16 新しい年(弟子と師匠5)
○月×日
匿名X:キニーツの奥方がとても儚げな美女だったので、それを話したら、恋人に張り手を食らいました。彼女の機嫌をなおす方法を教えてください。
匿名A:アホにつける薬はねえな。
匿名B:「儚げな美女だった」の後に、ちゃんと「だけど君には負けるけどね」をつけろよ。馬鹿だな、X。けど、確かにあれはロームにはいないタイプの美女だった。
匿名C:同感。ロームの女はかなり気が強いからな。すっげえ新鮮だった。ああやって涙ながらに縋られたら、絶対に手放せねえよ。
匿名D:・・・その美女と、またもやいちゃついてたうちの将軍は何なんだろな。
匿名C:言うな、D。たまに悲しくなるから。
あの日々が、一番幸せな時だったのかもしれない。自分にとっても、彼女にとっても。
カロンはそう思い、きつい酒を呷った。こういう飲み方は好きではない。けれど、こんな日は飲みたくなる。
(誰の供もつけずに、あの人は探していたんだ・・・)
あの時、自分を置いて行こうとするケリスエ将軍の行動に、不満がなかったわけではない。それでも、自分を厭って置いていくわけではないのが分かっていたから、ただ帰りを待った。
戻ってきた彼女が、どこか悟ったような寂しげな表情を浮かべていたこともある。だから責めるようなことは言わずに迎え入れた。
流浪の民である少年を送り届け、宿屋で彼女が視察してきたことを一緒にまとめ上げながら、カロンは立ち入らない方がよさそうな何かをも感じていた。
(あなたはあまりにも優しすぎた。・・・俺に、仕事にかこつけて部族の生き残りを探していたんだと言ってしまえば、俺は軍を辞め、一緒に放浪の旅へと出ただろう。俺は別にそれで構わなかったのに。・・・あなたは、俺のことを思いすぎていたんだ)
あの頃を思い出せば、どうしても失われてしまったものをも思わずにはいられない。だから、のどを焼くようなきつい酒が飲みたくなる。
きっとあの時だ。
誰も自分達を知らない土地で、二人だけで過ごしたあの数日間。まさに仲の良い恋人のように、そして信頼し合った上司と部下のように、一日中お互いの顔だけを見て過ごした。
「こんな殴り書き、どう判読しろと言うんですか」
「だから、まとめるのを手伝えと言ってるんだ。えーっと、これが、こっちの印をつけた場所だから・・・」
「聞きたくないですが、この地図、どこでどうやって手に入れました? かなり詳細ですよね。少なくとも領主の城にあるようなレベルで」
「・・・訊くなよ、そんなこと。というより、存在を忘れろ。屋敷に戻ったら書き写し、これは破棄するのを忘れるな。ついでに頭の中にも入れておけ」
「保管と証拠隠滅は俺ですか」
「何か不満が?」
「いえ、喜んでさせていただきます」
まとめ上げる度に、書きなぐってあった物は燃やしていった。だが、地図だけは詳細すぎて後回しにするしかなかったのだ。昼間は宿にこもって、そういった作業に追われた。
夕方には、村を散策したりもした。小さな家々から響いてくる笑い声や話し声、そして漂う夕餉の匂いに、人々の営みを感じずにはいられなかった。
「こういう生活もいいかもな。いつか今の暮らしに嫌気がさしたら、だが」
「いいですね。その場合、俺は畑を耕しに行くんでしょうか。それとも行商かな」
「そうだな。私が物売りに行くから、お前は家で食事の用意とかしておくのはどうだ?」
「・・・何かが違うような気がします」
夜には一緒に星を眺めた。宿屋の夫婦も、暗い中で出かけるのはと、最初は心配していたが、二人が月明かりだけでも平気で出かけては帰ってくるのに慣れると、何も言わなくなった。
「星の位置がやはり違うな。だが、覚えてしまえばいいだけだ」
「そうですね。・・・とりあえず、あちらに移動しましょう。もう少し先の方に人がいるようです」
「夜の野原など誰もいないと思いきや、結構いるもんだな。昨日の林には誰もいなかったが」
「狭い家の中よりも、こういう所の方が二人きりになれるということでしょう」
「寒いのに物好きな。・・・お前と私もそういうことになるのか?」
「傍から見ればそういうことになるかと」
「・・・・・・宿に帰るか」
「そうですね」
金払いが良かったこともあり、宿のサービスも至れり尽くせりだった。そして彼の土地はロームよりも恋人達がかなり奔放かつ積極的で、それに影響されてもいたのだろう。
「暖炉の薪が増えてますね。水の入った盥も置かれていますし、この鍋で温めろということかな。とりあえず先にお茶でも淹れましょう。あなたの体も冷えてるでしょう。火の傍に寄っていてください」
「本当にお前って細かいな」
「あなたが大雑把すぎるんです。大体、着替えるならもっと恥じらいを持ってください」
「恥じらいって、・・・昨日、あれだけ好きにしておいて?」
「・・・ライナ。俺は今、あなたの為にお湯を沸かしてるんですが?」
「そうだな。だから嬉しいだろ?」
「服を脱いだ状態で俺の背中にくっついてくれるのは嬉しいですが、作業している時では嫌がらせにしかなりません」
「じゃあ、やめようか?」
「いいえ」
首筋にキスされてしまい、カロンが頭だけで振り返れば、自分よりも小さな手が顎を捕まえて口づけてくる。
誰の目もなかったせいか、まるで少女のように悪戯好きな面を彼女は見せていた。わざとカロンの手が離せない時に、ベタベタしてくるのだ。それでいて、カロンの手が空いたら、さっと体を離して服を着てしまう。
全くもって、どこの猫だと言いたくなる行動だった。
「しっかし、お前って本当に人の体を触るのが好きだよな」
「男なら誰だってそうでしょう」
「そうか? 普通はそういうことはせず、さっさとガツガツいくものだろうが」
「・・・どうしてそんなことを知ってるんです?」
「娼館のお姉さん達がぼやいてた。自己満足なアレに付き合うのは大変ってな」
「その先は言わなくて結構です。俺の心がダメージを受けますから」
「別にお前のことじゃないぞ?」
「そのぼやいていたお姉さん達は、皆、男の前では演じてたわけですよね」
「・・・だから私も演じてるだけだと?」
「・・・・・・・・・。あの、ライナ。ここは本当のことを言ってほしいんですが」
「落ち着け。お前、目が真剣になってるぞ」
「・・・こんなに暗くて見えるわけないでしょう」
「そう思うか?」
寝台で体を重ねながら、小さな声で囁けば、話題は尽きない。二人を知らない村だからこそ、普通の夫婦に見えるよう、彼女も旅立つ日までは女性の衣服を身につけていたし、人前では不自然にならぬよう甘えたりもしてくる。
「この鶏肉、おいしいわ。ね、あなた。少し食べてみない?」
「ありがとう。こっちの豚肉も食べてみるか? ほら、口を開けて」
宿屋の食堂では給仕につく女達もいたが、さすがに二人には寄ってこなかった。人妻らしく髪を結い上げてやるのはカロンの仕事とまでは思わなかっただろうが、仲が良すぎだとは思われていただろう。
あの村で、自分達は屋敷で過ごす時よりも寄り添っていた。
(あの時、それは・・・)
時が流れても、癒せない傷がある。
今夜は酔えそうになかった。
よほど先に王都に帰りたくなかったのか、捕虜となったリンデライ・イアプトと共に必要のない兵達を王都へ帰らせていたくせに、第一・第三・第五・サフィヨールといった部隊長クラスは、ケリスエ将軍の帰りをキニーツ城で待っていた。
カロンと一緒に戻ったケリスエ将軍は、その面々を見て溜め息をついた。
「先に帰ってくれて良かったんだが・・・」
「いやいや、そう将軍も照れることもありますまい。ここは仲良く皆で戻りましょうぞ」
機嫌よくソチエト第五部隊長が言ってのける。尚、全くケリスエ将軍は照れていない。うんざりしているだけだ。
「ご機嫌だな、第五部隊長」
「まあ、色々と面白いこともありましたのでな。なあ、サフィヨール殿?」
「その通り。やはり長生きすると色々と楽しめることは多い」
ケリスエ将軍の皮肉にも、ソチエト第五部隊長は素知らぬフリだ。
だが、勝手に留守にしたのは自分なのだし、ここは追及するのも無粋かと、ケリスエ将軍は流すことにした。ソチエトとサフィヨールの表情から、聞き出しても楽しくないことになるだろうと判断したのもある。
「まあ、いい。第一部隊長、首尾は?」
「問題ありません」
「第三部隊長」
「滞りなく済ませました」
「分かった。では明日、王都へ帰還する」
「はっ」と応える全員の声を聞きながら、誰もが浮かべているその穏やかならぬというのか、何かを考えているかのような表情に、ケリスエ将軍は何となく胡散臭そうな思いを抱かずにはいられなかった。
(まあ、何を考えているにしても・・・、探る必要はあるまい。そういうのを、信頼と呼ぶらしいしな)
尚、キニーツ城から提供された部屋で、そのケリスエ将軍の思いを聞いたカロンは、
「それは信頼ではなく、手抜きというんです。あなた、単に知るのが面倒臭いだけでしょう」
と、あっさり言ってのけた。
「・・・そんなことはない」
「ありますよ。元々あなた、仕事とか必要性とか、そういう理由がないことに関しては、基本的に力技で乗り切ってきただけで、何も努力しない人じゃないですか」
「いや。これでも努力を評価する人間だぞ、私は」
「肉体的な努力は惜しまないでしょうが、・・・あなた、人の気持ちとか、心とか、そういったことに関しては、適当に時間稼ぎだけしておいて、そのまま時間切れとか、相手が諦めるのを待って終わらせてますよね。大体、王宮であなたに絡んできていたアホにしても、いつか諦めるだろうという、あなたの無精さが増長させていたことも一因だと思いますよ」
「・・・・・・」
「いいんです、そういう人だって分かってますから」
「ちょっと待て。何だ、その溜め息は」
諦めてますと言わんばかりのカロンに、どうも最近カロンは生意気というか、自分を師として尊敬しているのではなく、カロン自身が保護者感覚になっているのではないかと、ケリスエ将軍はムッと考え込んだ。
ちょっと一人で出かけていただけで、どうして自分は(しょうがねえな、この人って。ま、諦めておいてやるか)という目で、皆に見られなくてはならないのだろう。
これでも自分は人の気持ちに配慮する人間のつもりだ。無精どころか、細やかに優しく対応しているつもりなのだ、それなりに。
「はい、あちらを向いてください。髪を梳きますから」
「そんなの、明日の朝でいいだろう」
「ブラッシングする数が多い程、艶も出るんです」
「誰も髪など見てない」
「見てます」
不本意としか言いようがないケリスエ将軍だったが、そのままカロンがブラシを持って自分の髪を梳き始めたので、まあいいかと思うことにした。
どうせカロンが報告しないということは、自分が知る必要もないことなのだろう。それに、人の感情など知れば知る程疲れてしまうだけだ。
困った事態になってから力で乗り切った方が簡単なのだ、何事も。
(そういう意味ではカロンの指摘も当たっているんだが、・・・それもそれで面白くない)
