3-21:決別
「ったく、組長は一体何を考えてやがる」
情報を受け、二人は組事務所に急行する。
組について中に入ると、既に組内部は異様な雰囲気に包まれていた。
教団の法衣を来た信者と、その信者によって啓蒙された組員が目を輝かせながら、清掃活動や何処かへの電話掛けに勤しんでいた。
もちろんすべての組員が教えを受けて感化されたわけではない。
中にはその一方的な教えに反発し、対立する組員もいる。
主として石橋が抱えている一派がそれに当たるが、彼らの数も多いわけではない。
尾熊組の中では少数派であり、組員の中でも二割程度である。
彼らは組内に居場所を失い、石橋が所有しているビルの中に逃げるように集まっていた。
ノックをせずに、石橋は組長の部屋に乗り込んだ。
「おう、なんだノックもしねえで。何かそんなに急ぎの用事でもあるのか?」
中にはいつものようにふんぞり返る虎嶋と、もう一人教団の人物と思しき白人の男が居た。
色褪せた金髪で肩にまで伸びている。瞳の色は碧眼で、かなりの痩せ型である。
石橋と同年齢か、それよりも少し上かもしれない。白人系は少し老けて見える為だろうか。首には教団のY字型ネックレスを下げ、カソックに似たゆったりとした白い法衣を着用していた。
石橋を厳しく睨みつけている虎嶋とは対照的に、柔和な微笑みを絶えず崩さない表情をしている男。
「虎嶋組長。教団と手を組むと聞いたが、本当なのか?」
「これから辞める奴に言う事なんざねえな」
「いい加減、ふざけるのも辞めてもらおうか。俺はまだこの組の若頭なんだぜ。組が変な方向に行くのを見逃すわけには行かねえんだよ」
今までは抑えていたが、ついに怒りを露わにする石橋。
「私が説明しましょう」
男が一歩前に出たのを見て、訝し気な視線を送る石橋。
大体、宗教を気取る奴はろくでもない。石橋が常々言っている事だ。
男が浮かべるその笑顔も、詐欺かペテンにかける為の手段に違いない。
「自己紹介がまだでしたね。私はエンノイア=エルシェバと申します。僭越ながら宗教団体[方舟]の教祖をさせていただいております。以後、御見知りおきを」
「それで、教祖様がうちらの組とどうして組む事にしたんだ? 以前からアンタ方とウチは犬猿の仲だったはずだが」
組のみかじめ料回収の邪魔から始まり、組が所有している建物と隣接している教団の建物の境界線争い、それに対して尾熊組による教団本部への銃撃事件など、枚挙にいとまがない争いの数々。
昔から教団と尾熊組は相いれない存在同士だったのだ。
エンノイアは目を細め、両腕を広げる。
その芝居掛かった動作に、石橋のこめかみに血管が浮き出る。
「貴方は手を組むと仰ってますが、我々の認識は違いますね」
「というと?」
「我々は教義の下に、布教をしているのです。仲が悪いと言われていた尾熊組さんにも啓蒙をしにやってきたのですよ」
「啓蒙だと?」
「そう。我が教団の教義はご存知ですか?」
「そんなもの、知るわけがねえだろ」
「ではお教えいたしましょう」
咳払いし、男は目を瞑って高らかに言った。
――純然たるヒトであれ。獣になるなかれ――
その言葉を聞き、石橋はピンとくるものがあった。
「なるほど。ここ二年くらい急に張り紙や立て看板でこの言葉を見るのが増えたなと思ったら、お前さん方の教義だったか」
「今の世の中はあまりにも獣と混交した人々に満ちている。そう思いませんか」
「別に、俺はそんなもの気にすらしたことないね。俺が持っている獣の遺伝子とやらも、便利な道具だとしか思ってない」
「何時から我々人類と獣の遺伝子は雑じりあったのか、もはや判然としません。ですが現状は憂うべきものです。だからこそ我々は提言します。純然たるヒトへの回帰を」
純然たるヒトへの回帰。
そのような思想を持っている人々がいる事は石橋も把握していた。
かつて相対したバーのママのように教団に感化されていなくとも、純粋な人間である事に劣等感を持ちながら、純粋な人である事に誇りを持っている人々。
