《白》
「あは。」
「おはよう。」
背景に溶け込んださらりと真っ白な髪。
大欠伸の刹那に、きっ、と鋭い歯を見た。
三角の耳を跳ねさせる。
猫だ。
先程の、膝が転げてしまいそうな声の主か。
つるんとした両の眼が、蒼く煌めいている。
鋭く突き刺すような瞳孔とは真逆に、目つきは柔和で朗らかな印象を受ける。
短くしゅんとした眉から成るその顔立ちは、感情を読み取らせまいとする仮面のようだ。
女性が箱を置いて寄ると、それが顔を向ける。
ぽん、と頭に手を乗せ、もう一方で頬を撫でる。
それは、すう、と息を吹き。身を預けているよう。
「ハクっていいます。この子の名前。」
「ハク。漢字は白と。」
「そうそう。」
白い尾がくるんとしなる。しゃらん、と、鈴の音。
尾の先に巻かれた紐が、心地よい音色を聞かせる。
「おばあちゃんが飼ってた猫なんですが。この子ももともといい歳だったので。でも。長生きでしたよ。」
老衰か。
記憶を受け継ぐのが本当なら、長く生きた個体ほど知識も豊富に蓄えるはずだが。どうなのだろう。
「家族がいたんですか。」
「まあね。とは言っても。両親は分からなくて。子供の時におばあちゃんが引き取ってくれたの。」
「養子ということ。」
「そうそう。もう少し若い時にね。」
やはり血の繋がりは無い。ただでさえ出生率は減り続けている。今時、繋がりがある方が珍しい。
ハク。と呼ぶ猫の人が、こちらを見た。
浅く会釈を送ると。
きょとんとして動かない。
「ふふ。まあ。目覚めて日も浅いし。なにより、元が猫だからね。」
「あなたも。初めて面会した時は苦労されたんですか。」
「それは。
そうだね。」
言葉を詰まらせて言う。みんな同じなのだろう。
「あなたの子は。」
「ああ。そうだ。手頃な玩具を探しに来たんです。でも、良さそうなものを見つけたので。」
手元の箱をぽん、と叩いて見せる。
あとは、ぬいぐるみでも持って行こうか。
「せっかくですから。うちの部屋にどうぞ。」
「見たい見たい。
でさ。名前はなんていうの。
私はサエ。」
「コタロウです。よろしくお願いします。」
「うん。よろしくね。」
施設で初めての友達が出来た。
寝室に着いた。振り返ると、サエに手を引かれたハクがぺたぺたと追いかけている。
しゃら、しゃり。鈴が鳴る。
転ばないか心配になる。不安な足取りだ。
健気な様子に、ふす、と微笑む。
扉を開けると、少女は眠っていた。
持ち込んだ玩具を置いて、横に腰掛ける。
手の位置が変わっているような。
ほんの少しずつでも、体を動かそうとしているのか。
手に取り、両手で優しく包む。
「綺麗な子だね。名前は。」
「ジロウです。女の子だとは知らなくて。」
「へええ。こんなに可愛いのに。勇ましい名前ね。」
勇ましい。その通り、勇敢だったと思う。恐れ知らずとも言えるくらいには。
すん、と聞こえると、目を開けた。
僕、サエ、ハク、と目線を移動させて、止まった。
真っ白なそれが気になるのだろうか。
ハクはそっぽを向いている。
「ハク。お友達だよう。」
肩に手をかけて言うが、ハクは目を逸らしたままだ。
「詳しくは無いですが。猫はこういうものなのかもしれませんね。」
たはは、と自分の髪を撫でる。
「いやあ。なんか。悪いね。」
二人。もしくは二匹。
それぞれの時間が止まっている。
客人を座らせ、それぞれ自分のペットを撫でる。
ハクは、目覚めて二ヶ月ほどだという。
語学を中心に知育トレーニングを進めている最中で、個の名前や、簡単な言葉は判別できるそうだ。
会話や計算をするにはまだまだ先だというが、名前を呼ばれた事を理解する。たったそれだけでも、かつてよりもコミュニケーションの深度が深まったそうだ。
医者は赤子のようだと表したが。この学習速度は並の生物とは比較にもならないほど優秀だ。
これも技術の賜物だろうか。
相変わらず二匹はぴくりとも動かない。
頬を撫でて瞬きさせる。
「どうしちゃったのう。喧嘩かなあ。」
「初対面で緊張するのかな。何度も会えば、気を許すかもしれませんよ。」
「そうねえ。もうお昼だし。今日は戻ろうかな。」
そんな時間か。時計を確認する。
「そうですね。お話が聞けて良かったです。」
「こちらこそ。部屋の番号、教えるよ。」
グラスを通して、内装の地図が示される。
同じ棟の反対側。あまり離れてはいない。
「ありがとうございます。サエさんの部屋にも、今度お邪魔させてください。」
「もちろん。あと。敬語も、もういいでしょう。仲良しの印に。」
「では。そうします。」
ふふ、と笑う。
「育ちが良いね。まあいいよ。じゃあ。また。」
「また。」
「ハクう。行くよう。」
二人が部屋を出ていく。後ろ姿は、親と子のようだ。
扉を閉めながら、手を振られ、振り返す。
ジロウは、扉の先を見続けていた。