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遺伝子ファッショナブル  作者: DRtanuki
第三章:少女とヤクザと教祖
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3-24:柄山志乃夫


 新宿区三番街の夜が更ける。

 いつもなら人が賑わっているはずの街は、今は眠り込んだように静かだ。

 ここ三カ月で人が攫われるという事件が何件も続けざまに発生し、至る所に警官が配備されて警戒している。警官がうろついている繁華街など盛り上がりようがない。

 事件は未解決で、警察の体たらくにバッシングが日に日に強まるばかりだ。

 勿論警察とて手をこまねいているわけではない。必死に事件解決の為の糸口をつかもうと必死になっている。


「というのが今の所の警察の筋書きだ」


 初老の男がウイスキーの入ったグラスを傾けながら呟いた。

 果たして待ち合わせの通りに、高級クラブ「ベルフェゴール」に彼は現れた。

 竪菱組六代目組長、柄山志乃夫。

 すっかり白くなった髪の毛は短い角刈りで揃えられ、派手さのない黒や灰色で固めた着物を着て、杖をついている。履物は草履で、映画の中から出て来たかのようなヤクザの佇まいをしている。

 今となってはヤクザであっても和服を日常的に着用しているのは珍しい。しかし彼にとっては和装こそがトレードマークであり、普段着でもあった。

 

 ベルフェゴールのVIP室の外では竪菱組のボディガードが二人、そして由人が警戒に当たっている。

 VIP室の中では、テーブルを挟んで石橋と柄山は向かい合う形でソファに座っている。

 

「オヤジさん、どこまで知っているんですか」


 半ば食いかかるように尋ねる石橋。


「どこまでだろうかな」


 答えを勿体ぶりながらグラスを空にする柄山。


「俺はね、もう我慢の限界なんですよ。あいつらにヤクザの怖さをわからせてやらんことには収まりがつかんのです」

「何より、希愛を奪還せん事にはな」

「ですから――」


 石橋が握りこぶしを固めてテーブルを叩きそうになった瞬間、柄山は言う。


「お前も知っているだろうが、警察も教団とグルだ。この事件を解決するつもりはないだろう。というのも、教団が首謀者だからな。誘拐されたのもキメラ人ばかりだ。教団の言う、教義に反した奴らだな。おおかた、実験にでも使うつもりなんだろう」