純粋な人間はキメラ人と比較して身体能力的に劣る事が多い。
それ故にキメラ人の割合が多い地域では逆差別される事も多かった。
それらの人々はだからこそ、キメラ人がこの世に存在する事自体を認めたがらない。
だが、今更そんなことに拘って何になるというのか。純粋なヒトであろうがキメラ人であろうが、差別の事例はどこにでも存在する。それ自体は些末な事でしかない。
それに最初は数が少なかったキメラ人を差別してきたのは彼らに他ならない。今となっては誰もが知っている事実だ。
石橋は吐き捨てる。
「下らねえな。どんな姿であろうが、どんな遺伝子が紛れていようが、自分が人だと思っている限りヒトだよ」
「なるほど、貴方はそうお考えですか。純粋なヒトこそがこの地球に神より繁栄を許された存在です。貴方がたのような雑種はいわば全くヒトと違う存在なのですよ。そのようなものが蔓延るのは神が許される筈がないのです」
「雑種は純粋種よりも強いってのをお前は知らないらしいな」
お互いに苦笑する。これ以上話をした所で平行線なのは見えている。
石橋は虎島の方に向き直った。
「それでだ。なんでこんな輩を組に招いた。教団は俺のシマを荒らした連中だぞ」
虎嶋は悪びれずにバーボンの瓶から口を離して答えた。
「いやあ、俺はこの教祖様の言う事に心底惚れたんだよ」
これっぽっちも感情のこもってない声で、ぬけぬけと言い放つ。
「それに汚らわしい獣の要素を除去してくれるって話じゃないか。ええ? お前も半端なヒト未満から純粋なヒトになったらどうなんだ」
「俺は今の自分に満足しています。それこそほぼ獣なアンタこそ、人に戻ったらどうなんだ?」
石橋の言葉を受けて、虎島は口を大きく開けて笑い飛ばした。
「かはっ! 俺があんな脆弱な存在に成り下がるとか冗談じゃねえよ。俺はこの獣としての力があってこそ、ここまで成り上がってきたんだ。今更あんな肉の塊になるかよ」
「やれやれ。神の救済を拒むとは貴方らしいですね」
「うるせえ。神なんか信じてたら今頃野垂れ死にしてるぜ。俺は今まで一人で生き抜いてきたんだ。俺以外の力を信じる気になんかなれないね」
虎島は自分の拳を見つめ、握りしめた。みしみしという鈍い音が微かに聞こえる。
「俺は信者になった組員を教団に派遣する事で金を貰う。教団は組員を警備に充てられる。いわばギブアンドテイクってやつだよ。今までの遺恨は水に流してな」
「結局そういう事かよ。金に目がないアンタらしいな」
「そう言わないでください。教団も大きくなって人手が要るのですよ」
「なら、警備員でも雇えばいいだろう」
「勿論そうしてもいますが、ね。いかんせん足りな過ぎてこういった形でのスカウトも止むを得ないのですよ。信者の獲得も大事ですからね、一石二鳥です」
教団との争いの歴史も、利益になる関係になれるのであれば水に流す。
そういった意味では虎嶋は利に聡かった。
だがそれよりも、石橋は引っかかった言葉があった。
「なあ。獣の要素を除去するって一体何の話だ」
石橋の言葉に、エンノイアは細い眼を見開いた。
「獣の要素、すなわち遺伝子を持った人々は我々の認識からすると罪を背負った存在なのです。純粋たる人から外れた人々は地獄へ落ちる」
「一神教じみた言い草だな」
「しかし我々は、地獄へ落ちる人々へ救済の手を差し伸べております。昨今の遺伝子操作技術には目覚ましいものがある。我々は信者となった科学者たちを集結し、ついには[神の手]なる装置を開発しました。簡単に言えば遺伝子除去装置ですね。これにより獣の遺伝子に汚染された人々を救えるのです」
思想と手段を語るエンノイアの目は、先ほどにも増して見開かれた。
信者たちよりもはるかに純粋で透き通った光を放っている。
一つの事を固く信じる者にしか持てない強い力を持った瞳だ。
だが、その信仰は時に危うい。
一つの事だけに固執し、他の考えを受け入れずに同じ考えで集まった人々は時に暴走を起こす。その勢いは留まる所を知らず、いつしか公共の敵になってしまう。
