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2 新しい日々(弟子と師匠)

○月×日

匿名X:食堂の飯が足りないんです。だから、うちの上司の弁当、食っちまいました。すみません、ここで懺悔します。出来心だったんです、もうしません。


匿名A:一生、隠し通せ。食いもんの恨みは(こえ)えぞ。で、弁当、美味かったか?

匿名X:それが・・・、うちの上司、激辛好きだったらしく、一口食った時点で火を噴きました。

匿名B:食堂なら、愛想よくしたら大盛りにしてくれるぞ。お前、おばちゃんにでかい態度とったんじゃねえの? 

匿名C:だからか。俺、いつも大盛りでくれるけど。

匿名D:なら、愛想なんて全く無いうちの将軍がいつも大盛りなのは何故なんだ?

匿名E:日頃の挨拶と、困っていそうな時にはさりげなく手助けする。・・・その心配りがあれば大盛りにしてくれるものだ。


ケリスエ将軍は、なんと驚くことに一人暮らしだった。通いの家政婦を雇ってはいたが、従者も使用人もいなかった。

将軍の立場上、屋敷に警備の兵士はついていたのだが、「馬の様子にだけ気をつけておいてくれればいい」と将軍が言ったらしく、兵士達は門前に立つのではなく納屋でのんびり座って見張っているといった感じだった。

その屋敷は双翼タイプの母屋、馬小屋、納屋、といった一人暮らしにはどう見ても広すぎるものだったが、あまりに無用心にも思えた。兵士達も夜には帰ってしまうから余計にである。


「私はこっちの片翼を使っているから、お前はあっちの片翼にある客室の中から好きな部屋を選んで使えばいい」


そんなあまりにもアバウトなことを言われてびっくりしたものの、カロンは比較的地味な客室を一つ選んだ。普通は使用人なり従者なりの小さな部屋もあるものだろう。だが、一人暮らししか考えていなかったケリスエ将軍の屋敷では、客室にしか寝具がなかった。

カロンは、まず言葉を直された。

通いの家政婦であるフィオナの手伝いをしながら、納屋にいる兵士達に話し方を教えてもらい、そして会話が普通にできるようになったら、ケリスエ将軍の従者から始めればよい、と。


「カロン君はよく働くわね。とても助かるわ」

「いいえ。色々、教えてくれて、感謝です。この袋、どこに置けば、いい、ですか?」

「それはね、こっちにお願いね」


夫に先立たれて生活も厳しかったフィオナを家政婦としてケリスエ将軍が雇ってくれたのだと、彼女は嬉しそうに話してくれた。そこまでは美談のようだが、さすがにフィオナ一人でこの屋敷全ての仕事が出来るわけではない。


「ケリスエ様はね、ご飯と洗濯さえしてくれれば、掃除は時々でいいとおっしゃってくださるんだけど、やっぱり申し訳なかったのよ。カロン君が来てくれて助かったわ」

「はあ」


ケリスエ将軍は、実はかなりズボラというか気にしない性格らしく、使っていない部屋に埃が溜まっていようと蜘蛛の巣が張っていようと、庭に草が背の高さにまで生えていようと、本気でどうでもいいと考えていたらしかった。


(これだけ立派なお屋敷なのに勿体ない。・・・というか、夜なんて幽霊屋敷のようで怖い)


 納屋でのんびりしている兵士達も、カロンを可愛がってくれた。


「無愛想な将軍だが、悪い人じゃない。そら、今日は馬に乗せてやろうな」

「馬、俺、乗ってもいい、ですか?」

「いいだろ? 全身を使って遊ばせてやれっておっしゃってたからな」

「そうそう。このお屋敷は特に客も来ないしな。明日は文字の練習をしような」

「はい」


 最初、ケリスエ将軍が使っている片翼側の部屋をもらえなかったのはやはり警戒されているからだろうかと思っていたカロンだが、使える部屋がもう一つの片翼にしかなかっただけだと知るのはすぐのことだった。


「それは、俺がやります。座って、休んで、ください」

「ありがとう。本当にカロン君は力持ちね」

「いいえ。代わりに、また、お金の使い方、教えてください」

「ええ、いいわよ。値切り方も教えてあげるわね」

「はい」


フィオナは明るい女性だが、あまり体力はなかった。

慣れない自分を気遣って親切にしてくれた家政婦だけにカロンも放ってはおけず、買い物の荷物持ちをした。


「買い出しなら俺が行ってきます。今日は何がいりますか?」

「じゃあ、お肉を買ってきてくれるかしら。お野菜もね。煮込むから、牛か豚がいいわ。安い方をね」

「はい、分かりました」


やがて買ってくるものさえ教えてくれれば一人で買い出しに行ってくる程度に、カロンも家事や生活に慣れていった。

将軍とは朝食と夕食の時間しか顔は合わせなかったが、仕事で疲れているのか、無口な人なんだなと思うしかなかった。

フィオナと一緒に台所に立ったり、箒を持って掃除の手伝いをしたり、兵士達と地面に文字を書いて学んだり、馬の世話を手伝ったり、そんな日々を重ねながら、カロンはロームに生まれ育った少年程度の常識と言葉を身につけていった。


「普通に話せるようになったか。じゃあ、明日から私についてこい」

「はい、ケリスエ将軍」


たどたどしかった言葉が普通になってからはカロンの従者生活が始まったが、ケリスエ将軍は自分のことは自分でしてしまう人なので、結局カロンが世話をしたり面倒をみたりしていたのは、どちらかというとケリスエ将軍よりも相変わらず家政婦のフィオナだったかもしれない。


「従者の仕事は、何をすればいいでしょうか?」

「そうだな・・・。してもらいたいことがあれば言う。それまではどこかに控えていればいい」

「はい」


 ただ、ケリスエ将軍のお供で王城にある軍に出入りするようになっただけ。そうとしか言いようがないぐらいに、仕事は全くないというか、干されているに近い状態だった。


「あれが戦場で拾われたって奴だろ。いいよな、それだけで将軍の従者になれるんだから」

「全くだよ。俺達だってそんな簡単に将軍の従者になれるならなりたかったさ」

「実際、うちのご主人だってムカついてるそうだからな」

「当たり前だろ。そのまま殺されとけばよかったのに」


今まで面倒だからという一言で従者を却下していたケリスエ将軍が受け入れた初めての従者。それが敵国の少年というので、やっかみもあったのだろう、かなり嫌がらせはされた。

女性とあって、あまり良くない噂もあったケリスエ将軍だが、それでも将軍だ。取り入りたい人間は多かった。


「おはようございます、ケリスエ将軍」

「ああ」


朝、カロンが挨拶しても、ケリスエ将軍はカロンを見やりもせず、それで済ませる。

そういう感じでケリスエ将軍は従者としたカロンに対し、何の情も見せない人だった。それこそカロンが他の従者による嫌がらせで怪我をしていても、何があったのかと尋ねることもしないし、人前でカロンに話しかけることもなかった。


「へへっ。お前に何しても将軍は怒らないらしいじゃないか。実は嫌われてるんじゃねえの」

「そりゃ敵の人間だからな。所詮、お前は俺達より下なのさ」


そうなると、将軍も実は気に入らない従者なのだろうと、余計に苛められる。それでもカロンは耐えるしかなかった。そこで声高に自分を主張しても、立場上、かえって将軍に迷惑をかけることになるかもしれないと思ったからだ。


「何事だっ、お前達っ!? 何をやっているっ、一人に対して数人がかりとはっ!」


そういった従者達があまりに調子に乗りすぎた様子は、その主人達にとって見苦しいものだったらしい。ある時、集団でカロンを殴っていたのを発見され、彼らは全員クビになった。


「大丈夫か? ・・・なんだ、お前、ケリスエ将軍の従者じゃないか。皆が不満を抱いていたのは知ってたが、こんなこともされていたのか。・・・ある程度の我慢は必要だが、こういうことになったならちゃんと報告しろ。将軍に言えばきちんと対応してくださるだろう」

「・・・・・・いえ。助けてくださってありがとうございました」


そう言ってくれる人ですら、あまりにひどい状況を見たから暴行を止めさせて対応したにすぎない。カロンもそれが分かっていた。本当に理不尽なことだと思っていたなら、その人こそがケリスエ将軍に話しただろう。

