3-35:耄碌したな、ジジイ
全てが終わった。
エンノイアは死んだ。もはや希愛を狙う者は居ない。
夜は今まさに明けようとしている。夜と朝の境界があいまいな紫の空から徐々に青が彩られ始め、日の光が石橋たちを照らしていた。勝った彼らを祝福しているかのように。
しかし戦いの果てに、石橋も希愛も疲労困憊にあった。
希愛は元に戻り、また裸になってしまったがあらかじめ持ってきていた予備の服をバックパックから取り出して着替える。体力の消耗が激しかったので、眠たいながらも高エネルギーバー食をかじっていた。
石橋は大きなため息を吐いて、タバコを懐から一本取り出して火を点ける。
紫煙が礼拝堂の天井にまで立ち上り、やがて消えていく。
「流石にしんどかったぜ。俺ももう年かな」
ぽつりとつぶやき、石橋は倒れているアリサの元へと歩いて行く。
アリサは気絶しているものの、幸い大きな怪我などはなさそうだ。打撲傷も時間が経てば自然と治るだろう。
「アリサちゃん、凄い勇気を出して戦ってくれたのびっくりしたよ」
「ああ。アレがなければ俺達は負けていた」
アリサがあれだけの働きをしてくれた。一体どれだけの苦痛をかかえ、憎悪を抱いてきたのか石橋や希愛には想像もつかなかった。おかげでエンノイアを倒す事は出来たが、その代償は大きい。
アリサのみならず、教祖の周囲に侍らせられた子供たちの戦いは、むしろこれから始まるのだ。彼らが立ち直り平穏な生活に戻るには相当な時間が掛かるだろう。
石橋はいつの間にかフィルター近くまで火が迫っていたタバコを投げすて、携帯を手に取った。
「由人」
「兄貴っすか? どうですか憎いアンチクショウは倒せましたか?」
「当たり前だ、と言いたいところだが今回ばかりは骨が折れた。お前は無事か?」
「ええ。追って来た連中もようやく諦めてくれたようです」
「希愛とアリサをひとまずベイビーリザードに連れて行く。車をこっちまで出してくれ。俺たちは礼拝堂の中にいる」
「了解です」
通話を切り、ほうとひときわ大きな息を吐いた。
大きな岩が両肩に乗っかっているような疲労感を石橋は感じている。
これで終わったのだ。本当に。
あとは迎えの車の中で眠る事にしよう。着いたらシャワーを浴びて汚れと疲労を落とし、ふかふかのベッドで泥のように眠るのだ。
迎えはいつ来るのか、どこまで由人が逃げたのかはわからないが多少の時間はかかるだろう。それまでゆっくりと礼拝堂の長椅子に座って休む事しか出来ない。
希愛も徹夜と激しい疲れの為か、うとうとこっくりと船を漕いで時折ハッと目を覚ましての繰り返しだった。無理もない。
「無理して起きていなくてもいいんだぞ」
「嫌。迎えが来るまで起きてる」
「まぁ、好きにしなさい」
子供の身ながら戦い通した者のわがままをどうこう言おうという気にはなれない。気の済むようにさせてやりたかった。
やがて新聞配達の原付エンジンの音とは異なる音が聞こえた。
由人の車だろうか。それにしては来るのが速すぎるような気もする。
「警察がやってきたのか?」
様子を伺いに石橋は一度外へ出た。
「由人でも警察でもねえ。なんだあの車の列は……?」
黒い車が何台も列をなしてゆっくりと走っているのを石橋は目にした。
列の中心に、ひときわ大きい白のリムジンが居た。石橋はあれに見覚えがあった。
「竪菱組組長専用のリムジン? ってことは柄山の親父がここに?」
今更一体何の用で、という疑問は浮かんだが一旦それは飲み込む。
車は教団正門前に止まり、まずボディガードたちがずらりと車の中から出てきて周囲を警戒する。懐が不自然に膨らんでおり、時折確かめるかのように手を入れている。
「怪しいものはありません、おやっさん」
「おう、そうか。ご苦労さん」
白いリムジンのドアが開いて、和服を着た初老の男が杖を携えて降りて来た。
竪菱組組長、柄山志乃夫だ。
彼はすぐに石橋が礼拝堂近くに立っているのを見つけ、足早に近づいてきた。
「よう、石橋。お前が生きているってこたぁ、教祖をぶちのめしたんだな。よくやった」
「あ、は、はい。おかげさまで」
いきなりの登場に困惑を隠せない石橋を後目に、柄山はボディガード達に指示を出す。
「これから石橋とサシで話をする。何かない限りは礼拝堂の中には入ってくるなよ」
柄山に促され、石橋は礼拝堂の中に再び戻った。
礼拝堂の椅子に並んで腰を下ろす二人。希愛は柄山が来た事で眠りかけていた意識をなんとか引き戻していた。
