衝突と和解
唯ちゃんは私にとって今を照らす太陽のような存在だ。太陽が照らす光が強ければ強いほど、影もまた濃くなっていく。それを実感したのは、高校一年の夏のことだった。
「えー、今から進路希望調査票を配るぞー。進学するのか、就職するのか、二年生からの選択科目で理系分野を選ぶのか、文系分野を選ぶのか、今から夏休みも含めてたっぷり時間があるから。親御さんとも相談しながらしっかり決めろよー。前世の経験を活かすもよし、自分が何に興味を持っているのか、改めて考えてみてくれ。提出期限は二学期の始めだからな。忘れるなよー」
配られた調査票をみつめながら、ため息をつく。将来やりたいことなんて、わからない。前世の記憶がない私は、参考にできる過去がない。小学生の時からことあるごとに突き付けられてきた残酷な現実が、目の前に影を落としていく。自分のこれからに目を向けるためには、自分の過去と向き合わなければならない気がした。
お昼休み、いつものように唯ちゃんとお弁当を食べながら愚痴をこぼす。
「とうとうこの時期がきちゃったよー。進路選択。前世の記憶がないからどうやって考えたらいいか……」
「そうだねー、でも逆に言えば、可能性は無限大なわけじゃん?陽は器用だし、何にでもなれる気がする」
「うーん。でもやっぱり、指標がないっていうのはちょっとしんどいかな。唯ちゃんは前世がアイドルで、今は女優を目指してるっていう明確な指標を持ってるでしょ?ちょっと羨ましいって思っちゃた」
何気なく発した言葉だった。わずかに返答に間があるように感じて唯ちゃんの方を見ると目が合った。その瞳には、微かに影が滲んで見えた。
「指標、ねえ。あったらあったで、囚われるのもしんどいけどね」
唯ちゃんはそう呟くと、
「ないものねだり、だね。てかごめん、ウチ課題出し忘れてたの思い出した!出してくる!」
そう言って走っていってしまった。思わず口にした本音にハッとする。私たちはお互いの“今”を大切にしていたはずなのに。唯ちゃんを傷つけてしまっただろうか。
結局あの後唯ちゃんとはあまり話せなかった。用事があると言って先に帰ってしまった。謝るタイミングを失って、今日が金曜日だったことを思い出す。月曜日、どんな顔して唯ちゃんに会えば良いのだろう?何て言って謝ろうか。ぐるぐると考えながら帰り道を歩いていると、道の先に鮮やかなオレンジ色が見えた。よく見るとそれは帽子だった。あの帽子、どこかで見たことがあるような気がする。思考が唯ちゃんのことからオレンジ色の帽子へと移っていく。昔、どこかで……。記憶を辿ろうとしたところで、その帽子を被った老人が振り返った。老人は首からフィルムカメラを提げていた。そのカメラは、私が持っているものと同じ機種だった。思わず駆け寄って声を掛ける。
「あのっ、そのカメラ!私も同じの持ってます!」
「おや、お嬢ちゃん。こんにちは。お嬢ちゃんもフィルムカメラを使っているんだね。こればずいぶん古いものだけど、お嬢ちゃんみたいに若い子が使っているなんて珍しいねぇ」
「あ、こんにちは!私のは祖父が使っていたものなんです。ちょうどフィルムカメラに興味を持ち始めたころに譲り受けて。祖父が母たちを撮っていたカメラだから、大事にしてるんです」
「そうかそうか。それはとても大切なカメラだね」
「はい。大切にしたい記憶を、撮れたらいいなって思ってます」
「ふむ。記憶を撮ってるんだねぇ。素敵なことだよ」
「ありがとうございます。あの、おじいさん、昔からその帽子を被っていませんか?なんだか見覚えがある気がして」
「そうだね。これは大切な帽子なんだ。昔、風に飛ばされたこの帽子を、お嬢ちゃんが拾ってくれたことがあったね」
一瞬でその日の記憶が蘇った。と同時に、
「あの時はありがとう。お嬢ちゃんは素敵な子だね」