「何の実験です?」

「遺伝子除去装置とかいう怪しげな機械だよ。純粋な人間に戻すとか、胡散臭えことこの上ねえ連中だ」

「やはりそれですか」

「おう。それと警察のみならず、政治家連中とも繋がりがある。甘い言葉に誘われた馬鹿ばかりだがな」

「不老不死……」

「どいつもこいつも、現世に未練持ちすぎだよなあ?」


 空になったグラスに柄山は手酌でウイスキーを注ぎ込む。


「俺は不老不死など馬鹿げてると思いますがね。そんなに長く生きて、化け物にでもなるつもりかってんですよ」

「そうかね? 欲をかいた人間なら幾ら醜くなっても生きて世の中に関わっていきたいと思ったりするもんじゃないか。なぁ?」


 石橋はじっと柄山を見つめた。

 まさかオヤジまでもそういう考えに染まったのではないかという疑念の眼に気づいた柄山は苦笑する。


「安心しろよ。俺はそこまで腐っちゃいねえよ」

「ならいいんですけど」


 柄山はウイスキーで満たされたグラスを持ち、揺らす。琥珀色の液体が薄暗い照明の灯りに照らされ、鈍い光を放つ。

 毎回の事ながら、目の前にいるこの人の考えている事が読めない。

 アルコールを入れても冴えるばかりの思考を巡らせながら、石橋はグラスの酒をあおる。


「俺の過去って前にも話したっけか」

「ここ最近は呑むたびに」

「そうか。俺も爺になるわけだ」


 ぐっとお互いに酒を飲む。

 ひとつ、間があった。


「おれは竪菱組の組長だ」

「ええ。どでかい、連なる山脈の頂点ですよ」

「だが、それも日本の小山の一つに過ぎない。お山の大将で満足なんか出来るかよ。やはり日本を、世界を牛耳るくらいの大物にならんとな」

「大きな夢ですね。俺には想像もつかない」

「その為にはこのヤクザの組長という衣は今となっては邪魔になりつつある」


 何の話をしているのか、石橋は訝しんだ。


「話が見えませんが」

「つまりだ。竪菱組の組長を任せる人材が欲しいってことだ」


 柄山の視線は石橋の眼に注がれていた。


「お前に、俺の後継者になってほしい。次の竪菱組組長にお前を推薦する。むろん、今すぐになれるわけではないが、数年ウチでしっかりと経験を積めば、お前なら必ず良い組長になれる」

「……なれるとお思いですか?」

「俺の目に狂いはねえよ」


 呟き、ウイスキーを一口含む。

 思わず息を呑む石橋。

 一応竪菱組の直系傘下の組に居たとはいえ、下部組織からいきなり上の組織に入るというのはあまり聞いたことがない。普通であれば下部組織の組長になり、そして更に実績を積み上げて何らかのポストを得て、そこでも実績と経験を積み増して推薦を受けてようやくなれるかどうか、という話である。誰しもが数十年をかけてトップに立とうと、血みどろの戦いを続けている。

 それを若い、三十手前の男に譲ると宣言するのは、流石に勇み足が過ぎるのではないだろうか。何かの罠を疑ってもおかしくはない。無論、柄山に限ってそのような事はないだろうと石橋は思ってはいるが。

 安易に返事をする案件ではない。


「今すぐに返事をするような話ではないですね……」

「俺をまだ待たせるってのかい、ええ?」


 軽い調子から一変して腹の底に響くような声で柄山が言う。

 一瞬にして部屋の空気が張り詰める。

 ソファに立てかけていた杖を持ち、肩を叩きながら柄山は杖の持ち手を捻った。


「年を食うとな、もう気が短くなっていけねえんだ」


 杖はカチリと音を立てて仕掛けが作動する。

 柄から引き抜かれた中身は、金属の輝きを放っている。波打った波紋が薄明かりの中できらめく。

 仕込み刀である。

 

「散々お預けを食わせておいて、まだ待たせるってのはちっとばかり残酷なんじゃねえのか。もう腹が空きまくって今にも襲い掛かりそうな犬だぜ、俺はよ」


 刀をテーブルに突き立て、ずいと石橋の面前にまで迫る。


「今すぐだ。返事を聞かせな」


 石橋の口内は一気に乾き、唾を飲み込む事すら困難になる。冷や汗は背筋を流れ、胃から内容物がせりあがりそうになる。だがこれすらも本気ではないだろう。

 流石に日本のヤクザのトップに君臨する男の威圧は違う。

 故に、石橋は持っている答えを吐き出す。

  

「俺はヤクザから足を洗う。まっとうになる。堅気に戻る。そう決めたんだ。いくらオヤジがそうやって凄もうとも、俺の答えは変わりません」

「やはり、か」


 仕込み刀を鞘に納め、またさっきと同じようにソファに立てかける柄山。

 やはり彼も知っていた。当然のように。だからこそ詰め寄ったのかもしれない。

 重い沈黙が部屋を支配する。

 古めかしいアンティークの振り子時計の針の音だけが響き渡る。

 

 一瞬だけ、受ければ良かっただろうかと石橋は思った。

 しかし欲に目がくらんで組長になったとて、竪菱組の組長というのは自分には荷が重すぎる。いくら経験、貫目を積んだとてあの中にいる魑魅魍魎どもを相手にして果たして立ち回れるのだろうか。ビジョンが浮かばない。

