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遺伝子ファッショナブル  作者: DRtanuki
第二章:白と灰の羽
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第十四話:羽は落ちていく

 断崖を虚ろな瞳で見下して佇んでいる女が居る。今にも飛び込んでしまいそうな、足取りも覚束ないような、ふらついているようなそんな雰囲気。

 その背後には、黒いスーツの上下を着た女性が立っている。刑事松下清美。傍らには崖を見下す彼女を心配そうに見つめる女性、九曜ひとみが立っている。

 背後に立つ二人の気配に気づいて振り返る女。

 

「優子さん、早まらないで」

「優子!」

「来ないで! 私はもう死ぬしかないのよ!」


 崖の先端に立つ女、優子が叫びながら崖を背に二人に叫んでいる。

 優子が懐からナイロン袋に入った何かを取り出す。金細工が施された懐中時計。優子の彼氏からのプレゼント。今は血塗られてしまっているが。


「優子さん、貴方はまだやり直せる。この時計のように今は止まってしまっているけれど、またネジを巻きなおしていけばいい。きっと彼氏だってそう望んでるはずよ」


 優子はそれを見て、雷撃を受けたような衝動に襲われて崖から飛び降りようとするのを躊躇する。

 親友のひとみが一歩前に出て、胸に手を当てながら優子に何かを言おうとする。瞳には涙が溜まっている。


「優子! 一人で全部抱え込んで死のうとしないで。あなたが死ぬ事なんてないわ」

「貴方に何がわかるっていうの?」

「何もわからないけど、このまま何も清算せずに逃げようだなんて許さないわ」


 また一歩前へと踏み出す優子。

 清美も前へと踏み出し、彼女へ声を掛ける。


「確かに貴方が行った事はもう取り消せない。人を殺したという罪は消えない。だけども人生をやり直す事は出来るわ。まだ貴方には時間がある。諦めるには早いわよ」

「彼氏が居ない人生なんて考えられないんです」

「その彼氏は、貴方が死ぬ事を望んでいるかしら?」


 清美の言葉に、びくりと一瞬体を震わせる優子。こわばっていた瞳から涙がこぼれ落ちていく。


「思い出してみなさい。貴方と過ごした彼氏の顔を。そんな事を考えていたらどういう風に思うかしら。ね?」

「……彼なら、どういうかなんてわかりきってますよ」


 笑顔がこぼれた。優子は崖の先端で立ち止まっている。清美はゆっくりと一歩一歩、彼女の下へと近づいていく。清美はようやく、優子の表情をはっきり読み取れる場所まで来た。

