盗犯なのだが」


「死にでもしたか?」


「……」


 本からちらりと片目だけこちらを覗きながら、事も何気に穏やかではない事を言うデーヴィッドに、警部は苦虫を潰したような顔をする。そして、本日何度目かわからない溜め息を長々とたっぷり吐いたあと、手近にあった木製の椅子を引っ張り出してどっかりと座り込んだ。

 それと同時にデーヴィッドも、のそのそと起き上がり足を組んで無意味に手の中にある本をパラパラと閉じたり開いたりする。


 私は静かに抱えていた紙袋を抱えなおすと、部屋一面が本棚と本に囲まれた空間に違和感と共に鎮座する、以前警部に無理矢理押し付けられたという小さな冷蔵庫に買った物を仕舞い始めた。

 デーヴィッドはパタン、と音を立てながら本を閉じると側に置き、足を組み直す。


「それで?」


「確かにお前の言う通り、あの男が昨夜死んだ」


「まあ、だろうとは思っていた。くそ真面目なお前が連絡もなしに来るはずもない」


 ふわりとまた欠伸を漏らすデーヴィッドに、警部は苦々しい顔をする。


「偶然か必然か。まあ、ともかく仕事が楽になって良かったじゃないか。そいつの聖遺書を俺が解読すれば解決……。と、いう面をしてないな」


 ちらりとつまらなそうに警部の顔を眺めたデーヴィッドは、ふん、と言うように足を組み直す。


「一応言っておくが、俺は生きて証言が欲しかったんだ。死んで聖遺書を解読すれば事件解決、では何も変わらない」


「相変わらず堅物……いや、甘い考えをしてるな」


「お前は、本当に……。いや、いい、この話は昔から意見が違っていたしな。それに、今はその話ではなかった」


 しん、と一瞬沈黙が降りた後、デーヴィッドはまるで今までのやり取りがなかったかのように、それで、と続きを促した。


「死んだ原因はなんなんだ」


「それがわからんのだ」


「わからない、のですか?」


 冷蔵庫に食料を入れる手を止めて思わず私が声をあげると、警部は眉間に深い皺を刻みながら、低く、ああ、と答えた。

デーヴィッドは、多少興味を抱いたのか、短く鼻を鳴らす。


「まさか死んだ状況もわからないなんて言わないだろうな」


「あり得ないんだ、本当ならばな。……聖遺書窃盗犯の男、ヴァング・アーロンは昨日夜、予定通りロンドンの特別留置所に身柄を引き渡された。まあ、現物を持ってる現行犯だからな。疑いようもない、というのと夜だということもあって詳しい取り調べは明日に回され、昨日は独房の方に入れられてたんだ。その時は特に暴れもしなかったらしいが。けれど深夜頃、突然暴れ出した」


「犯人が突然暴れ出すぐらいよくあるだろう?」


「その規模があり得なかったんだ。警備に回っていた奴から直接聞いたが、奴は突然壁を殴り始めたらしい。勿論人間の力じゃどうこう出来るような壁ではない。……しかし、奴は壁に穴を開けたそうだ」