 希愛と一緒に生きていく。そう決めたのだ。

 少しでも危険から離れ、穏やかな世界で生きる。切った張ったの世界で生きるのはもう御免だった。

 

「俺にはガキが居ねえ」


 柄山はぽつりと呟いた。


「息子も娘も作らなかった。別に要らないってわけじゃなく、この稼業をしているうちに自然とそうなった、ってだけの話だ。かといって養子を迎える気にもならなかった。お前が居たからな。いずれは後を継いでほしいと自然と思うようになった」

「申し訳ありません」

「謝る事はねえよ。お前にはお前の人生がある。自分の思うように生きていくと決めたんなら、そうすべきだ。ただ、予定が狂ったな……」


 柄山はグラスの中をじっと見る。グラスを持つ手は無数の傷の他にも皺が多く刻まれ、また丸くなった背中は若かった頃に石橋が見た背中よりも幾分か小さくなっているような気がした。


「本当ならお前はヤクザになんかなるべき人間じゃなかったはずだ。向いてもいない。心優しい奴にこの世界はキツすぎる。いずれどこかで喰われるか、自分から壊れるかのどちらかだ」

「……」

「それでも俺はお前の事が可愛かった。随分と無理強いしたな」

「いえ。俺の人生の恩人は柄山のオヤジと、尾熊のオヤジである事には変わりありませんから」

「そう言ってくれるのは本当に嬉しいよ。やはり尾熊組に置くのではなく、強引にでも俺の直下に置くべきだったな。失敗した」


 石橋は苦笑いするしかなかった。そこまでの評価をしてもらっているのは、本当に有難いと同時に、心苦しかった。


「それにしても、ヤクザの世界も随分と変わった。キメラ人がずっと増えた」

「前からでしょう、それは」

「俺が餓鬼の頃はまだそんなに居なかったと思うんだがな」


 記憶というのは大概あてにならない。

 自分の過去ですら、衝撃的な事しか覚えていないものだ。しかもそのショッキングな記憶ですらも、自分の思い込みによってあっさりと改変されてしまう。酔っていれば猶更だ。


「おかげで普通の人間である俺は肩身が狭い」

「どの仕事も業界も、今はキメラ人の方が多いですよ」

「そうかね。しかし、お前が今から相手にする教団とやらの教義を聞いたが、あれはやはり間違っているよ。所詮人間は人間だ。どんな見た目だろうが、どんな能力を持っていようが人間も所詮は獣の一種だ。奴らはそこをわかっていないのか、あるいは人間だけが特別な何かだと思い込んでいるのか、ね」

「だからこそ奴らは叩いておかねばならんのです。俺の最後の仕事ですよ」

「直接の手助けはできんが、これをお前にやろう。今日はその為にも来た」


 懐から柄山は一つのフラッシュメモリを取り出した。


「これは?」

「教団本部施設の見取り図だ」


 柄山はフラッシュメモリをシートタイプの薄型タブレットに接続して地図を展開し、見取り図を次々とめくっていく。そして一番最後の展開図を開く。


「そしておそらく、ここに希愛が居る」


 施設の最奥部の更に奥。複雑に入り組んだ通路の果てに、ぽつんと一つだけ孤立した部屋があった。


「ここですか。間違いないんですか」

「教団施設の設計を担当した建築事務所から取ったネタだからな。とはいえ、鵜呑みにはするなよ。もしかすると内部が変わっている可能性もある。全ては臨機応変に、な」

「わかっています」

「さて、そろそろ俺は行くとしよう。次の会合があるからな」


 杖を持ち、立ち上がる柄山。そこに酔いの影響はまったく見られない。


「感謝します」

「まだ早い。希愛が帰ってきてからそれは言うべきものだ」

「は、はい」


 言って、柄山は店から去った。

 石橋は部屋に残り、一人見取り図を延々と見つめていた。

 すべての間取りを頭に叩き込む。

 希愛を救うために。


「待っていろよ。希愛」


    

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