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私にだけ、ない。 ~前世の記憶を持たない少女が“今”を生きる物語~  作者:


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8/9

世界の真実

 お気に入りのカメラを持って待ち合わせ場所に向かうと、時計台を背に立っている唯ちゃんの姿が見えた。髪の毛を高い位置で一つに結び、花柄のワンピースを着ている唯ちゃんは、いつもより大人っぽく見えた。カシャン。思わずシャッターを切る。


「唯ちゃん、おはよ。今日のワンピース可愛いね!待ってる姿がとっても素敵だったから、思わず写真撮っちゃった!」


「え!マジ?ウチ半目になってないかな?でも、これから行くカフェすっごいおしゃれだから、陽きっとたくさん写真撮ると思う!てか、撮ろ!」


 五分ほど歩くと、通りに面したカフェが見えた。こぢんまりとしている割には存在感のある外観だ。軒先から伸びる薄青色のオーニングはとてもおしゃれで、カフェの周囲には、どこか現実離れした雰囲気が漂っていた。ふとテラス席に目をやると、そこにはあの鮮やかなオレンジ色の帽子の老人の姿があった。


「えっ。神様じゃん」


 唯ちゃんの声が聞こえたのか、老人はこちらを振り向いた。


「あ、あの、こんにちは!」


 咄嗟に挨拶をする。


「お嬢ちゃん、こんにちは。今日はお友達と一緒なんだね」


「はい!私の親友です!」


「そうか、親友か。それは良かった」


 老人は紅茶を一口飲むと、


「お嬢ちゃんたち、少し時間はあるかい?聞いてほしい話があるんだ」


 そう言ってカップを置いた。カチャリ。カップがソーサーとぶつかる音がやけに響いて聞こえた。

 びっくりして唯ちゃんを見ると、ぎゅっと私の手が握られた。ひんやりとした指先から緊張が伝わってくる。ごくりと唾を飲み込みながら頷くと、老人はゆっくりと口を開いた。


「はは。そんなに緊張しなくて平気だよ。ちょっとした昔話さ。良ければこちらに座ってごらん」


 促されるままに席に着くと、ウェイターがやってきた。


「アッサムティーで良いかな?このお店のイチオシだよ」


 入り口の看板にも大きく写真が載っていたので、おすすめの紅茶なのだろう。私たちが頷くと、老人はウェイターに注文をした。


「お嬢ちゃんたちは、廻暦(かいれき)より前のことを考えたことがあるかい?」


「廻暦より前、ですか?今の文明が始まったのが廻暦元年っていうのは習いました。それ以前の文明については謎が多く、よくわかってないんですよね?」


 歴史の授業で習った知識を、恐る恐る披露する。


「そうだね、学校ではそう教えられるけれど、それは正確な情報ではないんだ。廻暦より前の時代にも、人々は生活していたんだよ」


 思ってもみなかった発言に、眉を顰める。それでも続きが気になって、ゆっくりと頷くと、老人は続けた。


「その頃人々は争い、奪い合い、貧しかったんだ。歴史は繰り返すという言葉があるけれど、何度も繰り返される過ちの数々に私は嫌気が差していたんだ」


「えっと、ちょっと待ってください。おじいさんは、その時代から生きているんですか?今廻暦325年だから、ちょっとあり得ないというか……」


 理解が追い付かずに混乱していると、唯ちゃんが尋ねた。


「あぁ、混乱させてしまったね。正確に言うと、私自身ではないんだよ。私に記憶を引き継いだ存在が居てね。私はその記憶を代々引き継ぐ“観測者”と呼ばれる存在なんだ。私も二人と同じように人間だが、発現する記憶がちょっと違う。人々が前世の記憶を持っているように、私には何世代もの記憶があるんだよ」