人に自分の世話をさせるなど気持ち悪いだけだが、カロンならば許せる。とはいうものの、最近、少しずつカロンに出てきている余裕が気に入らないケリスエ将軍だった。
「何を不貞腐れているんですか」
「そんなことはない」
「そうですか? 少し唇が山の形になってますよ」
そう言ってカロンはその顎を捕らえて上を向かせると、小さなキスを落とした。
カロンに手伝わせて自分が見聞きしてきた情報をまとめあげていたケリスエ将軍だったが、復習がわりにそれらを部隊長達に説明しつつ、王都への帰還の途についた。
「土壌と気候の問題もあるのだろう。人の住める場所と住めない場所がくっきり分かれている。また、岩山を利用して住処としている村があったが、どうやら領主の役人すら、その村の存在を知らなかったりするようだ」
「そんなことがあり得るのですか? イアプト領では気づきませんでしたが」
「第三部隊長に任せたイアプト領より更に南だ。だが、それは家を建てる木材が存在しない土地だからだ。水脈がないから大きな樹木も育たない。つまり、税を納められる豊かさがない。これらも王宮に報告する必要はあるかもしれんが・・・」
行きは急ぎで馬を走らせたが、帰りは人数も最小限にしてあるので、のんびりとしたものだ。誰もが興味深く、ケリスエ将軍の話に聞き入っている。
「しかし、そういえば凱旋はどうなったんだ? 第一部隊長がしているだろうと思ってたんだが」
「ああ。・・・今回は無しということで連絡しておきました」
「第一部隊長・・・」
「こちらとてプライドがあります。自分がやりきったわけでもないのに、あんなパレードなんてやってられませんな」
けっと吐き出すようなクネライ第一部隊長に、ケリスエ将軍は溜め息をついた。豪放磊落といった言葉が似合うクネライだが、それでいて誇り高い。周囲にいた面々も、うんうんと頷いている。
「いいじゃないですか。これが近衛騎士団だったら、自分は兵の後ろに隠れて何もしていなかったのに、凱旋パレードとなると目立つ位置をとろうとする坊ちゃん達がいるそうですよ。そんなのがいないだけ、うちはマシです」
ちらりとケリスエ将軍がカロンに視線を流せば、その意を汲んだか、助け船を入れてはくれた。ただし、クネライに対しての。
「それは言えますね。俺が近衛騎士団にいた時もそういうのがいたと言うより、そんなのばっかりでしたよ。俺なんて、そいつの代わりにヤバイ前線に出されて、そこでうちの部隊長に助けられましたもん。でなかったら死んでたかなぁ・・・。いやホント、マジで助かりました」
「キヤンなら、そいつを身代わりにでも立てて生き延びそうだがな」
第一部隊副官のキヤンが笑いながら同意すると、第五部隊副官のミゲルがおちゃらける。
「何故かな。・・・どうも私が責められているかのような気がしてならないんだが」
「気のせいですぞ、将軍。なあ、ソチエト殿」
「サフィヨール殿の仰有る通り。いやいや、若いもんには後処理といった作業もありましょうが、次回は我ら老兵を供にお連れ願いたいものですな。派手で目立つことは第一部隊長がおられるのですし」
誰かが辺境の地を見に行っておいた方がいい以上、一番暇な自分が行くのが確実で間違いのない判断だった。それは確かだ。
なのに、どうも皮肉を言われている気がせずにはいられないケリスエ将軍である。
(こんな目立つ奴らを連れてどこに行けると言うんだか・・・)
分かっていないかもしれないが、どの部隊長達も貫禄がありすぎるのだ。それらを率いているケリスエ将軍とて覇気溢れた存在だが、本人が隠す気になれば完全に隠せる。しかし、部隊長達の経験に裏打ちされた存在感は、田舎に住む村人の中には馴染めない。
己を知らぬとは困ったものだと、ケリスエ将軍は小さく首を振った。
少し時を遡る。
糸の切れた凧のようなケリスエ将軍を追いかけて、ケイス第六部隊長まで出て行ったことに、どの部隊長も何とも言えない気分になっていた。
これがどこぞのお坊ちゃん貴族なら、行方をくらましても遊びに行っているだけだから放置しておけるが、彼らが戴く騎士団トップは、そういうタイプではない。
「どんな格好でどこに行ってるか分からないときたら待つしかないが、・・・本当にやってくれやがる」
クネライ第一部隊長が溜め息をつく。しかし、そこへソチエト第五部隊長が余裕の表情を浮かべてみせた。
「クネライ殿は余裕がなさすぎますな。どこにいてもマイペースに楽しむことは大切ですぞ」
「ソチエト殿の仰有る通り。楽しい休日だと思えばそんなものですな」
サフィヨールの可愛がっている上官・ケイス第六部隊長とて、ケリスエ将軍を追いかけてどこぞへ行ってしまったというのに、気にしていないばかりか楽しそうである。
カリスフ第三部隊長は首を傾げた。
「お二方とも、第六部隊長に置いていかれたのに、なかなかご機嫌ですな。・・・・・・どうですかな、ここは私が城代殿からいただいた名酒があるのですが」
キラリーンと、その場にいた全員の瞳が煌めいた。
そして。
「いーじゃないですかっ、いよっ、ソチエト大明神っ」
「わっはっは、もっと褒め称えるがいい、若造共よ」
キヤンのよいしょにソチエト第五部隊長が胸を張る。誰もがそれらを回し読みしている有り様だ。酒が入っていることもあるが、何と言ってもかなり面白い。
「あの将軍よりも小僧の方を見張らせた方が確実だからな。絵心のある者と報告を書く者とを数名、追跡に出したのだ。よぉく見るがいい」
そこには、仲の良い若夫婦といった感じで食堂のテーブルにつきながらお互いの食べ物を分け合ったり、草原でダンスしたりしているカロンとケリスエ将軍の挿絵が書かれていた。その横には、旅人を装って近くを通ったり、宿屋の主人や奉公人から話を聞き出したりして、分かった結果が書かれている。
「ですが、よくこんなものが・・・。あれで将軍はかなり敏い方。どんな手練れの騎士ですか」
「いやいや、騎士ではないのですよ。ケリスエ将軍はとても敏い方ですが、・・・敵意がない視線にはさほどではありません。あくまで通りすがりに遠くから見掛けた程度の距離を保つように命じてあります」
カリスフの言葉に第五部隊副官のミゲルがそう答える。そこでクネライ第一部隊長が首を傾げた。
「本当に女装すると悪くねえんだな、あの将軍は。だが、宿屋でこんなに泊まって何やってんだ?」
「そこらへんが・・・。どうやら部屋で作業している様子です。かなり書く物も買い求めていたとか」
さすがに細かい内容までは分からなかったと、ミゲルもそこはあやふやだ。だが、サフィヨールはそこで酒を掲げた。
「ま、いいではないですかな。どうせあの将軍は帰ってきたら我らにきちんと教えてくれる。今はカロンの幸せな日々に乾杯と参りましょう。王都では出来ぬことでしょうからな」
「違いない。王都ではどうしても将軍は将軍だ。小僧の上司にはなれても、妻にはなれん。さ、皆もあの小僧のひとときの幸せを祝ってやろうではないか」
ソチエト第五部隊長も、機嫌良さそうに杯を掲げる。
その存在がケリスエ将軍にバレたら焼却されそうだったので、誰も何も言わないということにはなったが、不定期に届くその報告書は、誰にとっても、ほのぼのとするものだった。
王都に戻ってからも皆に回覧されていたそれのおかげで、ケリスエ将軍はしばらくの間、部隊長達にとても生温かい視線を送られることにはなったけれども。
尚、それらの報告書は最終的にソチエト第五部隊長へと回収された。
「ソチエト殿。カロンがあれの存在を知って見たがっておるのですが、あれはもうないとか・・・?」
「おお、サフィヨール殿。実は、あれを見たら喜ぶであろう人がおりましてな、送ってしまい申した」
「ほう・・・?」
ソチエト第五部隊長は僅かに口角を上げた。
「恐らく、・・・とても喜んだでしょう」
その瞳に何を見たか、サフィヨールはもう何も言わなかった。
王都に戻って報告を済ませると、もう年末だった。
「お帰りなさいませ、ケリスエ様。お戻りをお待ちしておりましたわ」
「相変わらずですね、ルーナ姫」
頼まれていた新年会の小物を届けるという名目で、ローム国騎士団の棟へやってきたルーナは、遠慮なくケリスエ将軍に、駆け寄って抱きついた。
困ったものだと思いながらも、その腰を抱いて持ち上げると、次には髪を撫でてしまうケリスエ将軍である。
ちょうどそこにはカロンと、クネライ第一部隊長の代わりに打ち合わせに来たキヤンがいたのだが、ルーナの瞳にその二人はいないものとされたらしかった。
「いいえ、私は変わりましたわ。ケリスエ様がいない王都というだけで、その日その日に違う悲しみを覚えずにはいられませんでしたの。私が人でなければ、恋しさのあまり鳥に姿を変え、あなたの元へと羽ばたいて参りましたのに」
「戦場で鳥が飛んできたら、すぐさま俺達の夕飯にされるだけですけどね」
ちょうどケリスエ将軍の近くで打ち合わせをしていたキヤンが茶化す。
「ケリスエ様に食べられるなら、いつでも喜んでこの身を差し出しますわ。そこのアホっぽいツラした馬鹿共に食べられる気は全くありませんけど」
一度は抱き上げられたものの、頭を撫でられた後は床に下ろされたルーナは、それを全く気にしないどころか、ぴたりと自分の頬をケリスエ将軍にくっつけて、どこまでも売られた喧嘩は買う姿勢である。
貴族出身であるキヤンはルーナの気持ちを逆撫でする言葉を時に平気で口にするが、その程度ではびくともしない男爵令嬢だった。
「ルーナ姫。お願いですから、発言にはもう少し気をつけてください。あなたは貴族のお姫様なのですよ。そんなことを誰かに聞かれたら、あなたの評判に傷がつきます」
「あなたの前では、姫ではなくただの女ですわ。一日千秋の思いで恋焦がれていただけの」
どこでそんな物言いを覚えてきたのかと、ケリスエ将軍は頭を抱えた。それでもルーナ姫は可愛い。仕方なく話題を変えることにした。
「そういえば、姫に何かお土産を買ってきて差し上げたかったのですが、生憎あちらはローム程、物が豊富ではなく・・・。次回は、何か良い物があるといいのですが」
「お土産など。無事で私の元に帰ってきてくださればそれが何よりものお土産ですわ。・・・あ、けれどもそれなら、代わりに私のお願いを聞いてくださいます、ケリスエ様?」
「何でしょう? そのお願いごとにもよりますが」
「簡単ですわ。年が変わる時、私と一緒にいてくださればいいのです。ヤドリギの枝の下で」
「・・・・・・誰がそんなことを姫に教えたのでしょう。そんなことを貴族のご令嬢が仰有ってはなりません。兄君がお聞きになったら、二度と外に出してもらえなくなりますよ」
「まあ。恋は人を冒険に駆り立てるものですのに」
「いけません。いいですか、姫。不埒な男共は多いのです。決して好奇心からそんな場所に行ったりしてはなりません。何があっても、ですよ」
「はい、ケリスエ様。・・・ね、ケリスエ様。私、今、ケリスエ様の愛を感じてしまいましたわ」
そこでキヤンは、カロンに物言いたげな瞳を向けた。
ヤドリギの枝の下ならば、男が女にキスをねだることが出来る。したがって、初めてのキスはヤドリギの下でと決めている少年や少女も多い。これが恋愛ゲームを仕掛ける男女ならば薔薇の下でのキスだろうが、・・・そもそもケリスエ将軍は人妻である。しかも、夫は同じ部屋にいる。