誰もが、その場限りでは親切そうなことを言いはするけれども、カロンの為に動こうとする程ではないのだと、カロンは十分に身に沁みていた。


(けど、あいつらがいなくなってくれたのは助かった。段々エスカレートしてきてたしな)


それでも一番ひどい奴らがいなくなっただけだ。カロンが嫌がらせされる日々は続いていた。


「カロン、お前の体はこれから出来上がっていく。今、無理すれば潰すだけだ。まずは筋肉に負担の掛かりすぎない動作から始めろ」


そう言って、ある時から毎朝、ケリスエ将軍はカロンに細身の剣を持たせ、ケリスエ将軍の部族に伝わるという剣の型を教えてくれるようになった。

それは常に裏庭で行われた。普段からカロンを無視しているケリスエ将軍が、まさかカロンに剣技を教えているとは誰も思わなかっただろう。


「速く振り回せばいいというものではない。かえってゆっくりと、もしくは綺麗に静止させる方が実力を必要とするものだ。お前の動きには無駄が多い。そうだな、何か曲に合わせて型を当てはめていこう。そうすればリズム感と合わせて、綺麗な動きになるだろう」


そう言って、ケリスエ将軍はカロンがロームに来てから覚えた歌はあるかと尋ね、フィオナに教えてもらった歌を答えると、それに合わせて型を当てはめてくれた。といっても、それはかなり難しいもので、カロンも身につけるまで何年もかかったものだったが。


(引き取ってくれたし、わざわざ俺のために教えてくれてるし、嫌われてはいないと信じたいんだけど、それならどうして俺を無視するんだろう)


 ケリスエ将軍が休暇を取る際、従者であるカロンも休みとなる。そういう時、ケリスエ将軍は、カロンを連れて違う地へと出かけた。


「馬には長く乗れるようになったな。もう少し速くしてもついてこれるか?」

「はい、大丈夫です」


破落戸(ごろつき)が多い宿では絡まれることもある。慣れぬうちは小突き回されたりもしたカロンだが、やがてあしらい方を覚えた。

「けっ、こんな場所に場違いなガキが来てやがる」

 最初はそう毒づかれて泣きそうになっていたカロンだが、やがて、

「やだなあ、おじさん。こっちだって色々事情があるんだよ。好き(この)んで家を離れる人がいるとでも思うの?」

と、かえって相手の罪悪感を突く方法を覚えた。さすがにそう言われると、相手も

「何かあったのか?」

と訊いてくる。

「別に。ただ、親が二人とも死んだだけだよ」

と答えれば、二度と絡んではこなかった。親を亡くして奉公に出る旅の途中と判断したのだろう。


「こっちの姉ちゃんは何だ? ん?」

「・・・ここでは迷惑になる。外で二人きりになろうか」


ちなみにケリスエ将軍は絡まれても、ちょっとお外でお話し合いをしさえすれば、相手が黙った。すぐに女の方が帰ってきて、男が外で倒れているのを見られたら尚更のことである。

しかしケリスエ将軍は、カロンが本当に危険にならない限り、基本的にカロンを守ってはくれない人だった。


(本当は、俺、迷惑なんだろうか・・・)


実は憎まれているのかもしれないと、カロンは自信を失っていった。


「いいか、カロン。この辺りは気候も穏やかで、街道が重なっている。こういう場所は人が動くから金が動く。だから旅人を歓迎する傾向がある。こういう所に来たなら、まず、その辺りの食堂に入って、何が出てくるかを見ろ。そこから分かることがある」

「はい」

「夜になったら星の見方を教えてやる。良い場所を探しておけ」

「はい。そう言えばさっき草原がありました。あそこではどうですか」

「場所はきちんと覚えておけ。暗くなると迷子になる奴は多い」

「はい」


それでも旅の途中、様々な場所でケリスエ将軍がその土地その土地の文化や風習、そして考え方などを教えてくれるのは楽しかった。




「カロン君は何色が好きかしらね。この布の中ではどれが好き?」

「え? どうしたんですか? 何でそんなことを?」


ある日、家政婦のフィオナに尋ねられ、カロンは尋ね返した。


「ケリスエ様がね、カロン君がどれほど汚しても気にしないでいいように、同じ服を何枚も作るようにしてやってくれと、私におっしゃったのよ。なんでもカロン君、稽古でかなり服を傷めてしまってるんですって? 少し大きめのものも作ってくれと言われたから、そっちも縫いましょうね」

「いいんですか? そんな贅沢なこと」

「いいに決まってるじゃない。だってケリスエ様がそうおっしゃったんだから。カロン君は何かリクエストがあるかしら? ほら、物を入れられる所が欲しいとか、袖の長さとか」

「うわぁ。なんか思いつきません」

「ふふ。じゃあ、勝手に色々作っちゃうわね」

「はいっ」


何と言っても養われている身だ。服が汚れたり(いた)んだりしても、自分で(つくろ)っていたカロンである。とてもありがたい話だった。

 フィオナは裁縫が得意で、それまでもケリスエ将軍に言われてカロンの服を用意してくれていたのだが、更に沢山作ってくれたのだ。


(やっぱりケリスエ将軍は優しい人なんだ)


そう思って、勇気を振り絞ってケリスエ将軍に「ありがとうございます」と、緊張のあまり震える声で礼を言うと、ケリスエ将軍は顔も上げずに、「ああ」とだけ言った。


(・・・会話が続かない。その前に会話なんて今まであったかどうかも分からないけど)


その場にそれ以上いられずに、カロンはそのまま引き下がった。

一方的にケリスエ将軍が言って自分が「はい」と答える、もしくはカロンが何かを言ってケリスエ将軍が「ああ」か「いや」のどちらかを答える、・・・それを会話と言えるだろうか。いや、普通は言わないだろう。

やっぱり自分はケリスエ将軍にとってどうでもいい存在なのだろうか。


「どうしたの、カロン君? ケリスエ様にちゃんとお礼を言った?」

「はい」


 けれどもにこやかに尋ねてくるフィオナに、そんなことを言えるものではない。カロンは笑顔を作る。

それでも嬉しかった筈の服が、なんだかやりきれない苦さをもってカロンの瞳に映った。




寝ているカロンの頭を誰かが撫でているような気がした。


(誰だろう? ・・・お(とう)? いや、お父は死んだ・・・)


この屋敷には、夜はケリスエ将軍とカロンしかいない。ならばこの手はケリスエ将軍なのだろう。そんなことを思いもしたが、眠くて目が開けられない。夜は泥のように重く動かなくなった体を寝台に沈めて眠っている。そうそう目覚めるものでもない。

眠りから少し浮かんだ意識は、再び闇に沈んだ。


「あれ? 薬が増えてる・・・」


朝、目が覚めたら、ほとんどなくなっていた筈の傷薬がたっぷりと入っていた。

もしかして昨日の夜は将軍がきてくれていたのではないか。自分を撫でてくれたような気がしたのも、夢じゃなかったのかもしれない。

そう思い、カロンは朝の挨拶をした際にケリスエ将軍の表情や言葉から自分への情を見出そうとしたものの、それでもいつも通りの無表情で視線も全く合わせない、「ああ」だけだった。結局、自分がそんなあり得ない夢を見ただけだ。


(やっぱり、この人の考えていることは俺には全然分からない)


カロンは、一緒にいることがかなり苦しくなっていた。

それでも、その頃になるとカロンの体もでき始めており、毎夕、ケリスエ将軍はカロンの体力作りを自ら監督してくれていた。

体を動かして死んだように眠れば辛いことも考えずに済む。何も考えず、ひたすらカロンはケリスエ将軍に言われるままに体を動かした。

言われたように走り込んだり、木登りをしたりしながら、それでもカロンが疲れてバタンと倒れてしまってもそのまま放置するケリスエ将軍である。

気づいたら草の上で倒れている自分の真上に暗い夜空と瞬く星があるのも度々だった。 

倒れてもそのままほったらかされていたことが寂しくて、涙が零れた。


(惨めって、・・・こういうことを言うんだな)