「それって神様の記憶ってことですか?」


思わず尋ねる。


「そうとも言うかもしれないね。人知の及ばない存在であることは確かだよ」


 風に揺られた葉の隙間から、おじいさんの顔に光が落ちる。突拍子もない話だけれど、おじいさんの真剣な眼差しを見ていると、とても作り話だとは思えなかった。


 頭を整理しようと視線を落とすと、注文した紅茶が運ばれてきた。私と唯ちゃんが紅茶を一口飲むのを見て、おじいさんは続けた。


「繰り返される過ちの数々に嫌気が差していた頃、一組の夫婦と出会ったんだ。その夫婦は決して裕福ではなかったけれど、現状を嘆くことなく、日々を積み重ね、常に未来を見据えているようだった。夫婦には子がなかった。近所の子供たちをわが子のように見守り、『子は宝。子は未来だ』と口癖のように言っていたよ。身寄りのない子供たちに食事を与えたり、破れた服を直してやったりしていたんだ。私はこの夫婦に、娘を授けることにした。未来を担うに相応しく、過去の過ちを繰り返さぬよう、娘には前世の記憶として、私が見てきた百年の歴史を与えた。五歳の誕生日を迎える頃、記憶が“発現”するように」


「もしかして、それが“前世の記憶”の始まり……?」


「だとしたら、その“娘”は『記憶の女神』ですか?」


 唯ちゃんと私が立て続けに尋ねると、おじいさんはゆっくりと目を閉じて頷いた。おじいさんの記憶を覗き見ているように、リアルに情景が浮かぶ。


「5歳になった娘は、百年の歴史を記憶として体験し、両親に話しをした。両親はとても驚いたが、『その記憶であなたが未来を導くのよ』と娘を支持した。娘が十五歳になると、人々に記憶を語り始めた。『我々は百年以上前から戦争や飢餓を繰り返し、苦しんできました。我々は過去から学ぶべきなのです。記憶は光です。記憶があれば、同じ過ちを繰り返さずに済むのです』と。悲惨な歴史を鮮明に語り、記憶から学ぶことの大切さを説く少女は、徐々に“女神”と呼ばれるようになり、人々はその考えに賛同していった。少女の考えが人々に浸透し、記憶を保持するために“記録”という概念が誕生したんだ。記録の整備が進んだ頃、私は人類に前世の記憶を与えることにした。それが廻暦元年のことなんだよ」


 今まで謎とされてきた歴史を、まるでこの目で見たかのようにはっきりと想像することが出来た。廻暦より前のことなんて考えたことがなかったけれど、おじいさんの言葉には、その時代が確かに存在すると思わせる説得力があった。


「前世の記憶があるのが当たり前じゃない時代が、あったんだ……」


 独り言のように呟くと、唯ちゃんが私の手を握った。唯ちゃんの体温が伝わってくる。胸の奥がじんわりと温かくなっていく。


「続き、お願いします」


 おじいさんの目をまっすぐに見る。おじいさんは穏やかな表情で続けた。


「前世の記憶があることが当たり前となったころ、“女神”は私にこう言ったんだ。『私は、記憶は希望だと信じてきました。現に戦争はなくなり、人類は大きく発展を遂げました。しかし、今の世の中は記憶に縛られすぎています。希望の光であったはずの記憶が、未来を縛る足枷になっている。今や人々は、過去をなぞるだけの生活を送っています。来世に私の記憶は要りません。ありのままの今を、生きてみたいのです』と。そうして前世の記憶を持たずに生まれたのが、陽ちゃん、君だよ」


「そう、だったんだ……」


 私には前世の記憶がないのに、今の話をまるで“思い出した”かのような懐かしい感覚がした。隣に座る唯ちゃんを見ると、ばっちりと目が合う。唯ちゃんの目は心なしか潤んでいるように見えた。心の奥から力が湧いてくるような感覚がする。持たざるものだと思っていた自分の過去。今なら、唯ちゃんの言葉がすっと胸に入る。

 私は『なんにでもなれる』んだ。


 老人は唯ちゃんに言葉をかける。


「お嬢さんは、前世とのしがらみに苦しんでいたね。前世の君も、今の君も、どちらも等しく輝いている。君が前世を誇りに思うように、前世の彼女も、今の君の頑張りを誇りに思っているだろう」


 唯ちゃんはまっすぐにおじいさんを見つめ、ぺこりと頭を下げると、私にウインクを飛ばした。キラリ。何かが輝いたように見えた。



 カフェでおじいさんに真実を告げられたあの日から、世界の見方が少しずつ変わった気がした。自分の前世が記憶の女神だったという実感は湧かないけれど、心の奥底で固まっていた劣等感が少しずつ溶けていき、周りの人々をフラットな視点で見ることが出来るようになったように思う。

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