(ここで俺が加わると収集つかなくなるんだよな、あの常識知らずな小娘相手じゃ。・・・キヤンも分かってるくせに、俺にどうしろと言うんだ)
だが、ロシータからケリスエ将軍の衣装他一式を渡されているカロンはそれを無視した。何故なら、もうルーナに対しては何も言う気にならないからだ。言えば倍以上の言葉が返ってくる、しかもバージョンアップして。何も言わないのが一番被害も少ないと、カロンはとっくの昔に悟っていた。
そして、悪魔の尻尾を隠した小娘ではなく天使の羽を隠した娘に、カロンは微笑みながら話しかける。
「少し水色がかったもので揃えたんですね。とてもすっきりとした印象です」
「ええ、カロン様。蝋燭の光で、会場はオレンジがかるでしょうから、その方が白っぽく見えて、この首飾りや腕輪も映えるだろうと思ったのです。ルーナ様と様々な色合いを試していたのですが、邸の使用人達ともこれが一番いい組み合わせではないかと」
一任されたとなると、責任は重大だ。ルーナと違い、カロンの感想が気になっていたロシータである。カロンの感心したような表情に、ほっと胸を撫で下ろした。
その一画には、健全な空気とまともな感性が存在している。二人とも、自分の妻と主には何も期待せず、話を進めていた。
どれどれと、キヤンも近寄ってくる。
「なるほど。蝋燭の光、ですか。やはり女性は細やかな感性がおありだ。正装が、黒みがかった色合いだし、これならきりっとした感じになる上、この赤みのある黄色い石がアクセントを添えるでしょう。なかなか大振りの石を使った首飾りと腕輪ですが、見事な品ですね。・・・この腕輪、将軍なら二の腕につけることになるでしょうが、第六部隊長が手首につけられても良いのではないですか? そうすればご夫婦でお似合いでしょう」
キヤンもじっくりと覗き込んで、そう褒めた。カロンとキヤンは、ロシータに対しては主人が主人だからか、はたまた王都では珍しい純情ぶりが際立つせいか、好意的になる。
「いや、俺はいい。分けてつけるよりも、一人で将軍につけていてもらった方が、贈り主の目にも留まりやすい。どうせなら目立った方がいいだろう」
「そうなんですか、第六部隊長? 贈り主って、そこまで考えなくちゃいけない相手は・・・」
「国王陛下だ」
なるほどと、キヤンが納得する。「それなら将軍がお一人で身につけられた方がいいですね」と、あっさり前言を翻した。
ロシータは驚いてカロンを見返した。まさか国王から贈られたものだとは思わなかったのだ。
「そんな。まさか、それほど大切な物をお預かりしていただなんて・・・」
「大切だからこそ、信頼できると見込んでお預けしたのですよ、ロシータ殿。それに・・・、そうですね、やはりお任せして良かった。これならば本当に装身具も映えるでしょう。ありがとうございます」
「いえ、そんな・・・」
そこでロシータは声を潜めた。俯いて、困ったような顔になりながらも、カロンに言おうとする。
「ただ、ルーナ様も新年会には出席しますので、・・・どうしても、あの、その・・・」
「ああ、分かってます。別に対になるような衣装を揃えても、それはそれで構いませんから」
「ありがとうございます。・・・本当にうちのルーナ様ったらどうしようもなくて申し訳ありません。私が行き届かないばかりに」
「そんなことはありませんよ、ロシータ殿。・・・誰も止められないでしょう、アレは」
ロシータの言いたい意味は分かったが、カロンはそれに手を振って、気にしないことを伝える。それこそ恐縮せずにはいられないロシータだ。
しかし、カロンにしてみれば、衣装など恥をかかねばいいといった程度のものである。女性じゃないので、ルーナがケリスエ将軍と誂えたような対の衣装を着ようが着まいがどうでもいい。
(全く、どうしてルーナ様ったら、こんな素晴らしい旦那様がいる将軍様にあんなにも・・・。そりゃ、ケリスエ様も素敵な方だけど、結婚を考えるなら・・・)
マイペースな主に頭痛を感じつつ、ロシータは、そこで金髪の男の顔を思い出す。いつも笑顔を絶やさない、優しくて、それでいて時に強引な・・・・・・。
「どうしました、ロシータ殿? 顔が赤い。もしかして具合が?」
キヤンが、ロシータの顔を覗き込んでくる。ロシータは更に真っ赤になって床を見た。
「いえ、・・・何でもありません。ちょっと、・・・・・・うちのルーナ様が恥ずかしすぎて」
「・・・ああ、なるほど。どこの三文芝居を見て覚えたんでしょうね、あれは」
「いや、他人事みたいなことを言わないでくださいよ、第六部隊長。ロシータ殿が恥じるなら、あなたは怒ってください、少しは。誰の奥方だと思ってるんですか」
しれっと日頃の恨みをもこめてルーナのせいにするロシータに、納得するカロンとキヤンである。その視線の先では、
「たとえ辺境の地であろうと、愛する方がいさえすればそれだけで幸せになれるものですわ」
などと、台詞だけはいじらしいものの、積極的に迫っている令嬢がいた。
冬至を境に、太陽の光は強くなり始める。
だから冬至こそ新しい年の始まりとして、ロームでは新年を祝う祭りを数日間ぶっ続けで行うのだ。
「新しき年を祝って! 更にこの国が栄えんことを!!」
壇上にいる王の寿ぎから始まった宴は喧騒を見せていた。
「ローム国万歳!」「栄えあれ!」「乾杯っ!」
様々な場所から、「Long live the King(国王万歳)」の言葉が聞こえてくる。国王に対しての機嫌取りもあるのだろう。杯に注いだ酒を飲む度に、その言葉を皆が叫ぶのだ。かなりうるさい。大広間は、凄まじい盛り上がりを見せていた。
お淑やかな舞踏会と違い、新年会は飲めや歌えやの大騒ぎになる。そうして誰もがご馳走を食べ、踊りあかし、暗い冬を吹き飛ばす。庭には篝火も沢山焚かれていた。
ご馳走や酒が振る舞われる大広間の至る所に、ヤドリギを使って作られたリースが飾られている。
「一年で最も暗い日、か」
「夜明けの前が一番暗いとも言いますからね。ですが、明日からは再び太陽が力を取り戻していく」
「不思議なものだな。普段は日の長さなどあまり気にしないのに、この日だけは皆が寿がずにいられないのだから」
「それが生きてるということなのでしょう。太陽の光なしには生きられない」
王への挨拶も終わり、ケリスエ将軍はカロンと共に、大広間の片隅から皆の様子を眺めていた。
他の部隊長達は、家族と共に新年を迎えられるよう、早めに帰宅させた。甘いと言われるかもしれないが、今日のこの日は特別だ。こういう城でのご馳走よりも、家族と囲むご馳走の方が良いだろう。
「ケリスエ様。やっと見つけましたわ」
「ルーナ姫。なんと可愛らしい。今日はまさに光をもたらす暁の女神のようですよ。新年に相応しくお似合いです。・・・・・・ただ、この新年会は初めてでしたね。兄君はどちらに?」
「兄でしたら、他の方々とお話ししておりますわ」
ルーナは、ケリスエ将軍が身につけている装身具の石とよく似た色合いのドレスを纏っていた。まさに暗い夜空を明るく切り裂いていく光の色だ。
ゴールデンイエローと言うのだろうか、赤みを帯びた黄色を基調としており、まさに輝かんばかりだった。同じ布で作った髪飾りをつけて、大人びているというよりも、可愛らしい雰囲気を演出している。
「カロン。姫のエスコートを」
「・・・はあ」
「え? 嫌ですわ、ケリスエ様。こんなのとなんて・・・。私、エスコートされるならケリスエ様じゃないと」
そっとケリスエ将軍の腕に自分の腕を絡ませてくるルーナである。嫌なのはこっちの方だと言いたかったが、カロンは沈黙を守った。ケリスエ将軍も苦笑する。
「兄君も新年会に出るのは初めてでいらっしゃるでしょう。ご挨拶を申し上げに行くにしても、・・・立場上、私の前をカロンは歩けません。ですからカロンと共に後ろをついてきてもらう方が、姫が安全なのです。もう、かなり酔っ払いが出ていますからね」
「まあ。ケリスエ様に近づく酔っ払いなんて、私が退治して差し上げますわ」
「それは頼もしい。・・・ですが、こんなにも美しく装っていらっしゃるのです。どうぞ守られていてくださいませんか、私の姫君? ・・・その明るい色の髪飾りなら、これも似合うでしょう」
ケリスエ将軍は、懐から薄茶色の石で出来た物を取り出すと、そのままルーナの髪に挿す。
「お土産はないと言いましたが、実はあちらで見つけた石がルーナ姫の瞳の色によく似ていたので持ち帰ったものの、そのままでは使い道がないだろうと、こちらで加工させていたのです。それが出来上がってきましたので。その布飾りと一緒なら、とても映えますね」
「まあ。・・・ありがとうございます、ケリスエ様」
幾つかの虎目石を花のように配置し、それに細い棒のようなピンを取りつけて簪にしたそれは、たしかにそのままではルーナの小麦色の髪に埋没してしまう色合いだった。けれども布飾りの裾にそっと挿されると、独特の統一感がある雰囲気が生まれる。
「お守りの石だそうです。あなたがいつも守られていらっしゃるように」
「はい・・・」
現金なもので、わざわざ自分の為に加工してくれていたと聞くと、すかさずご機嫌になったルーナである。カロンのエスコートなど冗談ではなかったが、許してやってもいいという気になった。
「本当にお綺麗ですよ、姫。カロンといれば、変な男は寄ってきません。さあ、行きましょうか」
「ええ、ケリスエ様」
そうしてルーナの兄であるロカーン・フィツエリの元へと、ケリスエ将軍は出向いたのである。
「これはこれは。・・・いつも妹が多大なご迷惑をおかけしております、ケリスエ将軍」
「とんでもないことでございます。姫の笑顔が我が騎士団に明るさと微笑みをもたらしてくださることはあっても、迷惑なことなど何一つございません。・・・ところでロカーン殿。初めての参加となればご存じなくても仕方ないのですが、早めに姫をお連れになってお帰りになった方が良いでしょう。舞踏会と違い、新年の宴はいささか・・・」
ケリスエ将軍を認めて笑いかけたロカーンだったが、後半は囁くように伝えてきたケリスエ将軍に、眉間に皺を寄せた。
「かなり賑やかな宴のようですが、やはりまずいでしょうか」
「ええ。馬車まで、カロンを護衛代わりにおつけしましょう。・・・早めに立ち去られた方がよろしゅうございます。新年の鐘が鳴りましたら、そういったことを知らずに残っていた不慣れなご令嬢達に、男共が口づけをねだりまくってくるでしょうから。そして女性はそれを拒めません」
「・・・感謝いたします」
フィツエリという全く違う文化で暮らしていたロカーンである。そういうこととは言われるまで知らなかったのだが、ならばと、すぐに立ち去ることに決めた。
尚、女同士ならではのネットワークがあるルーナは、軽く知ってはいた。というよりも、それを狙ってケリスエ将軍の傍でいようと思っていたのだ。
「あら、お兄様。私は別に平気よ?」
「お前の意見は聞いてない。さ、帰るぞ」
