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私にだけ、ない。 ~前世の記憶を持たない少女が“今”を生きる物語~  作者:


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光る存在

 パリッとした制服に袖を通す。窓の外を見ると、青空と桜のコントラストが目に沁みた。全身鏡に目を移すと、制服姿の自分がぼうっと光って見えた。昨日が大雨だったとは思えないほど良い天気の今日は、始まりにぴったりの日といった感じだ。慣れないローファーを履き玄関のドアを開けると、濡れたアスファルトの生ぬるい匂いがした。


「行ってきます」


 振り返ると母がにこやかに送り出してくれた。

 道路脇には桜の花びらが重なり合って塊になっている。風に吹かれた桜の花冠(かかん)がひとつ、水溜まりに落ちていった。


 学校に近づくにつれ、同じ制服の生徒たちが増えてきた。地元の中学校に進学したため、知った顔も多い。違う小学校だった子たちとは、仲良くなれるだろうか?友達って、どうやって作るんだっけ?ぐるぐると考えながら歩いていると、あっという間に教室に着いた。

 黒板に貼り出された座席表を確認して席に着く。前の席の女の子には見覚えがない。引っ越してきたのだろうか。艶やかな明るい茶髪のロングヘアに見とれていると、ガラガラと教室のドアが開いた。


「おーい。みんな席に着けー。私がこのクラスの担任、岡野秀一だ。よろしくなー」


 そう言いながら先生は「岡野秀一」と大きく黒板に書いた。チョークの欠片がパラパラと舞う。教卓に名簿を置いてクラスを見渡す先生の、七対三できっちりと分けられた髪は黒々と光っていた。


「これから一年間、同じクラスでやっていくクラスメイトの顔と名前、しっかり覚えろよー。今から順番に、自己紹介をしてもらう。前世も忘れずにな。じゃ、赤城(あかぎ)から」


 やっぱり。予想はしていたけれど、現実は厳しい。小学校からのクラスメイトもいるとはいえ、見知らぬ顔もちらほらある。私に前世の記憶がないことを、初日から知られてしまうのか。胃がキリキリと痛む。


 一番前の廊下側に座っていた男子が、立ち上がって自己紹介を始めた。


「赤城巧翔(たくと)、趣味はゲーム、前世はサッカー選手でした。よろしく」


 クラスのみんなが拍手で応える。次々と自己紹介は進んでいく。—パティシエ、警官、猫、画家—とうとう前の席まで来てしまった。指先がひんやりとして震えてきた。


坂下唯(さかしたゆい)って言います。趣味は食べること、前世はアイドルでした。おすすめのコンビニスイーツあったら、是非教えてください!よろしくお願いします!」


 彼女が左右にペコっとお辞儀をして席に着くと、少し大きめの拍手がおきた。後方の席の男子が盛り上がっている。


「前世アイドルだってよ!」

「可愛くね?」

「お前マートのシュークリームがおすすめだって言って来いよ!」


 まさか前世がアイドルの子の後に自己紹介だなんて。最悪だ。とっとと終わらせよう。


「桜木陽です。趣味はフィルムカメラです。よろしくお願いします」


 一瞬の間の後、パラパラとした拍手が返ってきた。そして聞こえるひそひそ声。


「やっぱり言わないんだ」

「え、何どういうこと?」

「あの子、無いらしいんだよね。前世の記憶」

「えー!マジ?!そんな人居るの?!」

「小学校の卒業文集も空白だったよ」

「え、こわ」


 予想はしていたけれど、言葉の刃は鋭い。胸の奥が重く痛む。


 担任は「あぁ、そうだったな」と独り言のように呟き「ほら佐々木、続きを」と促した。



 昼休み。前の席の坂下さんの周りにはクラスメイトが続々と集まってきた。質問攻めにあっている彼女を横目に、静寂を求めて屋上に行くことにした。教室を出てすぐの階段を上がると、屋上へと続く扉があった。ひんやりとしたドアノブを回して扉を開けると、温かな空気が頬を撫でていった。屋上には誰もいない。校庭の桜は、結構散ってしまっていた。落ちた花びらは昨日の雨の水溜まりに吸い込まれ、重なり合っている。