それでも食堂に行けば食事だけは沢山(たくさん)用意されている。

それは空腹のカロンにとっても決して不満足な量ではなかった。時には甘いものや果物も少し多めに出されていた。精神的なもの以外では恵まれていた。




「従者も飽きただろう。そろそろ見習いから始めるか」

「はい、分かりました」


 飽きるも何も、何もさせてもらっていなかった。そんなカロンに、言われたら従う以外の何が出来ただろう。

基本的に、朝は歌に合わせて剣で型を追うだけだった。それでも夕方の走り込みや、重い石を持って振りまわしたり、土を耕したりすることで、かなりカロンの体も出来上がってきていた。

頃合いも良いと判断したのだろう、ケリスエ将軍はカロンを第六部隊へと放り込んだ。


「よく来たな、カロン。だがいくら何でも何も知らないんじゃあな、お前も下積みからだぞ」

「サフィヨール第六部隊長。その節は大変お世話になりました。これからどうぞよろしくお願いいたします」

「へぇ。かなり言葉も綺麗になったじゃねえか。ま、頑張んな」

「はい」


 戦場で拾われた際、自分の面倒をみてくれたサフィヨール部隊長の所ならと、カロンもほっとした。他の部隊長もケリスエ将軍の従者をしていたから見知っていたが、かなり目つきも表情も厳しく恐ろしかったのだ。

第六部隊では一番(した)()の兵士見習いから始まった。なぜならカロンは剣の素振りも知らなかったからだ。


「あいつ、あんな年になって俺達と同じ見習いなんだってよ」

「敵国の人間だから、頭も悪いんだろ。育ったのは体と年だけだってのさ」


周囲はカロンよりも年下の少年ばかりで、少し年上で大柄なカロンは皆の目を引いた。同時に基本の素振りも知らないのだから馬鹿にされた。

だが、そんな素振りすら、教わったらカロンは何度も練習してすぐにマスターしていった。


「カロン。今日は何を習った? やってみろ」

「この持ち方と、この構え、そしてこの振り方です」

「姿勢が少し悪い。もう少し足を広げろ。ここで角度をつける。ほら、やってみろ」

「はい」


夕方の肉体作りの時間の一部を、ケリスエ将軍が自ら指導して復習する時間に変更してくれたからだ。全員を相手にする教官だけに教わるのと、一対一で将軍自らに教わるのとでは、すぐに違いが出てくる。

だが、ケリスエ将軍は、あくまで教わったものの復習だけに留め、習っていないものは教えようとしなかった。


「へえ。カロン、お前、身につけるのが早いな。何かコツでもあるのか?」

「ありがとうございます、教官。教わった通りにしているだけです」


 まさかケリスエ将軍に見てもらっているのだとは言えず、カロンはそうとだけ答えた。何と言ってもケリスエ将軍はそこの軍のトップだ。教官とてそんなことを聞かされたら萎縮してしまうだろう。

 ただ、教わった通りに復習だけはしていると答えておいた。


「ほう。ちゃんと努力してるんだな。そのままきっちりやれよ」

「はい」


最初は打ち合いすらどうしていいのか分からなかったカロンだが、教わりさえすれば成長は早い。ケリスエ将軍が見本として見せてくれる朝の型の方が、はるかに剣の軌跡を見極めるのが難しかった。

だからだろう、兵士見習い同士の打ち合い練習など、カロンにとっては簡単で楽なものだったのだ。


「いい筋肉がついていると思ったが、お前、本当に体力もあるな」

「そうでしょうか。ありがとうございます、教官」

「いや、教え甲斐のある人間は嬉しいもんだ。剣の()(かた)すら教えずに将軍が放り込んできた時にはどうなるもんかと思ったが、ここまで化けるとはな」


更に基礎体力も、カロンは他の兵士見習いよりはるかにあった。そんなカロンに教官は思うものがあったらしい。


「カロン。お前は明日から騎士見習いの方へ移ることになった」

「・・・はい」

「何だ何だ、不安そうな顔するなよ。お前なら騎士見習いもすぐに軽くこなせるさ。この間、他の教官とも話し合って決めたんだ。・・・みんな、お前には期待してる。頑張れよ」


 そこに、恩着せがましいものも、上っ面だけのものも無かった。本当に思っていることを言葉にしてくれているのだと、カロンも下を向く。素朴な言葉が、ただ、嬉しかった。


「俺、教官に教えてもらえて良かったです。ありがとうございました」

「・・・なあ、カロン。そりゃ色々言う奴はこれからも出てくるだろう。だがな、同時にお前は希望だ。たとえ敵国の人間でもお前が折れずに伸びていけば、やがてそれに続く人間も出てくる。(くじ)けるなよ」

「はいっ」


 見習い兵士の教官は、既に兵としては戦えない傷を負ってしまった年老いた男だった。その男はバンッとカロンの肩を強く叩き、カロンを送り出した。思えば、嫌がらせも何もせず、その男はカロンにも平等に教えてくれていた。

 ただの兵士で終わらせるにはカロンは惜しい人材だと、彼が上に掛け合ってくれたのだと後に知り、あらためて感謝したものだった。

敵国の出身というだけでカロンを憎み(さげす)む人もいるが、そうじゃない人もいる。・・・だからカロンは耐えていけた。




「よお、カロン。なかなか筋が良かったらしいな」

「サフィヨール部隊長。こちらに挨拶に行くようにと聞きました。この度はお世話になります」


 騎士見習いに行く以上、部隊長への挨拶が必要なのだろうとカロンは捉えていたのだが、実は少しばかり事情が違ったようである。


「ああ、それなんだが・・・。あのな、カロン。お前、今日から俺について騎士見習いから始めろや」

「はい。どうぞよろしくお願いいたします。・・・ところで、部隊長についてって、そういうものなんでしょうか?」


 今まで十把一絡(じっぱひとから)げだった兵士見習いと違い、騎士見習いとは部隊長に所属するのかと、首を傾げたカロンだった。


「いや、それがなあ。お前、かなり優秀らしいじゃねえか」

「そうですか? ありがとうございます」


 ぽりぽりと、サフィヨール第六部隊長は頭を掻いた。騎士見習いがその主とする騎士よりも優秀すぎてすぐに追い抜くのではとんでもないことになる。そんなことは、さすがに言うに言えなかった。


「まあな、どうせならあまり目立たないよう小隊長とかの騎士見習いにしてやりたかったんだが、このままだと、お前もかなりの所までいきそうだし、俺が預かることになった。・・・どうしても周囲からは妬まれるし、嫌がらせもされるだろう。耐えろよ」

「はい。頑張ります」

 

 そうして、サフィヨール第六部隊長の下で、カロンの騎士見習い生活が始まった。






 そこまで聞いていたトレストとエルセットの顔に、なんだか変なものが漂い始めた。


「普通、わずか数歳だけ年上のお姉様と二人暮らしっていうと、なんだかもっと甘いものを期待してしまっていたんですけど、俺」

「僕も。・・・どちらかというと、お父さんとその家政婦のフィオナさんとの間の方が、なんか少しだけそれっぽかったよね。それに、この家って元々お母さんが暮らしていた家だったんだ」

「そんなことより、ただの鬼教官との合宿みたいなノリに聞こえてならないんですが・・・」


 そんな二人の気持ちも分からないわけではないカロンは苦笑した。

十代の少年なら年上の女性に憧れる気持ちもあるだろう。綺麗なお姉さんなんて、男なら誰もが大好きだ。まあ、あのケリスエ将軍にそういった甘い関係を期待しても裏切られるだけだが。


「失礼なことを言うな。フィオナは俺の母よりも年上の女性だった。旦那さんに先立たれ、残されたご両親の面倒をみていた寡婦(かふ)だったんだ。ただ、あまり体が強くなかった。他の家政婦を雇わなかったのは、そうなるときびきびと動ける家政婦に対してフィオナが自信を失ったり、もしくはその家政婦に馬鹿にされてしまうのではないかと、そうケリスエ将軍は思ったのだろう」

「何だ、やっぱりケリスエ将軍って優しい人ですよね。そんな理由で屋敷の手入れもせずにいたなんて」

「いや。そこらへんは、本当に気にしていなかっただけだと思う。将軍とはいえ、女性の一人暮らしだ。屋敷には訪ねてこないでほしいと、常々公言していたからな。だから客人もほとんどなかった。使ってない部屋などどうでも良かったのだろう」

