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十年住んでいる家に、知らない部屋が増えていた。  作者: 海狼ゆうき


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満室の部屋

 夜十一時。


 リビングの時計が静かに秒を刻んでいる。


 カチ。

 カチ。


 テレビは消えている。

 冷蔵庫のモーター音だけが、低く鳴っていた。


 俺はソファに座り、スマホを見ていた。


 SNS。

 特に面白いものはない。


「……寝るか」


 独り言。

 誰もいない家では、独り言が増える。


 十年前にこの家を買った。

 中古の一軒家。

 駅から少し遠いが、安かった。


 結婚する予定だったからだ。


 その予定は三年前に消えた。

 家だけ残った。


「まあ、いいか」


 立ち上がる。


 廊下の電気をつける。


 そして。


 足が止まった。


「……あれ?」


 廊下の突き当たり。


 そこには——


 扉があった。


 白い扉。

 古い木製。

 丸い真鍮のドアノブ。


 俺は数秒、動かなかった。


「……いや」


 小さく笑う。


「そんなわけないだろ」


 この家は十年前に買った。

 間取りは全部覚えている。


 玄関。

 リビング。

 キッチン。

 風呂。

 トイレ。

 寝室。


 廊下の突き当たりは——


 壁だった。


 何度もぶつかった。

 酔ったとき、特に。


「……」


 俺はゆっくり近づく。


 床が軋む。


 ギシ。

 ギシ。


 扉の前に立つ。


 手を伸ばす。


 ドアノブに触れる。


 冷たい。


「……誰か来た?」


 泥棒?

 いや。

 そんな音は聞いていない。


 そもそも——

 壁が扉になる泥棒はいない。


 俺は後ろを振り返る。


 リビング。

 いつも通り。

 何も変わらない。


 もう一度扉を見る。


「……夢か?」


 ドアノブを回す。


 カチ。


 扉が開いた。


 中は暗い。


 俺はスマホのライトをつける。


 白い光。


 六畳くらいの部屋。


 机。

 椅子。

 ベッド。

 本棚。


「……誰の部屋だよ」


 机の上。

 マグカップ。

 乾いたコーヒーの跡。


 ベッドには毛布。

 少し乱れている。


 最近まで使われていたように見える。


 俺は部屋に入る。


 床は普通のフローリング。

 ほこりは少ない。


「……おいおい」


 誰か住んでいる?

