第十二話:不安
白鳥怜美が過労のために倒れてから二時間、彼女は点滴を受けながら眠っている。
ようやく彼女が目を覚ます。先ほどよりは顔色は良くなっていたが、まだまだ元気というには程遠い。もとより二時間程度の睡眠で疲れが抜ける筈もない。
「あら、目覚めた?」
傍らに付き添っていたのは山賀椎香医師。書類仕事を片付けながら、彼女の様子を付きっ切りで見守っていた。
「はい……。おかげさまで、少しは疲れも取れました」
「無理はしちゃだめよ。貴方が倒れたら元も子も無いんだから」
「……はい」
山賀が心配をするも、怜美の返事はどこか虚ろで消え入りそうなものがあった。
点滴を外し怜美が診察室から出る際に、山賀はひそかにマネージャーを呼びつける。
「ねえ、来週のスケジュールってどうなってるの?」
「来週、ですか? 来週はサスペンスドラマの撮影で○○県に行く予定なんですよ。ラストシーンの撮影の為なんですが」
「○○県? そこってもしかして断崖絶壁とかある場所?」
「ええ、よく使われてる場所なんですよ。二時間サスペンスドラマを見てる人なら見慣れてると思いますが」
その話を聞いて、何とも言えない不安を覚える山賀。
あの様子の彼女を放っておくわけにはいかない気がした。
「付き添って少し話をしたんだけど、ちょっと彼女のこころの状態もあまり良くないみたいなのよね」
「存じてます。私どももなるべくストレス解消できるように努めたいのですが……」
だから、自然とこんな言葉が口から零れ出た。
「来週一週間、私が彼女に付き添ってもいいかしら」
「は?」
思わず口をぽかんと開けてしまうマネージャー。
「表向きは医師だとは名乗らずに、彼女のメンタルヘルスカウンセラーとして付き添うわ。その手の資格は結構持ってるからね」
「それは構いませんが……山賀先生のお仕事はいかがなさるんです?」
「かわりの人に入ってもらうから大丈夫よ。だいぶおじいちゃんで半引退だけどまだ仕事はできるし私よりも経験積んでるから患者も安心できるわ」
「は、はあ……私どもとしても彼女が倒れるのは避けたいですし願ったりかなったりです。撮影現場にも同行なさるおつもりで?」
「もちろん。撮影の邪魔はしないわ。後ろで見てるから」
マネージャーはなにやら困惑の表情を浮かべていたが、やがて諦めたような笑顔を浮かべて答えた。
「わかりました。来週の頭からさっそく現地に行く予定です。貴方の分の新幹線のチケットも確保しておきましょう」
「石井さんどうしたの? 早く行きましょう」
少々喋る時間が長かったせいか、怜美が待ちかねて診察室の方に戻ってくる。
「ああ、怜美。来週の貴方の仕事、私も付き添うから」
「……え? 先生何をおっしゃってるんですか? 私は大丈夫ですよ。スケジュールも空けましたし休みもあればバッチリですよ」
そういってニコリと笑うのだが、その笑顔も精彩を欠いているように見える。かつての満面の笑みを見たことのある人にはすぐわかるほどに。
「大丈夫なようには見えないからそう言ってるんじゃない。貴方が断ってもついていきますからね」
「は、はあ……」
困惑の色を隠せない様子だったが、山賀ならば良いだろうと怜美も了承して彼女たちは病院を後にした。
その数十分後に、今度は戌井刑事が訪れる。もっとも今回は地上で起きたドンパチ騒ぎの捜査が主であり、こちらに来るのはついでの用事だ。他の捜査員たちは捜査を大体終えて報告書を書くために署に戻っている。戌井だけがもう少し調べると言ってここに来るための口実を作ったわけだ。
「彼女の血液、取ったか?」
「ええ。しかし、検査ならそこらの病院でもできるはずでしょうにわざわざ私にやらせる事もないんじゃない?」
「嘆かわしい事に最近の連中はみな口が軽くて信用が出来ん。その点、君ならば口も堅い。まさか今回のような事までやるとは思わなったが」
「ハイエナのように嗅ぎ付ける奴らが意外と多かったからね。危ない場所にまでは奴らも来ないでしょうから。念には念をってやつよ」
山賀の言い分を聞いて苦笑いをしながら、煙草に火をつける戌井。
「さて、これでどうなるかだな」