そう声がして、あの日と同じように老人は微笑み、帽子を被り直し歩いて行った。
老人の言葉から感じた温かさと、変わらぬ帽子の鮮やかさに、なんだか不思議な気持ちがした。
週が明け、教室に入ると、なにやら教卓を囲んでクラスメイトが集まっている。近づくと、教卓の上には雑誌が置かれていた。
「どうしたの?」
近くのクラスメイトに尋ねると、「見て見て」と言いながら雑誌の右ページの真ん中を指さした。そこには街角スナップに取り上げられた唯ちゃんの姿が載っていた。
「すごいね、唯ちゃんモデルさんみたい!」
思わず興奮気味に発言すると、遠くで見ていた花園さんが割って入ってきた。
「前世の七光りですわね、『アイドルのような輝き』なんてキャッチフレーズ書かれちゃって。前世がアイドルなんだから当然でなくって?努力もせずに輝けるなんて、良い御身分ですわね」
蔑むような花園さんの発言に、心底腹が立った。
「取り消して、花園さん。今の発言、唯ちゃんを侮辱するにもほどがあるよ」
「な、なによ。あなた坂下さんとちょっと仲が良いからって調子に乗ってるんじゃなくって?」
「調子になんか乗ってないよ。唯ちゃんは、ちゃんと努力してる。無責任にも期待してくる周りががっかりしないほどアイドルらしいのは、唯ちゃんの努力の賜物なんだよ。何にもせずに輝いてるだなんて、唯ちゃんの努力を無視するような発言は取り消して」
まっすぐに花園さんを見据えると、花園さんの目線が後ろに逸れた。振り返ると、教室の入り口に唯ちゃんが立っていた。
「唯ちゃん……」
クラスのみんなが一斉に教室の入り口を見る。唯ちゃんの後ろには担任が立っていた。
「どうした坂下?入口にぼーっと立って。ほれ、ホームルーム始めるぞー」
集まっていたクラスメイトがぞろぞろと席に着く。もやもやとした気持ちのまま、ホームルームが始まった。
三時間目の授業が終わり、教科書を机に仕舞っていると唯ちゃんのお弁当袋が視界に入った。
「一緒に屋上でお昼食べよ」
唯ちゃんはやわらかく微笑んでそう言った。
屋上へ上がると、いつものベンチに腰を下ろす。
「なんか久しぶりな感じする」
「たしかに。土日会わなかっただけなのにね」
「ね。あ、陽今日のお昼サンドイッチなんだ。いいね」
「うん、今日は自分で作ってみたんだ」
「すごいじゃん。ウチ料理は全然だめ。包丁怖い」
「あはは。確かに唯ちゃんが包丁握ってるの、なんか想像できないかも」
「えー、やっぱり?てかさ、朝、ありがとね。途中から見てたよ」
「あ、うん。花園さん、唯ちゃんのことわかってなかったから、あたし腹立っちゃって」
「うん、陽がウチの努力をわかってくれてたの、ほんとに嬉しかった。今のウチをちゃんと見てくれてたんだね」
そう言うと唯ちゃんは視線を空に向けた。
「この間、進路選択の話した時、陽に『羨ましい』って言われて、正直結構ショックだったんだよね。ああ、陽も結局私の前世しか見てないんだ、陽だけはウチの今を見てくれると思ってたのにって。でも、そうじゃなかったんだね。前世のない陽にとって、前世があることは、ただ羨ましいって、そういうことだったんだよね。私勝手に誤解して、傷ついて。陽と距離取ってた。ごめん」
「ううん。あたしこそごめんね。唯ちゃんが前世のことを羨ましがられるのが居心地良くないの、わかってたのに。嫌な言い方した。あたしたちが大切にしてるのは今なのにね」
「ううん。私は前世がアイドルだったことに誇りを持ってるし、恵まれてるとも思ってる。それでも陽が今のウチを受け止めてくれるのがとっても嬉しかったんだ。だから、ありがとう」
そう言って目尻を下げる唯ちゃんは、なんだかとてもキラキラして見えた。胸のあたりがくすぐったい感じがして、いつもより大きく齧った今日のサンドイッチは、殊更美味しく感じた。