 本を開いたり袖をいじったりと落ち着きがなかったデーヴィッドが、ピタリと動きを止めた。


「……パンチでか?」


「話によれば、そうだ。おまけに一発だったらしい」


「前に私が入れられた時、見る限りどの壁もコンクリート製でしたが……」


「あそこにコンクリート製以外の壁は存在しない」


「ハッ、そりゃまた面妖な人間がいたものだ」


 デーヴィッドが堪え切れないように、喉の奥でクックと笑う。その様子を見た警部が、心底疲れたような顔をして苦言を呈した。


「お前に言われたくないだろう……」


「果たして俺は人間の枠組みに入れていいものか」


「知らん、そんなものは自分で考えろ」


 警部はそう短く切り捨てると、眉間を指で解した。どうやら本当に疲れているらしい。


「まあ、事情はわかった。それで、そいつの聖遺書は何処だ?」


「わからん」


「……は?」


 デーヴィッドは、珍しく間の抜けた顔で警部の顔を眺めた。そして、す、と目を細め、先程までのだらしない態度は何処へやら、低く平坦な声で問い掛ける。


「グリエルモ。……それは、どういう事だ?」


 警部は深々とため息を吐きながら、ゆるゆると首を振った。


「奴は壁を破壊したあと、脱走した。もちろんこちらはすぐさま包囲網を張り、捜索したが……。見つかったのは、大量の血痕のみ」


「ならば、死んだとは限らないだろう」


「いや、現場を見ればわかるが、あの出血量じゃ並の人間は生きてはいられまい。それに、現場には足跡が残されていた。これらから、恐らく何者かによって殺害されたあと、聖遺書を持ち去られたとこちらは考えている」


 そう言い切って、警部は一息ついた。

 デーヴィッドは黙って口に手を当て考え込む。私も二人の顔を交互に見ながら事の流れを見守った。

 暫く経ってようやく、デーヴィッドがふむ、と呟いた。


「話はわかった。そのヴァングとやらが人間でない線も有り得なくはないが、まあ、可能性は低いだろうな」


「ああ。……それに、一番問題なのは」


「犯人の聖遺書が持ち去られたこと……ですか」


「こちらも推測に過ぎないが、恐らく奴を雇うなり何なりした黒幕の人間の仕業だろうな」


「組織ぐるみの犯行、というわけか。……なるほど」


 重々しくそう言うと、デーヴィッドはさらりと目を覆う、鬱陶しそうな黒髪の前髪を掻き上げた。深海のような深い蒼の双眸が、ゆらゆらと妖しげに揺れている。警部も自然と、背筋を伸ばすのが見えた。

 空間に糸がピンと張るのを感じる。


「改めて、第十三番館館長、デーヴィッド・ウ……。……デーヴィッド、仕事だ。持ち去られた聖遺書の捜索、奪還、及び敵組織の調査を」


「ああ、承った」


「……くれぐれも、気をつけろよ」


 デーヴィッドは、ふん、と楽しげに鼻を鳴らしたのだった。




 「現場の監督者にはこちらからお前達のことを伝えておく、お前よりは愛想が良い奴だ」と言葉を残して、重苦しい空気を背負ったまま書庫を出ていった警部を見送ったあと、ひょこりと本棚と本棚の間から橙色の尻尾が現れた。辺りを警戒するようにきょろきょろと視線を動かしながら現れた、十二歳ほどの少年にデーヴィッドも気が付いたのか、声を掛ける。


「レオ、また隠れていたのか?」


 レオ、と呼ばれた少年は、ぴゃっ、とその場で驚いた様に飛び退いた。二又に割れた尻尾も、彼の動きに呼応するようにぴんと立つ。そして、些かバツの悪そうな顔でぼそぼそと呟いた。


「だ、だって、あのおっちゃんすげぇ怖いんだよ……でけぇし顔怖いし厳ついし……」


「グリエルモ警部は優しい人だよ」


 以前、動物にどうも嫌われやすいとしょんぼりしていた彼を思い出しながら私がそう言うと、レオはキッとに睨みつけて来た。


「うるせぇ、ガキんちょ!俺の野生の勘があいつはやばいって言ってるんだよ!」


「……ガキんちょはどちらかしらね」


「なんだと!」


 興奮しているのであろう、被っているフードの下からふさふさとした耳が慌ただしくぴょこぴょこ動いているのを眺めながら、私は呆れつつため息をつく。その様子をじっと眺めていたデーヴィッドが、ふわりと欠伸しながら立ち上がった。だらりと肩からずり落ちた羽織を着直す。

 自然と言い争いを止めた私たちの視線に気が付いたデーヴィッドは、面倒くさそうに頭を搔く。そして、まあ、と口を開いた。


「話は聞いていただろう。仕事だ」


 そして、珍しく口角を吊り上げる。


「頼むぞ、お前達」


 その時の私たちは、まだ気が付かなかった。この事件が、私たちを繋ぐ、大きな事件に繋がることを。

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