取った血液サンプルの容器をちらりと横目にみやりながら戌井は言う。
「結果は一週間後。それまでに白鳥怜美とされる彼女が死んだら元も子もないからな。だから君も怜美を見守ると言い出したわけか」
「……別に、それだけってわけじゃない」
伏し目がちに山賀がつぶやく。そして目を瞑り、椅子に背を預けた。
「ちょっと今日は、これで帰ってくれないかな。また何かあったら連絡するから」
「ああ、わかった。こちらも捜査の進展があれば教える」
山賀の様子を察して、戌井も早々と病院を後にした。
山賀は目頭を押さえる。過去の出来事がフラッシュバックして気分が悪くなり、最近は姿を現さなかった偏頭痛が襲い掛かって来ていた。頭の痛みはじっとしていても増幅して考える事が億劫になるくらいにひどくなる。
たまらず、診察室の薬品棚に向かって頭痛薬を取り出して錠剤を口に投げ入れ、水で飲み下す。
過去の幻影に襲われる。自分は傍観者でしかなかった。また様々な事柄に介入できる程の力も立場も無い、ただの人でしかなかった。
……今の自分はそうじゃない。それだけの苦労を重ねて、実力も積んで、自分の意思で様々なモノを動かせるくらいにまでの影響力を持つに至った。今回こそは傍観者で居てはならない。傍観者にしかなれなかった過去とは違う。
頭痛は未だに収まらずもう一錠、薬を取り出して飲む。
「わたしの目が届く範囲で、これ以上人を死なせてたまるか」
独り言をつぶやく。
山賀の頭痛の様子を見て、心配そうにアコが駆け寄ってきた。
「センセ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫……つっ」
「センセ。私も来週ついていくから」
「……病院あるからダメだよ」
「嫌。絶対についてく。だめといってもついていく」
何を思ったのかは知らないが、こうなるとアコは何をしても頑として譲らない。
しばらくの間、二人はにらみ合っていた。
やがて、ふっと山賀が諦めたように笑い、アコに言う。
「しょうがないわね。あなたもついて来なさい。何かと役に立つかもしれないし」
「……! ありがとうセンセ!」
ぱあっと笑顔になり、アコが山賀に勢いよく抱き着く。山賀の椅子はキャスターがついているタイプの為、その勢いのまま椅子が動いて壁に二人とも叩きつけられる形になった。背もたれとキャスターが先に壁にぶつかったので直接壁に当たったわけではないが、偏頭痛を発症している山賀には衝撃だけでも辛いものがあった。
「っつう……。アコ、今頭痛いからそういうのはやめて」
「あ、ごめんなさい……」
「じゃあ、今日はもう帰りなさい。私は引継ぎとかあるからカルテまとめてから帰るからね」
「はーい」
アコは今日は珍しく見送りを必要とせずに一人で帰路についた。
診察室だけに電灯の明かりがともっている。老医師に連絡を取り、彼もしぶしぶながら一時的に診察を引き継ぐのを引き受けてくれた。
カルテをまとめる。頭痛は薬のおかげで次第に収まってきている。しかし、ずっとモニターを見ていると目の疲れで頭痛が増幅されるので、いくらか作業したらベッドに横になって目を休めて、という繰り返し。その為普段よりは進捗スピードが遅い。
ベッドに横たわって天井を眺める。目の奥が重たいような気がする。知らないうちに、自分も疲労を溜めているのだろうか。
「人の事を言えんな、これでは」
ため息を吐いて、今日はもう切り上げて帰る事に決めた。
診察室の電気も落とし、鍵を閉めてタクシーを呼んで帰る山賀。
仕事に追われていたのは怜美だけではなく、自分もだということに今更気づく。しかし彼女よりかはまだマシだ。少なくとも山賀の代わりを務められる人がまだいるのだから。
『白鳥怜美』に代わりとなる存在などいやしないのだ。居たとして、それはまた違う存在の似た何か、となろう。
「前みたいな事にはしない。絶対に」
山賀は、タクシーの車中で改めて決意を固めた。
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第十二話:不安 END