 いや。

 そんなわけない。


 俺は十年間ここに住んでいる。


 机に近づく。


 引き出し。


 開ける。


 ノート。


 黒い表紙。


 マジックで名前。


田中誠


「……誰?」


 俺は椅子に座る。


 ノートを開く。


 日記だった。


——3月8日

この家の廊下が長くなった気がする。


 俺は眉をひそめる。


 ページをめくる。


——3月10日

突き当たりに扉を見つけた。


——3月11日

中に部屋があった。


 俺は止まる。


「……」


 さらに読む。


——3月12日

この部屋の前にも住人がいたらしい。

名前は

山本亮


 俺は顔を上げる。


 壁。


 写真が貼ってある。


 男の写真。

 知らない顔。


 写真の下に紙。


 名前。


山本亮


 俺はスマホを取り出す。


 検索。


 ニュース記事。


 三年前。


 見出し。


会社員 山本亮 行方不明


「……おい」


 背中が冷える。


 俺は日記の続きを読む。


——3月13日

この家は変だ。

扉の向こうに部屋がある。

そして部屋の住人は

消える。


 俺は喉を鳴らす。


 ページをめくる。


——3月14日

俺の部屋の前にも新しい扉ができた。

名前は

山本亮

つまり順番だ。

消えた人の部屋が一つ増える。


 俺は手を止める。


「……順番?」


 最後のページ。


——3月15日

たぶん次は俺だ。

もしこれを読んでいる人がいたら。

次は

あなたの番です。


「……」


 その時。


 廊下から音。


 コツ。

 コツ。


 俺は振り向く。


 扉の向こう。


 暗い廊下。


 誰もいない。


「……誰かいる?」


 返事はない。


 静かだ。


 俺はゆっくり立つ。


 部屋を出る。


 廊下。


 そして。


 息が止まった。


 廊下の途中。


 扉が増えていた。


 さっきまでなかった。

 絶対に。


 白い扉。

 同じデザイン。


 俺はゆっくり近づく。


 表札。


 そこに書かれていた名前。


田中誠


「……」


 俺はドアノブを握る。


 冷たい。


 ゆっくり回す。


 カチ。


 扉が開く。


 中。


 同じ六畳。


 机。

 ベッド。


 壁の写真。


 男。


 名前。


田中誠


 俺はスマホを取り出す。


 検索。


 ニュース。


 記事。


会社員 田中誠 行方不明


 日付。

 去年。


「……」


 背中を汗が流れる。


 俺は廊下を見る。


 奥。


 暗闇。


 その奥に——


 さらに扉が見えた。


 二つ。

 三つ。

 四つ。


 並んでいる。


「……なんだよこれ」


 廊下は——


 いつの間にか長くなっている。


 俺は廊下を見つめた。


 さっきまで突き当たりだった場所は、もう見えない。


 廊下は続いている。


 暗闇の中へ。


 そして左右に並ぶ扉。


「……嘘だろ」


 俺は一歩踏み出す。


 床が軋む。


 ギシ。

 ギシ。


 最初の扉。


 表札。


田中誠


 その次。


山本亮


 その次。


 知らない名前。


高橋健


 俺はスマホで検索する。


 記事。


五年前 行方不明


「……」


 さらに歩く。


 扉。


佐久間徹


 検索。


二年前 行方不明


 俺は喉が乾くのを感じた。


「ここ……」


 廊下を見回す。


「行方不明者の部屋?」


 静かだった。


 家の外の音も聞こえない。


 車の音も。

 風も。


 世界がここだけ切り離されたみたいだ。


 その時。


 奥の扉が——


 少しだけ開いた。


 ギィ。


 俺は固まる。


「……誰かいる?」


 返事はない。


 だが。


 中から光が漏れている。


 俺はゆっくり近づく。


 扉の前。


 表札。


 そこに書かれていた名前。


佐藤悠斗


 俺の名前だった。


「……」


 ドアノブに手を伸ばす。


 その時。


 中から声。


「遅かったな」


 俺は凍りついた。


 扉を押す。


 ギィ。


 部屋。


 六畳。


 机。

 ベッド。


 そして。


 椅子に座る男。


 背中。


 ペンを動かしている。


 カリカリ。

 カリカリ。


「……誰だ」


 男が振り向く。


 俺だった。


「やっと来たか」


「……は?」


 俺は男を見つめる。


 同じ顔。

 同じ声。

 同じ年齢。


「お前……誰だ」


 男は笑った。


「だから言ったろ」


 ノートを閉じる。


「俺はお前だ」


「意味がわからない」


 男は机の上のノートを俺に向ける。


 表紙。


 名前。


佐藤悠斗


 俺はページを開く。


 日記。


——3月16日

今日、この部屋に来た。

前の住人はもういない。


「……」


 男が言う。


「理解したか?」


「何を」


 男は廊下を指す。


「ここはな」


 少し間を置く。


「登場人物の保管場所なんだ」


「……は?」


「小説の」


 男は肩をすくめる。


「作者が作ったキャラクター」


 俺は笑う。


「ふざけてるのか?」


「いや」


 男は真顔だった。


「使われなくなったキャラ」

「忘れられたキャラ」

「途中で消えたキャラ」


 男は廊下を見る。


「全部ここに来る」


「意味がわからない」


「簡単だ」


 男は指を立てる。


「作者が書く」

「キャラが生まれる」

「物語が終わる」


 そして。


「キャラはここに住む」


 俺は言う。


「じゃあ俺は?」


 男は少し笑う。


「お前は」


 間。


「この短編の主人公」


「……」


「つまり」


 男は机を叩く。


「もうすぐここに住む」


 その時。


 俺のスマホが震えた。


 LINE。


 送り主。


作者


 俺は画面を見る。


 メッセージ。


読者が増えないと困る


「……は?」


 次のメッセージ。


そろそろオチにします


「ちょっと待て!」


 男が笑う。


「だから言ったろ」


「もう終わる」


 俺はスマホを打つ。


「ふざけるな!」


 送信。


 既読。


 すぐ返信。


安心してください


 俺は画面を睨む。


 次のメッセージ。


次回作があります


「……」


 男が笑う。


「よかったな」


「は?」


「人気出たら」


 男は廊下を指す。


「この家の住人が増える」


 俺は言う。


「人気出なかったら?」


 男は少し考える。


 そして言った。


「その場合」


「どうなる」


 男は窓の外を見る。


 暗闇。


 静かな声。


「作品ごと消える」


 俺は言う。


「俺たちも?」


 男は頷く。


 沈黙。


 スマホがまた震える。


 作者。


 新しいメッセージ。


さて


 次のメッセージ。


ここまで読んでくれてありがとうございます


 俺は叫ぶ。


「ちょっと待て!」


 送信。


 既読。


 次のメッセージ。


面白かったら評価お願いします


 男が肩をすくめる。


「営業だな」


 俺はスマホを睨む。


 最後のメッセージ。


続編を書くかどうかは

読者次第です


 画面が暗くなる。


 部屋も。


 廊下も。


 そして。


 家は静かに——


 もう一つ扉を増やした。


(完)


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