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「たろう。」


『たあろ。』



「こたろう。」


『こ。たあろ。』



事情を説明されたサエは驚いていたが、ハクの検査の結果、玩具の誤飲はしていなかった。


生前。いや。転生をする前のハクは、予想通り魚を与えられていたそうだ。

といっても鮮魚をそのままという訳ではなく、切り身やすりおろした身が好物のようだった。


今時のペットフードは味も栄養価も優れているが、見た目や食感はさほど変化していない。

そのアクセントとして、脂身の多い魚肉が与えられていたという訳だ。


肥える程の大食いではなかった、となれば、今後の食生活にも心配は無いかもしれない。



「た、ろ、う。」


『たあ、お、う。』


「た。」


『たあ。』


ふむ。苦手な母音はあるが、発語は順調。

会話を繰り返せば、呂律も回るようになるだろう。


一定レベルの社会認識を持ち、最低限の歩行運動機能を備える事。

点滴に頼らず、食事によって活動エネルギーを得られる事。

およそ三か月程度で達成できる目標へ向けて、彼女達の成長を支える。

二か月目を迎えたハクは、早ければ来月の中頃には施設を出られるようになる筈だ。



しかし。「魚が食べたい」だけで、床に座り込み、

籠までひっくり返すような状況になるだろうか。


直後にはトイレに行きたがっていたが…。

限界で力が抜けた?

記憶が戻った事による反動?

それともやはりストレス?


