手のひらまでの距離
「はぁ……」
何度目かもわからないため息を吐き出して、ごろりとベッドに寝転ぶ。
きらきらしい王子様のクロは今頃、華やかに着飾った令嬢とダンスでも踊っているのだろうか。
そしてそんなクロの姿を、若い女性の誰もがうっとりと見つめるのだ。
「はぁ……」
淡い紫色の天蓋をじっと見つめてみても、何も映し出されはしない。
チリリと頭が痛む。
今一つ元気が湧いてこないのは、きっとこの頭痛のせいだ。
うん。こんなときは早く寝てしまうに限る。
布団を被って目を閉じれば、鼓動を伝えないベッドシーツの冷やかな温度に、またじわじわと胸の沈んでいくような心地がした。
…………カチャッ
なかなか寝付けずに延々と寝返りを繰り返していた私は、微かな物音にパチリと目を覚ました。
クロ……?
この部屋に他の人は入れないのだからクロに違いないはずだけれど、こんな夜中にどうしたのだろう。
そっと寝室を抜けて廊下の窓から『外』を見れば、マントを外し前髪をくしゃりとかき下ろしたクロが、正面のソファに座るところだった。
ぱたぱたぱた……、ガパッ
「クロ!」
「——ヒナ! すまない、起こしてしまったか?」
下ろしたばかりの腰を上げ、クロが大股でこちらにやってくる。
前髪を下ろし、そうやって私を気遣ってくれる姿は、やっぱり私の知っているいつものクロで。
なんだか無性に安心して、へにゃりと緩んだ笑みを浮かべる。
「寝付けずにいたので大丈夫ですよ」
「そうか」
クロも安心したように息をつくと、私に手を差し出しかけ——何かに気付いたように、サッとその手を引っ込めた。
「え……」
抱っこを受け入れようとクロへ伸ばした両腕が、虚しく宙をかく。
「寝ている時間だとはわかっていたんだが、少しでもヒナの顔が見たくて……気付いたら、足がここに向かっていた」
優しい言葉が心の表面を滑り落ちる。
いつも過剰なほどにスキンシップをしてくるクロが、触れてこない。
「休んでいるところを邪魔してしまってすまない。だが、こうして顔を見られてよかった」
頬を突つきもしなければ、頭を撫でもしない。
呆然と、届かない位置にあるクロの手を見つめる。
「こんな時間だ、さすがに眠いだろう。俺はもう行くから、ヒナもゆっくり休んでくれ」
反応のない私を眠気のせいだと理解して気遣ってくれるあいだにも、大きな手のひらは、やっぱり遠くにあって。
初めての『拒絶』ともとれるクロの反応を前に、ただでさえ萎れていた私の心は呆気なくぺしゃりと崩れた。
「……もう、触るのも嫌ですか?」
ぐっと顔を俯け、震えそうになる声を抑えつけて絞り出す。
「? 何を——」
「今日のパーティーで、素敵な出逢いでもありましたか? 好きな人ができて……だからもう、私と一緒にいるのはおしまい?」
『お人形遊び』などやめて、恋人に時間を割くために。
眼球に張る涙の膜を散らそうと強く瞬く。
手に手をとって並ぶ、クロと美しい令嬢。
何度も思い浮かべたその光景は、まるで現実のような鮮明さで脳裏にこびりついて離れない。
「ヒナ……」
戸惑いを孕んだ声に、クロを困らせているのだと知る。
別にクロがどこで何をしようと、私に文句を言う権利なんてないのに。
ただ————ただ、こんなにも構っておいて急に放り出すなんて、あまりにも自分勝手すぎると怒りが湧いてくるだけだ。
そう、これはただの——
「俺の想い人に妬いているのか?」
ザァッと、思考が白く塗りつぶされた。
言われた内容もよくわからないのに、クロの声が発した『想い人』という単語だけがいやにはっきりと頭に飛び込んで、ガンガンと頭痛を悪化させる。
「違います! ちがっ……、私は……っ」
わからない。
わからないからとにかく首を振る。違う。
私は単に、クロの自分勝手な振る舞いに怒っているだけで!
「妬いてくれたほうが、俺としては嬉しいが」
「…………」
頭上から降る声の、嬉しそうな様子に困惑する。
クロは片膝を立てて床に跪くと、棚の上に立つ私と視線を合わせた。
「触れなかったのは、ヒナを利用したくなかったからだ」
「利用……?」
「ああ。きつく魔力抑制を続けた今、俺の中では膨大な魔力があふれ出そうと渦巻いている。そんな状態でヒナに触れるなど、ヒナの能力を利用して楽になろうとしているようなものじゃないか」
「……楽に、なったらいいじゃないですか……?」
それならなおのこと、一刻も早く私に触れるべきだろう。
話が見えない。
「能力があるから側にいるわけではないのだと、ヒナに示したかったんだ。——いや、その結果ヒナを傷つけたのだから失敗だったが」
「…………」
私は生きるための何もかもをクロに助けられていて、その厚意に報いたいからと自分にできることをしているに過ぎない。
先に手を差し伸べてくれたのはクロだ。
それを今さら、能力のために側にいるだなんて思うわけがないのに。
「本音を言えば、顔を見た瞬間からずっと、今だって触れたくてたまらない。能力のためでなく、『ヒナ』だから触れたいんだ」
「……本当に?」
拗ねてクロを困らせる私のご機嫌とりではなく?
本音を探るようにクロを見つめれば、冬空のようなアイスブルーの瞳が、嬉しそうに、穏やかに、すべてを包み込むような深さをもって私を受け止めた。
「もちろん。ヒナ、触れる許可をもらっても?」
傍らに差し出された手のひらが、じっと私の返事を待つ。
言い知れぬ安堵にすんと鼻をすすり、涙の残る瞳でクロを見つめる。
「……はい。気付いたんですけど私、クロに触られるのが好きみた——」
話も終わらぬうちに優しい手のひらに抱きすくめられ、押しいただくように額を寄せられた。
「————っはぁぁ、もう無理だ……」
「そんなにお疲れですか?」
クロが弱音を吐くなんて珍しい。
目の前にある額に両手を触れ、ぺたりと頬まで付けて寄り添う。
触れた部分からは、ぬるま湯のような温かさが堰を切ったように流れ込んでくる。
「これくらいの疲労はなんでもない。……なあヒナ、先ほどの言葉はヤキモチだろうか?」
「それは……」
拒絶されたと思い込んだショックで、余計なことを口走った気がする。
あれは勢いで口をついて出てしまっただけなので、どうか蒸し返さずに忘れていただきたい。
ゆっくりと顔を起こしたクロは、鼻先が触れそうなほどの至近から真っ直ぐに私を見つめて告げた。
「ヤキモチだと言ってほしい。——ヒナ、愛しているんだ。一人の女性として」
ついに……!Σ(゜д゜*)
試しに朝投稿してみました。
次回更新は~、日曜日!٩( ᐛ )و




