2. 2度目の討伐
レッドベアの討伐に向かおうとしたのだが、武器がなく、何より周りの大人に阻まれ外に出ることもできなかった。掴まれた手を力一杯振り切ろうとしても、身体が軟弱で抵抗できなかった。
出没したレッドベアは既に病で亡くなっているはずの叔父が討伐した。
状況を詳細に確認し、どうやら私は記憶にあるよりも過去の世界にいる、という結論にたどり着いた。信じられないことだが、ほかに今の状況を説明できない。今の私は7歳前後といったところか。
私は私であることには変わりないが、本格的な訓練を始める前の非力な姿であった。ナターシャ様に対して忠誠の誓いも立てておらず、騎士の見習いですらなく、当然ながら佩刀は許されていない。魔力は訓練せずとも身体には流れていて、練習をすればまた使えるようになりそうだ。
頭の中にある記憶が夢なのか本物の記憶なのかも分からなかったが、数日経つと前に全く同じことを経験した、と思うことが重なり、自分が過去に戻ってきたということを認めざるを得なくなった。何より、厄災を討伐したはずなのに、空は薄暗く、世は終末期のどんよりとした空気に包まれている。
レイは、今の私と同じく子どもであり、厄災を討ち滅ぼした時ほどの技量はない。彼の父である騎士団長に認められようと必死に努力していたが、上手くいかないとうちの庭に来て泣いていた。そういえばこんな風に、昔はよく泣いていたのだ。
以前は泣いているレイを見ても慰めることしかできなかったが、今回はもっとできることがある。
旅の知識をもってレイとともに鍛錬すれば、厄災の討伐がさらに容易になるはずだ。
「レイ、よかったら私と鍛錬をしないか」
「……?ソフィア、君は剣なんて握ったことないだろう?っていうか、その話し方、なに?」
「実はレイに内緒で鍛錬してたんだ!剣も握れる!この話し方は、その…実は私は騎士になりたくて、その練習だ」
「ソフィアが、騎士……???」
「あ、ああ!厄災の討伐部隊に入りたいんだ。レイと一緒に」
「…!」
私が騎士を目指したのは、ナターシャ様に出会ったからで、この数ヶ月後になるはずだった。ナターシャ様は生まれた瞬間から聖女としての修行を始めていて、精霊に呼びかけるために本来なら人が立ち寄らない森の奥に一人でいらっしゃった。湖を背景に舞う姿が美しかった。
私はそこでナターシャ様の存在感と神聖な魔力に圧倒され、そして彼女の自由な人柄に惚れ込んだ。彼女のそばに仕える女騎士を目指すことに決めたのだ。
私の人生を変えた出会いだったが、その時まで鍛錬を待つのは時間が惜しい。レイも一緒に強くなれば、厄災の討伐はより円滑に進むはずだ。
レイは、戸惑った顔をしたが、私が本気だと告げると頷いてくれた。
私は確かこの頃にはレイにほのかな想いを寄せていた気がするが、レイはどうだったのだろう。私の死に際に気付いたといっていた気持ちはいつから抱いていたのだろうか。
レイと私は、家格は違うが生まれてから兄妹のように育てられてきた。そのレイが、私のことを"愛してる"などと言ったことが信じられない。それも、私の勘違いでなければ、家族の愛とは違う形だ。それこそ夢としか思えない。
前世では、聖女を守る騎士になることを決めた時に、自分の幸せについては考えるのをやめた。ナターシャ様を支え、厄災からこの世界を守る方がずっと大事だったし、その後のことなど考える余裕がなかった。
今は、厄災を倒すために積むべき鍛錬も、集めるべき武器や仲間も、厄災の居場所も、全てが私の頭の中にある。今なら1度目よりも上手くやれる自信があった。命を落とさずに、厄災を倒してみせる。そして、愛してると言ってくれたレイの手を取りたい。
(待っていてくれ、レイ。私もレイを愛してる。今度は、私からも言葉で返すから、全てが終わったらどうか私を選んでほしい)
剣術はレイと一緒に磨くとしても、それだけでは足りない。私はもう一つの武器として魔法の訓練をすることにした。
前世の私は特殊魔法の技術が低く、剣術に頼っていた。防御も最低限だし、炎や水などの魔法は全て苦手だった。だからこそあの爪に貫かれることになった。
私は魔法の理論の授業が大嫌いでちっとも理解できなかったのだ。しかし、旅の中で魔導師のホムラに無詠唱魔法を習ってからは、感覚で操作できるようになり魔法も嫌いではなくなった。
(今なら最初から無詠唱魔法が使えるのではないか?)