エンノイアの考えは極めて危険である、と石橋は判断した。
雑種から純粋なヒトへの回帰。
それはすなわち、純粋なヒトでない人々への迫害や差別、望まぬキメラ人の強制的な施術を執り行う事に他ならない。一方的な押し付けの善意は、時に悪意よりも性質が悪い。
「それを聞いてより確信したよ。お前の考えは絶対に広めちゃいけないものだ」
「だが人々はそれを求めているのですよ。純粋な人間という種族をね」
「お前が一方的に洗脳して言いくるめてるだけだ。エンノイア」
「さっきから聞いてれば石橋よ。お前は一体なんだって俺の邪魔ばかりするんだ?」
ずっと黙って酒をあおっていた虎島が口を挟む。
「事あるごとに俺のやる事に口出しして邪魔しやがって」
「アンタの思いつきに振り回されてきた組員が不憫でならねえだけだよ。俺が出来る事ならなんだってやって、組の為になる事をやるだけだ」
「なんだと、てめえ」
虎島はまだ中身の入っているバーボンの瓶を石橋めがけて投げつけた。
石橋は半歩だけ左に体を避け、バーボンの投擲軌道から外れる。瓶はドアに叩きつけられて粉々に砕け、中身も飛び散った。部屋中にバーボンの匂いが立ち込める。
虎島の喉から唸り声が上がる。低く部屋に響き渡る声は、獲物を本能的に竦ませる。
石橋はそれでも退かない。
「アンタは組長失格だ。人の上に立つ器じゃねえ」
「わかった。お前は絶縁だ。即刻ここから立ち去れ! 二度とここの敷居をまたぐな」
「好都合だ。アンタに金を払わずに済む」
虎島は激昂し、手当たり次第に物を石橋に投げつける。
飛び交う灰皿や壺、ゴルフクラブなどを避けながら石橋は部屋を後にした。
組長室はさながら地震でも起きたかのように物が散らかり、高価な調度品もまた傷がついてしまったり汚損したりとひどい有様だ。
「いいんですか? 折角のお金なのに勿体ない真似をして」
エンノイアが言うと、ひとしきり荒く息を吐いた後に椅子に勢いよく座った虎島は、鼻息を大きく吐いて言った。
「構わねえよ。元からあれは嫌がらせだ」
虎嶋は傍らに置いておいた焼酎の瓶を手に取り、無造作に口に流し込む。
その時、エンノイアの携帯に着信があった。
「私だ。……ふむ、よくやった。すぐそちらに向かう」
「成果があったのか」
虎島の声に、不敵に笑うエンノイア。
「ええ。これで準備が整いました。虎嶋さんも来ませんか?」
「ああ。今よりももっと強くなれるんだろう。大歓迎だ」
一方。石橋は足早に組事務所を後にすると、一目散に自宅マンションに向かっていた。
手放すはずだった銀行や株、土地の手続きなどは移動中に取引の破棄を行い、後はマンションを引き払う準備を進めるだけだ。これは二日もあれば荷物をまとめて手続きもできるはず。
マンションの自室ドアの前に立つ。
「……なんだ?」
何故だかわからないが、違和感を覚える。
今まで修羅場を潜り抜けて培われた勘が告げている。何かがあったと。
石橋は懐のホルスターから拳銃を抜いて、セーフティを外した。
実体弾を使う、昔から存在するオートマチック型の拳銃。今は実体弾を使わないレーザー銃とか電気銃なるものもあるらしいが、石橋は昔から手に馴染んだこの拳銃を好んで持っている。
ドアのランプは緑を示している。鍵は掛かっていない。
ドアを開くボタンを押すと、スッと横にスライドして開いた。
そして見える光景を見て、愕然とする石橋。
「なんだ、こりゃあ」
玄関には踏み荒らされた土足の跡、リビングや寝室に至るまで、まるで大地震でも起きたかのように散乱した物の数々。いや、これは空き巣に入られたと言った方が正しいか。
石橋は自室に真っ先に入り、まず自分の持っている貴重品などを確認した。
だが通帳や現金、貴金属や時計といったアクセサリー類には一切手を付けられていなかった。ただの空き巣、強盗なら目を付けるものに全く興味を示さない。
「一体、何を狙っていたんだ?」
「うぅっ」
うめき声が聞こえる。何処からだ?