まだ不可解な事があるな…。




そんなハクが最近、寝室に入り込むようになった。

しかも一人で。看護師が朝回りをする前からやって来ているらしい。


早起きなのでたいして困る事は無いのだが、サエに黙って来ていたら彼女が心配するだろう。


「ハク。」


『んん。』


「サエが寂しがるよ。」


『さびし。』


「うん。サエ、今ひとりだよ。」


『むぅん。』



僕のベッドの半分が占領されている。

脚の上で寝たまま動かないので、僕も動けない。


「ハク。」


『んんむ。』


「重いよ。」


『おもい。かるい。』


「おもい。」


『かあるい。』


ふ。人の子みたいな事を言う。


「起きれないよ。」


『おきれなあい。』


我儘なのか。眠いのか。

何と言えば強制力が働くだろう。



「僕。トイレに行きたいよ。」


『とぉいれえ。』




「水が飲みたいよう。」


『みいずう。』




「…死んじゃうよう。」





『し。





……しん。』





しまった。どうにかどかせたい一心だったが、不謹慎な言葉選びをした。

ハクは僕の目を見たまま、口を空けている。



『た。たあろ。し。しい、ぬ。』


「冗談だよ。死なないよ。」


『しぃ。』



どうした。



『し、ぬん。うぅ。うにゃぁ。』



お。おいおい。そんなつもりは。

表情はわからない。わからないが、普通ではない。

どうか泣かないでくれ。頼むう。


頭が回らない。何を考えたかよく分からない。

彼女を、抱き寄せていた。














無心、無言。

心臓の鼓動と、呼吸の音。


どれくらい時間が経っただろう。

10秒か、1分か。

もっと長いかもしれない。




「ハク。僕は生きてる。元気だよ。」


髪を撫でて落ち着かせる。

肩を持って引き離すと、きょとんとした顔が目に映る。


「大丈夫。安心して。」


かくん、と、頭垂れて応答する。

今なら足を引けそうだ。膝を折り曲げ、ベッドの外へ滑らせる。


「元気だから。トイレに行ってくるよ。

ここで待ってて。」


頭に手を置き、ぽん、とさする。

にこりと合図をすると、部屋を出た。





ふうう。まだ早朝。

起きたばかりだというのに、汗が止まらない。


記憶。

成長につれて徐々に思い出す前世のそれは、今では

彼女らにとっての足枷のようにも見えてくる。


楽しい記憶だけならまだ良いが、彼女達は死を経験している。

死の記憶が戻った時。痛みや苦しみが、脳を、身体を焦がしていくのだ。

その感覚を知らない僕ら飼い主は、それが戻った時どう接してあげたらよいのだろう。


ハクは「死」という言葉に異様な反応を示した。

おそらくここで覚えた言葉では無い。


ジロウは交通事故で死んだ。

何を。

思うのだろう。




『たあろう。』


うわあ。

背後から不意を突かれ、声が裏返る。



「ま。待ってろと言ったろう。」



『はくも。


とぉいれえ。』








前回の教訓は活きた。順調だった。


他人のトイレの手伝いに上達を感じるなんて。

恥ずべき事では無いのに、屈辱的だ。


「さ。ハク。部屋に戻って。待ってて。」


『するう。』


用の処理を真似したいのか。



「駄目だ。戻って。


僕はひとりで出来るから。大丈夫だよ。」


『んにゅぅ。』


ふぐぅ。そんな目で見ないでくれ。

その場から動こうとしない。

部屋から無理やり追い出して、再び便座の前に。



しゃらり。


扉が僅かに開いた。

そっと閉めて、鍵を掛けた。






素朴な疑問。彼らは繁殖するのだろうか。

オスのペットもいるはずだが、施設では今日まで出会っていない。

数が少なければ繁殖の機会も無いだろう。

…人間と?いや、まさか。


施設の学習カリキュラムでは、性を学ぶ事は無い。

最初の治験はおよそ二十年前の事だ。

過去に事例があれば、ここで教わってもおかしくはない筈だが。


飼い主と生涯を共にするのであれば問題無いが、彼らの寿命が人間と同じかどうか。

それより、少なくとも精神が人間なら、他の人間と交流する過程で様々な感情を抱くことだろう。


機関のお偉方は、どのように考えているのだろうか。

現時点では、何もかもが不明。ペットはペットとして付き合う他ないのか。





「あら。ハクちゃあん。おはよう。

トイレの前で何してるのう。」


通路の声がくぐもって聞こえる。

巡回の時間か。


手洗いを済ませ、扉を開ける。



うぐ。


白い毛玉が、腹部にめり込む。


『おそいい。』


「あらあら。うふふ。コタロウさんでしたか。ふふふ。」


なぜ、こんなに付き纏われるのか。

ハクの気持ちは理解してあげられないが、頼りにされているのだと思うと素直に嬉しい。





「ハクは。いつ頃から食事を。」


「そうですねえ。もうすぐお水と。それから流動食くらいであれば。おしゃべりも上達してますものねえ。」


すり身なら、念願の魚ももうすぐ食べられそうじゃあないか。


「魚のすり身は。どうですかね。」


「脂が多いのはまだ。消化器官が整わないと、難しいかなあと。」


だめか。


「ああ。水煮のツナ缶を湯通しして、滑らかにほぐせば。あっさりして食べやすいと思いますう。」


「なるほど。」


マグロか。加工した物、特に水煮は油分が抜けてさっぱりとした味わいだ。口に合うかはわからないが、

サエにも共有しておこう。




看護師が、ジロウの点滴を取り替える。


「東側の棟には。他の人は、いるんですか。」


「そうですねえ。ジロちゃん。ハクちゃん。

それから。ツムギちゃん。上の階にいる、同じ犬の子ですよ。」


見ていない子もいる。

しかし今は三人だけか。この区域の治験人数によれば三十人程度はいたはずだが。



続けて看護師は言う。


「今いる子は最近目覚めた子達ですからね。コタロウさんが来る以前は次々に目覚めて。それはもう。大変でしたよ。」


「ツムギさんも。雌の子なんですか。」


「ああ。東棟は女の子しかいません。もうあと数日もしたら、ここを卒業されますよ。」


なんと。挨拶くらいはしておくべきだろう。

どの程度会話が出来るのか。運動機能は。

今から会うのが楽しみになってきた。


話を聞く限りでは。東棟の面子のうち、最も遅く目覚めたのはジロウとなる。

いや。まだ目覚めていない子はいるのだろうか。



看護師が、ハクの点滴を取り替える。

戻ってきてから、彼女は僕のベッドを占有したまま大人しくしている。

考え事でもしているのだろう。




「まだ。目覚めていない子は。」


「居ますよ。」



「ただし。」


看護師がこちらを向いた。



「面会は出来ません。」





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