 松下清美は優子の表情を見ようとする演技をした。しかし次の瞬間、彼女は清美であることを忘れ、天堂あけみの感情を表に出してしまう。


「……優子、さん?」


 優子、いや白鳥怜美の顔に張り付いていたのは笑顔。誰が見てもそれは晴れやかなものだった。状況にあまりにもそぐわないもので、誰もが困惑している。


「やっぱり、一緒に死のうって言うにきまってます。きっとそうよ」


 その言葉が発された瞬間、撮影を止めようとする間もなく、怜美はゆっくりと体を崖に向けて倒していった。

 彼女は羽を失った鳥のように、成す術もなく海面へと姿を消した。



* * * * *



「カット! すぐに崖下に誰か助けに行け!」

「無茶ですよ! どうやって助けろっていうんですか!」


 監督が叫び、スタッフは慌てふためく。共演者は崖下を望むも何処に落ちたのかすらわからずに膝を折ってその場に座り込んでしまう。

 落ちてしまったらもう助からない。誰もが諦めた。

 そんな中、すぐさま動いたのが山賀とアコだった。


「アコ!」

「うん」


 アコは全速力で崖に向かって走り、怜美を追いかけてその勢いのまま飛び込んでいった。綺麗な軌道を描いて飛びこむ様は水泳競技の一種を思わせる。

 次に山賀は携帯電話を取り出してどこかに電話を掛ける。


「もしもし。予想していた事態になったからすぐ来て。アコがいま怜美を探してるから見つかったらすぐに病院に搬送するわよ」


 電話を切り、自分も崖まで近づいて下の様子を伺う。

 アコは豆粒ほどにまで小さくなり、海の中に潜っていく。もう姿を確認する事すら出来ない。

 怜美が見つかる事を祈るしか出来ない自分に歯噛みする山賀。思わず天を仰ぐ。


「何とか、怜美を見つけてくれ……。お前だけが頼りだ」




* * * * *




 風が強く荒れた海の中で、アコは難なく泳いでいた。

 アコの足はヒレのように変化し、その肌はイルカやクジラのような海獣類のものに変化している。アコもまたキメラ人だった。

 先ほど怜美が落ちた地点に潜ったが流れが速いのかそこには既にいなかった。

 海流の方向を判断すれば沖の方へ流れている可能性が高い。

 流れの機嫌次第では彼女は海のさらに底へと流されている事もありうる。複雑に入り組んだ流れはいかにアコとはいえ詳細に読み取るのは難しい。

 しかし考えている暇はない。アコは自分の勘を頼りに、沖へと向かう。

 魚の群れの中を過ぎ、通りがかった際に襲い掛かってこようとしたサメは逆に足のヒレで叩いて追い返し、マグロやカツオといった遊泳する魚と一緒になって泳ぐ。

 と、ここでアコは一匹のイルカに出会った。イルカは人懐っこく好奇心旺盛。戯れのつもりかと思い最初はアコは無視していた。

 しかしイルカはアコの周辺を何度も絡むように回り、エコーロケーションで何かを伝えようとしている。


「人間がいる?」


 もう一つの能力として、アコにはある程度の知能を持つ海獣類とは意思疎通が可能だ。彼らの発する鳴き声の意味が分かるのだという。

 イルカはクリック音を発し、人間が流されて行った場所を示しながらアコを誘導する。アコはそのイルカについていく。果たして本当に怜美なのか。


「!」


 見つけた。

 間違いなく怜美だ。白いシャツにタイトスカートを着た衣装。アコは彼女を抱きかかえて、浮上する。しかし流されて何分経過しただろう。それだけがアコは心配だった。

 浮き上がり、アコは怜美の顔を海から外へと出す。

 青ざめた顔。呼吸を確認するも、なし。心臓の拍動もなし。

 加えてここは沖。まず心臓マッサージと人工呼吸が必要なのだが体を横たえる場所がないと効果があまりない。

 そんな時先ほどのイルカが顔を出した。アコは即座にイルカの意図を理解し、イルカの背中に怜美を乗せる。沖はまだ波が安定している。これならなんとかなるだろうか? 考えている暇はない。

 アコは心臓マッサージと人工呼吸を交互に行う。何度も、何度も、何度も。


「お願い、戻ってきて……!」


 心臓マッサージと人工呼吸を始めてから何分経過したかわからない。いい加減、体力の限界に近付きつつあった頃、ヘリコプターの一群がこちらにやって来た。


「アコ! 怜美!」


 ヘリコプターに乗ってやってきたのは山賀だった。ヘリから身を乗り出してアコと怜美を見つめている。

 その時、怜美がかすかにせき込んだ。呼吸と拍動が戻って来たのだ。


「センセイ、遅い!」

「悪い。探すのに手間取った」

「それよりも早く病院に連れてって! なんとか息は吹き返してきたけど、低体温と崖を落ちた時に頭を打ったみたいで怪我がひどいの」


 よくよく見れば頭から血を流している。傷口から白いものが見え隠れしている。ひどい怪我だ。


「わかった。今すぐ搬送する。おい、もっと水面にまで近づけないのか? この高さじゃ怜美もアコも引き上げられないぞ」

「この風の強い日にヘリを出すのだって大変なんですよ! 無茶言わんでください」

「その無茶をやるためにお前を雇ってるんじゃないか! 高い金出した甲斐があったと思わせる仕事をしろ!」


 山賀はヘリのパイロットを怒鳴りつけ、水面ギリギリにまでヘリの高度を下げさせる。後ろで控えているスタッフと山賀の手によって怜美はヘリに引き上げられた。次いで、アコもヘリに乗り込む。アコの足はヒレから徐々に人間の足へと戻っていく。