「そうですよ、ルーナ姫。もしもあなたを狙って、変な男が寄ってきたらどうします? 今はただの酔っ払いでも、その時になったら、いきなり目をつけた令嬢を男共が集団で囲みだすのですよ。早めに兄君とお帰りになった方がいいでしょう。・・・あなたに良い夢が訪れますように」
ケリスエ将軍が、太鼓腹の中年男達をルーナの視界に入りやすいようにして示すと、さすがのルーナも怖気が走ったらしい。コクコクと、頷く。
「・・・おやすみなさいませ、ケリスエ様。今日は私、頂いたこれを枕元に置いて眠りますわ」
「光栄です、姫」
三人を見送り、ケリスエ将軍は外の庭へと足を向ける。無粋と言われるのは承知の上だが、時々、知らずに毒牙にかけられる令嬢がいるのだ。
そういうきっかけから始まる恋愛もあるのだろうが、・・・そういうことばかりではないのも事実だ。そしてぱっと見渡したところ、やはり今日だけは軍部から出ている警備の人間も少ない。新年は家族と迎えるものだからだ。
暗かったが、月明かりだけでケリスエ将軍は庭園を歩いていった。篝火を焚いてはいても、やはり庭園は暗い場所が多い。低木の多い庭園だが、よほど近づかない限り何をしているのかも分からないような場所は沢山あるのだ。
「こんな所で寝ていて、寒くないのか?」
「ケリスエ将軍? どうなさいました? 申し訳ございません、将軍とは気づかず・・・」
冬なので枯れているが、春には咲き乱れる花に囲まれる四阿の所に行くと、寒さをものともせずに王都騎士団のロメス・フォンゲルドがベンチの上で寝転がっていた。灯りもつけず、真っ暗な中で豪胆なものである。
声を掛けられ、ロメスは予備動作もなく腹筋だけで直立する。さすがの筋肉だった。
「いや、この暗さで顔など分かるまい。それに今夜は無礼講だ。だが、ロメス殿がいるなら、ここは安全だな」
「はい。去年のことがありましたので・・・。全ての四阿には誰かを行かせております」
「なるほど」
「・・・灯りをお持ちになりますか?」
「不要だ。ロメス殿もそうだろう。邪魔したな」
本来、こういう警備は近衛騎士団がすべきことだが、女性を暗がりに連れ込もうとするのが貴族で、しかも時に近衛騎士団の人間だったりするのだから目も当てられない。暗がりだと気が大きくなるのか、少々の声掛け程度では引き下がらないのだ。仲間同士だと、制止するのも困難になる。従って、わざと王都騎士団が出張っていた。
そのまま立ち去るケリスエ将軍を見送り、ロメスは改めて思った。
(やっぱり苦手だな、あの将軍は。・・・足音もしなかったぞ。目を開けていたから良かったが)
ケリスエ将軍の目的は警備の死角探しである。今度は少し木々が植えられている場所へと向かった。
(四阿全てに王都騎士団がいるなら大丈夫だろう。・・・あの事件は誰にとっても不愉快なことだった)
ルーナを帰宅させておいて良かったと思いながら、冬の星空を見上げる。
城の客室が並ぶ廊下に、近衛騎士団の人間が配置されているのは確認済みだ。それでも、今日、ローム国騎士団の人間をあまり出さなかったのは、ケリスエ将軍の部下に対する感傷だった。この日だけは、家族と共に過ごさせてやりたかったのだ。息子を待つ親、夫を待つ妻、父を待つであろう子供達の為にも。
だから、代わりに自分が見回っている。将軍にしてみれば当然の行動である。
ゆっくりと木々の間を歩いていると、慣れた気配が近づいてきた。
「よくここが分かったな」
「一番使われやすそうな四阿に行ったらロメス殿がいましたので・・・。そうなると、行き先は割り出せます」
「・・・例年と違い、外に出てきている人間が少ないな。何人かの気配はあったが、特に問題なかった」
「去年の事件がありますからね。知っている人間は早々に奥方や令嬢を連れて帰宅しているそうです。門番に言わせると、フィツエリ家は遅い方だそうですよ。おそらく、今年の被害は出ないでしょう」
「早めに帰らせたつもりだったが、・・・なるほどな。自分達の息子達がやるのは構わなくても、妻や娘達がやられるのは我慢できないということか」
「そんなものでしょう。四阿に来た何組かはロメス殿が追い返したそうですが、・・・こちらには誰もいないようですね」
ケリスエ将軍は小さく笑った。
「四阿で恥ずかしい思いをしたら、もう林まで来る気にはなれなかったのかもな。ロメス殿も、わざと脅かす為に灯りをつけていなかったのだろう」
「でしょうね。ついでに、もしも無理矢理な場合、相手が貴族の男なら顔を知られずに助け出すという目的もあるのでしょう」
ロメスも厄介な性質を持つ人間だが、きちんと線引きはしている。狂気と正気をうまく使い分けている人間でもあった。必要とあれば、完璧な紳士として振る舞える。
カロンにしてみれば、なかなか艶やかな男だと感心するしかない。
「お前はそう思うかもしれんが、私には、そう振る舞うことすら、あの男にはただの退屈しのぎなのだろうとしか見えんがな。まあ、いい。・・・折角だから、この暗い中でやってみるか? うちの裏庭だと勝手が掴めすぎている」
「いいですが、剣の音が響いたら誰か来るかもしれません」
「そうだな。じゃあ、互いに目隠しをした状態で、追いかけっこでもするか」
「それなら問題なさそうですね。範囲は?」
「あそこの木からあっちの木までだな。奥行きは、・・・半分位までにしておこう」
かなりアバウトな話だったが、どうせ静かに動く訓練のようなものだ。カロンが先に林に紛れ、それをケリスエ将軍が追うことにした。
だが。
(失敗した。・・・俺が追いかける方にすれば良かった)
すぐにカロンは後悔することになった。
何故か。遠慮なく、様々な物をケリスエ将軍は投げて、当たる音を調べ始めたからである。木に当たるのと、服を着た人に当たるのとでは、音が微かに異なる。
カロンならそんな乱暴なことはしない。あくまで虱潰しといった感じで隅々まで自分が動きながら生き物の気配なり反応なりを探す。
(って、あの人、遠慮なく枝を伐って落としてるだろうっ。・・・ああ、もう、庭師からどんな話が出るやら)
カロンは頭を抱えた。しらばっくれてもいいだろうか、・・・いや、どうなのだろう。庭園と違い、こちらの林は剪定などもされていないから、特に問題なく終わるのかもしれないが、それでも自宅の裏庭とは違う。改めて上司かつ妻の大雑把さに、カロンは気が遠くなる思いである。
枝が落ちる際のそれすら、ケリスエ将軍にとっては、カロンを見つける為の方策でしかないようだ。そこで割り切って目的に突き進めるかどうかが、勝敗を決める手段なのかもしれない。カロンなら、こういったことで、そこまではしない。そう、しない常識的な人間であり続けたい。
(真面目に仕事するから騙されがちだが、あの人の中身はただの考えなしだっ)
それでも、音の方向を捉えながら、カロンは自分が誘導されるように動かされている可能性を考えた。
(このまま音がしない方向に進むとしたら、それこそあの人の思い通り、か。・・・ならば、少し遠回りして今、音がしている辺りへと戻る感じにすれば・・・)
先程まで音がしていた辺りへと戻り、少し離れた方へと進む音の出所を確認しながら、カロンはその音を追いかけるように移動すべきかどうかを考え込む。
やがて音が止んだ。
(ここで焦って動いたら、それこそ狙われそうだな。ならば、ここは全く動かない方がいいか)
気配を押し殺したまま、カロンは動きを止めて、耳の感覚だけを研ぎ澄ませた。自然と一体化した時間。沈黙だけが林を満たした。
だが、そこで、カロンの腕が捕まえられる。
「さて、カロン。捕まえたぞ」
「俺の負け、ですか。・・・どうしてここが?」
「簡単だ。見えなくても、人はこういう時、自分の姿を隠すものに隠れる。ましてや何かが飛んでくるとなったらな。お前の体を隠せる大木は限られる。後は、それらの場所だけ覚えておいて、チェックしていけばいい」
「なるほど。投げる音すら、俺を誘導する引っ掛けでしたか。・・・・・・だけど庭師に謝りに行くのは、俺なんですよね」
「負けたのはお前だからな」
カロンは天を仰ぎながら目隠しを外した。ついでにケリスエ将軍の目隠しも外す。
「子供がやらかしたことで謝りに行く親の気分が分かりそうですよ」
「・・・お前、最近、何かと生意気だな」
「そう思うのなら、子供っぽいことをしないでください。大体、遊びには限度というものがあるでしょう」
そうカロンに言われてしまうと。ケリスエ将軍も不満そうな声で小さく唸った。どうやら結果として叱られてしまったのが、かなり不本意らしい。
暗いので表情は分からなくても、ある程度の輪郭は分かる。そして将軍がどんな表情を浮かべているかも、カロンには想像できた。かなりぶすくれているだろう。
とりあえず頭を撫でてみた。更に不満そうな気配が濃厚になった。どうやらお気に召さなかったようだ。
そこで、ゴーンゴーンと、鐘の音が響き渡る。
「新年の鐘ですね」
「ああ。・・・さ、もういいだろう、屋敷に帰ろう」
この鐘が鳴ったらお開きだ。ケリスエ将軍の声が少し明るくなる。
カロンは何も言わず、その体を抱き寄せた。小さく笑った気配が伝わってくる。
「お前の方が負けたんだぞ? 頭上にヤドリギもないしな」
「新しい年の鐘が鳴っている間は許されるんですよ。それに、何のご褒美もないんじゃ俺が気の毒すぎます」
仕方ないなと、ケリスエ将軍の手がカロンの頬と二の腕に伸ばされる。その代わりにと、カロンはその腰を抱えるように閉じ込めた。
カロンの妻になっても、ケリスエ将軍はカロンに甘やかされるより、少し甘えられる方が嬉しいらしいと気づいてはいた。今も、カロンがそれを望むから許してやってもいいという気分になっているのだろう。
(そんな所が可愛いのだと言ったら、剣が飛んできそうだが)
寒くないようにと厚手の服を着ていても、やはり男の自分とは違う体だと、カロンは思った。傍にいられたら満足だった存在が、最近では自分の中に閉じ込めたいとまで感じるようになった。
箍が外れるとは、こういうことなのだろうか。この人を甘やかしたいと思う気持ちが、抑えられなくなることがある。
どうせなら屋敷の中でこの時間を迎えたかった。けれども、この人はそういう人だ。自分達なら最後までいても問題ないからと、部下達を待つ家族のことを思いやる。
たとえ、それが「新年会に騎士団の人間が大勢いても興醒めなだけだろう。お前達も早く帰るがいい」という言葉だったとしても。
「カロン。もう鐘の音は止んだようだが」
「気のせいでしょう。俺の心の耳には聞こえてます」
「へえ?」
かつては萎縮していた少年が言うようになったものだと、ケリスエ将軍は苦笑する。けれども、それでいい。従順に隷属することなど求めた覚えはない。
カロンの手が腰から背中、そして太腿へと移動していくのを感じながら、屈んできたその耳元でケリスエ将軍は悪戯っぽく囁いた。
「こういうけしからん奴らを取り締まりに来たんじゃなかったか?」
「それこそ、こういう時ぐらいは黙っててください」