無詠唱で防御魔法を展開する。
「おお、できた!」
魔力が未成熟で防御壁も安定もしておらず、生身の人間に殴られただけでも砕けそうな柔いものだが、訓練すれば使い物になるだろう。
この精度を上げ続ければ、竜の爪に貫かれて死ぬこともないはずだ。
「ソフィア、ソフィア?」
「はい、母様!」
屋敷から母様が出てきた。母様は私が泥に塗れているのを見て顔を顰めた。
「あらあら、今度は何をしていたの。顔を洗っていらっしゃいよ。母様と中で刺繍をしましょう?」
「母様、今は防御魔法の鍛錬をしておりました」
「またそんなこと言って……。父様に聞いたけど、本気じゃないわよね。それにその話し方は何なの、男の子みたいよ。貴女らしくない」
この頃の私は、元々は騎士になることは考えてなくて、将来は母様のように家を守るものだと思っていた。特にやりたいこともなく、毎日決められた勉強はなんとかこなしていたはずだ。女子は将来良い夫に見初められ、家に尽くすのが一番だという教えを特に疑問にも思っていなかった。
遠い未来に家を守る道を選ぶことはあっても、今はその時ではない。やるべきことに集中しなければ、何事も達成はできない。
前世では、普通の娘になれなかっただけでなく、母様より先に命を落とすという最悪の結果になってしまった。今回は、母様に良い報告が出来るはずだ。
「母様、ご容赦ください。いまは時間が惜しいのです」
母様は息を飲み、しばらく私を見つめていたが、何も言わずに屋敷に戻っていった。私は魔法の防御壁構築の練習を続けることにした。
その数ヶ月後、私は無事ナターシャ様に出会い、必ずおそばにお仕えすると誓った。
建国神話で女武神が活躍する我が国では、他国と違い女が武技を身に付けることは広く受け入れられているが、受け入れてもらったからといって肉体的な優位差が埋まるわけではない。
騎士になるには基本的に自分の出身地である各領地の君主の許可を得、騎士団の見習いとして訓練を受け、その後従騎士となった後に一定の結果を残す必要がある。
通常であれば父に頼むところだが、ナターシャ様のそばにいることが目的の私が目指すのは王都の騎士団一択だ。
前世は叔父であるレイの父親に頼み込み、
ナターシャ様の推薦もあってなんとか滑り込ませてもらったに過ぎないが、今回は前世の知識を活かして正規のルートで入団を叶えた。
聖女の旅には、必ず王国騎士団所属の女騎士が一人護衛につくことになっている。前世の私はその枠で選ばれた。そのため腕っ節に関しては女騎士では一番だというにすぎず、実力不足だったと思う。道中でホムラに魔法を教わったり、キース様に剣を教わったりしてなんとか底上げしたが、まだ未熟なところも多く伸び代はあった。
今世では前回の学びを活かし、騎士団全体の中でも一二を争う実力者と言われるまでに成長することができた。
厄災の出現する兆候が強くなると、聖女であるナターシャ様、そしてその護衛の私、魔導師のホムラ、騎士団長の推薦でレイとキース様が選ばれ、前世と同じ仲間が集まり、厄災討伐に向けて旅に出ることとなった。
厄災の出現時期や場所も、そこに到達するまでに必要な準備も全て分かるため、無駄な場所で時間を浪費することもない。厄災との戦闘についても事前に必要な情報を伝え、これも力を温存しながら勝つことができた。厄災は、またも私たちの手によって葬られた。
時間は短縮され、労力も軽減したが、厄災討伐という結果は変わりない。
私にとって一番大きな違いは、全てが終わっても自分が生きていることだ。
ーーーさあ、レイ。いつでも告白してきてくれ。
私はレイからの告白を受ける準備ができていたが、討伐が終わって王都に戻ってもその時はこなかった。
国王から勲章と褒美を贈られ、祝賀のパーティに出席して、両親や騎士団の皆にも報告して酒の席で語らいあった。レイは忙しそうでゆっくりと話す時間はなかった。
それから1週間は経ったが、レイからの話はない。そこで私は気が付いた。
ーーーもしかして、私が命を落とさないとレイは自分の気持ちに気付けないのか?