声をたどると、風呂場に声の主が倒れていた。
「リン!」
「あ、う……隆之」
「いいから動くな!」
石橋は彼女、リンの状態を確かめる。
額から出血があり、右腕はだらんと垂れて力が入らない様子だ。触ってみる。
「うぐっ……」
顔をしかめ、苦痛に身をよじるリン。どうやら折れている。
他にも打撲傷があり、侵入者にやられたのは間違いない。
リンの手にも拳銃が握られていたが、発砲の形跡はなかった。
そもそもリンは銃の心得はない。ヤクザの彼女という事から、いつ危険が訪れるともわからないからと、護身・威嚇用に持っていただけだ。奪われて殺されなかっただけマシだ。
「ごめんなさい。私、守ろうとしたんだけど」
「喋るな。今病院に連絡するから」
「希愛ちゃん、連れ去られちゃった……」
「な、なんだと」
そういえば全ての部屋を確認しても、希愛の姿はなかった。
「一体誰が希愛を……いや、希愛を付け狙う奴らなんか決まっている」
石橋の推測を裏付けるものが風呂場の隅に転がっていた。
「やはり、な」
Y字型の変形十字架。
教団の信者なら、みな首に提げているもの。
石橋はそれを手に取り、ポケットにしまった。
「隆之、聞いて。侵入者の中に、アリサちゃんも居たの」
「まさか」
「本当よ。最初インターフォンが鳴ってモニタに映ったのが彼女だったから、油断した」
アリサまでもが信者だったとは石橋にはにわかに信じられない出来事だった。
今まで尻尾すら見せなかったというのに。
「クソが!」
リンを抱きかかえ、立ち上がった所で石橋の携帯に電話が入る。
山賀からの着信だった。
「山賀だ」
「ちょうど良かった。今からそっちに行く。怪我人なんだ」
「準備しておくわ。それはそうと、こっちも貴方に連絡して置きたい事があるの。話させて」
「手短に頼む」
一旦、リンをリビングのソファに寝かせる。
「希愛ちゃんの体について、新しい事が分かった」
「本当か」
「彼女の体にはあらゆる生物の遺伝子が詰め込まれていたけど、あれはどうも一種の[方舟]だったんじゃないかという推測がある」
「方舟だと?」
「どうも、何らかの計画があってそうしたみたい。別の星への移住なのか、それとも何かを保存するための目的なのか、詳細についてはまだわからないけど。それで、彼女の体が暴走した原因だけど、彼女の体を別の生物に変異させるトリガーとなる因子がうまく働いてないのがわかった」
「そうか、それでその因子とやらを安定活動させるか、あるいはいっそ不活性化させることはできないのか?」
「あるだろうけど、今はまだわからない」
山賀には聞こえない程度に舌打ちをした。
それでは結局希愛は危険なままには変わりない。
「原因が分かったってことは一歩前進と捉えていいんだな?」
「ええ、あとは対処法を探すだけだもの」
「わかった。ありがとう。それよりも希愛がさらわれた」
「なんですって!?」
「リンをそっちに連れて行く。処置が終わり次第、助けに行く」
「まさかとは思うけど、一人で行く気?」
「一人では無理だ。……助けがいる。それもできるだけ」
言って、石橋は電話を切った。
石橋は傷ついて呻くリンを見て、攫われた希愛を思って、額に皺を寄せる。
「……絶対に許さねえ」
石橋の瞳には、憎悪の炎が燃え滾っていた。