最初は、その呼吸すら奪うような激しいものを仕掛けたカロンだったが、やがて互いの唾液を交換するかのように、誰もいない林で二人はそのひと時に溺れていった。
新年の喧騒が終わると、本格的に冷え込む。その日は、雨が降っていた。
「氷雨、か」
「かなり冷え込んでいますね。このまま雪に変わるかもしれません。というより、こんな日に出てきているのって、俺達ぐらいじゃないんでしょうか」
最低限の人間は出てきているが、今日はサボリを決め込んだ人間が多いようだった。馬に無理をさせたくないという思いもあるからだろう。そして、こういう日は誰も出歩かない為、事件も起こらない。
暖炉に火を入れながら、カロンもぼやいた。
「まあ、そうなんだがな。うちはどうせお前と私だけだ。ここに泊まり込んでも構わないわけだし、・・・それに、少ない人間しかいないから出来ることもあるしな」
「はあ・・・?」
暖炉の手前側に、ケリスエ将軍はザラザラと石を置いていく。
「この分では、明日は雪だ。することもない。なら、のんびりと縫い物でもしようか」
「ああ、なるほど」
少し厚手の布を用いて、簡単な小袋を二人は縫い始めた。
「うまくなったもんだな」
「色々とさせられましたから」
やがて何個もの、長めの紐のついた小袋が出来上がる。
「こんな日に割を食ったのは今年の新人だろう。ちゃんと労ってやれよ」
「あなたが行った方が感動するでしょうに」
「面倒だ」
それらの小袋に少し藁を詰め、その上に焼けた石を入れて更に藁を入れる。温もりを生み出す小袋が幾つか出来上がると、カロンはそれらを革袋に放り込んだ。
「じゃあ、行ってきます。あまり根を詰めないでくださいよ」
「分かってる」
ついでだからと、まだ作り続けているケリスエ将軍は顔も上げない。困ったものだと思いながら、カロンは番をしている新人達の所へと出向いた。
「あ、ケイス第六部隊長」
「何かありましたか?」
「冷え込むのに頑張ってるな。手も冷たいだろう。なるべく頻繁に交代しておけよ」
かじかむ手に白い息を吹きかけながら、門の警備に当たっている兵士達が驚いて見上げてくる。カロンは落ち着いた笑顔で労った。
棟は別だが、軍部のエリアということで、門を守るのは、三つの騎士団から均等に兵士が出されている。だからここの人数は多めなのだが、天井や壁こそあっても屋外に立つとなると、かなりきつい仕事だ。それに、門の傍についている小部屋はあまり居住性が良いわけではない。
「今日は特に冷え込んでいるからな。うちの将軍からの差し入れだ。といっても食べ物じゃないが」
そう言って、カロンはそれぞれの兵士に温かな小袋を一つずつ渡していく。
「うぉっ。あったけぇ」
「すげえっ」
「いいんですか? 俺、王都騎士団なんすけど」
「俺も近衛騎士団なんですけど・・・」
「気にするな、皆で頑張ってくれてるんだから。中に入っている石が冷えたら温もりもなくなってしまうが、・・・そうしたら暖炉に石を放り込んで、また熱くなってから入れて使えばいい。小部屋には、あと何人いる?」
そう尋ねて、カロンは小部屋で休んでいる人間の分も一緒に渡した。そこへ、後ろから肩を抱いてくる男がいた。カロンの肩に腕をまわし、横から覗き込むようにしてくる。
「へえ。これが噂の。俺にはくれないのか、カロン殿?」
「必要ないだろう。こういうのは、寒空の下でこうして門を守ってくれる人間に渡すものだ」
「聞いたか、セイランド殿?」
「うむ。差別はいかんな、カロン殿」
「差別じゃない、区別だ。まあ、余分に持ってきているからな」
その横にいる顔を見なくても、そして振り返らなくても誰かなどすぐ分かる。必要ないだろうと言ったくせに、カロンは二人に一つずつ小袋を渡した。
「首から下げておけば、ちょうど腹の辺りにくるから温かい。彼らは手がかじかみやすいから手に持っておいた方がいいだろうが」
そう説明すると、なるほどと二人が頷いた。
「で。お二人ともお揃いでどうしたんだ? こんな日に出てくるとは物好きなことだな」
「カロン殿に言われる覚えはねえぞ。俺は昨日から泊まり込んでたんだ。セイランド殿は・・・何で出てきてんだ、そう言えば?」
「こういう冷え込む日は、率先して出てくるようにしているだけだ。そうじゃないとフィゼッチ将軍も無理をなさる」
なるほどと、カロンとロメスが納得する。フィゼッチ将軍に、冬の冷え込みはかなりきついのだろう。カロンは、更に幾つかそれをセイランドに渡した。
「寒い日などは、これを腰などに当てて差し上げてあげれば、少しは楽になる」
「感謝する」
「いや。こんな日に出てきている物好きな奴に配るつもりで持ってきたものだ」
とは言うものの、門番はともかくとして、カロンも配るのはローム国騎士団の棟にいる人間だけにしていた。何故なら、他の騎士団は別の組織だからだ。門番への差し入れ程度ならともかく、それ以上はまずい。
だが、セイランドとロメスならば問題ないだろう。
「俺には?」
「・・・まだいるのか?」
「いる」
カロンは残り三つ程をそのままロメスに渡した。ならばロメスも、エイド将軍か、部下か、屋敷の者か、・・・相手はともかく、誰か他にも渡してやりたい相手がいるのだろう。
「いや、噂では聞いてたんだ。ここ数年、時々、門番に配られるっつう小袋のことはな。ただ、そいつらにわざわざ『見せてみろ』と言ったら、取り上げてしまうことになりかねんだろ? だから自重してたのさ」
「なら、俺に直接言えば良かったものを。ロメス殿らしくないな」
「これでも控え目に生きてるんだ」
それは嘘である。単にロメスはそのまま忘れていただけだ。セイランドと一緒に歩いていたらカロンを見つけ、それで思い出して絡んだにすぎない。
「今日はどこも開店休業だ。良かったらうちに寄って行くか? 将軍もいるが」
「迷惑でないなら。先だってのラファイ王国の件も是非お聞きしたい」
「・・・それは俺も聞いておきたい」
カロンの誘いにセイランドが乗る。ロメスはケリスエ将軍がいると聞いて少し躊躇ったが、やはり同意した。
「しかし、こんな日こそロメス殿はサボリだと思っていたが、昨日から泊まり込みとは何かあったのか?」と、カロン。
「いや。娼館からこっちの方が近かっただけだ」と、ロメス。
「娼館といえば、郊外に不審な死体が幾つもあったとか。娼婦を殺して埋めているのではないかという噂があったな」と、セイランド。
「それだがな。どこも娼婦の出入りは激しい。かえって、娼館の主よりも利用していた男共の話を聞いた方が確実ときたもんだ」と、ロメス。
「なるほど」と、カロン。
三つの騎士団はどれも独立しており、あまり仲が良いとは言い難い。しかし三人が仲良さそうな感じで歩いていくのを、門を守っていた兵士達は不思議な思いで見送った。
カロンが二人を連れて戻ってきた為、ケリスエ将軍は片方の眉を上げた。さすがに将軍が縫い物をしているのを、他の騎士団の人間に見られるのはどうかと思ったからだ。しかし、見られてしまったものはどうしようもない。
「ちょうどお二人がいらしたので、誘ってきました」
「今日はどこも暇だしな。・・・第六部隊長の執務室でもどこでも使えばいい」
わざわざケリスエ将軍の執務室に案内してこなくても、そちらに連れて行けばよかったものをと思ったが、カロンにその気はないようだった。
「いえ。年末のラファイ辺境区のことをお聞きになりたいようですので」
「お邪魔いたします、ケリスエ将軍。カロン殿には、フィゼッチ将軍にもと、温かい小袋を幾つか頂きました。ありがたく使わせていただきます」
「同じく、こちらも頂戴いたしました」
セイランドとロメスから礼を言われ、ケリスエ将軍も少々困った顔になる。礼を言われる程のものではないからだ。
「それはカロンが作って配ったものだからな。私は少し手伝っただけだ。まあ、そういうことなら、暖炉の前へ」
遠慮する二人だったが、カロンはさっさと四人分の椅子を暖炉の前に置いていく。そしてワインに刻んだ林檎等を入れていたものを取り出して鍋に入れ、暖炉の火を使って温め始めた。
セイランドとロメスは、さすがにケリスエ将軍が自ら飲み物を用意してくれるなどとは思っていなかったものの、まさか目の前でカロンが用意するとも思っていなかっただけに、何とも言えない気分になった。
「えーっと、何か手伝おうか、カロン殿?」
「いや、構わない。少し待っててくれ。すぐに出来るから」
セイランドに手伝ってもらうまでもなく、温まったらカップに注ぐだけのことだ。
「お二人が居たたまれないなら、私がやろうか?」
「あなたがやったら、三人揃って居たたまれなくなるだけです。立場を考えてください」
「立場って、・・・どう見ても仕事じゃないだろ、これは」
ケリスエ将軍の提案をすかさず却下したカロンだが、ケリスエ将軍は少し眉根を寄せる。
残りの二人は、(一番いいのは、誰かを呼んでやらせることだろう。どちらにしてもあり得ん)と、心の底から思わずにはいられなかった。そういうのは従者にやらせるべきことだからだ。
暖炉の前には、ケリスエ将軍、カロンの席、セイランド、ロメスといった扇形に座った。
やがて湯気を立てたホットワインが出来上がる。それらを配ると、カロンは手際よく鍋を片付け、自分の席についた。
「で、ラファイ王国の件だったよな。どこまで訊いたんだ、二人とも?」
「キニーツ伯爵が攻められたってことぐらいだな。そっちの出陣が終わってから聞いたんだ。けれどもカロン殿が戻ってきたと思ったら、その後始末と新年の用意で王宮もバタバタだろう。何が何やら」
カロンの質問に、セイランドが片頬を上げて皮肉な笑みになる。カロンの口調に、どうやら将軍に気兼ねして丁寧に話す必要はないのだと察した様子だった。
実際、ケリスエ将軍は三人の話に興味なさそうな様子で、ホットワインをちびりちびりと飲んでいる。
将軍と一緒に暖炉の火を囲むというのもどうかと思うのだが、その夫であるカロンとならば問題はない。しかしカロンと将軍は夫婦なわけで、・・・色々と客とて気疲れするものなのだ。
「キニーツ伯の孫息子がハインツ男爵の令嬢と結婚していた為、ラファイ王国ハインツ領に孫息子が令嬢と共に移り住んだことは?」
「聞いてないな。どこまであいつらは隠すんだか。新年会でも、どうやら領地が増えそうだという噂は出回っているのに、詳しい情報が全く分からん」
カロンの質問に、ロメスが不満そうな声になる。
「まだラファイ王国との交渉が出来ていないからだろう。あそこは現在揺れている。誰もが火中の栗を拾うべきかどうか、迷ってるんじゃ仕方ない」と、カロン。
「それでも危険な所に行かされるのはこっちだ。きちんと情報はまわしてくるべきだろう」と、セイランド。
「どうかな。カロン殿がそう言うってことは、他の国がラファイを攻めるってことか?」と、ロメス。
「その可能性も視野に入れているだけだ。だがそれは、こちらの見方であって宮廷のものではない。・・・しかし、そうなると、今ラファイと急いで交渉せずとも、混乱に乗じてあの一帯はロームに組み込むことも出来てしまうだろう」
と、カロンは少し訂正を入れた。
