3-33:プロジェクトキマイラ
エンノイアは一つ、咳ばらいをした。
「私はかつて、プロジェクトノアという計画に関わっていました。火星をテラフォーミングするという壮大で、夢のある計画です」
「へー。そういう研究者だったんだ」
希愛がひとつ相槌を打ち、ちらりとエンノイアがみやる。
「いわゆる火星の環境を地球に近くすることで、人類に住みよい惑星とする計画です。その際に生物を火星に持っていくためにはどうするかという問題もありまして」
「そのまま持っていけないのか?」
「ヒトであればいざしらず、他の生物は環境の変化に耐えられない事が多くてですね。ならば全ての生物の遺伝子を一つの苗床となる生物に入れてしまえばいいのでは、と考えました。頭がおかしい考えかもしれませんが、かなり合理的でもあります。その都度必要な生物を発現出来ればそれに越した事はないのですから」
「それで、その実験は上手くいった訳がないよな」
現状、ここの研究所の実験でも上手くいった様子がない。だから、
「もちろん、失敗ですよ。当たり前ですよね。実験体はいずれも自己の形を保てずにゲル状になってしまった」
という返事が来るのもまた当然であった。石橋の脳裏には研究所で見かけた、あの現象が浮かんだ。人がゲル状に溶けて形を失い、周囲の生物を飲み込むさまを。
事もなげにエンノイアは続ける。
「生物の培養を宇宙でやる事も考えましたが、うまくいきませんでした。プロジェクトノアはテラフォーミングしてもなお、過酷な環境である火星でも適応できる生物を作り出すという目的もありましてね。研究を始めた某A国の情勢変化もあって、上手くいかない研究は一旦凍結となり、研究内容自体はそのまま転用する形で新しい計画が発足しました。私もノア計画からスライドする形で参加しまして」
「で、その計画ってのが」
「貴方達のようなキメラ人を生み出す元凶、プロジェクトキマイラというわけです」
「なるほどね。つまり俺達というのは研究の末に生み出された実験体の子孫、という訳か」
「ええ。もちろん用途は軍事用です。当然ですね。某A国は軍事大国なのですから」
「軍事、軍事か。反吐が出そうだな」
「ヒトの受精卵、胚の段階に別の生物の細胞を混ぜ、その生物の良い所を持った人間を生み出す。その試みは成功しました。倫理的な問題さえ無視すれば安価に生産できるのも良い所ですね。下手に兵器を作るよりも人間に訓練した方が安上がりなのだから」
エンノイアの言葉に、石橋は額に皺を寄せる。確かに数多くの人間よりかは、戦闘機やレーダーと言った軍事機器の方がはるかに高級だ。だとしても、それはやはり人間としての、生命への冒涜に等しい言葉だ。
「その上、大人相手でも移植、培養する事で能力を獲得できる事がわかりましてね。更に手間が減ったことにより、一時期はその某A国の特殊部隊の人員はほぼキメラ人で占められるようになったとか。だが、あまりにも手軽にできるがゆえに彼らの運用を誤った」
「というと?」
「何の説明もせずにいきなりキメラ人にされ、作戦が終わり次第に”処分”されるとの憂き目に遭うのではたまったものではないでしょう。彼らの一部は密かに脱出し、世間に自らの存在と計画を暴露した」
「それで、彼らはその後一般社会に紛れて行ったというわけか」
勿論、最初は彼らの存在をどうすべきかという議論があった。あったが、彼らは静かに社会へと溶け込んでいき、やがてキメラ人という存在は当たり前のものとなっていく。今日のように差別や社会問題となっていったにしても。
そこまで説明したところで、エンノイアの顔は苦虫を噛み潰した表情となる。
「私はこの計画に関わった事を後悔しています。やはり人と何かを交わらせる研究などすべきではなかった。今のキメラ人に関わる下らない争いを見て、尚更そう思うのです。宇宙進出に関する研究だけやっておけばよかったとね。だが、私はそれでもこの研究はやっていてよかったと思います。何故ならノアと出会えたのだから」
ちらりと石橋が希愛を見る。希愛はじっと、エンノイアの方を見据えている。
「彼女だけが、方舟の遺伝子に適応出来たのです」
「方舟の遺伝子だと?」