「全速力で最寄りの病院へ行け、急げよ」


 パイロットに指示を出しつつ、山賀は応急処置を施す。服を脱がせて毛布をかぶせて保温に努める。その間に頭の傷を消毒して包帯で止血を施す。意識は依然として戻らない。

 アコはずっと怜美の手を握っている。


「センセイ……怜美ちゃん大丈夫かな。冷たいよ」

「大丈夫よ……必ず大丈夫」


 大丈夫という言葉が今ほど寒々しく聞こえる時もないものだと山賀は自嘲気味に笑った。


 ヘリは全速力で飛び、果たして最寄りの大学病院へとたどり着く。

 即座に緊急手術へと入る。手術中の赤いランプが点灯し、手術室の前で待っている山賀とアコ、そしてマネージャー。

 長い時間を待っていた。手術は深夜にまで及ぶ。アコは眠り、マネージャーもうつらうつらとしている。これほどまでに長い時間の手術が必要な怪我を他にも負っていたのだろうか?

 ようやくランプが消えて、中から医師がひとり出てきた。マネージャーが医師にすがるように尋ねる。


「先生! 怜美は、怜美は助かるんですか?」

「一応、命に別状はありません。ただ……」 

「ただ?」

「心肺停止時間が長かった為か脳にダメージがありまして、意識不明の状態です。目を覚ますかどうかはわかりません。明日かもしれないし、ずっと目を覚まさないかもしれない」

「……そ、そんな」


 マネージャーは膝から崩れ落ち、うなだれた。社長に報告するのすら忘れて茫然としている。

 それを聞いた山賀も、目頭を抑えて涙が溢れそうなのをこらえていた。

 なすべき事はやった。やれるだけの事は。

 それでも結局、自分でできる事はこんなものなのか。十年前より自分は確かに色々と力を持ったはずなのに。

 無力。山賀は改めてそれを味わっていた。


 手術後、怜美は個室に移された。彼女には様々な機器がつけられており、バイタルが彼女の脈拍を示している。安定している。

 山賀は彼女の傍らに座り、顔を撫でていた。アコも起きて彼女の手を握っている。アコは先ほどから涙をとめどなく流している。


「センセイ、私役に立たなかった」

「そんな事ないよ。貴方が居なかったら探す事すらままならなかったわ。こうやって怜美がまだ生きて居られるのも貴方のおかげなのよ」

「……」


 その言葉を聞き、アコはハンカチで涙を拭って少し笑った。アコが笑うのを見て山賀も微笑み返す。

 山賀は顔を撫でながら、彼女をこれからどうすべきかを考えていた。

 彼女に家族はなく、このままでは引き取り手も居ない。

 彼女の口座にはお金は唸るほどあるが、寝たきりで植物状態の人間をいつまでも生存させておける程なのか、山賀は疑問があった。


 しかしまだ生きている。


 この握っている手は暖かい。撫でた頬はすべすべしている。呼吸はしている。脳がまだ起きていないだけなのだ。


「……」


 山賀は改めて決意を固める。

 どうにかして彼女を目覚めさせる。その為には手段は問わない。今さらもう手は汚れきっている。多少汚れが増えた所でどうということはない。

 医師に必要なものはただ一つ。免許などというチンケなものではない。

 患者を救いたいという強靭な意思、それのみだ。


 山賀は立ち上がり、次なる行動へと動くために歩き出した。



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第十四話:羽は落ちていく END




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