セイランドとロメスが考え込む表情になる。同じように各将軍の副官とされていても、カロンはその将軍の弟子であり息子であり夫でもある。自分達とは違う情報にも触れている。そこで情報を隠匿するのではなく、二人には明かしてくる辺りがカロンらしかった。
それはセイランドとロメスへの友情の上に成り立つものなのだろうが。
そこで、ホットワインを飲み終えたらしいケリスエ将軍が立ち上がると、机から何かを取り出す。
「ラファイで思い出した。あちらで採れる石なのだが、お守りにもなるそうだ。良かったらお二人とも持ち帰るといい」
「ありがとうございます。・・・不思議な石ですね。光を弾くのでしょうか」
「ありがとうございます。カレン、・・・妻に渡しておきます。きっと喜ぶでしょう」
セイランドとロメスが渡された物を見ると、それは丸い虎目石のついたマント留めだった。茶色い石なのでマントにつけても目立たなそうだが、その猫の目のような光沢は人目を引くだろう。男でも問題ないだろうが、少し華奢なので女性が使う方がよさそうな感じだった。
「男爵令嬢の髪飾りを作っただけじゃなかったんですか」
「髪飾りが重いと、頭が辛くなるだけだろう。あれは小粒のを重ねて可愛らしく作ってもらったんだが、こちらは大きい分、少し重めだからな。マント留めにさせた。こちらの出来上がりは遅かったが、・・・一応、姫にも既に渡してあるぞ? ロシータ殿とお揃いで」
呆れたようなカロンに、ケリスエ将軍が反論する。しかし言っていることはどこまでも情けない。一体、あの令嬢にどこまで貢ぐつもりなのか。
「お前もいるんだったか? 飾りには興味なさそうだったが」
「いえ、お気遣いなく」
「だよな」
あの時、宿屋で見せられた虎目石は綺麗だったが、お守りというのなら、カロンにとっての一番のお守りは生きて動く存在だ。マント留めにしても、装飾性よりも実用性をカロンは重んじた。
従って、カロンの分は何も加工されずに、部屋で仕舞われている。他にもまだ持っている感じはしていたが、まさかそんな物を作らせていたとは。
それでも一番大きい石は自分にくれたのだなと思うと、カロンはそれ以上を言わないことにした。
「まあ、いい。・・・そうだ、北の国が国名を考えたと小耳に挟んだのだが、そちらはもうお聞きになったか?」
「こちらでは聞いておりません。いつのことですか?」
ケリスエ将軍にロメスが驚いて尋ねる。
北の国は誇り高く、今まで国の名を持たなかったからだ。理由は、「国といえば、我が国しか存在しない。名前などつけなくては分からないような有象無象ではないのだ。従って国名など持つ必要はない」である。
国といえば自分だけという傲慢さも凄いが、それが北の国なのである。国名を持たぬから、誰もが北の国と呼んでいるだけだ。
「こちらも聞いておりません。将軍はどちらからそんな話を?」
セイランドも身を乗り出した。
ダークホースで第四王子が国王になった北の国だが、そうなると第四王子はまだ殺されていないのだろうか。
するとケリスエ将軍は、やや僅かに小首を傾げた。
「なるほど。うちだけでなく、他の騎士団も聞いていない、か。ならばまだ伏せられるべき事項なのだろう。聞かなかったことにしてくれ。私もきちんと聞いたわけではない。ただ、噂を聞いただけだ。本当のことかどうかも怪しい。だが、王になった第四王子は奮闘しているようだ。都落ちしていた間に、いい人材との出会いがあったのかもな」
ケリスエ将軍は話を打ち切る。それでも聞かなかったことにしてくれと言いながら、二人が上司である将軍に報告するのは織り込み済みなのだろう。少し情報を加えてきた。
「ファルラシア、でしたか。氷の花を意味するそうですが、ファルラシア国、・・・つい北の国って言ってしまいますけどね。長年の習慣だけはどうしようもない」
カロンがそう繋げるのだから、これは噂どころか本当の情報なのだろう。そして騎士団としては将軍も全く聞いていない話で、あくまで個人的に入手した話なのだ。
セイランドとロメスに、何とも言えぬ思いが広がった。目立たないように控え目にしておきながら、なぜかこの将軍は得体の知れない所がある。どこからその話を聞いてきたのか。
だが、それでも思った以上の収穫があったと言えなくもない。きっとカロンも、自分からは二人に言えないが、将軍が言うのであれば問題ないと、ここに連れ込んだのだろう。
「いいじゃないか、綺麗な名前だ。まるで恋人の名を思わせる・・・。だが、そんなことよりも、まずはラファイ王国だろうな」
少し遠くを夢見るような表情になった将軍だったが、そのまま話を元に戻した。
(カレンがカンロにいるからな・・・)
そうロメスは思った。あくまでラファイ王国のことしか話すつもりがないらしいケリスエ将軍が、北の国のことを口にしたのは、おそらく自分が北の国に接するカンロ領にいるカレンの夫だからだろう。
それはそれでありがたいのだが。
そして、このマント留めも女性用なのだからカレンに渡すしかないのだとして・・・。
(カレンも喜ぶだろうが・・・)
目の前にいるケリスエ将軍はあくまで自然体だ。ゆったりと力を抜いているようにも見える。何やら書類を探しているようだが、きっとラファイ王国についての資料を出してくれるつもりなのだろう。
ロメスとて馬鹿ではない、理解はしているのだ。
そう、悪い人間ではない。そんなことは分かってる。信頼もできる。それも知ってる。
けれども、どこか人を駆り立てるものを持っているのだ、この将軍は。様々なことに対して、この存在にだけは負けたくないと思わせる、そんな何かを・・・。
(別に浮気などを疑ってはいやしないが。女同士だしな)
いかにカレンが、ケリスエ将軍のことを「素敵」だの「憧れよね」だのと言っていても、そしてケリスエ将軍もまたカレンを可愛がっているにしても、二人の仲を疑っているわけではない。このマント留めとて、セイランドにも渡されているし、他にも渡されている令嬢がいるのだから、特別という程でもない。
それでも。
つい、ロメスはカロンを睨んでしまった。
「・・・おい、ロメス殿。俺が何か?」
「いや。何となく。・・・というか、もっとしっかり捕まえとけよ」
「何をっ!?」
話の流れ的に全く理解できないカロンだったが、けっと、小さくロメスは毒づいた。
【弟子と師匠5】
我らが神よ。どの地にあって、どの名を名乗り、どのものに帰属しようとも、我らは常にあなたと共にある・・・。
子供達は一定の年齢に達したら神殿に預けられるのだが、その前に何回か、神殿での生活を体験して慣らしていく。
今日は、ルースレイルが神殿に初めてのお泊まり体験をしに行く日だった。
「ほら、ルース。ちゃんと自分の袋はなくさないように持つんだぞ。着替えも入れてあるからな」
「サーラも来て」
「駄目だと言っただろう。みんな、サーラぐらいの子供ばかりなんだから。サーラだけ、一人泣きべそかいてるのは恥ずかしいぞ」
「だって、怖い・・・」
「怖くない。お前のお母さんも、リスエルも私も、みーんな普通にやってきたことなんだから」
朝から行きたくないとごねるルースレイルは、往生際も悪い。寂しいだの、怖いだの、お腹が痛いだの、頭が痛いだの、あらゆる言い訳のオンパレードを披露していた。
そんなルースレイルをなだめすかすサーライナも、よくぞそこまで思いつくものだと感心する。
そんな二人の様子を、リスエルードは呆れながら見ていた。
「たかだか一晩じゃないの。寝たら朝になってるのよ。ルースも甘ったれないの」
「リスエルの意地悪っ」
「ほほほ、お子ちゃまの捨て台詞なんて百年早いわ」
ぷんすかぷんすかと怒りながらルースレイルがリスエルードをぽかぽか叩くが、勿論、その程度、蚊に刺された程にも感じないリスエルードである。
そしてルースレイルも、リスエルードが出てきたら敵わないと見て、反撃しつつも諦め始めていた。サーライナはルースレイル可愛さに甘くなるが、リスエルードにそんな甘さはない。
やれやれと思いながら、サーライナはルースレイルの好きな花を刺繍した袋を持って立ち上がった。
「ほら行くぞ、ルース。リスエル、すぐ戻るから」
「行ってらっしゃい。・・・ふっふっふ、ま、ルースが神殿に行ってもぉ、私はサーラと一緒なんだけどね、うふっ」
「リスエルのばかあーっ」
ルースレイルの絶叫を聞きながら、「もう、頼むから黙っててくれ」と、心の底から言いたくなったサーライナだった。わざとリスエルードは、ルースレイルが言われたくないことを言うのだ。
そう、リスエルードは苛めて楽しむタイプなのである。
神殿の正面に、今日は一日お泊まり体験の受付として、神官が数名、並んで座っていた。
「本日はお世話になります、彼女がルースレイルです。保護者は私、サーライナです」
「こんにちは。ルースレイル、です」
サーライナの後ろに隠れながらも、受付の神官にルースレイルが小さな声で挨拶をする。
来る道々、
「ルースは、神官様にどう挨拶するの?」
「えっとぉ、『こんにちは』」
「そうだね、それから? ルースが何も言わないと、神官様にルースの名前は分からないよね?」
「じゃあ、『私はルースレイルです』」
「うん、そうだね。ルースは賢いな。続けて言ってごらん?」
「うんっ。『こんにちは。私はルースレイルです』」
「完璧だ。ルースは偉いね」
と、練習してきたからである。
しかし、緊張しすぎて「私は」は抜けていた。
「こんにちは。よく来ましたね、ルースレイル。あなたと同じ小さな子供達が集まってますよ。お友達を作って帰ってくださいね」
神殿の入り口で受け付けていた神官は、二十代ぐらいの男性だった。
優しい口調でルースレイルに話しかけてきたのだが、ルースレイルは恥ずかしがって真っ赤になる。サーライナの後ろで顔まで隠してしまった。知らない人と話すことがあまりない為だ。特に日頃の生活など、女性ばかりに囲まれていると言ってもいい。男の人というだけで、恥ずかしいのだ。
「いらっしゃい、ルースレイル。お友達が待ってますよ」
そう言って、待機していた三十代ぐらいの女神官が声を掛けると、ルースレイルはほっとしたように顔を覗かせた。にっこりと笑って、女神官がルースレイルに近づき、その手を引く。
「サーラぁ」
「行っておいで、ルース。明日、私が迎えに来るまで、ちゃんと神官様の言うことを聞いてお友達と仲良く遊んでくるんだぞ。約束できるか?」
「うん・・・」
「いい子だ。大丈夫、ちゃんと明日には元気に戻っておいで。寝る時にはきちんと布団もかぶるんだぞ。厠も行くんだぞ。ちゃんと神官様に言えば、厠までついてきてくれるし、怖くないから」
「うん」
「神官様。どうぞルースレイルをよろしくお願いします」
「勿論ですよ、サーライナ。・・・ふふっ、あなたは質問ばかりでずっと口を動かしていたというのに、この子は正反対ね」
「忘れてください、そんな昔のことは」
さすがのサーライナも顔が赤くなる。誰しも子供の頃の話題をされるのは苦手なのだ。
ルースレイルの前なので、模範的に「神官様」と呼んで丁寧に話していたが、サーライナより年上の神官にとって、サーライナは手のかかる妹のようなものだろう。小さい時から色々と面倒をみてもらってきていた。