「あれ? おじいちゃんどうしてここに?」
「ははは。お前を迎えに来たんだよ」
一瞬、柄山の目が鋭い光を宿したのを石橋は見た。
「オヤジ。一体どういう意味ですか」
「言葉の通りだ。それ以上の意味はない」
「それならお前たち、と言うべきではないのですか? まるで俺には用が無いみたいじゃないですか」
「流石に頭が良いじゃないか。今更隠すつもりもないが、希愛の回収だけじゃなく、教団もウチの組が接収する。研究を引き継ぐには人材も建物も必要だからなぁ」
「道理で行動が速いわけだ」
石橋は歯噛みした。
最初からこうなる事を織り込み済みで行動していたというわけだ。
最悪、石橋がやられたとしても希愛さえ生きていればどうにでもなる。消耗した教祖ならば竪菱組員たちの数の暴力で押し切ってしまえばいい。教祖の能力とて既に調査済みだったのだろう。確かに教祖のサイコキネシスは恐るべき能力だったが、個人では集団にはいつか負けてしまうのだ。
石橋の目は血走り、額に青筋がいくつも浮かんできていた。
「どうやら俺はアンタの事を買いかぶっていたみたいだよ。オヤジ。アンタも不老不死なんかに執着する醜い連中と同類になったってわけだ!!」
声を荒げる石橋に、しかし返答は無かった。初老の男は固く口を結んでいるだけだった。
静寂の中で、沈黙は長く続いたかのように思えた。
やがて、自嘲気味に柄山は笑った。
「所詮、こうなるのが運命だったって事だよボウヤ。さっさとガキを引き渡せ」
笑みを消し、静かに、しかしドスの効いた声が響き渡った。
その声に希愛は思わず身を竦める。石橋は希愛をかばうように前に立ち、叫ぶ。
「ふざけるな!」
懐から素早く拳銃を取り出し、柄山に銃口を向けた。
怒りで目の前が真っ暗になりそうだった。
何故だと問うのは無駄だと悟っていても、それでも口をついて出ようとする。だが歯を食いしばって、その言葉が漏れるのを防いだ。
どうせ答えないのならば、体に聞いてやる。
「親に楯突くつもりかな?」
「俺はもう絶縁されてるからな。今更アンタらの言う事を聞く義理は無い」
「では仕方がない。実力行使で行かせてもらうとしよう」
「最初からそのつもりだろうが!」
引き金を引き、銃弾が柄山の体を狙う。
しかし柄山は鋭く仕込み杖から柄を引き抜き、銃弾そのものを切って捨てた。
「目を瞑って耳をふさげ!」
石橋が叫ぶと同時に手榴弾を柄山に投げつける。
希愛は言葉を聞き、ほぼ反射的に反応した。
「むうっ!」
銃声を聞いてすぐさま駆け付けたボディガードが柄山を守るかのように仁王立ちになる。投げつけて三秒後きっかりにそれは炸裂した。
と言っても爆発ではなく、閃光と爆音を礼拝堂に響き渡らせた。閃光手榴弾だ。
「ぐおっ!」
「がっ!」
ボディガード達のうめき声が聞こえた。
サングラスをしているとはいえ、目を眩ませるには十分すぎる光と、もろに炸裂音を聞いてしばらくは彼らは身動きがとれないだろう。
そのスキに石橋たちは教団施設正門から外へと駆けて逃れた。
とはいえ、すぐさま奴らは追ってくるに違いない。
「どこに行くの? 兄ちゃん」
「目の前におあつらえ向きのビルがある。あそこで迎え撃つ」
「迎え撃つ? 隠れるんじゃなくて?」
「あいつらはきっとしらみつぶしに探しに来る。だったら倒してしまった方がいい」
「でも、武器ももうあんまりないんでしょ? 私も完全に変身は出来ないし」
「おいおい。俺の能力を忘れたか? 俺の能力はああいう場所でこそ活きるんだぜ」
満身創痍ながら、石橋は不敵に笑みをうかべていた。
辛く苦しい時ほど笑え。アンタはそう言っていたな、オヤジ。
石橋の脳内には柄山がかつて叩き込んだ教えが幾度となく蘇る。
それが運命だと言うのなら、どこまでもあがいてやる。
往生際が悪かろうが、俺のような凡人にただ一つ出来る事だ。
頭を常にフル回転させろ。一瞬たりとも気を抜くな。そして諦めるな。
心が折れてしまえば終わりなのだから。
石橋と希愛はコンクリート打ちっぱなしの、どのフロアにもテナントが入っていない5階建てのビルに逃げ込んだ。
閃光と爆音の衝撃からようやく回復したボディガードたちが、二人の逃げた方向に気づいてぞろぞろと向かってくる。懐から取り出したごつい拳銃を持って。
ボディガードたちがビルに入っていくのを見つつ、柄山志乃夫は仕込み刀の刃をきらめかせた。陽光に照らされて輝く刀身は、美しくも禍々しい。
「石橋。お前に引導を渡してやる。それが俺の、最後の餞別だ」