「はあ」

「それに戦場なら地面の上で寝ることも多い。屋根と壁があればどうでもいいと思ってたんじゃないか」


 できればケリスエ将軍には憧れるような何かを持ちたいトレストだったのだが、カロンにそう言われると、余計に眉間に皺を寄せる事態となる。

 エルセットはどこまでも複雑そうな表情だ。それこそ自分の両親だからだろう。

 何かが違う・・・。そんな思いが、エルセットの顔にでかでかと表れていた。


「だけどケリスエお母さんは、どうしてお父さんが苛められてても何もしなかったのかな。普通、少しは庇うよね」

「そうか、言ってなかったな。エルセット、ケリスエ将軍の名は、サーライナ・ケリスエだ」

「じゃあ、サーライナお母さん、だね」

「そうだな。・・・お前が呼ぶ分にはサーラお母さん、でいいのだろう。あの人のかつて親しかった人はサーラと呼んでいたそうだから」


 最初は受け入れがたかった様子だが、子供の順応は早い。

何といっても、

「ケリスエ様はね、お父さんよりもはるかに立派でカッコ良かったのよ。そこらの男なんて、ケリスエ様に比べたら、ただのカスね。いえ、ゴミかしら」とか、

「男のくせに、たかだかエスコートすらまともにできないクズは多いじゃない? その点、ケリスエ様はね、女性に恥をかかせることもなければ、それでいてその場の誰よりも威風堂々となさっていらっしゃる素敵な方だったの。あの人よりも頼もしい方なんていないわ」とか、

「え? 男みたいな大女だったとでも思ってたの? まさか。あの方はとても凛々しい方だったのよ」とか、やっとケリスエ将軍に対する会話が解禁されたとばかりに滔々(とうとう)と話し続けるルーナに付き合わされていたエルセットである。

既にエルセットは、ケリスエ将軍への反発を全く持たないようになっていた。

というより、ルーナが女主人のこの屋敷で、ケリスエ将軍に対して否定的な意見を少しでも言おうものならどんな目に遭わされるかもわからないと、実はひそかに感じていたこともあっただろう。

家庭において、女主人は全てを管理して仕切る独裁者と言ってもいいのだ。

 そんなエルセットだったが、そこでカロンは話を元に戻した。


「今にして思えば、どんなに苛められても殺されはしないからだろう。従者時代からケリスエ将軍が庇って大切にしていた敵国の子供がいたと仮定して、もしもその後、ケリスエ将軍が死んだり何かあったりしたらどういう運命になるかということだ。それこそ周囲の人間に(なぶ)り殺されて終わりだ。・・・あくまで俺の将来を考えるのなら将軍の庇護なしに自分の道を切り拓かせねばならない、彼女はそう考えていたのだろう」


 少年二人がしーんとなる。カロンの置かれていた立場を改めて感じたらしい。

 少年達の目前にいるカロンは、既にローム国騎士団を率いる将軍として揺るぎようのない立場を確立している。それだけに、そういったことは二人にとって考えもつかないことだった。


「だから兵士見習いから、ですか」

「ああ。あくまで一番下から這い上がったのだと、そういう実績を俺に作らせようとしたんだ、あの人は」


 トレストが確認すると、カロンもそれに同意した。トレストもエルセットも騎士見習いから始めている。兵士見習いなんて、それこそ下っ端の中の下っ端だと分かっていた。


「だけどサーラお母さんもそんな独特の剣の型を教えられるくらいなんだから、お父さんに普通の剣の素振りくらいは教えられた筈だよね。どうしてしてくれなかったの?」

「ケリスエ将軍が直々に教えていたとなったら、どんなに俺が強くてもそれは当たり前だとされただろう。俺がどんな武勲を挙げても『あのケリスエ将軍が仕込んだのだから当然だ』、それで終わりだ。・・・引き取って従者にしておきながら何もさせない。兵士見習いの練習に放り込んできたから見てみたら素振り一つ教えていない。そういったことを誰の目にも分かりやすいよう、あの人は自分の立てた計画のままに遂行したんだ」


 説明しながら、カロンは彼の人の面影を思い描いた。こうして口に出してみれば、どんなに自分を大事にしてくれていたのか、どれ程の愛情に包まれていたのか、それが分かる。あの時はかなり恨んだけれども。


「そういうことならそういう理由だと、ケリスエ将軍もちゃんと説明してくれれば良かったんじゃないかと思うんですけど。ケイス将軍に対して、家の中でも全く話してなかったわけですよね。俺、ケリスエ将軍は言葉を惜しまずに使う人だと聞いてたんですが、・・・何か間違ってたんでしょうか」

「そう言えば僕もそう聞いた。ルーナお母さんが髪型を変えるとすぐに気づいて褒めてくれたし、時には綺麗なベールとかも贈ってくれたって」


 あの小娘がねだり倒しただけじゃないかと、カロンは思ったがそこは(こら)えた。本当に火に集まる蛾のようにしつこい小娘だったのだ、ルーナは。

 しかし子供の前で母親を(けな)すようなことを父親が言ってはならない。父親が母親に敬意を示すことで、家庭内の秩序は保たれるし、子供も混乱せずに親を尊敬して育つことができるからだ。

 そんなカロンの配慮を無にするかのように、ルーナは遠慮なくカロンをケリスエ将軍と比較して貶しまくっているが、ありがたいことにカロンの肩書きと実績はその程度で子供達から敬意を失わせるようなものではない。それだけが救いだろう。


「・・・・・・。ケリスエ将軍はか弱い女性や高齢の方には丁寧に対応するし、きちんと話もする人だったのだが、・・・属していたのが軍だからだろう。男とは強さで語り合えばいいと割り切っていたところがあった。ケリスエ将軍は男に対して必要以上の表情も言葉も使わないことが多かった。それに、・・・推測だが、強くてもケリスエ将軍は女性だ。厄介事から身を遠ざける為にも、恋愛や欲情の対象として見られるのを避けるという理由もあっただろう。部隊長クラスの側近でもケリスエ将軍のふとした際の微笑程度ならともかく、それ以上の表情など滅多に拝めなかったんだ」


 子供相手だと、言葉にも気を遣うカロンである。まさかケリスエ将軍がカロンにその辺りを説明しておかねばいけないなどと思ってもいなかったのだと、今の時点で言うのは(はばか)られた。

 本当の理由は、「・・・言わなきゃいけなかったか?」である。


(そういう意味ではとことん身勝手な人だったんだよな。人にも気持ちがあるってことを全く考えないというか・・・。それに本質的に他人に興味がないから、余計に後腐れのない口説き言葉なら乱発しても構わないと思っている人だった)


 考えてみれば、女性同士の恋愛なんて未来のないものだ。だから余計にその時限りの甘い時間だけ楽しんで済ませていたのだと、今ならカロンにも分かる。

 まさかカロンがあんなにもケリスエ将軍に執着してくるとは、それこそがケリスエ将軍にとっては思いがけないものだったのだろう。そういう意味ではカロンも一矢報いたことになるのかもしれないが、・・・とことん自分が不憫に思えて仕方ないカロンだった。


「そっか。サーラお母さんだって女の人だもん。強くても色々と苦労があったんだよね」

「言われてみれば顔立ちは整っていらしたし、きりっとした魅力がある方ですよね。それで女性らしい言動をしていたなら口説く男も数多かったかもしれないし、・・・なるほど、色々とお考えになっていたんですね」

「えっ!? ちょっとトレスト兄。なんで兄さんがサーラお母さんの顔を知ってるのっ」

「あー・・・。昔、うちの母上が頼んでさ、ロイスナーの人間にケリスエ将軍の簡単な絵を描いてもらったことがあったんだよ。俺はそれを見たことがあるだけ」

「えっ、(ずる)いっ。そんなのあるなら僕にも見せてよっ」

「ロイスナーに行かないとないよ。けどエルセットをそのまま成長させて、少し女性っぽくしたらよく似てるぞ」

「そうなの?」

「ああ。・・・ねえ、将軍。けっこうエルセットってケリスエ将軍に似てますよね?」

「そうだな。髪の色をもう少し濃くして伸ばし、少し女性らしくしたらそっくりだ」


 トレストばかりでなくカロンにも言われ、エルセットが目を丸くする。


「もしもエルセットが女だったら生き写しだっただろう。だからルーナもお前を見る度にケリスエ将軍を思い出していた筈だ。・・・だが、性格は似ていないな。エルセットの性格はルーナによく似ている」

