『可愛い』は正義ですか罪ですか
頭上高くにある険しい顔が、すいとこちらに向く。
透けるようなアイスブルーの瞳が正面に私を捉えた途端、家主はカッと瞠目したきり動かなくなった。
「————」
「…………」
強い。眼力が強い。
険しい顔で目を見開く姿はまるで仁王像のようだ。
恐ろしい人ではないはずだからと自分に言い聞かせてみても、そんな風に見られるとさすがにたじろぎそうになる。
「————」
「…………」
瞬きもせずにいて、目は乾かないのだろうか……。
こうして自分より驚いている相手を見ていると、段々と冷静になってくるから不思議なものだ。
他に誰もいない空間とはいえ、いつまでも二人して睨み合っているわけにもいくまい。
そろそろ眼力で焼かれそうな気もするし。
僅かな逡巡のち、私は恐る恐る家主へと声をかけた。
「あ、あのー…………お邪魔してます……?」
夢の中とはいえ、家主にとってみれば私は『不法侵入者』で、そのうえフルーツの『窃盗犯』。
今もまさにフルーツをいただきに来たところなので、なかなかに気まずいものがある。
「……かっ————」
あ、動いた。
「か?」
表情の恐ろしさに反して怒っている気配は感じないのだけれど、この顔は一体どういう感情なのか。
言葉の続きを待っていると、ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえた。
「…………ふ、触れる許可をもらっても……?」
「か」は、どこへ??
疑問を覚えつつも、寝ている家主に無断で触れていた私に拒否権なんてあるはずもなく。
「危害を加えないのであれば……」
「神に誓って」
こくこくと必死に頷いた家主が、大きく屈んで私の足元へと手のひらを差し出した。
……これは、手に乗れということ?
ちらりと家主を窺えば、目の見開きこそ収まったものの、私の一挙手一投足まで見逃すまいとこちらを注視している。
一瞬でも目を離せば逃げてしまうと思っているのだろうか。
長い指に手をかけて、よいしょと手のひらに乗り上げる。
不安定な足場によろけてペタンと座り込むと、こちらまで緊張が伝わってきそうなほど慎重な手つきで、ゆっくりと手のひらが持ち上がった。
「……はじめまして」
食い入るように見つめてくる家主の目の前で、改めて挨拶をしてみる。
手を伸ばせば高い鼻頭に触れられそうな距離。
座った手のひらは温かく、肌の触れた部分からはやはりぬるま湯の流れ込むような心地よさを感じる。
「……かっ、かわっ——」
かわ? 川……、皮……あっ!
即座に居ずまいを正し、勢いよく頭を下げた。
「すみませんでしたっ! 勝手にブドウを頂戴したうえ、皮まで置きっぱなしにしてしまって……。あっ! ドールハウスの前にあったプレゼントも私用かと思って勝手に食べてしまいました! 重ね重ねすみません!!」
「——可愛すぎないか」
「…………へ?」
おかしな返答に顔を上げる。
唐突に何の話だろう。
家主の視線を追ってくるりと自分の背後を振り返ってみても、これといって変わったものは見当たらないけれど。
「??」
首を傾げて見つめ返せば、家主は空いた右手で口元を覆い天を仰いでしまった。
「これは罪だろう……!」
大きな手のひらの隙間から、押し殺すような声がする。
『罪』——もしや、警察のような機関に引き渡されてしまうのだろうか。
となれば、そこからが悪夢のスタートかもしれない。
こんなにリアルな夢がもしも悪夢に変わったなら……そんなもの、考えるだけで恐ろしい。
「あ、あのっ! まだ手をつけていないものに関しては全部お返ししますので、どうか警察は——」
ふぅぅぅぅぅと長く息を吐き出した家主は、幾分冷静さを取り戻した様子で青ざめる私に向き直った。
「可愛すぎる」
「え?」
「いや——ここにあるものなら、なんでも食べてくれていい。それにあのプレゼントは君のために用意したものだ。何を好むかわからなかったので思いつくままに入れてしまったが、少しは喜んでもらえただろうか?」
「…………はっ、はい! すごく嬉しかったです! ありがとうございます!」
突然始まったまともな会話に置いていかれそうになりながらも、なんとかプレゼントのお礼を伝える。
やはりあれは私宛てだったのか! よかった!!
安心して表情を緩める私を見つめ、家主は眩しそうに目を細めた。
「他にも欲しいものがあれば言ってくれ。——ところで、どこか体調の優れないところはないか?」
「えっ? 体調ですか?」
「ああ。眩暈や息苦しさ、馬車酔いに似た症状だとか」
「いえ……別に何もありませんけど…………」
なんでそんなことを聞くのだろう。
——はっ! まさかあのプレゼントに毒が——!?
両手でバッと口を押さえると、私の心を読んだかのように家主が補足した。
「プレゼントには何も混ざっていないから安心してほしい」
真っ直ぐに向けられた真摯な瞳を見て、ほっと腕を下ろす。
「問題は『俺』のほうだ。すべての人間は大なり小なり魔力を保有しているものなのだが、俺の保有する魔力量はあまりにも膨大でな……。どんなに抑え込もうとも、周囲に干渉して魔力酔いを引き起こしてしまうんだ」
「へぇー、魔力酔い……」
魔法のある世界にも、なにかしら不便な事情はあるらしい。
理解半分にふんふんと聞いていると、家主は確信めいて言い放った。
「君からは一切の魔力を感じないうえ、こうして俺の側でも平然としている。人の理から逸脱した存在——君は妖精だな?」
「はい?」
「やはりな。あまりにも可愛すぎると思ったんだ」
突拍子もない解釈に洩れた声を勝手に肯定と受け取った家主は、すべて合点がいったとばかりに深く頷いている。
自分では単に小さくなっただけだと思っていたけれど、まあ『妖精』という設定である可能性もなきにしもあらず?
空も飛べなければ魔法も使えない、妖精…………いや、たぶん違うな。
「俺の名はクローヴェル=ヘシュラウ=フィド=ラストア」
「クロー……え?」
なんて?
ちょっともう一度言ってほしい。
いきなりのことだったので、右耳から入った文字列がほとんど左耳から零れた。
「君の名を聞いてもいいだろうか?」
「え、あっ、はい。白崎日菜です。えっと、日菜が名前です」
「っ、名前まで可愛いなど——ん゛ん゛っ。ヒナと呼んでも?」
「はい……別に構いませんけど」
先ほどからちょいちょい会話に挟まってくる『可愛い』が気になる。口癖だろうか。
「ヒナ、感謝する。俺のことも好きに呼んでくれて構わない」
そうは言われても……。
「えーと……じゃあ、『クロ』とか?」
なんだか犬の名前のようで申し訳ないけれど、唯一覚えているのがそこだけなので一択である。
「ああ、クロでいい」
そう言って家主、改めクロは、その険しい表情を僅かに緩めた。
ついに家主と接触!
名前は、クロ……?
次回更新は~、また明日!٩( ᐛ )و