ましてや自分が子供の頃は、人の心と出てくる言葉が一致しないことが不思議で仕方なかった。だから「ねぇねぇ、痛いのに、痛くないって言うのはどうしてなの?」とか、「なんで、あの人は嘘を言うの? 本当は大好きなのに大嫌いって言ってるのは何故?」とか、何かあればすぐに年上の神官達に質問していた。今なら、皆が返事に困っていた理由がよく分かる。
思い返せば、壮絶に恥ずかしい。
「神官様。サーラのこと、知ってるの?」
「ええ、ルースレイル。サーライナは神殿で長く暮らしていましたからね」
「どうしてぇ?」
「ふふっ、サーライナが神殿での生活が好きだったからですよ」
「そうなのっ? じゃあっ、神殿での生活って楽しいのっ?」
「ええ。ルースレイルにも楽しく思ってもらえたら素敵ですね」
そんなことを話しながら神殿への奥へと二人が消えていくのを、サーライナは赤い顔のまま見送った。受付に座っていた神官が、クッと笑う。
「心配しなくてもルースレイルに変なことは言わないよ、サーライナ。で、いつの間に子供を作ったんだ? 神官長様が聞いたら悲しみそうだなぁ」
「師匠ケリスロードの子供ですっ」
ルースレイルがいなくなった途端、その神官は砕けた口調になった。神官ともなると、やはりイメージを壊さないよう努力しているのだろう。
大体、ルースレイルをサーライナが産める筈がない。ルースレイルが産まれた時は、まだサーライナは神殿にいたのだから。
「うん、知ってるけどね。・・・で、まだ伴侶もいないんだろう? 神殿に戻って来いよ。その方が幸せだと思うぞ、我らが妹よ」
「私は普通の人として暮らすと決めたのです。もう、力もありません」
自分を可愛がってくれていた人だ。拒絶するのは辛い。けれども、それは決めたことなのだ。
「そういうことにしておいてあげてもいいけどね。・・・ま、せっかく来たんだ。舞を奉納していってくれないか? 神もお喜びになるだろう」
サーライナは驚いて顔を上げた。舞を奉納できるのは限られた人間だけだ。しかし、神官は
「構わないさ。それに今日は奉納できる暇な人間はいない。・・・せっかくの舞台が勿体ないじゃないか」
と、祭壇の前にある舞台を指し示した。
一般の人達が祈る場所と祭壇との間にある舞台、そこは時に勇壮な曲が流れ、時に静かな祈りが響き、時に賑やかな歌が流れと、神に捧げる何かが行われる場所だ。段差と、床の色とが、その違いをくっきりと分けている。
言われてみれば、今日は子供達の世話で誰もそんな余裕はないのだろう。
もはや神官見習いでもないサーライナが入っていい場所ではないのだろうが、この人が言ったなら問題ないだろう。サーライナはそう思った。となれば、サーライナとて拒否する理由はない。
「はい、兄様。喜んで。禊の場をお借りしても?」
「勿論だ。お前に対して閉ざされるような神殿の場はないよ」
神殿を去っても妹と呼んでくれる神官に、サーライナは兄と呼びかけた。神官や神官見習いは、年の順で兄や姉、弟や妹と呼ぶからだ。
神殿で神官が舞う際、その奥にある泉で彼らは禊をまず行う。そして、泉の近くに設けられた脱衣所に置かれている舞の為の衣服を身につけるのだ。ゆったりとしている上、幾重にも重ねられた布でできたそれは、体の線を分からなくし、更に頭からかぶる布には紐も取りつけられている。
顔だちどころか、男女すら見分けがつきにくくなるのだ。
だから分からない。神官ではないサーライナが奉納の舞を舞ったところで、祈りに来ている者には、それが神官ではないなどと分からないのだ。
(同時に、自分も周囲が見えなくなるから困るんだが。まあ、今日は相方もいないしな)
それでも異能が集まった神殿の神官達である。前が見えなくなろうとも、それで舞を失敗するものではなかった。
さすがに今日は神殿でのお泊まり体験の日とあって誰もがバタバタしている。
(リスエルならともかく、人前でなんて長く舞ってない。失敗したら恥ずかしいし、これで良かった)
一人で舞うことになってしまうが、その方が気兼ねなく舞えると、サーライナは安堵した。もしかしたら自分が舞っていても、他の神官達は気づかないかもしれない。やはり、ヘタになったと言われたくはないのだ。
禊を済ませ、久しぶりの衣装を身に纏うと、サーライナは舞台へと進み出た。
サーライナに見えるのは、頭からかぶった白い布と足元の床だけ。それでも体が覚えている。
祭壇へと向かい、人々を背にしてサーライナは神へと一礼し、剣を持った両手を広げて歌い始めた。
「今日は女性の神官様らしいな。綺麗な歌声だ」
「本当に。今日の奉納舞はないと聞いていたけど、来てよかったわ」
参拝していた人々がそれに見入る。
部族の者ならば一通りは歌い、舞えるものの、やはり奉納を許される神官レベルまではなかなか到達できるものではない。その歌声は聴く者の心を揺さぶり、神を讃える気持ちを更に昇華させていく。
本来は二人以上で舞うものを一人用にアレンジして、サーライナは歌いながら二本の剣を使って舞っていた。
受付の場所から、奉納舞を勧めた神官は満足そうにそれを眺めていた。そこへ、いつの間にやってきたのか、声が掛けられる。
「サーライナは相変わらずだな」
「いらしてたのですね、神官長様。勝手ながら私の独断で・・・」
「よい。出来ることなら神殿に留めておきたかったが、・・・少し深みも出たようだ。やはり、これで良かったのだろう。見ろ、あれが神官でなくて何だと言うのだ」
「はい」
神官長も、サーライナを指し示す。
布で顔が見えなくても、サーライナが楽しそうに歌って舞っているのは、兄様と呼ばれた神官にも分かった。神を感じることは、この上ない恍惚をもたらすからだ。神に捧げる舞いを練習の時点で苦にする人間が、神官になることはない。
(神殿を拒んだ異端の神官、か。けれども我らが妹よ。それもまた神の思し召しなのだろう。神官にはならないと言いながら、君自身の存在がその言葉を裏切っていることに、君は気づいているのだろうか)
彼女がいくら普通の人として生きていくことを望んでも、その本質が変わることはないのだ。あれが普通の村人だとは笑わせる。今の彼女は、既に神しか感じていない。その歌も舞も、見る人間の為ではなく、神との交信の手段でしかないではないか。
神官にならずとも、サーライナは永遠に神の僕であり続ける。
「遅いと思って来てみたら、何をやってるのかしら、サーラったら」
神殿にやってきたリスエルードもまた、入口から祈りの場所へと入ってそれを見ていた。
顔を隠したところで、サーライナをよく知る者には何の妨げにもならない。神殿までやってきたリスエルードは、舞台で舞う神官の正体を一目で見破った。
当然である。それは、何度も見たことがあるものだ。
森で、畑で、山で、庭で。サーライナは気が向くと、神の為に歌い、舞っていた。その時だけは、邪魔してはならないものを感じて、誰もが声を掛けない。リスエルードも、サーライナの舞を見るのが好きだった。
それでも普通の衣服で舞うのより、やはり本来の衣装で舞う方が、見ていて目に楽しい。
せっかくだからと、リスエルードも皆に混じって見物することにした。
やがて、様々な視線がサーライナへと集まっていく。
「何かが響いてくると思ったら、サーライナでしたか。神官長様」
「久しぶりに来たと思ったら、あれはもう恍然の域に入ってますね」
「まあ、サーライナったら。もうかなりの命を奪ってしまったのですね。けれども恨みや憎しみの魂が一つもないとは、・・・やはり我らが妹だけありますこと」
「どうなのでしょう。神官長様。神殿にいる私共が人を殺めることはありませんが、私共でもああなるのでしょうか」
何人かの神官が、入口へと集まってきていた。サーライナに気づいて、しっかりその姿をチェックする。
「さてな。それこそ神官だからなのか、サーライナだからなのか、それは神に問うしかあるまい。だが、さすがはサーライナ。どこまでも敬神なことよ。次代の神官長は野に下り、血を浴び、泥に塗れ、ただの醜悪な人となる。見ておくがいい、あの汚らわしくも歪で、美しくも澄んだ魂を」
満足そうに神官長が頷く。
それでもそんな視線にサーライナが気づくことはなかった。
(我らが神よ・・・)
サーライナは、ひたすら神の存在を感じながら、舞い続けていた。
ケリスエ将軍に引き取られたカロンが困ったのは、呼び方だった。
「将軍、でいい」
「それは、・・・役職名なのでは」
ケリスエ様と呼ぼうとしたら、嫌がられたのだ。その時はどうしてなのか分からなかったが、息子として引き取った相手に苗字に様付けで呼ばれるのはおかしいということだったらしい。
サーライナという名前はあるものの、ケリスエ将軍は頑なにその名前を人に呼ばせようとはしなかった。
だからと言って、将軍と呼べというのはおかしいように思ったが、そこで何かを言える程の勇気は、その頃のカロンにはなかった。
「お綺麗な名前だと思いますが、どうしてどなたにも、サーライナ様とは呼ばせないのですか?」
野宿の際は退屈だからか、会話も増える。あくまで通常に比べて、だが。
闇に浮かぶ炎を囲みながら、ある時、意を決してカロンはケリスエ将軍に尋ねてみた。
「親しくない人間に呼ばれたらムカつくだろう? 親しくなっても、それはそれでな・・・」
「・・・名前とは便宜上のものだと仰有ってませんでしたか?」
「そうだな。だから、他の人間にはケリスエの方を呼ばせている」
「・・・・・・」
全くもって、意味不明な将軍だった。
だが、そう思うのはカロンだけではなかったらしい。
ある時、王宮でカロンは見てしまった。
「サーライナ様。お迎えに上がりました」
そう言って、女官が王の所へとケリスエ将軍を案内しようとするのを。
だが、ケリスエ将軍は動かなかった。それどころか、女官の存在にも気づかなかったかのように、外を見ている。何度、女官が繰り返しても全く反応せず、時間だけが過ぎていく。
焦れた女官が、その腕に手を掛けようとした時だった。
パシッ。
触れる前に、その指先が撥ねつけられる。やっと女官を見た瞳は、とてもきついものだった。
「あ、あの・・・」
「・・・どこぞのご令嬢ならばともかく、私はあくまで武をもってお仕えしております。姓もしくは役職で呼んでいただけますか、女官殿?」
はっとしたように、女官が姿勢を正す。女官にとっては、名前で呼ぶ方が喜ぶだろうという程度の思惑だったらしい。令嬢などは名前に様をつけて呼ぶことが多いからだ。
「失礼いたしました。ケリスエ将軍、こちらへどうぞ。王がお待ちでございます」
「ありがとう、女官殿。よろしく案内の程、お願いいたします」
やっと、ふんわりとした笑顔を浮かべるケリスエ将軍だった。そのギャップに、周囲にいた警備の兵士達も目を丸くしている。
そろそろ用事も終わっただろうと迎えに来たカロンだったが、用事は終わるどころか、始まってもいなかった。
(というより、何だよ、あの目は。・・・そんなにもあの人にとって鬼門なのか、名前って?)