「え? 僕、そんなにルーナお母さんに似てるかなぁ。あんなに猪突猛進じゃないと思うんだけど」

「いや、エルセット。お前、結構ルーナ様に性格は似てると思うぞ。・・・少なくとも、普通は自分を産んだ母が別にいると知っても、育ての母に気兼ねして家出だなんて考えない」

「え。いや、あれは、・・・その・・・」


 そんな少年達二人を見ながら、カロンはその目つきを和ませた。

 カロンにとってルーナは今も可愛げのない小娘である。それでもエルセットをこんなにも素直な少年へと育ててくれたことに感謝はしている。まあ、あまりルーナに生活的な能力はないせいか、実質的な面倒をみてくれていたのは、ルーナの乳姉妹であるロシータの方だが。


(それでも十分、周囲からの愛に包まれてエルセットは成長できた)


 まさかロイスナーにケリスエ将軍の絵があるとは思わなかったので、できるなら自分も見てみたいとも思うカロンだが、絵よりも鮮やかにあの人の残した思い出こそがカロンの心を切なく満たす。

 最大の形見はどこまでも伸びやかに健やかに育った。


(ケリスエ将軍を深く知っていれば知っている程、エルセットにはケリスエ将軍の外見以外の共通点を見出しはしないだろうが)


 かつてケリスエ将軍の部下だったソチエト元第五部隊長も、小さなエルセットを可愛がってくれた。それでも重ねて見ることはなかった筈だ。

「あの不器用な所がケリスエ将軍だったからな。エル坊はエル坊だ」

 ソチエトがカロンにだけそう呟いたのは、同じ気持ちを抱いていたからなのだろう。あの人はあの人だけの存在だった。

 どんなにエルセットの顔が彼女に似ていようと、似ていればこそ違いが際立つだけなのだ。

 カロンは再び過去へと心を飛ばした。






 サフィヨール第六部隊長は、元々のカロンを見知っている。だから肩肘を張る必要もなかった。

さすがにケリスエ将軍の従者をしていた時に、周囲にやっかまれると面倒なのは十分に体験して分かっていたので、カロンも人前では口数少なく返事をするだけだったが、二人きりの時はサフィヨール第六部隊長とはかなり言葉を交わしていた。


「おい、カロン。あの将軍じゃお前の面倒などみてくれないだろう。俺の屋敷に住み込んでも構わないぞ。部屋もあるしな、うちのかみさんの飯は美味いぞ」

「ありがとうございます。・・・だけど、俺はこのままでいいです」


 その頃には朝の型も夕方の訓練も、かなりカロンはケリスエ将軍についていけるようになっていた。全然褒めてはくれないケリスエ将軍だったが、こうなると意地だ。

 最初は見下していたカロンのことを認め始めている見習い騎士の教官のように、いつかケリスエ将軍にも褒めさせてみたいと、目標のような思いがカロンに生まれていた。


「だがなぁ、・・・お前、かなり有名だぞ。引き取られてからこっち、何もしてもらえてないってな。それでもその体を見りゃ飢え死にしない量の飯が出てるってのは分かるが、そりゃ使用人がしてくれることだからな。お前も剣の素振りすら教えてもらってないのに、よくぞそこまで化けたもんさ。いい筋肉もついてるしな」

「ああ、これは・・・。毎夕、走らされていたので」


 そう答えると、サフィヨール第六部隊長の目がキラリと光った。


「走らされていた? ちょっとカロン、お前、毎日の生活を言ってみろ」


 そこで喋ってもいいものかとカロンは迷ったが、特に口止めはされていない。それに、サフィヨール第六部隊長はいい人だったし、教官達と違い、第六大隊を率いる部隊長だ。将軍に教わっている程度でやっかみはしないだろうと思って、素直に答えた。


起床後は軽い食事、その後に剣の型を裏庭で一緒に練習、通いの家政婦であるフィオナがやってくると一緒にまた軽い朝食、その後はフィオナに頼まれた力仕事をしたり馬の手入れをしたりしてから軍へ出勤。

夕方になって屋敷に戻ると、ケリスエ将軍に監督されながら裏庭を走ったり、木登りをしたり、土を耕したり、馬の手入れをしたり、柔軟運動をしたりする。

その後は夕食をとって就寝。但し、時間がある夜は将軍から他国の事情や様々な雑学を教わったりもする。


そこまで説明すると、サフィヨール第六部隊長は自分の額を片手で叩いて、「やられたな」と、ぼやいた。


「あの、・・・サフィヨール部隊長?」

「いや、納得しただけだ。カロン、お前、その話、誰にも言うなよ」

「え? あ、はい」

「それを言おうものなら、ケリスエ将軍の配慮が全て無駄になる。いいか、カロン。今のお前は毎日を過ごすだけで精一杯だろう。だがいずれ分かる日が来る。誰に何を聞かれても、普通にケリスエ将軍の屋敷では食事を与えられて寝る場所も与えられている、・・・それしか言うな」

「・・・はい」


 そんなカロンの頭をポンと叩いてサフィヨール第六部隊長はニヤリと笑った。


「そういうことならそのまま将軍の屋敷にいろ。・・・お前は幸せ者だな、カロン」


 意味は分からなかったが、たしかにカロンが軽々と見習い騎士の訓練をもこなせるのは、ケリスエ将軍の指導があったからだとは分かっていた。

 それが幸せなのかどうかは分からなかったが、全身を襲う筋肉痛や打撲の痛みを乗り越えてきた日々を思い返すと、(すっごく辛かった・・・)としか言いようがない。憎まれているのだろうかと、落ち込んだ夜も多かった。

 このサフィヨール第六部隊長の見習い騎士として従うようになってからは、ちゃんと自分を認めてくれる人達がいるというので、そんな思いも薄れてはいたけれど。

 たしかに自分が強くなれているのは、ケリスエ将軍の訓練によるものなのだろう。それが幸せ者になるのかどうかは怪しいものだがと、カロンは視線を泳がせた。大体、自分は最強を目指して生きている人間ではないのだから。




 やがて、きな臭い噂が漂い始めた。大掛かりな戦が始まるかもしれないというものだった。

 その噂があまりにも広がっているので、カロンもついケリスエ将軍にその真偽を尋ねたのだが、「さあな」で終わらされてしまった。


「それよりカロン、この小剣の使い方を教えてやる」

「はい、ケリスエ将軍」


 それは邪道だ。騎士団ではそんなものを使わない。それでもカロンに「はい」以外の言葉など出せる筈がなかった。

 朝夕、いつもの訓練を短く切り上げ、ケリスエ将軍はカロンに小さな細身の剣の使い方を教えるようになった。それは大勢で戦いあう戦とは違い、一人で逃げ延びる際に敵をこっそりと背後から(たお)していく、ほとんど暗殺に近い剣だった。


「これは近づかないと当たらない。だが、相手は大きな剣を持っている。だから気づかれずにまずは近づけ」

「はい」

「身を隠すか、もしくは相手の油断を誘うか、だ。身を隠すなら自分の体が見つからぬよう、相手の視野と体の角度も考えろ」

「はい」


 しばらくすると、その小さな剣や弓矢を使って、生き物を捕らえて調理する訓練も加わった。


「これからは毎日山で寝泊まりする」

「はい」


 王城の裏に広がる山があるのだが、そこの崩れた神殿跡を宿にし、カロンは日が暮れる前に出来るだけ弓矢を使って獲物を仕留め、その内臓や皮を取りさって調理する方法を学んだ。

 

「食わなければ死ぬ。どんな時でもまずは食え」

「はい」

「そして出来る限り火を通せ」

「はい」

「いいか。何があっても生き延びろ」

「はい」


 どんな教官よりも、ケリスエ将軍が教えてくれる内容の方が濃かったと思う。戦が本当に始まるのかどうか分からなかったが、生き延びる技術を教わる度に、カロンの心に自信が生まれていった。