「はい。琥珀の中の蚊にあった、未知のものを含むすべての生物の遺伝情報を統合し、なおかつ意識的に生物を表面に発現させる為のトリガーとなる遺伝子です。これが無ければキマイラ体にもなれない。他の被検体にも試してみましたが、ノアを除く皆が拒絶反応を起こして死んでしまった」
エンノイアは天を仰ぎ、両手を広げて大きく笑みを浮かべる。
「彼女だけが唯一無二の存在なのです。彼女さえいれば、他に何もいらない!」
「だから研究所のバイオハザード騒ぎを引き起こし、希愛とアリサを逃がして、新興宗教組織を乗っ取って更に二人を攫ったと? 回りくどすぎる」
「私と、ノアの為の資金が必要だったのでね」
「そう。私と希愛の為とは、結婚式の事か?」
石橋は額に青筋を浮かべながら、銃をエンノイアに構える。
「もちろん、それもありますが……。彼女を徹底的に研究する事で、私は神にも等しい存在になれるのではないかと思いました。人をどこまで超越できるのか、これは挑戦ですよ。宇宙にも適応できる人になれれば、きっと私は神になれる。そうに違いない」
「下らない。その為にノアを利用するというのか!!」
石橋の激昂に対して、あくまでもエンノイアは冷静に、穏やかに答える。
「利用とはおかしいですね。研究所の実験体だったノアは、故に私のものですよ。私は今こそ理解しました。ノアは、私の妻となるべく私の下にやって来たのです。ノアは魅力的ですよ。他の子供たちと違ってね」
エンノイアは子供たちを見つめる。その視線が含める色に、石橋は更に嫌悪を増幅させる。
「貴様、まさか子供たちに……」
「私のお眼鏡に叶うものにだけ、金の十字架を提げさせています。だが、やはりノアやアリサほどに匹敵する子たちは中々いませんね」
よく見れば、エンノイアのより近くにいる子供たち全員が提げているY字の十字架は、金色に輝いていた。
「石橋にいちゃん、この人、凄く気持ち悪い……」
「気づいたか。こいつはな、希愛の気持ちはどうでもよくて、ただ自分の欲望の為に希愛が欲しいと言っているだけなんだよ」
石橋は唾を床に吐き捨てた。
その言葉に苦笑いを浮かべ、やれやれとエンノイアはため息を吐く。
「全てを吐露したところで貴方が納得するとは思えませんでしたが、やはりこうなりましたか」
「当然だろう。数ある嫌いな輩の中でも、俺が一番嫌いなのが子供に手を出す奴だからな!」
石橋はサイト越しにエンノイアの眉間を狙った。
「やはりここで殺しておくのが世の為人の為ってものだ」
引き金に指を掛けようとすると、周囲の子供たちが一斉に非難の声を浴びせかける。
「教祖様を撃つな! この悪魔め!」
「聖なる礼拝堂から立ち去れ!」
口々に放つ言葉はどれもこれも子供のセリフとは思えぬような、過激なものだった。
子どもたちの瞳は明確な敵意が宿っている。
彼らはやはりマインドコントロールされているのではないかと石橋は疑った。
何より、周囲に子供たちがいては弾が逸れた場合当たってしまう可能性がある。
石橋の頭に上っていた血がスッと引いていくのを感じた。
「仕方ない。まずは君らをおとなしくさせるか」
石橋は腰に提げている手りゅう弾の一つのピンを抜き、投げつけた。
「希愛! 耳をふさいで目をつぶれ!」
「うん!」
投げつけた手りゅう弾は子供たちの前に転がったかと思うと、眩いほどの閃光と爆裂音を放ち、礼拝堂は一瞬だけ光に包まれた。
耳鳴りがまだする中、石橋はエンノイアとの距離を詰めようと走り寄る。
子どもたちは目をくらませて倒れていた。
「希愛、悪いが変身して子供たちを回収、外に連れ出してくれ」
「わかった」
希愛は即座にキマイラに変身し、大きな両腕で子供たち全てを抱えて外に連れ出した。
閃光を浴びてもエンノイアは微動だにせず、微笑みをたたえて泰然と立っている。
石橋とエンノイアの距離は、わずか2メートルくらいにまで縮まっていた。
「子供たちを無視して撃つかと思ったがね。子供を大事に思っているのは本当の事か」
「俺はそんな事はしねえ。お前の身勝手さには心底うんざりした」
石橋は改めてアサルトライフルを構え、エンノイアをオープンサイト越しに睨みつける。
エンノイアは石橋を見て目を細める。微笑みは崩さないまま。その表情からは何の感情も読み取れず、不気味なものを感じさせる。
一触即発の雰囲気。戦いが始まる。