神様に忘れられた子
あの日母が私に言ってくれた「今を、これからを生きる」という言葉の意味。正直あの時はよくわかっていなかったんだと思う。それでも、母の言葉は私の心にゆっくりと、そして深く根付いていった。
春が来て、梅雨になり、降りしきる雨は根っこを太く長く育てていった。秋が来て、冬になり、雪の下でも力強く伸びているその根は、いつしか太い幹を支えるようになっていた。昨日の空の雲の形を思い出せなくてもなんてことないように、前世の記憶がないこともすっかり気にならなくなっていた。
小学六年の三学期、その時は突然訪れた。
「今日は皆さんに、卒業文集に載せる作文を書いてもらおうと思います。テーマは『前世の記憶と将来の夢』です。皆さんそれぞれの前世の記憶をもとに、将来どんな仕事に就きたいのか、どんなことをしたいのか考えてみてください。何か困ったことがあったら、手を挙げて聞いてもいいし、先生前に座ってるから、聞きに来てください」
前世の記憶は、小学校入学ごろには大体発現し、どんなに遅い子供でも六年生になるころには思い出しているものだった。それがこの世界の当たり前で、当たり前すぎて忘れていた残酷な現実。私はまだ、前世の記憶を思い出していなかった。
「前世の記憶と将来の夢 桜木 陽」そう書いてみたけれど、続きを書くことが出来ない。周りを見渡すと、それぞれ思い思いに書き始めていた。教室のあちこちから話し声が聞こえてくる。
「私は宇宙飛行士だったから、ロケット開発がしたいんだ!」
「俺は前世が犬だったから、犬の気持ちがよくわかる獣医になろうと思ってる!」
頭が真っ白になって、鉛筆の先を睨みつけていると、隣の席の花園さんが話しかけてきた。
「あら、桜木さん、手が止まってますわよ?もしかして、まだ思い出してないのかしら?」
花園愛。一年生の頃から私が前世の記憶を思い出せていないことについて、なぜか何かと言ってくる子だ。
「……そう、だよ。でもだからって何?そんなに大きい声出さないで」
「まあ!なんてことでしょう!あなた神様に忘れられちゃったんじゃないかしら?」
いきなり頭を思い切り殴られたような、そんな衝撃だった。だんだんと心臓の音が大きくなっていくのを感じる。
花園さんの声でクラスメイトが一斉に私を見る。
「え、どうした?」
「桜木さん前世の記憶まだ思い出してないんだって」
「やっぱりそうなんだ」
「だから神様に忘れられたって言ってんのか」
ひそひそ声が、どこか遠くの方で聞こえる。今までなんとも思っていなかったクラスメイトの視線が、とても鋭く感じてくる。
私は、今を、これからを生きていく。それは揺るぎない事実のはずなのに、目の前が徐々に暗くなっていくような感覚。私は今、何をしている?将来何がしたい?前世の記憶がない私は、「神様に忘れられた」のだろうか。
しっかり根を張り太く育った幹でさえも、簡単に切り倒してしまうようなチェーンソー。時として言葉は、それほどの威力を持って心に突き刺さる。今まで感じたことのない虚無感。題名と名前だけが書かれた空白の原稿用紙を教卓に置き、教室を出る。クラスのざわめきも、私を呼び止める担任の声も、聞こえないふりをした。
それからの日々はあっという間に過ぎていった。あの日以来どこか腫れ物に触るような扱いをしてくる周りの態度にも慣れてしまった頃、私は小学校を卒業した。