「どうして先に焼くのですか?」

「その方が臭みも抜けるが、残った毛も焼けるからな。ちょうどいい。それをしたものと、していないものとを二つ作ろう。自分で食べ比べてみろ」

「はい」


 カロンが尋ねると、ケリスエ将軍は体で覚えろと言わんばかりに、更に教え込んできた。それはとても役立つ知識となってカロンに蓄積されていった。


「ちょっとその火と枯れ草、そして枝を持って来い。ここで煙が良く出るように(いぶ)すんだ。」

「はい」

「・・・もういいだろう。ここにそれを敷け。あそこから上の巣を落とすんだ」

「はい」


 そうして蜂の巣を手に入れたなら、それはご馳走だ。自分で手に入れたと思えば余計に甘く美味しいと感じる。大きな巣を手に入れた時は、フィオナや門を守ってくれている兵士達にも分けて喜ばれた。

 小さな剣というのは小回りがきくもので、その剣一つあれば調理は事足りた。自分の手先のように感じられるまで慣れろ、そして使い込めと言われ、その剣だけで全てをこなした。


「自分より強い人間に向かって行くのは犬死にだ。決して強い人間とはやり合うな。その時は逃げろ」

「はい」

「相手の動きをよく見ろ。勝てるかどうか、常に見極めておけ」

「はい」


 こんな小さい剣では役に立たないだろうにと思ったものだったが、実はかなり役立つことを知った。さっと取り出せてさっと使える、それが大事なのだと。

石や土の上で寝る時でも、布や葉のついた枝などを使って寝る場所を整えるだけで疲れが違ってくることを知った。雨の日でも濡れにくい場所を探し、枝や布を使って休むようにと、ケリスエ将軍もそういう時だけはきちんと言葉を使って教えてくれた。


『我らが求めるは神の息吹。この身を持って・・・』


火を(おこ)して野宿する夜には、ケリスエ将軍が歌を歌ってくれた。


「以前から思ってましたが、不思議な旋律の歌というか、言葉ですね。どういう意味ですか?」

「この言葉は私の部族しか使わなかったから、・・・もう使う人間もいるまい。神に対する祈りの歌だ」

「普通に座って歌っていらっしゃいますが、・・・神殿とかで祈りながらじゃなくてもいいんですか?」

「ああ。・・・いいんだ」


それまでもよくケリスエ将軍が口ずさんでいるのを聞いていたこともあって、すっかりカロンはそれを覚えてしまった。・・・カロンが歌うことはなかったけれども。

そして神に祈る以外にもその場にいる戦士への寿ぎの意味合いもあったと、つまりカロンが強くなるようにとの祈りの気持ちから歌ってくれていたのだと、後年になって知った。


(ずっとこんな日が続けばいいのに・・・)


 火に照らされて眠るケリスエ将軍の顔を見れば、やはり若い女性なのだと改めて思った。・・・自分よりもはるかに強く、毎日叩きのめされてもいたのだが。

 それでもケリスエ将軍が自分をまっすぐ見て、分かりやすく説明してくれる。それがどんなに嬉しかったことだろう。


「まあま。お帰りなさいませ。服はこちらに置いておいてくださいね。洗っておきますから。さ、ご飯にしてくださいな」

「ありがとう、フィオナ。だが、美味しい料理だけで十分助かっているよ」

「ありがとうございます、フィオナさん。いただきます」


 フィオナは毎朝汚れきって帰ってくる二人にかなり思うものがあったようだが、夕食と軽い朝食は自力調達と携帯食の野外調理で済ませている自分達の為に、毎朝、黙って美味しいご飯を用意してくれていた。

 ケリスエ将軍はカロンには厳しいが、女性にはかなり優しい言葉をかける人だった。

日中は何事もなかったかのように、そのまま軍に出勤する。


「カロン。お前、最近、その小さい剣をずっと身につけてるな」

「ああ、はい。何かと便利なんです。こんな小さな剣なんて女の人しか持たないって分かってるんですけど」


 実はかなり他の見習い騎士達にも馬鹿にされたカロンだった。男なら大きな剣を振りまわしてこそだからである。

 部隊長にも馬鹿にされたら恥ずかしいなと少し赤くなったカロンだったが、サフィヨールは馬鹿になどしなかった。


「いや。ちょっと見せてみろ」

「はい」


 サフィヨール第六部隊長に渡すと、しげしげと見つめて彼はニヤッと笑った。


「よく使いこんでるし、よく手入れしてるじゃねえか。・・・何に使ってる?」

「え? えっと、枝を切ったり、木の皮を剥いだり、蛇とかの内臓と皮を取り去ったり、肉や野菜を切ったり、・・・とかですかね?」

「いや、俺に訊くなよ。俺に言われても知らねえよ。これは将軍にもらったのか?」

「・・・・・・はい」

「安心しろ、誰にも言わねえよ。お前も他の奴には言うな」

「はい」

「・・・ところでカロン。お前、このちっこい剣だけで人を斃せる自信はあるか?」

「人を殺したことがないので分かりません。ですが、・・・できるかもしれないとは思います」

「どうやってやる?」

「物陰を利用して背後から近づき、気づかれぬ内に敵の急所を狙い、討ち合いそのものを避ければどうにかなるだろうと思います」

「なるほどな。そういうことか」


 そう言うと、サフィヨール第六部隊長はカロンに小剣を返し、立ち上がって自分の大剣を抜いた。


「カロン。こうして敵と向かい合ったとする。敵はこの大きな剣を持っている。お前はその小剣一つしか持っていないとして、どう打ち合うかやってみろ」

「打ち合いはしません」

「で、どうする?」

「ここが外だとして地面の石や土を拾って敵の顔に投げつけ、怯んだ隙に敵の急所にこの剣を突き立てるか、それが危険だと判断したなら逃げます」

「・・・・・・なるほど」


 剣を仕舞い直し、どさりとサフィヨール第六部隊長はドサリと椅子に座り直した。


(騎士団では教えないことを地道に、確実に教え込んでるってか。こいつは、どこまで行くかね)


 本人は分かっていないようだが、あのケリスエ将軍が屋敷に引き取ったのも、ここまで教え込んだのもカロン一人だ。しかもおそらく、二人目は存在しないだろう。

 あのケリスエ将軍に教え込んでもらえるとなったら、それこそ謝礼を積んででも息子にお願いしたいと思う家は多いだろうに。

だが、将軍が選んだのは何の財力も持たず、何も知らない、もうすぐ青年になろうとするこの少年だった。


「なあ、カロン」

「はい」

「武勲を早く立てろ。そして騎士になり、俺の副官の一人にさっさとなれ」

「はぁっ? そんなの無理ですっ、無茶ですっ。だって俺、・・・俺なんですよっ!?」


 カロンは目を丸くした。それこそ自分はお情けで見習い騎士にしてもらっている立場だ。部隊長の副官の一人などとんでもないことである。

 そんなカロンの思いはお見通しだったのだろうが、それでもサフィヨールはカロンを強い瞳で見据えた。


「カロン、お前が騎士見習いの中でもダントツの強さなのは分かってる。だがな、それじゃお前はいつまでたっても追いつけねえよ。お前だって分かってるんだろ? お前が教わってるのは、たとえどんな状況になってもお前だけは生き延びられる(すべ)なんだと」

「はい」

「その恩に報いたかったら、早く守られている立場から這い上がれ」

「・・・はい」


 とは言うものの。

 這い上がれも何も、カロンに稽古をつけては、最後には地面に倒れている自分を見下ろしているケリスエ将軍である。あれにどうやって追いつけというのだろう。

 恩人の一人であるサフィヨール第六部隊長の言う言葉だ。「はい」以外に、自分に答えられる言葉などない。

 それでもわずかに恨めし気な瞳になってしまったのは仕方ないだろう。サフィヨールもそれに気づいたようだった。ぽりぽりと頬を掻く。


「ああ、そりゃあ、な。まだまだ道のりは遠いだろうがな。・・・将軍は強いか?」

「毎日、俺を地面に()(つくば)らせてます」


 ぷっとサフィヨールは噴き出した。簡単に想像できたからだ。

 そりゃ毎日負け続け、しかも全く歯が立たなかったら、追いつこうとかいう野望も抱けないだろう。


「知ってるか、カロン? お前、お稚児(ちご)さん趣味でケリスエ将軍が拾ったなんて言われてるんだぜ?」

「あり得ません」

「だろうな。・・・不愉快か?」

「はい。そんな人じゃありません」


 サフィヨールはその言葉に満足したようだった。カロンに分かるぎりぎりの微笑を浮かべる。


「なら、いい」


ケリスエ将軍はサフィヨール第六部隊長の上司だ。それゆえに、「あり得ない」と分かっていても、確信できる言葉もまた欲しかったのだろう。

サフィヨールを信頼しているカロンが完全に否定したなら、それが真実だ。ケリスエ将軍の高潔さをサフィヨールだけが裏付けもとれる。


(何だかなあ・・・。俺、実はかなりあの年若い将軍に信頼されてるのかねえ)


