ヒト
「面会は出来ません。」
看護師がこちらを向いて言った。
意図は分からなかったが、強く念を押されている事を理解した。
目覚めていない子を、見てはいけないのだと。
この施設は、病院ではなく研究施設だ。
記憶を人の器に宿す、先端技術の研究。
彼女らが眠っている間にも何らかの処置を施しているのだろう。
たとえ自身のペットであっても、目覚めるまでは面会が出来ない。
そのせいで、見知らぬ少年少女を当日になって目にし、それこそがペットであると知らされる。
わけがわからなかった。
僕も、きっとサエも。
同じ感覚だった筈だ。
生活の多くを補助してもらい、僕達はここに住まわせてもらっている。
ペットである彼女達も不自由ない生活をし、人間として成長する機会を与えられている。
それは彼女らが家族であると同時に、施設にとっては数少ない被検体であるからに過ぎない。
所有権は飼い主にありながら、機関によって管理されている。
監察期間は、公募の当選後、検体の死亡・搬入日から数えて六か月程度とされている。
ふと気になった。
その間に目覚めなかった場合、その子はどうなる。
魂は。肉体は。必ず蘇る保証は無い。
「彼女達は。いつからここに。」
「もうすぐ、五か月くらいですかねえ。」
「六か月で目覚めなかったら。」
看護師は腰に手を当て、考える。
「うううん。と。」
「口外しないでくださいね。おかしな事ではないのですけど。」
何かを隠している。
こくり。頷くと、看護師が傍に寄る。
「実は。」
「七か月目までには。みんな、必ず起きるんです。」
必ず?なぜそう言える?
公表されている資料では目覚めなかった個体もいたとされている。
既に古い資料なのか?
「…どういう事ですか。」
「それは。いきなり知らない記憶が流れ込んできたら。体がびっくりしちゃうでしょう。」
「そうならないように。目覚めるまでの期間を、その子に合わせて調整しているんですよ。」
子供だからと見くびられている。
それはともかく、決まった日数で目覚める…。薬か何かの投与を?
6か月が経過すれば真偽は明らかになるが…。
僕らが知っているのは、人間の肉体に動物の記憶を移植する事だけだ。
それでは何故、彼女らは「獣」の特徴を持つ?
記憶だけで耳や尻尾が生える筈が無い。
触れた時には人間のそれとは異なる感触だった。
目覚めるまでの間に、何が起きている?
「耳や尻尾は、どうやって生えたものですか。」
「ああ、ええと。私が話せる事では…。」
「誰もが疑問に思う筈です。」
「記憶を移植した肉体は、何者ですか。」
「に、肉体。それは勿論。その、う…。」
「ひ。…ヒト、ですよう。」
「ヒト。ヒトならば、この耳は。尻尾は。なんですか。」
ハクの体を指差して言う。
「あ、の。少し。待ってて下さいねえ。」
看護師は何かを誤魔化すようにして、部屋を出てしまった。
目の前に置かれた朝食の配膳。
看護師が運んできていたものだが、食べる気が向かない。
ヒト。人間。
言葉の通りであれば、誰とも知らない人間の肉体の事だろう。資料の内容とも違いは無い。
何故、言葉を詰まらせた?
ハクやジロウの体は、元は人間だと思っていた。
ハクの横髪を指で梳く。顎と首の境を撫でると、ハクがこちらに顔を向ける。
ジロウと同じだ。人間の耳の痕跡すら無い。
外科手術とは考えにくく、薬の類でここまで綺麗に無くなるとも思えない。
立体的な蒼い眼の輝きは、人工物よりも自然的でより複雑な構造体であるように見える。
ヒトの姿であって、ヒトと同じ構造では無い。
生物として違和感は無いが、同じ生物とは思えない。
彼女達は……。
配膳に目を向ける。
米。汁物。野菜。
肉。
何の肉だろう。
昨日食べた肉は?
豚肉だった。
………本当に?
こんこん。
「コタロウさあん。食器を片付けに来ましたよう。」
「あらら。お肉、食べなかったんですかあ。美味しいのにい。」
「さっきの話。続けても良いですか。」
「さっきの。あ、ああ。なんでしたかねえ。」
「何の肉ですか。」
「豚肉ですよ。新鮮で、蛋白質豊富ですよう。」
「いや。そうではなく…。」
「区内の食品センターで加工してますよ。養豚場も、区の認可を受けた所ですよう。」
勘違いしているのか、わざと誤魔化しているのか。
ただの天然…か?
「ま、まだ不安ですかあ。」
「…食べて見せましょうかあ。」
「ええと。誤魔化さないで答えてください。」
「ハクやジロウ。他の子達の体は。どうやって用意しているのですか。」
「あう。その事でしたら。ええと。」
「月末に論文が公表される予定なんですけどお。」
「《デザインボディ》って名前でして。
記憶と遺伝子を元に、人体を組成する技術なんですう。」
拍子抜けするほどあっさり答えた。何を躊躇っていたのだろうか?
しかし…。
デザインボディ。
設計された体、といったところか。
組成するという事は、人間の肉体は使用していない?
「彼女らの肉体の原型は、ヒトだと言ってましたよね。」
「え。ああ、いやあ。勘違いでしたあ。」
「記憶と遺伝子。遺伝子とは、ヒトの遺伝情報の事で?」
「ええと。ええと。」
グラス越しに必死で何かを操作している。資料でも読んでいるのか?
「…違いますねえ。」
「では。すべてペットである動物から作り出したものだと。」
「…そ。そうなりますう。」
ヒトのゲノム編集はしていない。だから倫理の壁は超えていないと言える訳か。
実現可能性は、今ここにいるハクやジロウ達が証拠と。
それ以前の人体を器とした臨床試験は、成功する率が高いとは言えなかった。
しかしこのデザインボディ。
発表前の技術とはいえ、「確実に」目覚める手法である事に間違いは無いのだろう。
「な、納得いただけますかあ…。」
「今のところは。」
看護師がほっ、と一息吐く。
誤った回答をすれば問題になりかねない立場にある。
無闇に問い詰めるつもりはなかった。
…ジロウは、ハクは。
人間では無かった。
しかし純粋な動物か、といえばそうではない。
新たな生物?
間もなく論文が発表されると言っていた。
それを読めば、何か分かる事があるのだろうか。
「…お肉、どうされますかあ。」
「あ。いただきます。」