自分の命を自分で傷つけるわけにはいかない。私から気持ちを伝えるべきだったかと迷っていた時、父様から呼び出された。
「急な話ですまないが、実は公爵家からお前に求婚したいという話があってな」
「本当ですか?!」
「ああ、少し考えてくれないか。旅の仲間だし、悪い話じゃないだろう?先方が話をするためにこちらまで来てくれるそうだ。まずは話だけでも聞いてみないか」
「とんでもないです。話など構いませんからすぐにお受けさせてください。私もずっとお慕いしていたと伝えてくださいませ」
「そうなのか!なら話は早い方が良いな。分かった、すぐに了承の返事の手紙を出そう。なんてめでたいんだ!」
私に何も告げずに突然求婚してくるとは、中々古風な手段を選んだものだ。しかし、国王はナターシャ様との婚約をお望みだろうが、そこはどうするのだろうか。後継のいない国王は、遠く王家の血を引く公爵家のレイを養子にとり、聖女であるナターシャ様も王族に迎えることを考えていた。
私はレイと気持ちを確かめ合うことしか考えていなかったが、レイは、それで簡単に結ばれるような立場ではない。
「側女として迎えるつもりなのか?それが気まずくて直接話せないということだろうか」
レイとナターシャ様とともにあれるのならば、正妻にこだわるつもりはない。むしろありがたいくらいだ。ナターシャ様の婚姻により私はナターシャ様の護衛の任を解かれ、このままではそばにいられないのだ。
二人ともレイの妻となれば、今後もずっと近くに居られる。しかし、ナターシャ様はどのようにお考えなのだろうか。彼女を傷つけることは本意ではなく、そうまでしてレイを自分だけのものにしたいとは思えない。
心の中を整理するために庭に出ることにする。少し素振りでもしようかと遠くを見つめていると、向こうからレイが走ってくる。
「ソフィア!ここにいたのか」
「レイ、私も話したかった!」
「ソフィアも?何の話?」
「婚姻のことなんだか、その…ナターシャ様はどう考えてる?」
「え?なんだ、伯爵様から聞いたのかい?ナターシャはあんまり大規模にしたくないって言うけど、仕方ないよね。城であげるのは国民に見せるための式だから、後で身内だけで祝う席を設けたいと思ってる。ソフィアも来てくれるよね」
「……あ、ああ。もちろん。その、私は……」
「聞いたよ。ソフィアが公爵夫人か……想像もつかなかったけど、きっと二人はいい夫婦になれると思う。嬉しいよ。おめでとう!」
「……」
レイは、叔父上を待たせていると言ってすぐにその場を去った。私は父様の部屋に駆け込んだ。
「父様、先ほどのことなのですが……」
「おお、ソフィア。グラニエル家には魔鳩で速達を出したぞ。明日には着くから安心しなさい」
「グラニエル家」
「まさかお前がキース様を慕っていたとは、全く気付かなかったな。これからは仲間ではなく、夫婦としてよく助け合って生きなさい」
「キース、さま……」
私の脳裏に、無表情の男の顔が浮かんだ。
キース様は辺境にある公爵家の嫡子であり騎士団でも1番の剣技の使い手である。辺境は厄災の活動が活発になる前から魔獣が多いため、道中の魔獣討伐でも活躍した。前世で私に指導をつけてくれた方でもある。
確かに私は公爵家に嫁入りするつもりだったが、それはガーランド公爵家の話であって、グラニエル公爵家のことではない。しかし、求婚を快諾する返事は、もはや馬でもドラゴンでも撤回が間に合わない場所に到達しているに違いなかった。
次は明日13:00ごろ投稿予定です。