 本人には気恥ずかしくて尋ねる気にもならないが、カロンに何ら口止めもせず、自分の所に放り込んできたというのは、そういうことなのだろうか。最初はお荷物を押し付けられたと看做(みな)されていたものの、さすがに今となっては第六部隊の誰もそんなことは言わない。


(何も知らないこいつを放り込んでくる時点で、俺を試しているのかって言いたくなるじゃねえか)


 サフィヨールにしてみれば、小娘のくせにケリスエ将軍はあまりに老成しているのだ。

 こういう男心をくすぐるやり方も、かえって小気味が良い。それでいて時に可愛いところもあるのだが。

 こちらもあの将軍の親よりも年を重ねた人間だ。その無言の信頼に応えずしてどうして男と言えようか。


「なら誰もが目に見える結果を出せ。お前が弱い限り、そういった噂はどこまでも将軍についてまわる。お前はお前の力で立ち、そして全てを掴め」

「はいっ」


 自分が馬鹿にされるのには耐えられる。

 それでもケリスエ将軍が自分の為に馬鹿にされるのは嫌だと、カロンは強く思った。

 誰に馬鹿にされてもこの小さな剣こそが一番役立つものだと、大剣の使いにくさをあの山の中で知った。大事なのは使いこなすことだ。

 何があろうと生き抜けるようにと、食べられる木の実も教わった。

 弓矢を使った狩りの仕方も、仕留めた獲物の処理の仕方も。

 それらは全て自分の為だ。何を失おうと、今の自分ならば生き抜く方法を考えられるだろう。


(誰よりも強くなりたい。・・・あの人の為に)


 その人の方がはるかに自分より強いけれども。

 あそこまで毎日叩きのめされていると、もう褒められることを望むのは諦めていたが、それでもそんな決意がカロンに生まれていた。


【弟子と師匠】


 我らが神よ。どの地にあって、どの名を名乗り、どのものに帰属しようとも、我らは常にあなたと共にある・・・。






「サーラ、お寝坊さんね。さっさと起きなさいよ」

「いいじゃないか、リスエル。昨日は遅かったんだ。少しは眠らせてくれ」

「ざぁんねんでしたー。師匠が呼んでるわよ。首に縄つけてでも引っ張って来いって言われてるの」


 仕方なくサーライナは起きることにした。姉弟子であるリスエルードはやると言ったらやる。ここで寝汚(いぎたな)く寝続けたなら、それこそ本当に首に縄を掛けてサーライナが窒息しようとも引っ張っていくことだろう。

 唇を突きだして不満を示しつつ、サーライナは身支度を整えた。

 師匠が住んでいるのは隣の家だ。自分で呼びに来た方が早いだろうに、どうしてリスエルードを寄越したのだろう。きっと通りかかったのを捕まえただけだろうが、無精も過ぎると、サーライナは思った。


「師匠。何ですか? 私、まだ寝ていたいんですけど」

「そうか、分かった。夜になったら寝てもいい。それでな、サーラ。お前にやってもらいたいことがある」

「はあ」

「このルースな、ちょっと預かってくれ」


 そう言って、リスエルードとサーライナの師匠であるケリスロードは、自分の娘を「ほら」と二番弟子に寄越してきた。トトトと、小麦色の髪をした小さな女の子がサーライナに駆け寄ってくる。


「サーラ」

「ああ、よしよし。ルース、ちゃんと顔は洗ったのか?」

「んーん、まだぁ」


 師匠の娘であるルースレイルは、サーライナにかなり懐いている。ぽすんとサーライナの脚にしがみついて甘えてくる子供を抱きあげると、サーライナはケリスロードに向き直った。


「預かるのはいいですが、どこかに出掛けるんですか?」

「ああ。真実の愛を見つけたんだ」


 子供なので分かっていないルースレイルはさておき、リスエルードとサーライナに(今度は誰だ・・・)という脱力感が広がった。

 

「本当に師匠ってばひ・ど・い・人。私を捨てて、今度はどこのど・な・た?」

「ん? 異民族の男だ。六つの山を越えた所で知り合ったんだ。で、求婚されたんだが、どうやらそこへは出向いてきただけで、国は更に遠いらしい。だが、さすがにこっちをそのまま放置できないだろ? だから一度戻ってきたんだ。お前達は二人で十分やれているし、ルースもあと少ししたら神殿に入るだろ? だからそれまではサーラに預かってもらえばいいかと」


 さようですか、としか言いようがない。山を六つ越えただけでもかなり遠いが、更に遠くにある国の出身となると、・・・もしかしたら師匠とはこれが最後になるかもしれなかった。

 リスエルードとサーライナは互いに頷いた。

 

「リスエル、お前は既に私を超えている。そしてサーラ、あとはリスエルの指導で十分だ。だがいつか再び出会える時があって、お前達が私の力を必要としていたならば、我が剣はお前達のものだ」

「師匠。どうぞご無事で。いつまでもご壮健でありますよう、我らが神が、あなたと共にありますようお祈り申し上げます」

「師匠。ルースは確かに引き受けました。どうぞ我らが神と共にあり、師匠の道がその力でもって拓かれますよう心よりお祈り申し上げます」

「ああ。お前達が巡る日々に、いつまでも神がお前達と共にあらんことを。・・・ルース、さらばだ。本来は母である私が連れて行く所だが、今度の場所はあまりに遠い。この家はお前にやる。サーラは隣にいるし、その方がいいだろう。お前も、お前の姉よりもサーラの方に懐いてるしな」

「またどっか行っちゃうの? やだ・・・」

「聞き分けろ、ルース。ここならサーラもいる。だが、旅の空は小さなお前にとって過酷だ。どんなひどい目に遭うかも分からん」


 そう言って、抱きついてくる娘をサーラにぽんと放り投げると、ケリスロードは出て行った。


「ねえ、サーラ。そうなるとこの家はルースが住むってことよね」

「だな。師匠からルースへの変更を伝えておこう。ルースが本格的に一人暮らしをするまでは、私が管理しておけばいい」

「本当に困った師匠ね。まあ、サーラがいて良かったわ。ルースにとっても一番心強いもの」

「そうだな。母系優先とはいえ、同じ父を持つ身だ。師匠の産んだ他のお子達は既に家庭を作ってるし、私を指名してくれて助かった。ルースには寂しい思いをさせたくない」


 ぐしゅぐしゅとサーライナに抱っこされて泣いているルースレイルだったが、母よりも隣家のサーライナの方が自分の面倒をみてくれている人でもあった。甘えたように首に抱きつくと、サーライナもしっかりとルースレイルを抱きしめてくる。


「サーラ」

「何だ、ルース?」

「ずっと、一緒?」

「ああ、傍にいるよ」


 母の愛弟子であり、異父姉であり、お隣さんでもあるサーライナとの関係を、ルースレイルはまだ理解していなかった。それでも自分に優しいサーライナに、ルースレイルはぎゅっとしがみつく。

 そんな二人を、リスエルードは温かく見守っていた。






 懐かしい記憶を揺り起こしながら、ケリスエ将軍はまだ目覚めない弟子の姿を見守っていた。ぶっ倒れた時点で、心臓や呼吸の確認はしてある。疲労から気絶しているだけなので、そのまま放置しているのだが、それでも屋敷の中から起きるまでは見守るようにしていた。

 程よい距離感とはなかなかに手間がかかるものだ。


(気絶している時間が今日は長いな。・・・そういえば、昼間、フィオナの手伝いをしていたと言ってたか。次回から手伝いをしている日は、練習内容を少し減らしておこう)