 フェンスの前のベンチに腰を下ろし、お弁当箱を開ける。私の大好きな甘い卵焼きと、唐揚げが入っていた。


「いただきます」


 両手を合わせてそう呟くと、背後で屋上のドアがガチャリと開く音がした。

 振り返ると、ドアノブに手をかけたままの坂下さんと目があった。


「あ!陽ちゃん、だよね?」


 満面の笑顔でそう言うと、坂下さんはパタパタとこちらに走ってきた。ウェーブがかったロングヘアが揺れる。


「ウチも隣でお昼食べていい?」

「え、あ、うん」


 びっくりして頷くと、坂下さんはピンク色のかわいらしいお弁当袋の中から、サンドイッチを取り出してウインクしてみせた。彼女の目じりから、何かキラキラとしたものが飛んだように見えた。


「いやー、転校生?っていうか、新顔?って大変だね!質問攻めがすごくて逃げてきちゃった!」


 そう言いながらコロコロと笑う坂下さんは、いたずらっぽく舌を出してみせた。


「坂下、さん」


「唯で良いよ」


「唯、ちゃん」


「うん!」


「唯ちゃんは、どこの小学校に通ってたの?」


「ウチは楓三小ってとこ。中学からこの町に引っ越してきたんだ」


「そうなんだ」


「陽ちゃんはずっとこっちに住んでるの?」


「うん。だから私が前世の記憶がないことをほとんどみんな知ってるんだ」


「あっ、陽ちゃん前世の記憶無いの?!自己紹介の時言ってなかったからちょっと気になってたんだよねー」


「うん、全然思い出せなくて」


「そっかー。周りってさ、あれこれ勝手なこと言ってきてウルサイよね。ウチなんか前世がアイドルだからって理由で近づいてくる子たちも多くてさー。中学から環境変えて心機一転!とか思ってたけど、そんな簡単に変わんないかーってちょっとがっかり。人からチヤホヤされることは前世から慣れっこだけど、正直あんまり気持ちのいいもんじゃないよね」


「そっか。そういえば自己紹介の時男子がすごい盛り上がってたね」


「うん。好意を持ってくれるのはありがたいんだけどね。正直疲れるときもあるよ。前世じゃなくて今のウチを見てよ!ってね」


「“今”の……」


「ん?」


「あ、いや、ううん。でも、唯ちゃんは笑顔が素敵で明るいから。私は最初緊張したけど、そういうところが魅力なんだなって感じたよ」


「えー、ほんとに?」 


 目をまんまるく見開いて、大げさに見えるほど驚く唯ちゃんの顔は、なんだが嬉しそうに見えた。前世の記憶がないことを思わず打ち明けてしまったけれど、唯ちゃんはその事実を当たり前のこととしてさらっと受け入れてくれたような気がして嬉しかった。心の奥底で凝り固まっていたコンプレックスが、大きなバケツに入った水に一滴垂らした絵の具のように、うっすらと溶けていくのを感じた。



 あの日の屋上での会話をきっかけに、私は唯ちゃんと仲良くなっていった。気が付けばいつも隣に唯ちゃんがいた。


 学校の中の秘密基地は屋上のベンチだった。フェンス越しに見下ろす景色が、私たちに季節を教えてくれた。放課後の屋上でおしゃべりをしていると、吹奏楽部の演奏や、運動部の掛け声が風に乗って聞こえてきた。浴衣を着て花火を見た夏祭り。金魚すくいに夢中になりすぎて、二人とも袖を濡らして大笑い。お互いの家でしたテスト勉強。気が付けばいつも恋バナしてたっけ。授業中にこっそり回した手紙。化学の先生にだけはなぜかいつもバレたんだよね。


 そんな、数えきれないほどの“今”を重ねるうちに、私たちの三年間はあっという間に過ぎていった。受験勉強を共に乗り越え、唯ちゃんと私は、無事、同じ高校に進学することが出来た。

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