私も食べ物ではありません
「おわわわっ、高い……っ!!」
クロが立ち上がると同時に、視界がぐんと高まった。
おそらく他の『人間』と比較してもかなりの長身だろうクロの手のひらの上で、そのあまりの高さに慄く。
高い所は苦手ではないけれど、囲いも命綱もない状態ではさすがに不安だ。
「落とすつもりは毛頭ないが、ヒナも気をつけていてくれ」
「はいっ!」
力強く返事をすると、私はクロの親指を引き寄せて両腕でぎゅっとしがみついた。
「オッケーです!」
「かっ——————!」
右手で顔を覆ったクロがわなわなと打ち震える。
え、なになに、やめて!? 揺らさないで!?
ガチャッ
「わ……」
ドアの向こうに広がっていたのは、今までいた部屋の三倍はありそうなほど広く、そして一切の飾り気を排除した質実な空間だった。
真っ先に視界に飛び込んでくるのは、どっしりと大きな執務机。
広い天板の上では私の身長よりも高そうな書類の山々が連なり、長い山脈をなしている。
一瞬休み明けの会社のデスクを思い出しかけ、ふるふると頭を振って記憶を追い払った。
机の背面にある大きな窓からは明るい日が差し込み、今が日の高い時間帯であることがわかる。
その隣に掛けられているのは国旗だろうか?
濃紺に太い白の十字が入り、中央には羽根のついた獅子のような生き物が描かれていた。
奥の壁には大きな本棚が三台並び、見るからに難しそうな分厚い本がぎっしりと詰まっている。
部屋の一角には応接セットのようなソファとローテーブルもあるけれど、ピンと革の張られた座面は固そうで、ゆったりとくつろげるような雰囲気ではなさそうだ。
「ここは俺の執務室だ」
「……じゃあ、今までいた部屋は?」
「あそこは休憩室として使っている」
「へぇー」
何とはなしに休憩室のほうを振り返ってみる。——と、今しがた通ったばかりのそこにはなぜか、あるはずのドアがなかった。
「?」
私が後ろを気にしていることに気付いたクロが、見やすいよう身体の向きを変えてくれる。
改めて壁を見て、私は再度首を捻った。
通ってきたのは確かにこの位置だったはずだ。執務室に入ってまだ数歩も移動していないのだから、間違いようがない。
しかしどんなによーく目を凝らしても、そこにはドアノブはおろか、一筋の切れ目さえも見つからなくて。
「……ドアは??」
これも夢の中だから?
ゲームのステージ移動みたいに、移動したら元の場所には戻れないとか?
「ああ、あそこは隠し部屋なんだ。特殊な魔道具を用いて、管理者である俺が触れたときにだけドアが現れるようにできている」
「隠し部屋……!」
秘密基地のようでなんとも心躍る響きだ。
「気になるなら、戻るときによく見ているといい」
「はい!」
執務室の出入口らしき、見えているドアの近くに、目当てのものはあった。
水差しやティーセット、茶菓子までもが乗せられた、木製のワゴンテーブル。
「これごと持っていくか」
全く異論はないので、クロの提案にこくこくと頷きを返す。
「手が塞がってしまうな。運ぶあいだ、ここに乗っていてくれるか?」
「はーい」
ワゴンの天板に寄せられた手のひらの上から、ぴょんとワゴンに飛び移る。
丸々とした大きなポットと、中に入れそうなサイズのティーカップ。背の高い金属製の水差しに、甘い香りを放つ数種類の焼き菓子。
ポットの近くは熱気が漂っていたので迂回して、焼き菓子の皿の隣の空いたスペースにちょこんと体育座りした。
「食べてしまいたい……」
「えっ?」
「いや、ヒナは可愛いな」
指先ですりすりと頬を撫でられる。
いやいやいやいや!? 今ものすごく聞き捨てならないことを言われたような……!?
もしや鳥や魚などのように、私のことも食料に見えていたりするのだろうか……。
「ほ、本当に食べたりしませんよね……?」
「ふっ、おかしなことを言う」
ふにふにと頬をつつかれながらも、明確に否定されないことが恐ろしい。
私なんかより、プレゼントでくれたサラミだとか、あの豪華なフルーツを食べたほうが絶対に美味しいに決まっている。
「私——」
コンコンコンコン
至近距離から響いたノック音に、慌てて口をつぐむ。
「ヤシュームです。少々よろしいでしょうか」
「……少し待ってくれ」
出入口のドアの向こうに誰か来たようだ。
クロが冷静に受け答えするあいだにも、私はおろおろと慌てふためいて隠れ場所を探す。
にゅっと伸びてきたクロの手が、伏せて置かれたティーカップを傾けた。
「すまない、すぐに済ませる」
ひそひそ声にしっかりと頷いて、私は開いた隙間からするりとカップに滑り込んだ。
カタン
「——もう入っていいぞ」
ティーカップの中で小さくなって、外の音に耳を澄ませる。
万が一他の人に見つかってしまったとしても、クロならきっと庇ってくれるだろうと思うと、不思議と怖さはなかった。
ガチャッ
「失礼いたします。……ティーセットがどうかなさいましたか?」
「休憩室で飲もうと思ってな」
なるほど。この相手は隠し部屋の存在を知らされているほど、信頼の置ける人らしい。
そういえば前に漏れ聞いた会話の声も、この人だったような気がする。
「それで? 何かあったのか?」
「先日の大雨で、懸念されていた通りベムカの川が氾濫しました。幸い事前の避難により人的被害はありませんが、橋は半壊状態とのこと。復旧作業のため、人員派遣の許可をお願いいたします」
「ああ——いや、現場を監督できる専門家を用意して、あとの労働力は現地で募ってくれ。もちろん給金は相場通りに。労働力が足りないようであれば、そのときは追って人員を派遣しよう」
「わざわざ現地で集めるのですか? 手慣れた者をまとめて派遣してしまったほうが早いのでは?」
「こたびの水害で農作物など収入に障りの出た者もいるだろう。臨時の働き口は住民の助けになるはずだ。なにより地元民であれば復旧への士気も高い、きっといい働きをする」
「承知しました。そのように手配いたします」
まるで別人のように整然と話すクロの声を聞きながら、どうやら『可愛い』は口癖ではなさそうだと静かに認識を改めるのだった。
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次回更新は〜、また明日!٩( ᐛ )و