 やがて目覚めたカロンは、のろのろと立ち上がると食事室へと移動していく。食事しながらも、時々、眠ってしまうのか、皿に顔を突っ込みそうにもなったりするが、今日もきちんと食べているようだった。

 そういった様子は、別に顔を出さなくても廊下に聞こえてくる物音と呼吸音などで分かる。


(あいつ、果物は結構好きらしいな。じゃあ、今度から増やしておくか)


どうやらカロンは、好物は先に食べる派ではなく、後に残しておく派のようだった。生存競争の激しい所で育ってきたら先に食べるものだと思うのだが、考えてみればこの屋敷では一人っ子のようなものだ。


(子育てとは奥が深い・・・)


そう、ケリスエ将軍は思った。

 カロンはカロンで、ぶっ倒れても屋外放置、食事も用意はされているけどとっくに将軍は就寝中、そうとしか思えない扱いにかなり傷ついているとも知らずに。






 ケリスエ将軍は、かつて自分が暮らしていた部族における師匠もいたが、姉弟子からも様々なことを教わっていた。

 特に注意されていたのが、もしも年の近い弟子をとることになった時のことである。

 師匠と弟子となれば、かなり密度の濃い時間を過ごす。ゆえに、互いに依存する可能性が出てくるのだ。


「まあ、私が師匠とそういう関係になったのは、そういうのとは別だけどね。だけど失敗しやすいのよ、年が近すぎると。ましてやあなた、いずれルースを弟子にする気でしょ? 甘やかしたままで師匠になれると思うもんじゃないわ」


 リスエルードはそう言って、特に距離感について叩き込んできた。それについては自分でも甘い自覚はあったので、きっちりと教えを乞うた。


(まさかルースではなく、カロンを弟子にするとは思わなかったが・・・)


 けれどもこれで良かったのだろう。カロンは全然ルースレイルに似ていない。性別も違うし、見た目の印象も何もかもが異なる。

 そんなことを思いながら、ケリスエ将軍はカロンの部屋で、灯りもつけずに毎晩のチェックをしていた。

そろそろ服も傷んできているので新しい物を渡しておきたいのだが、あまり最初から何でもかんでも与えると、物を大事にしなくなるのだという。自分で限りあるものを大事に使い、修理しながら物持ちを良くさせていくことを学ばせねばならないのだとか。


(仕方ない。しばらくしてから、フィオナに頼むか)


 フィオナにはカロンを甘やかしてほしいと頼んであるし、きっと服も喜んで縫ってくれるだろう。

 こういう時、厳しいばかりでは耐えられなくなるものなので、甘やかしてくれる人を近くに置いておけばいいのだそうだ。

 ケリスエ将軍の誤算は、そのフィオナに体力がなさすぎて、甘やかすどころか、カロンの方がフィオナの面倒をみている事実に気づいていなかったことかもしれない。

カロンの体調チェックに関しては、ほとんどストーカーの域に達しているケリスエ将軍だったが、同時に鍛え上げること以外に関しては自由を重んじていた為、二人が屋敷でいる間の様子は全然確認していなかった。


(だが、呼吸が少し荒いな。・・・のどか、腹か?)


 寝ながら泣いていることもあるカロンなので、それに関しては怖い夢でも見ているのかと思い、そういう時は小さく手を握ってやるようにしていた。しばらくすれば落ち着いて、手を広げて寝るようになるからだ。

 ただ、今日は少し呼吸が速いようだ。


(風邪でもひいたか。明日の朝は、体を温めるものを食べさせよう)


 額や鼻、のどや首筋、そして脇下や腹部まできっちり指を辿らせて確認してから、毛布を掛け直してケリスエ将軍はカロンの部屋を出て行った。

 そんな毎晩の体調確認は、カロンがぶっ倒れたりしなくなるまで続けられた。

 あまりにもハードな訓練だったのが良かったのか、それともそれまでの栄養が足りていないのが良かったのか、カロンのお年頃的な問題とそれとがぎりぎり重ならなかったのは、カロンにとっての救いだっただろう。






 麦を使って作られた粥は、栄養価も高い。肉で出汁をとったスープを使い、野菜まで混ぜ込んでくるなら尚更である。

 しかし、その日の朝は、いつもの粥ではなかった。


(何だ、この変なにおいは。そして一緒に入っている変な草は)


 これは嫌がらせなんだろうか、それとも・・・と、カロンは考えずにはいられなかった。


「食え」


 ケリスエ将軍は一言で済ませる。カロンは覚悟を決めて一口食べた。


「・・・!」


 恐ろしい程の不味さだった。

 ちらりとケリスエ将軍の方を見る。何を言える雰囲気でもない。


(鼻をつまんで食べればどうにか・・・)


 だが、鼻をつまんでも、食べた途端に体内を走る不味さがある。しかし、ここで食べないというわけにはいかない。食べなかったらどうなることか。

 心を無にしてカロンは食べた。


(し、死ぬかと思った・・・)


 だが、食べ終わったら、体の異常に気付かざるを得ない。


「カロン。部屋に行っておけ。昼まで出てくるな」

「はい」


 それしか言えずに部屋まで帰る。さっきの粥に入っていたのは毒ではないのか。どんどん体が熱くなり、火照ってくる。カロンは寝台に転がって、その異常に耐えた。

 やがて意識が遠くなり、目覚めたら昼だった。


(よ、良かった・・・。生きてる)


 よろよろと立ち上がる。昼だからもう部屋から出ていいのだろう。

 部屋から出ると、昼食の用意が出来ていた。普段はカップで水が置かれているだけなのに、なぜか大きなピッチャーがどどんと置かれている。


(食事抜きでこれを飲めってことか? いや、まさか・・・)


 さすがにそれはなかったらしく、よく見れば、ピッチャーの奥側に、今度はまともそうな粥が置かれていた。食べたら、どうやら肉も野菜も入っているようだった。朝があまりにもおかしすぎたので、昼はまともなのを出してきたのだろうか。

 その粥を食べ終えると、また部屋に行くように命じられた。


(俺の顔を見たくないってことなのかな。・・・だけど)


 さっきのピッチャーに入っていた水も、普通の水とは違う味がした。やっぱり毒をもられているのかもしれないと思いつつ、カロンは目を閉じた。次に目を開けたら夕方だった。


「それを食ったら、浴室に行き、湯の中で息を止めて二十秒数えろ。それだけ息を止められるよう練習しておけ」

「はい」


 夕食はまともだったが、いつもよりは量が少なめだった。だが、運動していないのでそれはそれでいい。

 浴室に行くと、大きな樽に湯がはられていた。カロンは服を脱いで樽に入る。

 水というか、この場合は湯だが、それに顔をつけるというのは怖いものだった。しかし、将軍の命令では仕方ない。頭まで潜って二十秒数えるという訓練をした。

 終わる頃には、のぼせていた。そもそも、体を水拭きするならともかく、この屋敷はどうして湯を使うのか。しかも贅沢にもそれに頭まで浸かるとはどういうことなのか。しかし、それは拷問だ。


(だ、駄目だ。俺はもう死ぬ・・・)


 全身を真っ赤にしたカロンは部屋にたどり着くと、バタンキューと寝台に倒れた。足先から頭のてっぺんまで湯に浸かっていたのだからのぼせるのは仕方ない。そしてそのまま意識を失った。

 やがて部屋を訪れたケリスエ将軍は、きちんとした格好で寝直させて、毛布を掛ける。


(朝の粥で発汗させて眠らせたし、昼にも栄養と水分はとらせた。いずれ泳ぎの訓練もするつもりだから湯の中で息をとめる訓練もさせたついでに汗も流したし、結果、熱も下がったようだ。明日には元気になるだろう)


 額に手をやれば、のぼせていたのも落ち着き、きれいな平熱に戻っている。しかも息を止める訓練のおかげで髪もさらさらになっていた。


(これでいい。こういうのは早めの対応が肝心だからな。一日で治ってよかった)


 肝心のカロンは、朝から殺害されるのではないかと怯えていたのだが、そんなこととも知らず、ケリスエ将軍は満足そうに微笑んだ。

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