正直、心臓が凍るかと思う恐ろしさだった。自分なら立ち直れないかもしれない。カロンは、決してケリスエ将軍のサーライナという名前だけは呼ばないようにしようと決意した。
思えば、誰もがケリスエ将軍としか呼んでいなかった。きっとそう至るまで、つまりカロンがロームに来る前にも何かはあったのだろう。そしてあり続けているから、誰もがサーライナの名前を使わないのだろう。
そういう考えに至ったカロンの心に、泣きそうになっていた女官の顔が強く残った。国王に仕える女官らしいが、きっと彼女は二度とサーライナ様とは呼ばないだろう。そして、それを報告された他の女官も。
(だけど、女性にはそれでも優しいんだよな)
警備の兵に理由を説明して、ケリスエ将軍が戻るのを待つことにしたカロンの耳に、ケリスエ将軍の言葉が届いてくる。
「国王の側近くに仕える女官殿は美女中の美女とも言われていらっしゃいますからね。ですから、せめて高嶺の花を一目だけでも見たいと、今回は代わってくれと頼まれてもいたのですよ。しかし、それこそ理性を飛ばして狼藉に至られては騎士団の恥と、結局、私が参りました」
「まあ、お上手ですこと」
「その代わりに訊いてきてほしいとお願いされてしまったのです。女官殿でしたら、恋文を送られるのと、贈り物から始められるのと、直接あなたに告白してくるのと、どれがお好みでしょう? 恋焦がれた男とは愚かなもので、それら全てを置き去りにしかねませんからね。せめて女官殿が不快にならぬよう、恋のステップを教えていただければ、と」
誰の代わりかは知らないが、既にその口説きは始まっているらしい。先程、あれほど冷たい視線を向けておきながら、一転してちやほやと女官の機嫌をとっている将軍はどこまでもケリスエ将軍なんだなと、カロンは少し呆れてもいた。決して口には出来なかったが。
長年の片思いの結果、どうにかこうにかケリスエ将軍と結婚できたカロンだが、そこで悩みもないわけではなかった。
「お前なあ、寝台でも将軍って呼ぶのはやめろ。・・・部下に無体を強いている気になるだろう。男なら興奮するのかもしれんが、私は萎えるだけだぞ」
「女性が萎えるだなんて言わないでください。どこで覚えたんですか、そんな言葉」
「職場」
「忘れてください、速攻で」
ケリスエ将軍に嫌そうな声で言われるまでもなく、カロンとて悩んだのだ。しかし、名前を呼ばずにどう呼べと言うのか。
仕方ないので、そこで本人に訊くことにした。
「だけどあなた、サーライナの名前だけは呼ばれたくないって仰有っていたでしょう。どう呼べと言うんですか」
「・・・そんなこと言ったか?」
「言いましたよ。だから誰も、あなたをサーライナの名前で呼んでいないじゃないですか」
「そう言えばそうだったか。というより、サーライナと呼ぶのも、サーラと呼ぶのも、部族の人間に限られていたからな。・・・村を離れてからはケリスエの名前しか使わなかったし。そう言えば、部族の人間以外に、サーライナの名を呼ばれるのが耐えられなかったんだ、あの頃は」
「はあ・・・?」
「狭い世界に生きていたからな、それ以外の人間に名前を呼ばれるなど許せなかった、それだけだ」
「はあ」
少し寂しそうな顔で、ケリスエ将軍は笑った。
「かつて親しい人間は私をサーラと呼んだ。・・・そうだな、お前はライナと呼べばいい。伴侶だけが呼ぶ名前だ」
「・・・はあ」
よくよく聞いたら、ケリスエ将軍の部族では、名前の前半を愛称にして皆が呼ぶものだったらしい。後半は、伴侶となる人間が呼ぶのだとか。知人程度ならそのまま名前を呼ぶのだと言う。
「だから、きちんとした場合はサーライナ、親しい人間はサーラ、・・・そして伴侶になった人間はライナと呼ぶんだな。ルースレイルなら、親しい人間はルース、伴侶となったらスレイルかレイルと呼ぶように」
「なるほど。呼び方に親しさの度合いまで出るんですね」
「ああ」
伴侶だけが呼ぶ名前だと聞かされると、カロンもその名前を呼ぶのはなんとなく二人きりの時だけになった。その方が特別な感じがしたからだ。というより、誰にもその呼び方を知られたくなかったと言ってもいい。
特に、あの小賢しい悪魔に聞かれた日には張り合ってきかねないと、細心の注意をはらった。
「別に、普段もそうやって呼んでもいいんだぞ?」
「嫌です。誰かに一度でも真似されたら殴ってしまいそうですし」
「・・・たかが呼び方一つに、そこまでこだわることもなかろう。別にお前のことを皆が『カロン』と呼んでも、私もお前も気にしてないだろうが」
「それはそれ、これはこれなんです。・・・あなたへの呼び方だけは、誰にも譲りたくない」
「困った男だな」
それでもカロンの気持ちを尊重してくれたのだろう。誰に尋ねられても、ケリスエ将軍もまた、
「カロン? そうですね、家でも私のことを『将軍』と呼んでいますよ」
と、答えてくれていたのをカロンは知っている。
そういう人だった。
そうして、やがて時が流れ、諦めていた長男を授かった。
赤ん坊に産湯を使わせ、体を柔らかい布で包んでやってから、待っていた妻に赤ん坊を渡してカロンは言った。
「ライナ。元気そうな男の子です。あなたによく似ている」
「そうか? どう見ても、ただのサルだ」
「産まれたての赤ん坊はそんなものです。一日毎に、顔も整ってきますよ」
「詳しいな、お前。まあ、いい。・・・たしかお前の母親の名はエルザだと言ってたな」
「はあ、多分。父がよく、その名を呟いていたような気がするんです」
早くに亡くした妻を偲んだのか、カロンの父親はその名を呼んで語りかけていたような覚えがある。ただの記憶違いかもしれないが。
「なら、この子の名前はエルセットにしよう。女の子ならエルザでも良かったが」
「・・・ライナ」
そう言って微笑んでくる妻の頬に、カロンは口づけた。そういう彼女の親の名前はどうなのかと尋ねたら、
「実際の両親の名前か? それとも私が物心ついた時に母と暮らしていた父の名前か? だが、うちの部族では父の名前は単なる種馬と見做されるので、ほとんど他人扱いなんだが」
などと言われてしまった。
自分とは親に対する感性が違うのだと、カロンは悟った。
「エルセット・ケイスか。まあ、語感も悪くない。そう思わないか?」
「は? ・・・あの、エルセット・ケリスエではなくて?」
「いや。だって、ケリスエの苗字は私と共に潰しておかないとまずいだろ?」
「は?」
姓を潰しておくとはどういうことか。カロンは自分の耳を疑った。
「言ってなかったか?」
「聞いてません」
どこかで聞いたようなやりとりだった。というよりも、ケリスエ将軍とカロンの間で、「言ってなかったか?」「聞いてません」のやりとりは、珍しくもないものになっていた。
ぽりぽりと、頬を掻きながら、ケリスエ将軍が明後日の方向を見る。
「ライナ?」
「いや、その、あのな・・・。ほら、私の部族が滅びたと言っただろう?」
「ええ」
「何と言うか、まあ、私としても見つけたい相手がいたわけだ。それこそ師匠というか、姉弟子というか、・・・まあ、そんな存在がいてな。それに、もしも奇跡的に生き延びていたら、隣に住んでいた娘にも会いたかった」
「はあ」
「どこにいるか分からない相手に会いたい場合、一番手っ取り早いのは、自分がここにいると示すことだ。だから、その当時、戦争を様々な国に仕掛けていたロームに目をつけて、そこに入り込もうと思ったんだ。そこで異色の女将軍ともなれば噂は出回るだろうと思ったしな」
「はあ」
なるほどと、カロンは感心する。
言われてみれば、出世にあまり興味のなさそうなケリスエ将軍である。生活のことだけならば、せいぜい小隊長程度でも十分だった筈だ。そこをあえて将軍にまで出世したのは、理由があったということか。
「将軍となれば姓の方が出回るだろう? だから、師匠達の名前を使って、そのまま姓に当てたんだ。そしてローム国の出身ではないことを、何か機会がある度にアピールした。・・・部族が滅んだ理由が分からない以上、もしかしたらそれが自分を危険に陥れるのかもしれないとは思ったが、あの頃はかなり自棄になっていて・・・」
「えーっと、そうなりますと・・・」
「そう、ケリスエというのは、人探しの為に作った苗字だったんだ。だからその名を広めた。その苗字だけを皆に呼ばせてな。だからそれは、私以外に使う理由のない名前でもあるんだ」
「・・・・・・。あなたって人は、どうしてそう目的の為なら手段を選ばないんです」
カロンはがっくりと両肩を落とした。
軍に所属する者なら誰もが望むであろう将軍位ですら、人探しの手段ときたものだ。・・・絶対に、人には言えない。前代未聞の出世理由だ。全ての騎士が殺意を覚えるに違いない。
こんなふざけた話があってもいいのだろうか。真面目そうな顔をして、何てことをしてくれているのだろう、この人は。
ケリスエ将軍は、ちゃっかりとカロンから視線を逸らしている。
(ケリスロードとリスエルードの名前を掛け合わせたからな。二人だけでなく、ルースにもそれで分かると思ったんだが・・・)
けれども、そんなケリスエ将軍の思いは無駄に終わったと言えるのだろう。ローム国に名を轟かせても、リスエルードとルースレイルは見つからなかった。他の国に行けば見つかるかと思い、ケリスエ将軍は、機会があれば他国にも足を延ばした。
「本当に、あなたって人だけは・・・」
「あの頃は私も純真無垢な乙女だったんだな。健気だと、自分でも思うんだが」
「健気で純真無垢な乙女は、そんなえげつない方法など考えつきません」
「・・・お前、本当に遠慮がなくなったな」
唇を尖らせる妻だったが、諦めの境地で、カロンはその腰を支えながら体を横にさせた。まずは休ませて、それから栄養も摂らせていかなくては。
「もう、いいです。それがあなたなんですから」
「お前なあ、その『どうしようもない人』扱いはやめろ」
「やめてほしければ、真っ当に生きていてください。・・・さ、エルセットは俺も見てます。少し休んでください」
「ん」
さすがにかなりの疲労があったらしい。それ以上は文句も言わず、彼女は目を閉じた。
その腕に抱かれているエルセットも、母の鼓動を感じているのだろう。先程までの泣き声が嘘のように、穏やかに眠っている。
そんな二人に幸せを感じながらも、カロンは項垂れた。
(俺、ケリスエ家に婿入りのような形で入り込んでおきながら、ケイスの名を息子に継がせたって言われるんだろうな・・・。今度は乗っ取りとか言われそうだ)
まあ、自分はそれでも構わないのだが。どうせ今更だ。何を言われたところで気にする程のことでもない。
(だが、このエルセットはどうなんだろう)
この優しくて思いやりもあるくせに、それでいて傍若無人な母を持つ息子はどう育つのか。
いずれ、そのことで傷つく日が来るのかもしれない。しかし、世の中には言えることと言えないことがあるのだ。
(母親に似て、神経が太く育ってくれたなら、何も気にしないのだろうが・・・。それもそれで、どうなんだろう)
いつか、そんな母親のあれこれを、父であるカロンが息子に話す日も来るのだろう。何と言っても、こんな大事なことすら、今まで夫に言わないような妻である。自分からは息子になど決して言うまい。
(それでも、あなたが産んでくれた命だ・・・)
それ以上に何を望むことがあるだろう。
布を濡らしてから絞り、その額の汗を拭うと、彼女の寝息が少し柔らかくなる。
「ありがとう、ライナ。愛してます」
その手を小さく握り締めながら、カロンは彼女の部族が信仰していたという神に、感謝の祈りを捧げた。




